渋谷口から櫛ヶ峰へ (2004年7月)

年月日:    2004年7月7日(水)

行程:        国際スキー場の最上リフト乗り場(標高約866m)出発(09:55)〜 渋谷口登山道入り口(標高m)(10:20)〜 沼の平(11:47)〜 爆裂火口壁(川上口への下降点)(12:02)〜 櫛ヶ峰山頂(12:45)〜 爆裂火口壁復帰(13:46)〜 渋谷口登山道入り口(14:36)〜 車に帰着(15:00)

標高500mを超える猪苗代で暑くて寝られない夜はそうあることではなく、ほとんどの家がエアコンを持っていない(1970年代は過ごしやすくてエアコンは必要なかった。)。しかし、今年の梅雨の中休みはくそ暑かった。天気予報が外れまくりで毎日かんかん照り。夜間も暑くて寝られやしない。おまけに空が白みかけるやいなや隣家のイチョウやモミの大木をねぐらとするハシボソガラスが鳴きまくる。私的夏休みで時間はたっぷりあるのに毎日寝不足状態である。

午前中にお客様が来るというので、独りで山に出かけることにした。行く先は長年の憧れの場所、磐梯山の櫛ヶ峰である。猪苗代で生まれ育った者にとって磐梯山は特別な存在だが、その中の容姿的に最もお気に入りが櫛ヶ峰である。磐梯山の盟主である大磐梯(磐梯山山頂)に行ったことはあるが、櫛ヶ峰は未訪。正規の登山道が無く、大磐梯に最も楽に登れる猫魔八方台口の反対側に位置していることもあって、磐梯山の聖域の一つである。磐梯山に登った時、櫛ヶ峰山頂に人が立っているのを見たことがあるので登れないことはないはず。眺望はだいたい想像がつくが山頂の雰囲気だけは行ってみないとわからない。興味が募る。

櫛ヶ峰の最後の急な斜面を何所から登るか?@川上口への下降点(1,457m)から明治の爆裂火口壁の縁に沿って登る、A沼の平から適当に登る、B樹木の多い琵琶沢側斜面から登るという3つの選択支があるが、@はガレ場の連続で普通の装備で登れるかどうか不明、Aは大きな岩がゴツゴツしていて勾配もきつい、Bは転落する危険は無いが藪。5年前に偵察した時の様子ではいずれも一長一短。楽で安全に到達できるルートは存在しない。今回改めて現地に行って判断するしかない。この3つの取り付き場所を探るのに適しているのが渋谷口からの登山道である。よって一番楽な赤埴山林道の終点から沼の平に上がるコースではなく渋谷口を選択した。沼の平は基本的に礫地なので、高山植物を痛めることなく歩くことができる。この時期に行ったことがなかったので、ひょっとしたらお花畑とめぐり合えるかもしれない。

破産した国際スキー場の中を未舗装の管理道が走っている。この道路はスキー場のさらに奥まで延長されている。琵琶沢の砂防堰堤を建設する際に作られた道だが、植林が無いため、現在はたまに軽トラックが入り込む程度で、一般車が入り込める状態ではない。スキー場最上部のリフト乗り場を過ぎて森林地帯に入るとすぐ右側に沼がある。その先が雨水で深く掘れていたので車で進むのが少々危険に思われた。よって、5年前よりもさらに手前にあたるスキー場に車を置いて林道を歩いていく。

スキー場を出るところに登山者カード入れが建っている。元々は林道の終点付近にあったものだが、今では林道終点まで行く車がいないため下に移転したようだ。中には未記入の用紙があるだけ。普段登山者カードの無い場所を彷徨っているので、面倒だから書かなかった。こんなもの書いたところで、毎日誰かが回収に来てくれなければ用を成さない。

昔の渋谷口ルートは古い爆裂火口である琵琶沢の北側の縁にあたる稜線に沿っており、スキー場の最上部をかすめている。国土地理院の2万5千分の1の地図に載っている破線がそれである。しかし、このルートは30年近く前に既に廃道となっており、辿ることはおろか痕跡を探すことも困難と思われる。一方、現在のルートは整備されてから随分年月が経っているのだが地図には載っていない。

