残雪期の大佐飛山

年月日: 2004年04月10日(土)

行程: 林道・大巻木ノ俣線と百村山登山道の交差点標高800mから出発(03:45)〜百村山(04:27)〜山藤山(06:05)〜黒滝山(06:53)〜西村山(07:24)〜大長山(08:09)〜大佐飛山(09:05 - 10:00頃)〜大長山(11:18)〜西村山(12:10)〜黒滝山(12:39)〜百村山(14:14)〜車に帰着(14:52)

(2014年4月12日追記) 2004年に残雪期に初めて大佐飛山を日帰り訪問してから10年が経過した。この間に、通信環境やPCの処理能力、及び画像処理ソフトの機能が格段に向上した。10年前にキヤノンの初代 IXY で撮った画像を現在のウェブ環境に合わせて処理し直し、未公開だった画像も追加して一部手直しする。

大佐飛山は栃木の山に興味を抱くきっかけになった山の一つ。最初に男鹿山地を訪れてからもう5年が経った。男鹿山地の全ピークを識別できるようになり、氏家から毎日のように男鹿山地を眺めていながら、未だに最深部の山頂を踏んでいない。過去に無雪期に何度か男鹿山地に入り込み、懐の深さ・谷の急峻さ・天候の変わり易さ・想像以上のチシマザサの藪の存在を知るにつれて、無雪期の大佐飛山登山は不可能ではないにせよそうたやすいことではないと認識するようになった。

昨秋に横川からひょうたん峠経由で初めて大佐飛山を目指したが、資材運搬路跡のチシマザサの藪漕ぎに体力を使い果たして何もせずひょうたん峠から引き返した。しかも天候が崩れて帰りは雨の中を藪漕ぎする破目になった。どのルートを辿るにせよ、大佐飛山は安定した天候に恵まれ、且つ体力を伴わなければ気持ちよく行って帰ってこられる場所ではない。冬期にできるだけ体力をつけ、暖かくなって週末に安定した天気が望める機会をひたすら待った。

4月9日(金曜日)は良い天気で気温も高く、茨城県に出張した帰りの車中で汗ばむほどで、この調子では男鹿山地の残雪が急速に縮小してしまうであろうと思われた。早く帰宅したのでさっそく気になる週末の天気を確認。翌土曜日は快晴、日曜日も天気が崩れる心配は無い。この機会を逃したらこの春はもう大佐飛山にはいけないかも知れないと思い、さっそく荷造りして行動計画を練った。

たやすく行けない山でありながら大佐飛山の人気は高い。既に一泊もしくは二泊前提で山中に入っている人がいるかもしれない。どうせ行くなら誰もいない残雪の上を歩いてみたい。百村山までは登山道がしっかりしているので、天気が良ければ月明かりでも安全に歩くことができるであろう。夜中に出発して一番乗りを目指してみるのも悪くない。3時頃に歩行開始するのを目標にし、12時まで4時間ほど自宅で寝ようと思ったのだが、我家族がドタバタとうるさくて2時間ほどしか眠れなかった。

出発点は舗装林道と百村山登山道が交差する場所と決めた。山肌に林道が走っているのは知ってはいたが、地図には載っていないので、起点も終点もよく判らない。安戸山登山の帰りに入り口を探って大巻川林道の存在は認識したが、車で進入したことは無く、百村山登山道との交差点まで行けるかどうか確信はなかった。「4km先が崖崩れで通行止め」と書いてあったが、そのまま進入。暗闇の植林地帯の中をしばらく大巻川沿いに進むと道路が右側の斜面に上がっていく。何箇所も法面崩壊が発生していたが走行は可能な状態であった。

林道に入るところまでは順調だったのだが、見覚えのある登山道との交差点が見つからない。暗闇で現在位置がよく判らないのでなんとなく似た場所に車を停めた。眠気を感じたので少し仮眠しようと思ったが、寝袋が無いとやっぱり寒い。せっかく詰め込んだ寝袋を広げるのが面倒くさかったので、3時に出発。ところが取り付きの雰囲気が記憶にある登山道と全然違う。薄い踏み跡がジグザグに急な斜面を登っていき、そのうち消えた。間違いであることに気づいたので車に戻り、再び舗装林道を行ったり来たり。那須・黒尾谷山麓の夜景が見える出発点にようやく到着。

03:45 百村山登山道との交差点から出発。
目論んだとおり、半月だが登山道を認識するには十分な明るさであった。ヘッドライトを必要としたのは最初の植林地帯だけで、後は自然林で明るい。846mの見晴らしの良い場所から見た夜景がきれいである。百村山直下の斜面は残雪に覆われていたので、1年前に黒滝山から百村山に下った時より残雪量が多いことが予想できた。これは雪庇歩きには好都合である。快調だなと思っていたら地図を車に置き忘れたことに気づき、ちと気分が暗くなる。またまたやっちまった。いまさら戻る気にはなれないし、頭の中におおよその地図が入っているのでそのまま登山続行。

