塩那道路を歩いて鹿又岳・長者岳へ(2004年9月)

年月日:    2004年9月12日(日)

行程:     土平園地出発(08:44)〜 ヘリポート入り口付近で小休止(10:53)〜 横川を見下ろすヘアピンカーブ(12:19)〜 鹿又岳の藪突入(12:53)〜 鹿又岳山頂(13:11)〜 塩那道路へ復帰(13:39)〜 長者平の藪突入(14:14)〜 長者岳山頂(14:45)〜 長者平復帰(15:11)〜 土平園地駐車場に帰着(16:45)

遭遇した動物: ヤマカガシ、トカゲ

金曜夜にアユ釣りの仕掛け類の準備で夜更かし。翌土曜日は朝から夕方まで寝不足状態でアユ釣りに没頭。良型のアユを掛けて瀬を走り下るだけならまだしも、いつのまにか下流にドンブラコしたアユ缶を水の中ジャブジャブと100m近くも追いかけて酸欠状態になり1時間ほど吐き気を催す。体力を使い果たし釣果にも満足して、翌日もアユ釣りをしようという意欲はなくなっていた。帰宅してみれば通販で買ったMTBが届いていた。天気予報では日曜は高気圧に覆われて天気が安定しそうとのこと。山に行かないのはもったいないし、行くならMTBの試運転を兼ねて林道を走行してみたい。しかし、疲れがたまっていて朝早く行動することは無理。いったいどうすれば良いのだろうと考えあぐねた末に出した結論が、塩原側の土平園地まで車で上がりそこから塩那道路をMTBを押して鹿又岳を目指すというものだった。どのみち山麓のゲートが開くのが午前8時なので早起きしなくて済む。

日曜は6時起床。快晴である。男鹿山地に雲がかかっていたら予定変更するつもりであったが、清澄度が低くて山が見えない。かすかに見える高原山には雲がかかっていないので鹿又岳登山に挑戦することに決めた。塩原に向かううちに低山帯にどんどん雲が発生して何も見えなくなってしまったが、塩原渓谷の斜面を雲が上昇していくのを見て、晴れると信じて塩那道路第一ゲートへと向かった。前々日の寝不足がまだ影響していて異様に眠い。第1ゲートには○黒組らしき人が居て開門の準備中。すこし下がったところにあるカーブで目を閉じて開門を待って休んでいると、車が計3台走っていった。

塩原の温泉街上空は朝方発生した分厚い雲に覆われていたが、塩那道路を登っていくと上空はすっきりと晴れ渡り、高原山が朝日を浴びて雲海に浮かんでいた。

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雲海に浮かぶ高原山(土平園地手前で見た光景)


土平に着いてみると先行者が出発の準備中。3台のうち2台の人たちは渓流釣りが目的らしく第2ゲートへ歩いていった。もう1台に乗っていた人たちは山仕事の格好で土平園地に入っていった。自転車を持ち込んで歩こうとしている者は自分独り。今日は入り込んでも咎める人はいない。問題はMTBを第2ゲートの向こう側に持ち込めるかどうかである。塩原側のゲートは何が何でも入り込むのをブロックしてやるという意思が込められていて山側も谷側も格子が延長されている。幸い、谷側からMTBを持ち込めそうなので塩那道路歩きを決行。

第2ゲートを越えいよいよMTBに跨って出発しようとして三脚を忘れたことに気づいた。次に登山靴に履き替えるのを忘れたことに気づき、最後に方位磁石を忘れたことに気づき、計3回も車に戻るはめになった。寝不足で頭がボーッとしていたみたい。

8:00開門から18:00閉門まで10時間あると思っていたが、土平園地まで登るのに写真を撮りながら20分、準備に10分を要し、さらに手際の悪さで14分を費やしてしまった。これが過酷な山歩きの原因となった第一の誤算である。

新規購入のMTBの試運転も兼ねているので変速機構を確かめながら進んだ。出発してからしばらくは緩い上り坂であるためMTBを押して歩く。その後、水車小屋付近までの約120mの下りは勾配が急でMTBに乗るのは危険。結局、水車小屋までMTBの出番はほとんどなく、行きのほとんどの行程でMTBを押すことになった。これが第二の誤算。先行した釣り客の姿を水車小屋近くで視界に捉えたが、彼らは小蛇尾川源流の堰堤プールへ下ったようだ。

晴天で日差しが強烈。樹木が多いので直射を浴び続けなくても済むものの、気温・湿度が上がり発汗が激しい。飲料水は500mlのスポーツドリンク2本とお茶が1本あればなんとかなると思っていたが全く不十分。しかもそのうちスポーツドリンク1本を車に置き忘れてきてしまったのでイオンバランスを保てなくなるのは必至。これが第三の誤算。

