塩那道路を歩いて男鹿岳へ(2004年7月)

年月日:     2004.07.18

遭遇した動物:  ノウサギ一羽

行程:      塩那道路・板室側ゲート(標高約850m)から歩行開始(04:35)〜 男鹿岳への取り付き場所(標高約1,650m)(09:27)〜 男鹿岳山頂(10:25-10:55)〜 塩那道路へ復帰(11:32)〜 車に帰着(16:43)

今年はいつになったら那珂川の水況が改善するのか。週末毎に夜間に中途半端に降雨して釣りにならない。上流の青ノロを流すほどは水量が無いし、下流では流れが強すぎる。つまり、どこに行っても良い釣りは不可能だ。3連休だからどこかの山に泊りがけで行くことも考えたが土曜日は疲れで出かける気力無し。午後からジョギングして憂さを晴らして、翌日曜の計画を練る。土曜日の夕方から栃木県北部の山々にまとまった雨が降り始めた。明け方までは降るが日中は晴れとの予報だったので、板室側から塩那道路を歩いて男鹿岳に行ってみようと考えた。

男鹿岳の特徴は以下の3つ。

<@天候が不安定>
地理的に強い北西風が吹きつけ、上昇気流により雲が発生しやすい場所であるため、栃木県の中で最も晴れる確率の低い山の一つである。天候が変わりやすく清澄度も低いこの時期の登山対象にふさわしい。

<Aアプローチしにくい>
男鹿山地の盟主であり那珂川(大川・矢沢・木ノ俣川→那珂川)、利根川(男鹿川→鬼怒川→利根川)、阿賀野川(水無川→阿賀川→阿賀野川)の水源地であって懐が深い。ルートには板室側から塩那道路経由、日留賀岳経由、横川経由、大川峠経由等があるが、いずれも距離が長くて楽に到達することは不可能。藪漕ぎする前に疲れてしまう。林道や塩那道路がなかったとしたら男鹿山地の中で最もアプローチしにくい山のはず。

<Bその姿が視認しにくい>
際立つピークが無く、印象が薄い。逆に言えば眺望もあまり優れないということにもなる。

何でこんな山が三百名山などに選ばれているのか理解できない。三百名山に選定されているためなのか、遠路はるばる訪れる人が結構いることがまた不思議。過去に二度、山体を間近に見ながら条件が合わずに登るのを見送っているだけにちょっとくやしい。かつて踏み跡があったという情報にも妙にそそられるものがある。登る前はとんでもないチシマザサの藪の連続という先入感があったので、連休に挑戦するのに好対象であると思われた。単純に板室側から自転車も利用して塩那道路を往復するルートを選択。しかし、土曜日に準備中にポンコツ自転車の前輪の注入口が壊れて空気が入らないことがわかった。塩那道路歩きはあきらめようかとも思ったのだが、同じ行程をたった8時間で踏破した(走り抜けた?)超人もいるので、延べ40km弱の距離を歩いて往復するのも一興と思い決行。

雨の降る中、午前1時にゲート前着。缶ビールを飲んで車を叩く雨音を聞きながら仮眠。明け方、鳥の鳴声で目が覚めた。天気予報通り雨が止んでいる。天気が良くなれば塩那道路歩きはつらい。気温が高いのでゆっくり歩いて片道5時間を要すると予想。人の何倍も汗をかくので飲料水を3リットル所持。これで足りなくなったら泥水でも何でも飲んでやる。疲れたり足裏にマメができそうになったら無理せずにテント泊することとする。今の時期、冷え込む心配が無いのでシュラフは持たない。塩那林道を歩いている間は藪とは無縁だし、早朝は強い日差しを浴びる心配がないので上半身はTシャツ一枚。

塩那道路・板室側ゲート(標高約850m)から歩行開始。昨年初冬に訪れた時は気にも留めなかったが、舗装区間の道路端には腐葉土が溜まりびっしり草本類が繁っている。樹木の進入までは許していないものの道路脇から樹木の枝が張り出して廃道化の始まりといった感じだ。今年、栃木県は塩那道路の建設を正式に中止し自然に回帰させることを決定した。無理に戻すというのではなく自然の再生力に任せる。つまり何もしないで放棄するというものだ。板室側の区間は積雪量が少なく傾斜もさほどきつくないので、放置しておけばほとんど崩壊も起こさずに自然に回帰し、数十年後には藪中に痕跡をとどめるだけになっていることであろう。横川からひょうたん峠に抜けるパイロット道路が良い見本である。そんな姿も見てみたいが、せっかくここまで作ってしまったものを一度も利用しないのは惜しい。せめて登山道として残すくらいはあってもよさそうなものだが。