百村山を通過する頃、ようやく東の空が白みかける。百村山の北側寄りに分厚く雪が残っていた。雪の多かった昨年でも4月末には雪が全て消えていたことを思うと、雪融けが早いといわれた今年だが、この山域での積雪量は平年並みではなかったか?百村山から双子山までは尾根がほぼ西に向かっており、稜線を歩くと強い北風をもろに受ける。冷え込んではいないがさすがに風に当たると寒い。幸い、雪庇が南側斜面に残っていたので登山道をはずれて風を除けながら進んでいった。ヒーッという金管楽器のような鳥の鳴声が明るくなりかけた山中に定期的にこだまする。北側の斜面の藪の中では獣がガサガサと移動する音が聞えた。

残雪の上には人が歩いた跡と思われる凹凸が認められるが足跡ははっきりしない。連日の陽気のせいで足跡が崩れ、前日のものかあるいはそれ以前のものか判別がつかない。双子山近くの残雪には人の掌大の明瞭な丸い足跡が残されていた。熊がいるのである。

山藤山で幕営している人はいなかった。少し拍子抜けである。その先にも真新しい足跡はない。どうやらこの日は山中には誰もいないようである。西風は相変わらず強い。高度が上がったのと朝方の冷え込みで出発時より寒く感じる。このまま風が吹き続けたら大佐飛山へ向かう尾根歩きは少しつらいであろうが、大きな高気圧下にあるので日中気温が高くなれば収まることが期待できる。朝日を背に受けながら固く引き締まった雪面を登っていった。

山藤山先の鞍部から黒滝山に登り始めたところにある雪庇(06:18)


黒滝山までは稜線の左手(南側斜面)に雪庇ができている。登山道は稜線の北側にあるはずだが、このときは必要なかった。朝早いのでまだ残雪が固く引き締まっていて快適♪・・・と思いきや、右手(北側)から強い風が吹いて帽子を雪庇下に吹き飛ばされ、結局は左のダケカンバのところから下にずり落ち、帽子を探しながら笹藪との際を歩く破目に・・・・。さらにこの先にある急斜面では早朝雪が固すぎて足掛かりができず、滑落しそうで少し怖かった。

06:53 黒滝山到着。
一年前は鴫内山・剣先経由の薮漕ぎで汗ぐっしょりの疲労しきった状態で黒滝山に辿り着いた。景色を楽しんだ記憶が無い。それに較べて今回はなんと快適なことか。南に張り出した雪庇の上から景色を眺めながら朝食を摂った。

大佐飛山への尾根に乗るには黒滝山のコメツガ林の中を西に向かう。1年前より残雪量が多く歩き易い。見通しが良くないものの、一度歩いてだいたいの地形を把握していたので余裕があった。

07:24 西村山到着。
西村山は百村山に続く尾根と鴫内山に続く尾根の分岐点にあたる。MWVの青いブリキ板がコメツガに打ち付けてある。ここは帰りに進路を誤りやすい場所で、事実、1年前に山藤山で会ったご夫婦は鴫内山に続く尾根に進んでしまい、しばしウロウロしたそうである。朝早いので残雪が固く足跡がほとんどつかない。午後に戻ってきた時には足跡が融けて識別できないかもしれないので、振り返って全体の景色を目に焼き付けてから先に進んだ。

西村山から見る大長山方面(07:31)


黒滝山から西村山まではコメツガ樹林の中を歩くので眺望なし。西村山を過ぎて視界が開け、西村山から大長山までの稜線の右側(東側)に発達した雪庇が延々と続いているのを見て、これはイケルと確信。

雪庇は所によっては細っているが、稜線のシャクナゲの藪を歩かなければならない場面はほとんどなかった。那須連峰と大倉山の全容が見える。

那須・大倉山方面(07:47)


さらに進むと尾根が細り、左側(南側)の視界も開ける。小佐飛山から鹿又岳に至る尾根、安戸山・弥太郎山から日留賀岳に至る尾根、高原山、日光の山並みが全て見渡せる好ポイントの一つである。珍しく南側の清澄度も高くて、高原山の右隣に富士山の姿も見えていた。

高原山方面(手前は弥太郎山、小佐飛山) (08:03)
日光方面(手前は長者岳) (08:04)


08:09 大長山(1,866m)到達。
全山コメツガに覆われているのは黒滝山や西村山と同じ。山頂からの眺望は良くない。山頂のコメツガにMWVの青い山名板が8枚も打ち付けられていた。何年かに一度、リーダー養成云々と称して大佐飛山を目指すのが慣例となっているようである。中には盛夏の8月の日付もあった。

