彦間川から丸岩岳・野峰縦走 (2003年12月)

年月日:    2003年12月23日(火)

行程:     出発(7:50)〜 滝を巻く(9:09)〜 石鴨林道出合(10:45)〜 丸岩岳山頂・標高1,127m)(11:05)〜 登山ルートAへの分岐点(11:50)〜 野峰山頂・標高1,009.9m)(12:20)〜 登山ルートAを下る(12:55)〜 沢西川沿いの登山道に復帰(13:40)〜 黒沢西林道終点(13:51)〜 帰着(15:12)

今まで栃木県南西部の山については何も知らなかった。地図を見ると、谷が幾つも奥深く切れ込んでいて、標高はさして高くはないものの名前のついた山が尾根に沿ってたくさん存在している。なにより長い尾根上に旧そうな歩道が存在することが私の興味を惹く。私は尾根歩きが好きでそのついでに山登りができればベストである。いつかゆっくり縦走してみたくていろいろ行程を考えてみたのだが、ルートからポツンと離れた野峰の存在が気になる。春秋専門の私にとって冬の本格的な縦走はできないから、冬はとりあえず安蘇デビューとして野峰に登ってみようと考えた。

2万5千分の1地図に記載されている野峰へのルートは全部で3つ;@彦間川(沢西川)の沢を登り丸岩岳から縦走、A彦間川(沢西川)沿いに進み途中から尾根道を伝い@に合流、そしてB桐生市から中川沿いに林道を進み南側から登る。事前に山部さんの記録も含め幾つか登山記録を調べたが、@とAを辿った記録が見当たらなかった。地図には載っていないが桐生市の県道337号側から登るコースがあるようだ。

計画では先ず@を用いて丸岩岳経由で野峰に到り、状況に応じてAを下るかBを下るかを決定する。Bを選択した場合は車を停める彦間川の西隣の沢に降りるので、両者を連絡する歩道を辿り尾根を越えて戻る周回コースとなる。2万5千分の1地図に載っている歩道には既に廃道となっているものが多いので若干不安もあったが、地図読みをしっかり行えばこの程度の山ならばなんとかなるだろう。

国道293号を南下し、田沼町で県道66号を桐生方面に進み、飛駒で県道208号を北上する。県南西部における20日の降雪量は氏家よりも多かったのかもしれない。谷間は一面真っ白に積雪しており、道路も凍結していた。これが第一の誤算であった。県道208号は黒沢西川沿いの黒沢西林道と黒沢東沢沿いの黒沢東林道に別れるのであるが、その手前で大きなトラックが朝早くから材木の積込み作業をしており、道路が塞がれているので林道に進入できない。手前で作業が終わるのを待っていて30分ほど時間を無駄にした。一年で最も日が短い時期に時間ロスは痛い。これが第二の誤算。林道は狭く積雪しているので深入りは禁物である。県道208号としての終点よりもかなり手前の杉林に車を停めた。

黒沢西川の谷は狭くスギやヒノキがびっしり植林されていて暗く冷え冷えとしている。雪の積もった林道を奥に進む。最初のうちは積雪10cm程度で歩くのに支障はなかった。ほのかに甘い雪の香りが漂う。1kmも進まないうちに通行止めの鎖が架かっている。ここが県道208号としての終点にあたる。林道はその先も続いている。鎖から少し進んだところで左側の沢に3本の丸木から成る橋が架けられている。この時はこれが帰りの尾根越えをするときに使用する予定の道とは気づかなかった。

林道終点の対岸(右岸)側に古い赤いスズキアルトがひっくり返っている。その先は細い踏み跡が沢沿いに続く。

遺棄されたスズキアルト
林道終点の遺棄車(帰りに撮影)  13:51


歩道には登山道としての案内は全くない。たまに目印のテープが残されているが、一般の登山客が使う道ではない。林業関係者が使用しているだけのようだ。積雪もだんだん深くなって歩き難くなってきた。ルートのAの分岐がどこにあるのかは判らなかった。

