二岐山登山口から鎌房山(上岳・下岳)と鍋山

年月日: 2017年05月04日

行程: 二岐山登山口出発(06:13) 〜 1044mポイント経由して天栄村・下郷町境界尾根の1240mに上がる(07:30) 〜 1330m級ピーク(07:55) 〜 鎌房山上岳(09:00) 〜 鎌房山下岳(09:47 - 10:05) 〜 鎌房山上岳復帰(10:40 - 50)〜 1330m級ピーク復帰(11:56) 〜 鍋山(12:56) 〜 尾根離脱ポイント・1240m復帰(13:53) 〜 往路を忠実に戻って帰着(14:36)

その他: 上記時刻確認ポイントの全てで携帯電話の電波の入り良好。

昨年秋(2016/10/16)に鎌房山を目指した。重い装備を背負って想定外の長い林道歩きをしたことによる時間ロスと体力消耗があり、寝不足だったこともあって安全策をとって上岳で退却。藪尾根の往復が嫌いな性分で、普通なら同じルートで再挑戦する気にはならないのであるが、余計な林道歩きさえなかったら余裕で往復できたはずとの思いがあって意欲が復活。

3日午後3時にレンタカーを借りて福島に出発。宇都宮市の上州屋で今年の那珂川の年券を購入し、さくら市氏家で食料品を調達してから福島入り。秘密の場所で車中泊。冷え込み無く快眠して体調は万全。4日早朝、鳳坂峠を経由して二岐温泉に向かうと鳳坂トンネルを期成する看板が目に留まった。2.3kmの鳳坂トンネル建設の計画が進められているとのこと。鳳坂トンネルができれば確かに鳳坂峠の西側の羽鳥湖・鶴沼川沿いの住民にとっては利便性が増す。既に甲子トンネルで白河に抜ける交通路を確保している下郷町にとってのメリットは何なのだろう。福島空港や県庁のある福島市へのアクセスが改善される程度か?鳳坂トンネル建設を否定はしないが、鳳坂峠を観光資源として活用する可能性もあると思う。地理的に羽鳥湖や周囲の山々の眺望が得られる絶好の位置にあるのに、残念ながら現在の道路からは視界が樹木に限られて何も見えない。だいぶ高度を下げた場所のヘアピンカーブで栃木県境方面の山々を確認できるのみである。行く先の天栄村・下郷町境界尾根の様子は確認できなかった。

二岐山


余談となるが、2007年に馬入峠の堡塁跡を訪れたことがきっかけで、鳳坂峠西側地域の特異性に興味を抱いた。関ヶ原合戦の直前、会津の上杉氏は徳川の攻撃に備えて勢至堂峠と馬入峠に大規模な堡塁を築いた。徳川方は何故にそして何処から馬入峠に向かうのか?会津西街道からわざわざ馬入峠に向かうことは考えにくい。当然、鳳坂峠を越えてくることになる。羽鳥湖周辺の地域は奥羽山脈(分水嶺)である鳳坂峠の西側に在るが会津地方の自治体には属しておらず、天栄村の一部である。天栄村は分水嶺(鳳坂峠)の両側の村が合併して誕生した自治体であり、奥羽山脈(分水嶺)に跨っている。

現在は国道118号で鶴沼川沿いに下郷町に抜けることができるが、鶴沼川下流部は蝉山の辺りが狭窄部となっていてかつては川沿いには通行不可能であり、下郷からこの地に至るには蝉山南側の蝉峠を越える必要があったそうだ。会津若松からこの地に至る他のルートは安藤峠越えと馬入峠越えの2つ。安藤峠は会津若松に直結するルートだが、湯川の奥から延々と無人の山中を辿る。馬入峠を越えてもその先にさらに峠越えが控えており遠回り。会津藩にとって外界への出口として重要であった場所だが、少なくとも現在の鳳坂峠西側地域の住民にとっては必要がない。つまり鳳坂峠西側地域は分水嶺の西側にありながら会津とは隔絶されており、会津よりも鳳坂峠東側の地域との結びつきが強かったということだろう。このような経緯が分水嶺を挟んだ合併が成立した背景なのかな。、いずれ村史閲覧して確認してみたい。

今年は3月の降雪量が多かったので林道に雪が残っていないか心配であったが、全くの杞憂であった。普通の乗用車で順調に二岐山登山口に到着。予定通り行動開始。

地形図上で水流が記されていない沢に架かる橋の手前で林道は完全に通行止めとなる。


前回見つけた橋を渡った先から続く踏み跡を追って緩斜面に上がった。一旦踏み跡は消えてしまうが、そのまま進む。根曲り竹の筍(姫筍)採りによると思われる目印が拾えるが、道跡に雪融け水が流れているので適当に緩斜面のど真ん中を突き進む。部分的に残雪もあって移動しやすい。

1,044m辺りの雰囲気


標高1,150m まで広い緩斜面の中央を進んでから勾配がきつくなる前に右寄りに進路を変えて浅い谷の奥部を目指す。やや太いチシマザサの藪だが、部分的に残雪の帯を伝ってうまいこと移動できた。谷奥部には全層雪崩の跡があった。既に崩れ落ちてしまった後であるため危険性はないが、もう少し早い時期であれば巻き込まれる可能性がある。さらにその上部に行くと雪庇が崩れ落ちた跡があった。植生の様子である程度は稜線に発達した雪庇が安全か否か判断できる。例年雪庇が崩れる場所では樹木が大きく成長できず、チシマザサや灌木藪が主体の植生となる(大川峠から大倉山にかけて多く存在する。)。反面、いくら巨大な雪庇であっても下方にしっかりとした樹木が育つ場所では崩れる心配はまずない。雪庇がばっくりと割れた断面の模様から、風雪が渦巻きながら雪庇が形成されていった様子が判る。

