板室〜塩沢山〜鬼が面山〜西ボッチ〜沼原周回(2004年10月)

年月日:    2004/10/02 (土)

行程:     板室自然遊学センター駐車場から出発・標高約520m(08:24)〜 上の原園地(08:50)〜 塩沢山の尾根上・標高約740m(09:25)〜 尾根の屈曲点・標高約986m(09:53)〜 塩沢山山名板到着・標高1,127m(10:56)〜 林道出合い・標高約1,215m(11:46)〜 鬼が面山山頂・標高1,262.1m(11:59)〜 西ボッチの藪突入・標高約1,240m(12:58)〜 西ボッチ山頂・標高1,410.1m(14:06)〜 遊歩道へ復帰(14:44)〜 沼原駐車場(14:56)〜 車道と別れ板室への遊歩道に入る・標高965m(15:51)〜 板室自然遊学センター駐車場に帰着(17:03)

台風21号が来るタイミングが一日早く、台風一過の快晴の金曜日は指をくわえてくだらない仕事に奔走。ならば晴れが続く翌土曜日に早朝から行動すべく準備するつもりであったが、夜遅くまでサービス残業で意気消沈。寝不足で出かける気にはならないので早朝からの行動は無理となった。おまけに右足首に違和感があり、左足人差し指の爪が炎症して痛い。しかし欲求不満溜め込んで家で悶々としていればいつかどこかでブチ切れるのは確実。とりあえず出かけることとし、遅くでかけても人に遭わずにすむ静かな場所で且つ未訪の場所という条件で地図を眺め、ようやく行く先を那須の塩沢山に決めた頃には一時を過ぎていた。

尾根縦走と周回を前提に考えれば出発点は板室温泉でしか有り得ない。塩沢山だから塩沢地区から登るのも面白そう。まず板室温泉奥の温泉神社から上の原に登り、途中まで車道を歩いて塩沢山南尾根に近づき、尾根東南の急斜面をよじ登って尾根上に出て、後はひたすら藪尾根を北上して鬼が面山経由で沼原に抜ける。余力があれば登山道があるらしい西ボッチまで足を伸ばす。十分に準備できなかったので塩沢山・鬼が面山がいかなる山かを知らぬ。以前山部さんの記録を読んで笹藪が酷いらしいということだけは頭にあった。引馬峠への尾根道で地獄を経験してしまったし仕事の鬱憤晴らしも兼ねているので、もう何でも来やがれの気分。但し今回は体調不十分につき無理は禁物、途中撤退も十分視野に入れての行動となる。

帰りは市道・沼原線を下り、途中標高965m付近のカーブから逸れて板室温泉へ下る。会津中街道が板室〜沼原〜三斗小屋〜大峠というとんでもない山越えルートであったことは誰もが良く知っていることであり、会津中街道をテーマにしたHPもある。しかし、ほとんどの記述は沼原から大峠の区間に集中していて、板室〜沼原の区間についての記述は皆無に近い。沢名川の西側のどこかにあったと考えられるが地図には記載が無い。所持している1999年版のエアリアマップ山と高原地図「那須・塩原」には板室温泉から市道・沼原線に抜ける遊歩道が記載されているので、これを辿ればある程度会津中街道の様子を探れるのではないかと期待した。

明けて土曜日は金曜日に較べるとやや清澄感が劣るのは否めないが申し分無い良い天気。予報通り午前中は天気がもちそうである。矢板・那須線を通って蛇尾川・熊川を渡る際、いつもは涸れ川なのに台風のもたらした降水で澄んだ水が豊富に流れていた。現在上流に住むイワナの祖先はかつて氷河期にこのような機会を捉えて遡上したのであろうかなどと、眠い頭で考えているうちに現地に着いた。

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板室温泉と塩沢山  08:24
左奥に少し頭を出しているのが塩沢山。その手前側に同じ高さで見えているのが986mピーク。奥に低く見えている山が1,203mピーク。