道は狭い谷の傾斜の緩やかな方につけられているので、何度も渡渉しなければならない。石がツルツルしていてその都度気を使う。沢登りとしては初級コースなのだろうが、やっぱり沢登りは嫌いだ。景色がつまらない(見えるのは谷だけ)、雰囲気が悪い(日射量が少なく暗く冷えてジメジメしている)、非常連絡の手段がない(電波が届かない)、危険(滑落する、流される)などがその理由である。沢登り愛好家は危険と苦難の先にある至福の瞬間を求めて沢に入るのであろうが、源流釣りの真似事に飽きてしまった私はできるだけ沢には近づきたくない。今回は尾根歩きと周回コースにこだわったが故にこのルートを選択せざるを得なかった。

左右どちらの斜面もへつるのが困難であるため丸木橋が架けられている場所がある。その上も同様に取り付く場所が無い。どうするのかと思ったら勾配のきついスギの植林地にジグザグに道がついており滝の上部に出た。そこには山ノ神が祀られている。みかんが供えられていたので、この道を辿る人がいないわけではないようだ。

丸木橋のある場所
09:09
巻道の祠
巻道の祠  09:18


さらに奥に進むと、東側に派生する支沢を跨ぐ場所に石積みで道を補強した跡が残されている。また、支沢沿いの平らな場所に釘が飛び出た朽ちた木材が放置されている。沢下には錆びたドラムカンらしきものもあった。炭焼きが盛んなりし頃、ここに人の生活の場があったのであろう。支沢を渡った後は本流沿いの道無き急斜面を伝って沢底に近づく。シカの足跡が道案内である。緩んだ雪が雪だるまになって落ちてくる。長居したくない場所であった。

渡渉すると再び植林地帯が現れ、道も部分的に明瞭に残っている。立派な炭焼窯の跡も残されている。植林したのは良いが、歩くのさえやっとの沢奥で伐採した木材をどうやって運び出すつもりなのだろうか。植林が行われたのは昭和39年から40年らしい。40年近く経過した現在では、わざわざ道を建設して運び出したのでは採算がとれないであろう。

最後の植林地帯を過ぎ沢源頭に近づく。光が入って明るいが、倒木が多く荒涼とした場所である。沢底にある何本かの杉の大木が目立つ。沢西川奥部は地形に大きな変化が無く、どこまで行っても地図に表されないような小さな谷が左右に出てくる。このため地図上で自分の位置を特定しにくい。方位磁石で進行方向が正しいことを確認し、主沢を維持して先に進む。道跡は部分的に確認できる。ザックから方位磁石を取り出す際に食料を車に置いてきたことに気づいた。プチあんパン2個しかない。雪があるから水には困らないのにペットボトルが3本も入っている。ガックリ。

沢を登りつめれば丸岩岳直下で石鴨林道と出会うはずだが、いっこうに林道が見えてこない。沢底の積雪が深くなり、ササも生えていて道跡が全く判らなくなった。しかも茨だらけなので根負け。東側の奈良部山のある尾根に上がることにしたのだが、こちらも雪に埋もれた茨と倒木だらけで登りにくい。こんなコースを戻るのは絶対に嫌だと思った。ようやく丸岩岳直下の石鴨林道が目に入り、少し希望が湧いてきた。

石鴨林道も一面雪に覆われていた。積雪20〜25cmといったところか。地図上で登山道と林道が交差する場所から100mほど南側に飛び出たらしい。

石鴨林道
石鴨林道出合い  10:45


奈良部山から丸岩岳に向かう登山道は林道の西側にある。地図と地形を見比べながら林道を丸岩岳に向かって歩いていくと、林の中に赤い札が下がっているのが見える。これが登山道の分岐らしい。そこから山頂には迷わずいける。下りに迷わないためであろうか、古い目印がたくさん残されていた。山頂手前の小鞍部で北に続く登山道との分岐があり、傍に大谷石の屋根を持つ神様がある。