雪崩の跡
崩落した雪庇の断面


順調に雪の消えた(雪庇が落ちた)天栄村・下郷町境界尾根の1,240m地点に到達。

小白森山方面
境界尾根上のブナ巨木


尾根上はチシマザサ藪だが、少し下郷町に寄った位置にカモシカ道が明瞭で、登山道辿るがごとく容易に登れる。本日の主目的地である鎌房山下岳までまだまだ遠いな。

鎌房山


1330m級ピークから連絡尾根に向かって西に下る。アスナロが生える場所を利用して下り、途中で右に逸れて連絡尾根入り。急な斜面に残雪帯があるものの、滑落したら命の保証は無いので雪の消えたチシマザサ薮中を行く。最低鞍部に至っても残雪を利用できる部分がほとんど存在しない。少々当てが外れた。昨年秋と同じ藪漕ぎを強いられることを覚悟。上州屋で新規にスパイク長靴仕入れてきたのだが、必要無さそうなので荷軽減のためにデポ。護身用に持っていたピッケルも置いていく。

連絡尾根の様子


一度経験済みで予めその存在を知っていると意外に御し易いもので、1,248mピーク直下から続くシャクナゲ藪とそれに続く稜線のイヌツゲ藪をそこそこ順調に突破。上岳上部まで続くアスナロ藪の稜線は徹底して稜線を維持すると意外に楽。

アスナロが生える上岳東尾根


見覚えのある樹木発見。

上岳山頂


上岳山頂部の残雪帯を移動して北端から下岳に向かって下る。下岳に向かう上岳北北東尾根は日当たりが悪く雪が厚く残っている。鞍部に至るまで傾斜のきつい斜面に立木無し。雪崩が発生した跡は無くとも、過去には発生したかもしれない。滑ったら鞍部まで停まらない。キックして足場を確定しながら鞍部到着。

上岳北北東斜面
鞍部から見る二岐山


鞍部は連絡尾根東南東斜面に厚く残る残雪帯をテクテク。上岳とは対照的に日当たりのよい下岳南側斜面には笹薮が皆無。傾斜はあるが立木や灌木が多くて掴まるものに不自由しない。火成岩の露出が多いのも特徴。大きな岩の下でケルン積み。

下岳の露岩帯


下岳山頂を特徴づけるものは特に無い。基本的に落葉広葉樹に被われた山で、山頂西端に何本かアスナロがある。大木はないが、過去に伐採が行われたような跡は見当たらなかった。決して見晴らしが良い山ではないが、芽吹き前の穏やかな日の雰囲気は悪くない。下岳の正体を確認し満足。

下岳山頂西端
下岳山頂にて


昼食休憩後に退却。上岳への登り返しは下りに比べると危険な感じはしない。残雪のキック&ステップで確実に登り詰めた。

上岳への登り返し


上岳山頂部はなだらかで、特に一段低い西側が平坦で斜面との境がはっきりしている。樹木の枝が邪魔だが縁からの眺めは決して悪くは無い。縁の樹木に昔の伐採作業に用いたワイヤーが垂れ下がっている。

鎌房山上岳からの眺め


上岳から連絡尾根に向けての下りは2度目ということもあって余裕。1,248mのピークも無事に下ってデポしたスパイク長靴を回収。境界尾根に向けて登り返す途上で環水平アークを見た。同日夕刻の福島県のTVニュースで須賀川市でも同じ環水平アークが見えたことを報じていた。

1,248mピークから見る境界尾根
環水平アーク


下るときに敬遠した傾斜のきつい残雪斜面を積極活用して順調に境界尾根復帰。まだ時間に余裕があるし、境界尾根の残雪の状態を見て鍋山に行くことを決定。鍋山から1,265m ポイントの尾根で下れるかどうか、鍋山に行くまでに状態を観察して判断する。

境界尾根残雪帯・1340m級ピーク付近
1369mポイント南側1350m級ピークからの眺め


境界尾根の半分以上は崩落の怖れの無い雪庇を利用できる。雪庇の無い場所も概ねカモシカ道を辿れる。境界見出票が稜線上ではなく奇妙にカモシカ道の上に在るということは、設置者が楽してカモシカ道上に標柱を設置したのだろうか。

境界尾根からはとにかく二岐山と高倉山の存在感が際立つ。

二岐山
高倉山


1,265m ポイントの尾根は針葉樹が多くて雪が中途半端に残っている。つまり岩がちで滑落・踏み抜けの怖れがある。安全を期して往路を忠実に戻ることを決定。

鍋山の登り
鍋山山頂


ここまでカモシカの足跡しか見なかったのだが、鍋山から戻る途中で真新しい大きなクマの足跡が出現。行き帰りで時間差10分程度の間にクマが歩いたことを意味する。クマ避け鈴着けていなかったら遭遇したかもしれない。どうも昨年から自分の行動範囲でクマの気配が濃い。

帰りの緩斜面で昨年と同じ場所で踏み跡を見失い、そのまま直進したら林道を見下ろす場所に至った。昨年とは逆方向に外したみたい。100m以上西に移動してから林道に降り立ったが、橋までまだ数十m残していた。傷だらけでしばらく脛を露出できない体になってしまったが、長年の懸案を片付けて気分爽快。


羽鳥湖の近くで仮眠休憩後、鳳坂峠と勢至堂峠を経由して猪苗代盆地入り。猪苗代湖の周囲は桜が満開。猪苗代湖の浜辺で足を洗ってすっきりしてから実家へ。

山野・史跡探訪の備忘録