中倉山〜沢入山〜オロ山〜庚申山縦走(2004年3月)

年月日:    2004.3.27

行程:     銅親水公園出発(6:47)〜 中倉山中腹の大岩(9:18)〜 中倉山最高点(9:45)〜 沢入山(11:03)〜 オロ山(12:30)〜 庚申山(13:55)〜 庚申山荘の分岐(15:17)〜 一ノ鳥居(16:18)〜 足尾銅山・本山(18:17)〜 銅親水公園帰着(18:49)

Web上の中倉山の登山記録を見ると、尾根上は草原状で実に気持ち良さそうである。鹿も多数生息しているとか。あの足尾の禿山の上にそんな別天地があるとは驚きで、春になったら県北の山々をほうっておいてでも足尾に行ってみるつもりであった。3月27日の週末は大きな移動性高気圧に覆われ快晴の予報。翌週は帰省のため山登りをしないので、登り溜めというわけではないが、足尾行きを実行した。もし可能なようであれば、初日は中倉山〜沢入山〜オロ山〜庚申山と歩き、鋸山十一連峰を敬遠して六林班峠に至り、翌日は鋸山〜皇海山〜松木渓谷と歩いて戻ってこようと考えた。

足尾ダムに行ったのはもう十年以上前のことになる。遠いという印象が強かったが、日足トンネル経由で氏家から1時間程度で着いてしまった。松木渓谷には一般車は進入できないので銅親水公園の駐車場に駐車。公園駐車場には車が3台あり、釣り客は渓流一番乗りを目指して既に出発したようだ。

国土地理院の地図をWebで見て検討した限りでは、周回コース上で不安があるのは中倉山の取り付きと皇海山の下りだけ。朝一でいきなりハイライトが待っている。今回も25,000分の1地図を用意するのが間に合わなかったのでエアリアマップ山と高原地図13「日光」のみを携行して出発。

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銅親水公園の駐車場 06:51


松木渓谷入り口のゲートを通っていくと仁田元沢にかなり遠回りになる。地図を見ると足尾ダム下の銅橋を渡って仁田元沢の右岸から細い鉄橋を渡れば左岸沿いの林道に抜けられそうである。鉄橋に近づくと道は無く、踏み跡があるのみ。この鉄橋は人が通るためのものではなく松木川奥から導水するための管を渡すためのものである。閉じられていないので首尾よく対岸に渡れた。渡った先は中倉山の主尾根の先端であり、導いた水からゴミを取り除くような施設になっている。そこから少し斜面を下って林道に出た。

主尾根にはエニシダが目に付く。まさか自然分布ではあるまい。痩せ衰え地力の無くなった山肌に根瘤菌と共生し且つ乾燥に強いマメ科のエニシダを植えたものであろう。初夏の頃には結構美しい場所なのかもしれない。

林道から主尾根を見上げると、ガレている場所は無く登り易そうである。しかし、尾根の途中が崩壊している可能性があるので自重し、事前検討通り仁田元沢側の支尾根を目指した。ずっと林道脇に鹿除けネットが張られていて取り付けるかどうか不安だったが、目的の支尾根の手前でネットは消える。名前は忘れたが右側に枯れ沢が切れ込み砂防ダムが現れる。道が折れ曲がる場所で支尾根に取り付いた。途中で見下ろすと、仁田元沢右岸の山肌に鹿の群れが、仁田元沢には遡行する渓流釣り客の姿が見えた。

支尾根は地形図上は勾配が緩く登り易そうに思えるが、ガレまくっていて全て砂礫状。この山の岩は熱膨張に弱いのかボロボロである。痩せた稜線上にまともな樹木は無い。中倉山を見上げるとかなり傾斜がきつくガレ場が多い。こんな険悪な雰囲気の山には挑んだことが無い。先行き不安に思えた矢先に難所が現れた。両側の斜面が崩れて幅50cm程度しかない。ロープが残っているので、かつては皆この尾根を辿っていたと思われる。しかし、ロープはしっかり固定されているものではなく今では用を成していない。2〜3歩踏み出したところ、足場が予想以上に脆く、両側の斜面にポロポロ土砂が崩れていく。前方にはつかまるものが全くなく、無理をすれば転落する可能性のほうが高い。あきらめて方向転換しようと思ったが足場が狭く、しばし身動きがとれず中腰で固まってしまった。今にも足元が崩落しそうで生きた心地がしない。一巻の終わりかと覚悟したがなんとか脱出。結局、林道まで下りてしまった。

唯一のルートと考えていた支尾根が通行不可能では、今日の予定はこれでおしまいか?最初の尾根を下る途中、もう少し仁田元沢奥に進めば、傾斜は急だが崩壊地が少なく樹木がある程度生えている尾根があるのが見えた。この尾根は最初に辿って失敗した尾根と途中で合流している。