丸岩岳はミズナラ主体にブナ、カラマツ、シャラ等の様々な落葉樹が見られる。落葉期なのでとても明るい山頂であった。無風、快晴、適温で、積雪を除けば最高の条件が揃ったことになる。さすがに本日は登る人はなく、すばらしい雰囲気を独り占め。雲ひとつなく男体山、白根山、皇海山、庚申山、袈裟丸山がくっきり見える。樹木が障害となって写真を撮れないのが残念だ。

丸岩岳山頂
丸岩岳山頂  11:10


積雪で予定より遅れているので、あまりゆっくりせずに本題の野峰に向かった。ガスがかかっていたら地図を良く見ないと山を西側に下ってしまいそうな場所である。今回は野峰がくっきりと見えていたので地図読みをするまでもなかった。石鴨林道を横切り、野峰に向かう尾根を辿る。尾根は今回の降雪時に吹雪いたらしく小さな雪屁ができており、深いところでは40〜50cmの積雪であるが、、笹が無い尾根なので稜線を少し外して歩けば楽である。

緩い登りが終わり進路を南南西から西南西に変える所が登山ルートAへの分岐点である。分岐点の標示は無い。明確な道跡も無い。しかし、沢西川側の斜面が植林地帯なので下ることは可能であると思われた。この時点では帰りにどのコースを下るか決めていなかったので、とりあえず選択肢を一つ確保して野峰に向かう。分岐点から少し進んだなだらかな場所にはクマの皮剥ぎ跡が幾つもある。

クマ剥ぎ
クマ剥ぎ  11:58


p>丸岩岳から野峰まではほぼ一貫して落葉樹の尾根歩き。遮るもの無く周囲を見渡せる場所はないものの、落葉期の雰囲気は悪くない。野峰は険しいところがなく登り易い山という先入感があったが、最後の80m弱の登りは勾配があって登りがいがある。ここで鹿が4頭走り去るのを見た。野峰山頂は植林地帯の東端、縦走路を登り切った場所にある。事前の情報では植林されて見通しの悪い山ということであったが、野峰山頂の北側の眺めはまあまあ。南側は植林されていて眺望無し。

野峰山頂から見る日光方面
野峰から見る日光方面 12:33


野峰の特徴である南側のなだらかな地形を歩いてみたかったが、南西に下るのであれば暗い植林の中を歩くことになるし、道があるのかどうかも判らない。戻るか進むか思案しながら写真を撮っていたら、植林地の中からザクッザクッと足音が聞こえてきた。

足音の主は単独行の男性登山客であった。桐生川側から登ってきたそうである。どちらに下るのですかと聞かれたので、地図の道(ルートB)を指して周回コースの案を説明したところ、その道は消えてしまっているので止めたほうが良いのではとアドバイスして頂いた。また、尾根を越えて戻る道については歩いたことが無いので判らないとのことであった。この方は安蘇の山々を熟知していて、野峰には何度も登っているという。所持していた地図にはこれまで歩いたコースが網の目のように赤い線で示されており、私が歩いたルートも体験済みであった。ルートAについては経験が無いので判らないとのことであったが、少なくともルートBを選択するよりはましなことが判ったので迷いが消えた。お礼を申し上げて、来た道を引き返す。

分岐点でプチあんパン2個をほおばり、黒沢西川に下る。尾根の稜線沿いに点々と境界杭が打ってある。素直な尾根で迷う心配は無い。左側の斜度45〜50度はあろうかと思われる急斜面は植林地帯で、反対側は自然林で明るい。稜線は暖かく雪もだいぶ融けていて歩きやすい。かろうじて踏み跡らしきものが残っているが、ほとんど消滅したも同然である。もともと登山道では無く林業や炭焼き関係者が利用していただけなのかもしれない。