林道右にある小さな沼は林道建設によって人工的に作られた窪地に水が溜まったものなのだろうか?モリアオガエル(シュレーゲルアオガエルかな?)が生息していて、沼の上部に張り出した木の枝に卵の泡玉が多数ぶら下がっていた。車が入り込まず、整備もされていないのに、林道はほとんど荒れていない。林道の湿ってぬかるんだ場所に登山靴の足跡がついていた。こんなマイナーな登山ルートを辿る人がいるのである。

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5年前には無かった場所に渋谷口の入り口の標識があったので、ここから登山道を歩いてみる。登山道は何度か林道を跨いでからいよいよ本格的に広い琵琶沢の藪中を登っていく。5年前に使用した林道最終点からの踏み跡を左に見て先に進む。

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登山道は良く整備されていて、安達太良山と同様に岩に赤丸を白で囲んだマーキングがあるので迷うことはない。鬱蒼とした森林ではないがために日当たりが良い場所では身の丈の夏草が生い茂って道に被さっている。草いきれの中を歩いてズボンを確認するとマダニがくっついていた。一般の登山道でもマダニがいるということは、よほど歩く人が少ないということであろう。積雪が深くシカの住めない地域だからカモシカやクマが媒介しているものと思われる。暑いし日差しも強烈。この日も下界の気温は30℃を超えた。特に琵琶沢は午前中日当たりが良く、風も吹かないので蒸す。発汗しすぎるので木陰に入る度に小休止してバテるのを防止。

対面の赤埴山林道とほぼ同じ高さまで登るとチシマザサ帯を抜けて明るい雰囲気となる。ここで初めてコウリンタンポポとミヤマシャジンを見かける。

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コウリンタンポポ
琵琶沢斜面のチシマザサ帯を抜けたところから鮮やかなオレンジ色の直径1cm程度の花が目につくようになる。ヨーロッパ原産の帰化植物なのだという。北海道辺りでは平地でも当たり前のように見かける花らしい。
1979年7月下旬に翁島口から磐梯山に登ったことがあるが、その当時から植物に興味があったはずなのにこの花を見た記憶が無い。近年になって急に分布を拡大した花なのかもしれない。
コウリンタンポポは多年草であり、綿毛の付いた種子を多数拡散し、且つ匍匐して株を増やす。旺盛な繁殖力はセイタカアワダチソウやナガミヒナゲシ並み。磐梯山の沼ノ平一帯の環境に適応できる植物は限られており、土壌が剥き出しのところが多い。冷涼で且つ入り込むスペースがふんだんにある沼ノ平一帯はまさにコウリンタンポポにとって絶好の生育地。沼ノ平から櫛ヶ峰の山頂まで広く分布・群生している。2013年7月に沼ノ平を再訪したときの印象ではその勢力は2004年時と変わっていなかったと思う。
2019年からNPO法人裏磐梯エコツーリズム協会が中心となって、希少なバンダイクワガタの自生地を守るべく沼ノ平のコウリンタンポポ駆除作業を行っているとのこと。バンダイクワガタの保護には効果あると思うが、毎年大勢で沼ノ平一帯を踏みしめることによる悪影響も懸念される。この手の活動は短期間で済ませる必要があると思うが、果たしてコウリンタンポポを絶滅させることは可能だろうか?


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ミヤマシャジン
分布域はほぼ完全にコウリンタンポポやマルバシモツケと一致するが、競合している様子はなく、仲良く住み分けているように見える。ヒメシャジンもあるのかもしれないが、ここではとりあえずミヤマシャジンとしておく。


一旦ガレ場を登って櫛ヶ峰の山腹を横切るように進むと清冽な水が流れる小沢と出会う。この沢の水は櫛ヶ峰の湧水で冷たい。沢を過ぎてしばらく林の間を進むと、磐梯山で2番目に古い爆裂火口である沼の平に抜け出る。緩やかな起伏の平坦地の向こうに大磐梯の荒々しい姿が聳える。那須連峰で言えば沼原から日の出平に抜ける時に平原の向こうに茶臼岳が現れるようなもの。これが渋谷口コースの醍醐味なのだ。