合流点まで行ければしめたもの。いざ、取り付いてみるとシカの通り道があり、間違いなく尾根上に抜けられそうである。ガレ場が多い。慎重に登れば転落する心配はないが、下りはかなり危険だ。こんなところを下りたくはないので、何が何でも絶対に庚申山まで行ってやろうと決意。この尾根を良く知らない人は庚申山から中倉山経由で下山するのはやめたほうが良い。尾根の選択を誤ると進退窮まり遭難しかねない。

最初の支尾根との合流点を過ぎるとリョウブやコナラの生えたやや急な斜面をよじ登っていく。

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備前盾山   08:34


標高約1,380mの地点にある屹立した大岩は麓からも確認できる。その横にテラス状になった見晴らしの良い場所があるので、少し休憩した。麓が足元に見える素晴らしい展望である。林道から650mも一気に登ってきただけのことはある。半月山の左側に男体山がどっしりした姿を見せている。

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屹立した大岩 09:08
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大岩から見下す仁田元沢渓谷
中央下部に見える細い尾根を登るつもりだった。


この地点からは徐々に勾配が緩くなっていく。中倉山の三角点は最高点ではなく急勾配が終わる辺りにあるはず。しかし、シカ道を辿っていて見落としてしまった。

中倉山最高点に到着。憧れの別天地に立つことができた。最初の取り付きで失敗したこともあって、ここまで3時間を要した。

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中倉山最高点にて  09:50


樹木は無く、一面のミヤコザサは鹿に葉を食べつくされて枯れた草原の様。遠目には気持ち良さそうだが、一面鹿の糞だらけである。松木渓谷側の斜面の崩壊ぶりは凄まじい。樹木が無いだけではなく、表土も流出し、崩壊が止まらない。沢入山の北側は少し笹原が残っているが下側から徐々に崩れてきている。

この特異な光景は旧足尾銅山による乱伐・亜硫酸ガスによる立ち枯れとシカの食害のコラボレーションで生成された。自然破壊の痕ではあるのだが、撒き散らされた鹿の糞さえ目をつぶればこれまで登った栃木県の山で最も美しい。幸運なことにこの日は微風快晴で気持ちが良い。障害物が無いので風が強かったら長居できないであろう。

エネルギー源と水分を補充して先へ。中倉山から沢入山までの区間には岩場が何箇所か現れるが、さほど危険な場所は無い。仁田元沢側の明るい雰囲気と対照的に松木渓谷側の凄まじい崩壊ぶりに圧倒される思いだ。失われた緑を取り戻そうと急な斜面にも植林したようであるが、鹿による食害のせいなのか、あまり成功しているようには見えない。行政の取り組み方が誤っている。山体崩壊をくい止めるには、まずこの山域から一旦完全に鹿を駆除することが必要である。数十年後、豊かな緑が戻った後に適正数の鹿を戻せば良い。

沢入山の近辺がこの尾根で最も景色が良く雰囲気も良い。雪は2日前に降雪したもので、残雪ではない。沢入山を過ぎると栃木県と群馬県の県境尾根の様子が確認できる。庚申山から鋸山にかけてはどうか判らないが、皇海山からモミジ尾根にかけては歩行可能であったと思われる。

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沢入山から見た光景 11:06
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日光白根山 11:06


沢入山山頂は一応樹木が生えている。図根点を過ぎると立ち枯れた樹木が点在する笹原が広がる。景色も良く、この尾根で最も気に入った場所の一つである。新しい筍が伸びて若葉が広がりきったに頃はまた別の美しさがあるのだろう。

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オロ山と皇海山   11:11
手前はウメコバ沢奥部とオロ山北尾根の丘陵


オロ山との中間地点である1,682mピークも沢入山と同じ様な植生で、何本もの鹿道が並行して枯れた笹原の中を走っている。標高が高い割に根雪になることはなく、鹿の越冬地になっているようだ。オロ山との間の鞍部に下っていくと数頭の鹿が走り出した。「ホーイ!」と大声を出して拍手したら、なんとあちこちの茂みから警戒音とともに十数頭の鹿が飛び出し、一目散にオロ山方面に逃げていった。

オロ山の最初の登りはほんの30m程度ではあるが急な斜面である。ここから先は一部を除いて残雪に覆われていた。最初の登りを抜けるとコメツガがまばらに生える緩い丘陵で、眩しい残雪の上を快適に進めた。

オロ山は2段構造になっていて、最初の急斜面を登ると厚く残雪に覆われたなだらかな場所に出る。ここから振り返った眺めも秀逸。

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オロ山中腹から振り返った光景 11:55


次の60m程度のコメツガ林の急登中に久々に赤テープの目印を見かけた。山頂付近はコメツガ林とシャクナゲの藪で歩きにくいが眺望は悪くない。ここから眺めた皇海山からモミジ尾根にかけての景色が特に良い。