地図上では道は標高700mのところで尾根を外れて最も急な斜面を下ることになっている。炭焼き小屋の跡地と思われる場所がそれに相当するらしい。その先の尾根上に道はない。植林されておらず雪崩でも起きそうな急斜面を横切り、杉林の中を適当に下った。急勾配でも小砂利で覆われている斜面なので楽に下ることができる。沢音が近づき、午前中に通った見覚えのある場所に飛び出た。あまり複雑な地形では無いので地図と方位磁石を見ながらルート判断を楽しむことができる。

登山ルートAの分岐点は、右岸側の斜面が杉林で、反対側には大きな岩がせり出している場所である。その少し下流側に大きな杉の木が3本生えている。分岐点では道が判然としないが、要するにここから杉林を直登して尾根を辿れば楽に野峰に到達できる。

登山ルートAの入り口
登山ルートAの入り口 13:40


時間にはまだ余裕があるので、林道を戻る途中、朝方見た三本丸太の橋を渡って対岸の作業道を辿って尾根まで行けるのかどうか試してみた(後で山部さんの2003年8月15日の記録を見て、山部さんがここから尾根に上がり野峰に到ったことを知った。)。

作業道は支沢に沿ってほぼ真西に向かうが、途中から判然としなくなる。つま先の化膿したところが痛むので峠に行くのをあきらめ、最近伐採・植林されたばかりの枝尾根に上がってみた。ここですさまじいシカの食害を目にする。植林されたばかりのヒノキの苗は葉を食べられて全て枯れている。雑草も食べ尽くされて表土が剥き出しである。植林がシカの食害に遭うというのは誇張だと思っていたが、認識を改めさせられた。この山は笹類が極端に少なく、船生の奥地と同じ様な環境にある。シカが長い間笹類を食い尽くしたため、餌の乏しい山となっているようだ。糞の量から察するにシカの数は決して多くはない。大規模な植林によって生息域が狭められ、残ったシカはわずかな食料を求めて広範囲を移動する。若い植林地は貴重な餌場となるのであろう。

新栃木線169号鉄塔、背景は660mピークと近沢峠北側の661.9mピーク
枝尾根から南東方向を見た図 14:36
新栃木線169号鉄塔、背景は660mピークと近沢峠北側の661.9mピーク


野峰に続く尾根の様子を確かめることができたので主尾根までは行かずに山を後にした。午後になって気温が上がり、杉の葉に付着した雪が融けて滴り落ちる。細かな水滴が杉林に射しこむ日光に照らされて、まるで雨上がりのよう。

黒沢西林道
黒沢西林道   15:12


朝早くでかけて寝不足のため、車を運転しだしてすぐに眠気に襲われる。上町西交差点のセブンイレブンで20分ほど仮眠してから、国道293号を走って氏家に戻った。鹿沼を抜けるのに時間がかかるが、まあまあ順調な走りで片道2時間半。那珂湊まで海釣りに行くのと同じようなものだ。遠出が苦手なのでさすがに県南西部は遠く感じられる。

後日、Webでこの山域を歩いた記録を再度調べてみた。ルートAに関する記述は見当たらないが、沢沿いに丸岩岳に至る道に関する記録が幾つか存在していた。正式な呼称は「根元山道」であり、彦間川の橋付近の石碑に書かれているらしい。「極楽蜻蛉の山日記」に拠ると、最奥部には「足尾−飛駒」という道標、一番奥の植林には「八丁目 野州足利新中町 沢屋藤吉」とか「十一丁目 野州足利新中町 金屋十兵衛」などという古い丁目石もあるのだそうである。歴史のありそうな道だとは思っていたが、由緒ある根元山参りの古道であったのである。勉強不足と積雪のため面白いものを見逃してしまった。また、「さとやま散策」の記録に拠ると、野峰に至る彦間川西側の尾根上にもナベ岩山神社なる神様があり、鎖場もあるとか。

安蘇の山々は予想した通り、山岳信仰の痕跡を辿って尾根を歩くのが好きな私にとっては格好の登山対象であることが判った。長い尾根には名前のないピークが幾つもある。冬の間は里山中心に歩いてみたい。

山野・史跡探訪の備忘録