貴重な水を飲んでしまうわけにはいかないので、きれいな水が流れているところでは水をすくって飲むことにする。アンドン沢を最初に何度か沢を跨ぐ度に水を飲んだ。特に、三号橋を渡った後に現れる2箇所の砂防堰堤からはとうとうと清く冷たい水が流れ出ているので格好の水場である。しかし、ミネラルがほとんど含まれていない水ばかり飲んでいるので体液中のカリウムイオンが激減し、ちょっと勾配がきつくなっただけで両脚が痙攣し始めた。全身ぐっしょりと汗をかいていたので、この時点で本来ならばスポーツドリンクを1,000mlは飲んでミネラル補給をしておかなければならなかっと思う。

男鹿山塊の天候は変わりやすく、午後になると峰々がガスの中に姿を消してしまうことが多い。この日の日留賀岳上空は抜けるような青空であったが、時間の経過とともに横川方面から小蛇尾川源流域に雲が流れてくるようになった。ガスに覆われて眺望が失われる前に鹿又岳に行きたいという思いと、門限まで戻るために時間を稼ぎたいという思いが、オーバーペースの原因となった。まともに脚が攣ったら筋肉にダメージを与えてしまい、登山続行が不可能となるばかりか土平に帰着できるかどうかもわからない。あせる気持ちを抑えつつ、ヘリポート入り口付近で道路に座り込んで炭水化物とスポーツドリンクを摂取。

長者平に達したころには日留賀岳にガスが掛り始めた。このまま鹿又岳もガスの中に入ってしまうのだろうか。ここまでつらい思いをして徒労に終わってしまうのだろうか。疲れているし時間もあまり余裕が無いので長者岳に登って帰ろうかとも思ったが、もう一度同じことをする気になれない。眺望が得られなくても鹿又岳を踏破してやらんと前に進む。立岩付近の急勾配で疲労し、何度も立ち止まりながらMTBを押していった。

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日留賀岳  12:04
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小蛇尾川奥部から見る高原山方面  12:11


横川を見下ろすヘアピンカーブから日留賀岳山頂に至る尾根の藪の様子が良く見える。日留賀岳からヘアピンカーブを見た時は簡単に行けそうに思えたものだが、こちらから日留賀岳を見上げてみると藪を突破して日留賀岳に登るのは酷に思える(この時点では、前日に山部さんが日留賀岳経由で下山したものと思っていた。)。

長者岳は尾根上の一ピークに過ぎないと思っていたが、なかなかどうして、北西側から見ると貫禄がある。地図を眺めて想像していた様子とは大違いである。

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ヘアピンカーブから見た長者岳  12:19


清澄度は今ひとつであるものの、ガスが掛っているのは日留賀岳のみ。男鹿川流域が眼下に広がり、さらに福島県の広大な山域も見渡せる。間に合った。思い切ってここまで来て良かった。1,999年に第1ゲートから水車小屋まで歩き、2003年11月に板室側から1,846mピーク直下まで到達しているので、ついに塩那道路歩きも完結。

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ウメバチソウ  12:37

1,846mピーク手前の道路横に咲いていた。塩那道路建設によって藪のない空間がもたらされたことにより、法面側のほんの限られた場所でのみ生育している。

帰化植物であるシロツメクサ(クローバー)も侵入している。


1,846mピーク北側の塩那道路最高点で地図を見て、北側に位置する勾配の緩い山が鹿又岳であることを確認。塩那道路の最高点と鹿又岳との高度差は15m程度しかない。

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塩那道路最高点から見た鹿又岳(帰りに撮影)  13:48


2003年11月に見た時は降雪していて藪の様子が解らず、塩那道路最高点と鹿又岳の間の鞍部から笹藪を漕いでいけば簡単に到達できると思っていた。しかし、眼前に広がる藪はシャクナゲやハイマツが混じりかなり手強そう。藪漕ぎの距離も長くなるので、体力的にも時間的にも無理がある。高度差があっても北側から尾根筋のチシマザサの藪を選んで登るのが最も楽と思われた。

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鹿又岳北側の取り付き付近  12:53


尾根筋が楽であろうと思ったのは大間違い。取り付いた場所の藪は距離的にはたいしたことが無いもののこれまで経験した中でも最悪級で、ハイマツに行く手を遮られ前進不可能。無理したら脚が軽く痙攣した。敢無く敗退か? 取り付きを誤ったような気がしたのでハイマツが無い左側の谷筋に逃げ、露で濡れた背丈程度のチシマザサの藪を漕いで鹿又岳南の尾根上に出た。コメツガの小さな林を抜けると眼前にハイマツ帯が広がりガックリさせられる。しかし、頂上らしき場所は目と鼻の先である。頑強なハイマツの藪を漕いでいくことは不可能だが、フワフワと枝渡りすることで労力を使わなくて済む。MTBを押して塩那道路を歩くよりも両手を使って藪漕ぎしているほうがはるかに楽に感じられるのが不思議。じきに三角点測量のやぐらと山部さんの山名板が目に入った。男鹿岳登山の時と同様、登頂したことよりもやっと引き返せることに安堵を覚えた。