大長山


大長山を少し下ると稜線部からコメツガ林が消え、様相が一変する。地図を眺めた時は尾根が広いのでコメツガ林に覆われて視界が悪いのではないかと想像していた。しかし、視界を妨げるものも歩行の支障となるものも存在しない。なだらかな尾根上に雪稜というよりは幅広の眩い雪原が続き、北東側斜面の黒いコメツガ林と対照的だ。大長山から大佐飛山にかけて厳冬期に風雪の中を歩いたら悲惨なものであろう。しかし、残雪期の穏かな日には息を呑むような美しい別世界が存在しているのである。

ここで初めて大佐飛山方面の山並みが視界に入る。地図を忘れたのでどれが大佐飛山なのか見当がつかない。確か直線距離にして黒滝山から大佐飛山まで約4kmだったはず。歩いた距離感からは一番手前にあって樹木で黒く見えるのが大佐飛山であるような気もするが、その向こうの残雪に覆われた白い山のほうが高そうに見えるのでまだまだ先は長いと思い込んだ。

大長山への登り返し(帰りに撮影 10:40)
背後が大佐飛山(帰りに撮影 11:10)


左から日留賀岳と新鹿又岳、1870m峰、背後に燧ケ岳 と会津駒ヶ岳(08:18)


男鹿山地で第二の標高を持つ1872m峰(右端が名無山)(08:17)


この日は時間の経過とともに清澄度が上がった。低空にかかっていた霞が早朝の北風で吹き飛ばされたようで、これ以上無いというくらい澄み渡っていた。大長山から何段かに分けて緩い勾配の白い絨毯を下っていく間、進行方向(北側)のはるか彼方に福島・新潟・山形の県境である真っ白な飯豊連峰が浮かび上がって見えた。

鞍部からの登りでは徐々にアオモリトドマツ(オオシラビソ)のすっきりした姿が目につくようになる。いよいよ男鹿山地の核心部に近づいたことを示す。

          
アオモリトドマツの稜線(08:42)


福島県境の番屋コルの標高が低いため、大佐飛山山頂近くから故郷の吾妻連峰と磐梯山の姿を確認することもできた。

大倉山〜番屋コル〜赤柴山(09:00)


アオモリトドマツの間の緩い登りが終わりピークらしきところを通過したが、ダケカンバに古い赤テープが巻きつけられただけで、大佐飛山であることを示すものは何も無い。これは大佐飛山ではないのかと思い、そのまま通過して西側に下り始めた。ところが先行者達の足跡が消え、1名のみ西側に下っていった形跡があるのみ。やっぱりここが大佐飛山なのか?少し南西側に下って見晴らしの良い突端から日留賀岳を基準として西側の地形を把握。

大佐飛山南西から見た大長山(09:30)


次に北側に向かいアオモリトドマツの樹間から見える塩那林道や男鹿岳を基準として北側の地形を把握。西側のピークに至るには結構急な斜面を下らなければならない。ということは西側に見える無名峰の向こう側がひょうたん峠で、自分は間違いなく大佐飛山にいることになる。山頂に戻り、静かに登頂の喜びをかみしめた。この数年間、どの山に登っていても頭の片隅では大佐飛山の存在を意識していた。寒い冬に体を鍛えてきたのは健康維持のためでもあるが、ひたすらこの山に登ってみたいという欲求が支えてくれた。登頂は意外にあっけなかったが、素晴らしい天候に恵まれて独り静かに大佐飛山の山頂の雰囲気を満喫することができた幸運に感謝した。

大佐飛山山頂にて(09:45)


軽く食事をし、10時頃まで頂上に滞在して帰路についた。今回は何があっても良いように2泊くらいはできる食料とテント、かんじき等を準備して臨んだ。しかし、予想以上に残雪の状態が良くてスパッツすら着ける必要がなく、安物の登山靴も全然濡れていない。絶対安全なことが判っていたら荷物を途中に置いて歩くこともできるが、保険をかけるつもりで最深部まで持ってきてしまったので結局全ての行程で重い荷物を担ぐことになった。目的を達成した安堵感からか荷物がやけに重く感じられた。

強い日差しで残雪が急に緩み出した。下りは勢いがつくので踏み抜きこそほとんど無いが沈み込みが大きい。この調子だと昼にはさらに緩んで歩き難くなることが予想された。日射が強いので汗拭きタオルを頭に被りその上から帽子を被るという盛夏のアユ釣りスタイルで歩く。どうせだれもいないから格好など気にする必要はない。