殉職の碑を過ぎ地蔵山の南を巻いて男鹿山地の奥部が見えてくる寸前のカーブに、石川建設の新しい作業小屋があった。ただし建設機械は無く、旗が翻っているだけ。塩那道路は建設中止になったはずだが、案内では年内一杯は工事期間となっていた。

男鹿岳方面は北から流れてくる分厚い雲に覆われたり晴れたりを繰り返していた。上空の雲の流れがおそろしく速い。この光景は昨年初冬に歩いた時と同じである。大荒れする心配はないが、昼頃には最奥部はガスに覆われて何も見えなくなってしまうものと思われた。男鹿山地最奥部が視界に入ると同時に強い北風を受ける。これも前年初冬と同じ。違うのは気温のみ。前回は凍えるほど寒かったが、今回は体を冷ますのにちょうど良い。

川見曽根近くまで延びている舗装区間を無事歩き終えて肉刺ができる心配が無くなった。あとは単純に体力勝負だろう。塩那道路は今年になって均したばかりで、荒れているところやぬかるみは全くなく大変歩き易い。大きな水溜まりも数箇所しかなかった。明け方まで降雨したので、均したばかりの未舗装区間の路面を水が薄く広く流れていた。

路肩を歩いていたらうっかり帽子を道路下に吹き飛ばされて時間ロス。本部跡あたりで早くも疲れを感じ、三度坂では右足の付け根がじわっと痛み出す。

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前日高温下でジョギングした疲労が残っているらしい。月見曲の急坂が特につらい。ここから那須見台を経て男鹿岳の取り付き場所までやけに長く感じられた。夏場の運動は過酷だ。ゆっくり歩いていてもエネルギーと水分の消耗が激しい。発汗を抑え体力を消耗しないように、何度も休憩してこまめに炭水化物と水分を補給しながら歩いた。

塩那道路は北西風を避けるように木ノ俣川側の斜面に建設されている。1,754mピークの南側斜面を大きくカーブすると、1,754mピークから南西に伸びる尾根の鞍部が見える。予想通り、男鹿岳上部は雲の中。塩那道路は静かだが、尾根の上は北西から強い風が吹き抜け樹木が激しく揺れ動いていた。

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1,754mピークから南西に伸びる尾根の鞍部


かつては男鹿峠から踏み跡があったとされる。しかし、過去2回男鹿峠を見た限りでは踏み跡らしきものが見えなかったし、チシマザサの藪を漕ぐ距離が長くなる。法面工事区間のすぐ手前から1,754mピークに近い鞍部まで、藪の斜面を約30m登ることにする。

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尾根取り付き


ここからは踏み跡の無い猛烈な藪を漕ぐことを想定していたし、藪が雨で濡れているので、下はレインウェアのズボンを穿いてスパッツ、上はいつものジャケットを着用し、鞍部に向けて藪の急斜面に進入。明瞭な踏み跡は無いもののなんとなく足跡らしきものが幾つか残っており、小さな目印も残されている。今では無雪期はほとんどの人がここから登っていると思われる。男鹿峠まで行かずに鞍部に向けて登るという選択は正解だったようだ。

尾根上は基本的に潅木の藪。チシマザサの丈も腰から胸程度で、いささか拍子抜け。4月に大佐飛山の北西側に少し下って男鹿岳を眺めた時、この尾根の稜線と東側斜面の雪は既に消えていた。風が強い場所なのであろう。西からガスが吹き付けていて確認はできなかったものの、この尾根からは男鹿川の源頭部を眺めることができると思われる。男鹿岳に向かって尾根を北進するとすぐに、藪の下に比較的明瞭な踏み跡を確認。尾根の構造が単純で目印も何種類か残されているのでガスがかかっていても迷う心配はなさそう。踏み跡は稜線の東側に寄っていて、少し踏み外すと濡れたチシマザサや木の枝に乗って東側斜面にずり落ちてしまう。藪漕ぎの労から解放されるものの、踏み跡が隠れて直接見えないので慎重さが求められる。

アオモリトドマツの生える1,754mピークからは尾根を北進。1,754mピークから男鹿岳までの尾根の東側は矢沢の源頭である。矢沢には滝もゴルジュも無い。難易度が低いし見所も無いので沢登り愛好家も訪れない。渓流釣り師もここまでは登ってこない。男鹿山地でも数少ない手付かずの矢沢最奥部を覗いてみたかったのだが、ガスがかかって良く見えなかった。残念。