東側に丈の低いアオモリトドマツ(オオシラビソ)の木があり、前日に掛けられたばかりの山部さんの山名板があった。頂上は遮る物がほとんど無い気持ちの良い場所だが、周囲を頑強な藪でがっちり防御を固めてある。ハイマツが多いので風雪の厳しい場所であるに違いない。山頂の笹の種類をつぶさには確認しなかったが、矮小化したチシマザサが主体であったように思われる。シャクナゲはアズマシャクナゲが主体で、山頂にはハクサンシャクナゲも存在する。

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鹿又岳山頂 13:11
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背景は1,846mピーク


しばし写真撮影をして戻ろうとした時に、塩那道路最高点に自転車に跨っている人物が見えた。板室側から来たとすれば、自分が藪に入って間もなく鹿又岳直下を通り過ぎたことになる。自分の自転車は藪に隠しておいたので、誰かが左手の藪に入っているとは気づかずに通過したであろう。なぜ鹿又岳ではなく1,846mピークの北側でウロウロしているのか不思議に思われたのでしばらく眺めていた。彼は1,846mの登り口を確認するような行動をした後に藪に入っていったように思われた。板室側から塩那道路最高点に行くと鹿又岳がどこにあるのか判りにくいし、1,846mピークを鹿又岳と思って登った可能性がある。しかし、万が一間違って登ったとしても、尾根の主峰と呼ぶにふさわしい最高点を踏んだことになるのだからそれはそれで良いではないか。

下りは登りとほとんど同じコースを辿った。いつもは敬遠するチシマザサだが、ここでは笹藪を選ぶようにして下ったほうが楽である。

閉門まで残り時間は4時間余り。帰りは水車小屋辺りまではほぼ全て下り基調であるので、スピードが出すぎて危険な急勾配を除いてMTBを最大限活用して一気に時間と距離を稼ぐ。30分ほどで長者平まで復帰。疲れていたのであまり気乗りがしなかったのだが、少し時間に余裕が生まれていたし、MTBを利用して快適に下れるのは今年が最後になるかもしれないという思いがあって、藪へ踏み込む。

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長者平   14:14


チシマザサの藪と下生えの少ないコメツガ林が交互に現れる。先日登った烏ヶ森の住人さんの記述にある如く、手強い藪ではない。しかし、いくら藪を漕いでも山頂が近づかないような気がして疲労した身には結構つらいものがあった。涼しい鹿又岳に較べて気温が高い。既に体の水分が抜けきって口がカラカラ。無理すると脚が攣るのでゆっくり着実に登っていった。

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長者岳山頂   14:50


春に掛けられた山部さんの山名板が迎えてくれた。樹木が多いので眺望はあまり良くはないが、予想していたより開けていて鹿又岳方面を望むことができる。三角点の周囲は腰から胸程度の丈の笹原である。登りに時間を費やしたのであまりゆっくりせず、最後の水を飲み干して下った。平五郎山に続いてまたしてもストックを藪中で落としてしまった。

長者平から水車小屋までは概ねMTBで順調に下れる。3号橋に行く前にある砂防堰堤できれいな水をたっぷり飲んで血の巡りを良くし、空いたペットボトルに水を汲んでさらに下る。日留賀岳直下の沢でエネルギー源を補給して、水車小屋からの最後の登りに備えた。案の定、高度差120m、距離にして1.5kmの最後の登り坂をMTBを押して歩くのは非常につらい。押すのではなくて担いでいるような気がしてくる。またしても両腿がピクピクし始めたので、何度も立ち止まりゆっくり着実にゴールへ近づいていった。最高点からは土平園地まで緩い下り勾配で、塩那道路全線中最も快適に走ることができる。

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小佐飛山  16:27


小佐飛山を撮影した場所のヤマブドウの葉の上に妙な物を見つけた。中身は確かめなかったが、虫の幼虫が入っているのであろう。虫瘤は一般にはグロテスクであったり醜いものが多いが、小人が並んでいるみたいで可愛いので撮影。

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ヤマブドウの虫瘤  16:29


土平園地駐車場の第2ゲートに到着した時は、自車以外の最後の車が出て行くところであった。閉門まで1時間15分もあるはずだが、日が翳った土平にポツンと一台だけ取り残されてみると、「まさか門限は17時ではあるまいな?」という疑念が頭をもたげる。急いでMTBを収納して第1ゲートまで下り、安心して着替えをして帰路についた。

栃木への転居後に地図上で塩那道路を知って以来10年近くも目標にしていた塩那道路歩きが完結し、主だった峰も全て訪れることができた。いつか自然に回帰した塩那道路を再び歩いてみたいものである。

山野・史跡探訪の備忘録