猪苗代町大字川桁字幸野の背稜

年月日: 2017年3月20日(月)

行程: 川桁の実家 〜 観音寺林道・標高605m 〜 寺山公園の祠・標高715m 〜 丸山東側の910m級ピーク 〜 金山・864m 〜 720.8m 〜 都沢

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幸野の背稜(猪苗代町立さくらこども園から)
       

前置き長いので無視してくなんしょ。

3連休初日の土曜日(18日)に横浜に通院の予約を入れていたので、ついでに会社に寄って仕事。21日に今年初めての年次休暇を取得して19日〜21日にJRバス・夢街道会津号を利用して帰省。3連休初日(18日)と最終日(20日)は高速道路が混雑するから、行きも帰りも一日ずらせば空いているであろうと思ったのだが、19日も都内の高速道路が渋滞していていつもより20分程度遅れて猪苗代入り。今年は例年より暖かいというイメージがあったものだから、昨年に比べて猪苗代町の積雪が多いのに驚いた。

猪苗代駅到着が遅れた分、郡山方面に向かう各駅停車の列車の待ち時間が少なくて済む。たったの2両編成の列車は猪苗代駅では普段と変わりなくどの乗降口からも乗れた。乗ってから「ワンマン列車なので・・・」という降車に関するアナウンスが流れたのだが、意味が理解できなかった。川桁駅に到着してボタンを押してドアを開けようとしたのだが反応無し。げげっ!降りらんねーじゃねーかよ。周りの乗客が「先頭車両に行け。」と言う。先頭車両に移動する間に発車してしまった。隣の関都駅まで乗り越しか。こんなことになるなら初めから猪苗代駅から川桁まで歩けばよかったよ。クソったれ。

昨年末に帰省した時はいつもと変わりなかったのだから、ワンマンに切り替わったのはつい最近のことに違いない。猪苗代駅のように駅員がいて切符を購入できる駅ではどこからでも乗れる。無人駅の乗車時は整理券を取らせるために先頭車両の後方ドアしか開かず、降車時は先頭車両の前方ドアしか開かない。バスと同じように先頭車両に整理券と料金の関係を示す電光掲示があって、無人駅から乗った場合は整理券と金入れて降りるらしい。乗り過ごしたので追加料金払えと言われたら文句の一つでも言ってやろうかと思っていたら、乗務員は降車時に何も確認せず。バスの運転手より楽してるよな。

儲かっていないローカル線のワンマン列車化は理解できなくもないが、これまでだって、磐越西線の車掌は仕事していなかったではないか。従来は無人駅であっても全てのドアで乗り降り自由で、無人駅で乗った人がいれば車掌が切符を売りに来たものだ。ところが近年は無人駅から乗った人がいるのを知っているくせに切符売りにも来ないし、声かけても「後で・・」とか言っておきながら放置されたこともあった。郡山駅の構内に精算機でも設置しておけばよかろうに、わざわざ新幹線への乗り換え口で並んで清算しなければならない。これ全てサービスの質を下げてワンマン化に向けて慣らしをしていたのではないのか。

無人駅から乗って無人駅で降りる乗客がほとんどいないので何とかなると思っているのだろうが、年末年始みたいにぎゅうぎゅう満員で車内移動できない時に先頭車両の最前ドアしか開かなかったら誰も無人駅で降りられないではないか。どの駅も少なくとも6両編成で余裕で乗り降りできる長さのホームを持つというのに、混むのが判っていながら車両数を増やすこともしない。JR東日本の本音は無人駅を撤廃して郡山と会津若松の間を猪苗代駅だけにしたいということかな。JR東日本の経営陣がサービスの何たるかを理解しているとはとても思えない。てめえら一度乗って確かめてみろよ。

関都駅から歩いて川桁に向かうのは2度目。前回は40年前の高校2年の時、帰りに寝過ごしてしまい吹雪の中を歩いて戻った。轟轟と山の唸る音が記憶に残っている。いまは道路が拡幅されて歩道があるし、天気が好い日中なので運動すると思えば楽しくなくもない。それにしても例年に較べて雪が多い。最近積もったようで締り無し。これでは快適な残雪歩きは不可能だ。

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19日、都沢地区にて


翌20日、運動不足解消のため長靴とかんじきを借りて川桁山方面に向かった。観音寺林道に腐れ雪が40〜50cm積もっている。スノーモバイルの跡を辿ってケアテルの近くまでかんじき無しで到達。西風が強くて山の上はやや荒れ気味。川桁山に行くような状況ではない。幸野(こうや)の背稜でも辿ってみようか。観音寺林道の標高605m辺りから南に進路を変え、かんじきを装着して杉植林の谷を登り詰め、寺山公園最高点の祠・715mポイントに到着。

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寺山公園の最高点


この先の稜線には道がなく、標高830mに至るまでの区間は無雪期含めて歩いた経験が無い。雪の状態は上かから下まで同様に締りなく、ワカンを装着していてもズブッと沈み込む。稜線上にはカモシカの足跡があるのみ。標高810m付近で尾根北側斜面に若いカモシカが居た。

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標高830mから先は1998年の秋に歩いたことがある。

標高900mの稜線
       

丸山に向かう尾根が派生する最高点からの眺めはまあまあ。

観音寺川奥部(川桁山、天狗角力取山)
1998年に辿った観音寺川左岸稜線
水無山・999m


金山に向かう稜線は痩せている。鞍部の西側に開くマギ(*1)の奥部は急峻。鞍部から金山への登り返しは地形図上では緩い勾配であるが、雪の吹き溜まりになっていて雪壁にかんじきを蹴りこむ感じで這い上がる。

*1 幸野地区で用いる丸山南の谷一帯の呼称。昔から戦後しばらくまで幸野集落の馬が放牧されていた。当て字は不明。「マ」は「馬」を意味するのか、それとも「牧」がなまって「マギ」になったものか不明。

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中学生の頃に関脇の友人と遊んだ尾根(水無山〜九寄山の間)
       

金山の名は金が採れたことに由来すると聞いているが、どこかに坑があったのだろうか。

金山の下りはやや勾配がきつく慎重に下りた。標高750mまで下りてくると眼下に磐越自動車道が見える。

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猪苗代湖
       

720.8m三角点を経て尾根末端に下った。 磐越自動車道下を抜ける通路の近くで着替えを済まし、車道を歩いて帰着。

5月の連休中に叔父から聞いた話では、720.8m三角点の山北側一帯が放牧地で、春に山焼きを行っていたとのこと。山の稜線が放牧地の境界で、馬が逃げて行かないように柵を設ける代わりに深い溝が掘ってあったらしい。(2017/05/14 追記)

山野・史跡探訪の備忘録