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お花畑というほどではないけれども広い沼の平の礫地は斑に高山植物で覆われており、ちょうどコウリンタンポポが花期を迎えていた。ミヤマシャジンが沼の平から櫛ヶ峰山頂までの斜面の植生の主体であるらしく、お花畑がミヤマシャジンの蕾で埋め尽くされている。花期本番は7月中旬以降らしく、標高の低い場所でやっと咲き始めたところであった。梅雨明けの頃にはさぞ見事な光景が広がることであろう。(沼ノ平一帯は磐梯山固有種のバンダイクワガタの自生地であるとのこと。ちょうど花期だったはずだが、それらしき植物を目にした記憶がない。2013年の同時期に再訪したときも気付かなかった。何でだろうな?その頃はバンダイクワガタなる植物の存在を知らなかったが故に見落としたのだろうか?

登山道を真っ直ぐ進めば猪苗代スキー場と赤埴山林道終点から来る登山道に接続する。分岐点に行かないうちに右手に浅い沼があり、その西側に踏み跡がある。右手に浅い沼、左手に火山性ガスがかすかに噴出する岩場を見て緩い勾配の礫地を北に進む。

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この踏み跡は爆裂火口を眺めてから大磐梯を目指す登山者用のルートなので、途中から櫛ヶ峰側に逸れて真っ直ぐ川上口への下降点へ向かう。

沼の平を東から北に向かって右手の櫛ヶ峰をグルッと巻くように歩いてきたが、特別登りやすそうな所は見当たらない。爆裂火口の縁に沿って登るコースを試してみることにする。中間点に足掛かりも掴まるものも無さそうな場所が見えるのが唯一気になるところである。

爆裂火口壁(川上口への下降点)は磐梯山の中で最も眺めの良い場所の一つであるが、一般登山者を忌避するきっかけとなった場所でもある。大学生の時にここを歩いていて、櫛ヶ峰から下ってきたと思われる同年配の登山者の男女のパーティとすれ違った。「こんにちは。」と挨拶したのに、先頭を歩いていた生意気そうな男は人を見下すように「オス。」だけ。自分がまともな登山の格好をしていなかったからなのだろうか。それともただのガキに見えたのだろうか。登山者の中には身に着けている登山用具のブランド・優劣で相手を値踏みする連中もいる(これホント。)。また、サル山のボスよろしく、我が物顔に振る舞う者もいる。人品のある方にお遇いして自分の卑小さに恥じ入ることも少なからずあるのだが、一般登山道を歩くと下界の品性下劣なものに出くわすことが多い。

川上から上がってくる崖下の登山道を覗くと一人の登山者が登ってくるのが見えた。櫛ヶ峰側に稜線をしばし登り、下から自分の姿が見えない場所で昼食。

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爆裂火口壁


沼の平から櫛ヶ峰の山頂まで日陰が一切無く、日射を浴び続ける。風がほとんど吹かない状況下では休憩もつらい。タオルを被って休憩。下方では、火口壁を登り終えた登山者がやはり同じ格好で休憩していた。休憩後、彼は弘法清水小屋方面へ、自分は櫛ヶ峰を目指す。

稜線部の下半分はガレているものの、左右どちらに転落しても死亡するほどの危険性は感じられない。中間点には足場が無く滑りやすい急傾斜の区間があり、上部から長いロープが下がっている。もしロープがはずれたらもんどり打って転がり落ちるのは必至。一瞬迷ったが、左右どちにも回避することができないし、そう古いロープでもなかったので、ロープに身を託した。稜線部の上半分では、爆裂火口側は崖で今も崩壊が続く危険地帯、沼の平側斜面はお花畑になっていてミヤマシャジンやマルバシモツケが群生している。登山者によって植生が踏み荒らされた跡は無い。皆慎重に礫地や先行者の足跡をなぞって歩いていることが伺える。山頂部は北から南に向けて緩い勾配の草原状になっており、沼の平を見下ろす縁に沿って細い踏み跡がついている。

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稜線から沼ノ平を見下ろす


荒々しく危険なガレ場を登って到達した櫛ヶ峰の山頂はトンボが乱舞する美しい草原であった(草原の如く見えるが大部分は低灌木の藪。うまく撮れなかったが、背景にゴミのように写っているのがトンボの群れである。手前に写っているオレンジ色の花はコウリンタンポポ。)。