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オロ山から見た皇海山   12:25


三等三角点がある場所は西側の風が吹き付ける場所で雪庇からはずれている。昼食をとり、しばし景色を楽しんでから庚申山を目指す。

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庚申山に向むけての登り   13:06


オロ山から庚申山までは人の手が入ったことのないコメツガの天然林の中を進む。少しではあるがトウヒ類も存在する。緩い勾配を残雪を踏みしめて快調に進めるのかと思ったのだが、長さ約1km・標高差約150mの鬱蒼としたコメツガ林の登りは結構きつかった。巨大雪庇を越えること幾度か、倒木のところでは雪が踏み抜けてしこたま脛を打ちつけた。人の声が聞え、そろそろ山頂が近いことが判った。

庚申山頂には数名の登山客の足跡が残されていた。南側と六林班峠方面以外はあまり良く見えない。案内板には山頂付近はアオモリトドマツ(オオシラビソ)に覆われていると書いてあったが、主体はコメツガだったと思う。

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庚申山にて   14:03


本日の最終目的地は六林班峠である。しかし、庚申川の渓谷は予想以上に雪が深く、庚申山荘から六林班峠に向かう道は歩きにくそうに見えた。しかも、六林班峠は風除けが少なく、テント設営には向いていないようだ。今晩風が吹かないという保証はないのだ。だったらいっそのこと十一連峰を突っ切って鋸山に泊まることにしようか。鎖場とか梯子が大嫌いなので行きたくなかったが、足跡が鋸山方面から戻ってきていたので通れなくはないだろうと考え、展望台方面に進んで見た。

足跡は1名を除いて展望台から引き返していた。鋸山十一連峰は2日前の雪が積もっていて危険と判断し、あっさり皇海山経由で戻る計画を放棄して、庚申川に沿って下り銀山平経由で戻る案に変更。

先行者の足跡があれば下りで迷う心配は無い。これはラッキーと思いきや、庚申山の下りは沢沿いの崖の奇岩・巨岩を縫っており、鎖や梯子が何度も現れる。しかも雪に覆われていてとても危険な状態であった。庚申山は単に庚申講の総本山というだけではなく、古来修験の山でもあったことにようやく気づいた。これなら中倉山を下ったほうがましである。先行者の足跡がなかったら、経験の無い私が無事に下れたかどうか自信が無い。

やっと庚申山荘まで下りてきて安堵。奇岩や巨大氷柱など見所は多かったが、基本的に岩場が大嫌いである。延々一時間以上も嫌な場所を下らされたので、庚申山には良い印象が無い。猿田彦神社跡でお山巡りコースの案内板を見たのだが、条件の良い日でもちょっと行く気にはなれない。

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お山巡り図   15:32
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猿田彦神社跡   15:34


分岐からは沢沿いではあるが勾配が緩いので一ノ鳥居までの約2kmを余裕をもって下れる。テントを張れそうな場所が何箇所もあったのだが、家に携帯電話で連絡できるところまで行きたかったので疲れを我慢して先に進んだ。

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一ノ鳥居   16:23


銀山平まで4kmの庚申川渓谷沿いの林道は関東ふれあいの道として整備され、幾つか案内板が設置されていて飽きさせない。中でも足尾7不思議の一つ「天狗の投石」の光景が気に入った。

庚申川渓谷はNTTドコモの携帯電話が通じない。銀山平手前で舟石林道に入り、足尾に抜ける舟石峠を目指して距離2.3km・標高差約200mの登り坂を進む。携帯電話が通じるのであれば、峠でテント泊し、翌日は備前楯山に登ってから帰るという案も悪くない。かなり疲れているはずだが、もう少しで歩行終了かと思うと足どりも軽い。

ところが、舟石峠も携帯電話が通じない。ここまで来たら日没になろうが車まで歩き通してやらんと峠を下る。赤倉まで3.8km、さらに足尾ダムまで1.7kmある。道中、足尾銅山の採掘跡(たかの巣坑、狸掘り跡)の案内板がある。私は本来は山登りよりもこの手の廃れたものが好きなので疲れを忘れてしまった。

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足尾銅山 本山の説明   18:22


群青色の空に黒々と舟石峠方面の山が浮かび、夕闇の中に本山跡の建物群が佇む。この雰囲気がたまらない。学校、火力発電所、病院等が設置され、昭和38年には290世帯が住んでいたという一大コミュニティの夢の跡。これを見ただけでもはるばる歩いてきた価値があるというものだ。

赤倉に着いた時にはトップリと日が暮れていた。足尾ダムまでの1.7kmはこれまでの道程に較べればたいしたことはない。

まさか1日で銀山平経由で周回することになるとは思わなかった。疲れはあるがぐったりというほどではない。一泊前提で庚申山まで無理せずゆっくり登ったのが功を奏したようだ。この日はこのまま駐車場で車中泊し、翌朝早く備前楯山に登ることとした。

山野・史跡探訪の備忘録