南北に長い男鹿岳頂上部を薄い踏み跡に沿って歩いていくとテントを張った跡らしい裸地があり、その横のアオモリトドマツの幹に男鹿岳の古い登山記録で見たことのある山名板が立てかけてあった。アオモリトドマツの幹にもオジカ岳と彫られ赤く塗られている。

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男鹿岳山頂にて


ガスがかかっていて確認できなかったが、山頂の北の端にあたるらしい。男鹿岳は福島県との県境にあり、北西から風が吹きつけるので冬季は積雪が多く、夏季はガスがかかっていることが多い。男鹿岳に対して抱いていたイメージ通り。

他のHPの記録によれば、写真の山名板は1991年以前に設置されたものである。当時は三角点の近くの笹藪に立てられていたらしく、藪中に支柱の片方が転がっている。2003年10月に登った人の記録では山名板が見当たらなかったそうなので、最近誰かが藪中から探し出してオジカ岳と彫られたアオモリトドマツの幹に打ちつけたようだ。

山名板はかつては三角点の近くに設置されていたはず。東の方角に開けた場所があり、腰の丈ほどの笹に覆われている。せっかく無雪期に来たのだから三角点くらい拝もうと思って捜索。ガサガサ探してみるが見つからない。その南側の開けた場所の潅木の近くにそれはあった。

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男鹿岳三角点


一仕事達成したので倒木に腰かけて休憩。特に感慨はなかった。この日この山塊に入り込んだのは自分だけであろうから塩那道路まで復帰するまでは気を抜けない。30分ほど滞在して引き返す。

道路歩きによる脚の痛みは藪歩きの間にだいぶ快復したようだ。一泊覚悟ならば大佐飛山でも鹿又岳でも登れそう。しかし、鹿又岳だけは天気の良い時のために残しておきたいし、翌日アユ釣りをしたかったという事情もあってまっすぐ帰ることにする。山頂詣での間にさらにガスが濃くなったようで、那須連峰方面が見えなくなっていた。日射が遮られ朝よりひんやりしている。

塩那道路はフキの葉の宝庫だ。旬はもう過ぎているものの、中には柔らかそうなものがあったので採取しながら戻った(茹でて皮をむき油炒めすると美味。田舎では大量に塩漬けにして保存食にする。)。何か夢中になっている瞬間は良いが、単調な道路を歩いていると急に疲れを感じる。一泊覚悟で来たので荷物が重い。しかも、高度が下がり男鹿岳から遠ざかるにつれて気温が上がる。下りで楽なはずなのに来る時よりもつらく感じられる。

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ヤマアジサイ
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沢筋の日陰に生育するヤマアジサイの花が長い塩那道路歩きで疲れた身を唯一癒してくれる彩りであった。他所のヤマアジサイよりも青の発色が良い。土壌がアルカリ性ってこと?

昼食後、強い眠気に襲われた。これ自体はいつものことなのだが、昨晩ほとんど寝ていないので猛烈に眠い。足が重くて歩けなくなる。徹夜明けと同じ状態である。こんな時は仮眠するに限る。貫通広場の近くであったろうか、ついに足が止まり、樹木の日陰のある場所でザックを背負ったまま道路の真ん中で仰向けになった。20分ほど仮眠して体のリズムをリセット。この後は順調。

塩那道路の舗装区間の路肩には土砂や腐葉土が溜まり、未舗装区間と同じくらい草本類がびっしりと生い茂っている。

塩那林道で最も多く見かけたのがヒヨドリバナ。ヒヨドリバナは上部の葉が3つに分かれ花期も8−10月であるので、写真の植物は近縁の別種なのかもしれない。ヒヨドリバナは変異が多く、分類が難しいとのこと。花期を8−10月としている例が多いが、実際は写真のように7月に既に咲いている。

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ヒヨドリバナに群がるミドリヒョウモン♂
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自転車が壊れていたおかげで柄にも無く長距離を歩き通してしまった。山歩きを楽しんだというより単調でつらい長距離歩行の達成感の方が強い。

帰りは矢板那須線が行楽帰りの車で渋滞し、またしても強い眠気に襲われた。自分のペースで走るべく、矢板那須線を外れて山沿いに百村−木綿畑−関谷とつないで、無事帰宅。

山野・史跡探訪の備忘録