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櫛ヶ峰の草原
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この日の空気の清澄度が低かったのが惜しまれるところだが、眺めは大磐梯に負けじ劣らず素晴らしい。特に沼の平の全景を鳥瞰できるのが良い。無数のトンボが乱舞するのも大磐梯と同じだ。正規の登山道が無く危険なので訪れる登山客は少ない。細い踏み跡が沼の平を見下ろす縁に沿ってついているだけで、草原は全く踏み荒らされていない。標石や山名板も無い。ここには手付かずの自然が残されている。登山者が多過ぎてただのガレ場になってしまった大磐梯の山頂と対照的である。

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櫛ヶ峰の山頂(北側)
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大磐梯


いったいどれだけ汗をかいたのだろう。ズボンが脱水機にかける前の洗濯物状態になっていてパンツまでぐしょぐしょ。折りしも太陽を隠す位置に雲が出てきて、少し風も吹いてくれるので、岩の上に転がり山頂の雰囲気を満喫してから下った。3分の1ほど下ったとき、足元の30cm径の岩が転がり、他の落石を誘発しながら沼の平まで転がっていってしまった。下に登山者がいたら死亡事故になりかねない。一般の登山客が大勢で登れるような山でないことは確かだ。

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キジムシロ
ヘビイチゴに似たこの植物をてっきり高山植物だと思って写真に収めたのだが、葉の形状がミヤマキンバイと全然違う。通常は高山植物には含められていないが、キジムシロであるらしい。


爆裂火口壁(川上口への下降点)まで下山。ほとんどの登山客がゴールドラインの猫魔八方台から大磐梯の山頂までを往復するし、猪苗代スキー場から登る人もこちらに立ち寄る人は多くない。櫛ヶ峰は一般的な登山対象ではないので、この光景をまじまじと見た人は少ないのではないだろうか。

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明治の爆裂火口壁上から見た櫛ヶ峰
裏磐梯から見える大爆裂火口は明治21年(1888年)の水蒸気爆発で小磐梯の山体を粉々に崩壊させた跡である。最後の生き証人だった曾祖母の話では、7月のとても暑い日に起きたこの世の終わりとも思えるような怖ろしい出来事であったそうな。この時櫛ヶ峰の北西部も崩壊し、爆裂火口の東端を成す。


弘法清水小屋方面から下ってくる男性がいた。彼は猪苗代側へ下山するらしく、私と数十m離れて並行して沼の平へ向けて歩いていた。こちらに何か呼びかけているようなので、沼の畔で耳に手をあてて聞いてみると「道わかりますか?」だと。こちらが変なところを歩いているので気になったらしい。親切なのだけれども百貨店で呼びもしないのに店員が寄ってくるみたいだ。

櫛ヶ峰の湧き水で顔を洗ってさっぱりしてから再びマダニのいる蒸した琵琶沢へ下る。下り始めてすぐ、男性の登山客が2名休憩していた。「こんにちは。」と挨拶したが、相手の表情がさえない。片方の男性曰く、「あのさー。頼みてぇーことがあんだけどさぁー。相棒が足怪我しちまってよー。歩けねーんだよ。下に迎えの車が待ってるんで、降りるのにちょっと時間かかるかもしれないんで心配しないでくれって伝えてもらいてーんだよ。」だと。別の登山口から登って渋谷口に下山する途中だったようだ。口の利き方がなっとらん連中だが、怪我をしたとあっては人事とは思えないので快く引き受け、迎えの車の特徴を確認して先に下った。でも、なんで俺のほうが丁寧語なの?「ダニがいっぱいいるよん♪」とでも言っておけばよかったかな?

車で林道を下る間に迎えの車には出会わなかった。エスティマだから国際スキー場のロッジまでしか上がれないであろう。ということは怪我した状態でロッジまで下ってこなければならない。心配してもしょうがないのでこちらは頼まれ事を遂行することに徹することにする。ロッジの駐車場にもエスティマがないので、国道に出る途中の木陰で上ってくるのを待った。それらしい車が来たので呼び止めて伝言。なんとなく普通の勤労者には見えない風貌だった。ナンバーを見る限りでは長野県の人達だったようである。

夜、雷が鳴り久々にまとまった雨が降った。 怪我をした人はあの日無事に下山できたのだろうか。

山野・史跡探訪の備忘録