11:18  大長山復帰。
大長山と西村山の間は樹木の陰は締りが維持されていたが、日当たりの良い場所で何度か踏み抜けた。

12:10  西村山復帰。
案の定、黒滝山の方向が判りにくい。行く時に記憶した光景を思い出して誤ることなく黒滝山方面に向かった。黒滝山の登りはちょっとした藪になっていて眺望も無い。さすがに疲れたので中間点で倒木に腰をおろして休憩。黒滝山の山頂寸前でヤッホーと派手に何度も叫ぶのが聞えた。この日初めて人の存在を意識する。

12:39  黒滝山復帰。
黒滝山三角点にはだれもいなかった。ヤッホーの声の主は叫んだ後すぐに下ったようで、3名分の足跡が残っていた。ほとんど荷物を持たず、ものすごいスピードで下っていく姿がはるか下方に見えた。彼らを追うようにして時に足スキーで残雪を下るが追いつかない。遠くから訪れる登山客は出発が遅いためにこの時間に登ってくる人が多いようである。こちらが魚釣りの偏光グラスを掛けタオルを頭から垂らした奇異なスタイルで歩いているためなのか、それとも気温が高く緩んだ残雪を登ってくる疲れのせいなのか、挨拶をしても皆一様に反応が鈍く無視する人も多かった。下る途中で10名程度すれ違ったが、その装備から判断して、半数の人は大佐飛山を一泊もしくは二泊前提で目指したことであろう。大佐飛山は普通の山では飽き足らなくなった登山客にとって絶大な人気があるのである。

14時52分 無事歩行終了。
帰りに林道の反対側出口を確かめるべく木ノ俣川方面に下り、木ノ俣用水(隧道を通って百村の光徳寺横に抜ける)で顔を洗いさっぱり。せっかく黒磯に来たのであるし時間もあるので、那珂川・寒井地区で少し釣りをして遊んでから氏家に帰宅。

自分でも信じられないくらいのハイペースで大佐飛山まで往復できてしまった。特に無理をしたわけでもなく、景色を十分に楽しみ、まめに休憩をはさみながら、時間的に余裕を持って帰着できた。寝不足ではあったが、翌日曜日にゆっくり休憩できるという意識があるからこそ土曜日の日帰りが可能であったとも言える。@月夜で明るく夜明け前に行動開始できたので日光が当たって雪が緩む前に固く引き締まった残雪帯を歩けたこと、A早朝は冷たい北風が強くて発汗をある程度抑えることができたこと、B山藤山から大佐飛山までほぼ全て残雪帯を辿り藪につかまらなかったこと、C体調が良かっただけでなく視界良好で良い精神状態を保てたこと、D昨年に鴫内山から百村山に縦走して様子をある程度把握できていたことなどが重なって時間的な余裕を生み出した。

残雪期の楽な登山だったとはいえ、大佐飛山登頂を果たしたことで自分の山歩きに一区切りついたような気がする。今後は、挑戦するという意識を持たず、自分の力量の範囲で無理せず山歩きを楽しみたい。その延長としていつかは無雪期に再び大佐飛山に立ってみたいと思う。

(2014年4月12日追記) これ以降、残雪期の大佐飛山登山を目的として入山したことは無い。2004年の初回訪問時以上の好条件に恵まれることはもう二度と無いであろう。記憶に残る美しい姿を残しておきたいというのがその理由だ。

近年、中国からもたらされる粉塵により清澄度が低下してきているように感じるが、終日快晴・高い清澄度・良く締まった残雪に巡り遇う可能性が全くないとはいえない。しかし、2005年残雪期の大佐飛山フィーバー以降、残雪期登山の定番コースとなった大佐飛山において(誰もいない)静寂さだけはもはや望むべくもない。

2004年以前は、一泊もしくは二泊を前提としたしっかりした装備で入山し、残雪帯をつなぎながら部分的に藪を漕ぐスタイルが一般的であった(2003年の5月連休に鴫内山〜黒滝山〜百村山周回したときは、山中泊して大佐飛山を往復した2組に出遇っている。)。いまほど情報発信が容易でなかった当時、ウェブ上で得られる数少ない残雪期の大佐飛山の記録はとても貴重で、大いに影響を受けた。2005年以降、比較的軽装備で日帰り往復する登山スタイルが主流となってブログ等の情報が氾濫し、先人の情報が埋もれてしまっている。先人に敬意を表して、参考にさせていただいた記録を以下に紹介します。

2001年4月(日帰り): 念願の大佐飛山

2002年5月(山中2泊): 大佐飛山

2003年3月: 宇都宮山の会、小佐飛・大佐飛周回

この他に、地元の山岳会員が未明に出発して日帰り登山したことを示唆する記録をウェブ上で見たことがあり、2004年の日帰り山行はその情報にヒントを得たものであった。

山野・史跡探訪の備忘録