この時間はまだ板室自然遊学センターの駐車場に車は無い。静かな出発となった。これからしがみつこうとしている塩沢山南の尾根が良く見える。橋を渡って温泉街に入ったところまでは良かったが、うっかり湯川に架かる橋を渡って板室発電所へ向かう道へ入ってしまった。以前車で来たことがあったのですぐ間違いに気づき引き返す。これで10分程度ロス。湯川沿いの車道を進むと江戸屋旅館前の駐車場で終点となる。ここから湯川を渡って温泉神社へ登る。神社で掌を合わせてさらに奥へ向かう。歩道は大谷石がびっしり敷き詰められてしっかりした造りだが、表面が苔むしてツルツルして注意が必要である。

遊びに来る人がいるとはとても思えないような場所だが、トイレ完備の上の原園地なる公園がある。

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上の原園地  08:50


奥に板室発電所の方から上がってくる林道がある。深山湖から板室発電所へ水を落とす水路の一部が塩沢山南尾根の突端に現れるので、地図には記載されていないこの林道は尾根突端の施設に向かっていると思われる。林道歩きで十分に標高を稼ぐことができたので、途中から逸れて急斜面のごく浅い谷筋をよじ登る。予想に反して急斜面にはガレた場所も藪も無く、所々で木に掴まれば楽に登れてしまう。危険は感じない。

09時25分 塩沢山の尾根上に出る(標高約740m)。 尾根上はミズナラに覆われ笹藪が無くとても気持ちがよろしい。塩那森林管理局によるものか獣道かは判別できないが稜線上にかすかに踏跡有り。

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塩沢山の尾根上・標高約740m  09:25


先ほどの急斜面はどうしてもつま先に力が入るので炎症を起こしている左足の人指し指が痛かったが、尾根歩きは勾配が緩いのでなんとかなりそう。

986mピーク以南はミズナラとミヤコザサ主体の美しく気持ちの良い尾根である。高度が上がるにつれて徐々にミヤコザサの丈が高くなり、986mピークでは腰程度の深さとなる。

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09:30
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09:33


尾根の屈曲点・標高986mで進路を北北西に変える。尾根が広がり緩やかな起伏が続く。ツツジ類も生えているが歩きにくい場所は無い。地図からは読み取れないが、標高1,100mあたりから尾根は痩せて起伏に富む。どれが山頂なのか判別がつかない。山名板を見逃したような気がしてピーク毎に行きつ戻りつウロウロ。どうせ縦走するのだから山頂踏んだことには違いないと思い直して進んでいくとようやく山部さんの山名板にたどり着いた。

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塩沢山・標高1,127m  11:02


山部さんの山名板がある場所ではチシマザサ主体の林床ではあるが、丈・密度共に低い。ところが鬼が面山方面の鞍部に向けて踏み出した途端に稜線上のA級のチシマザサ藪に捕まる。これまでの気持ちの良い尾根とあまりに対照的。ほとんどの人が鬼が面山方面から往復しているという実績があるし、先に林道があるのが解っているので気持ちに余裕がある。最初のチシマザサの藪を尾根西側の斜面に向かって漕いでいくとミヤコザサ帯に抜け出た。この尾根でチシマザサの藪になっているのは基本的には雪庇ができる稜線上だけで、チシマザサの藪が広がる数箇所を除けば尾根西側のミヤコザサ帯を楽に歩けることが解った。しかも、最もチシマザサの藪が濃くて傾斜がきつい場所では一部笹が刈られて歩き易くなっている。

市道・沼原線から登ってくる林道との出合いは、ちょうど林道がカーブして鬼が面山に向けて北上する地点である。すぐ近くに沼原−深山湖間の遊歩道を示す標識があった。

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林道出合い・標高約1,215m  11:46


この遊歩道の存在を知らない。所持していた地図にも記載が無い。沼原方面の道ならば何故尾根を北に向かう林道と交差しているのか解せない。とりあえず林道を歩いて鬼が面山を目指すこととし、遊歩道の利用は沼原に向かう時のオプションとする。遊歩道を深山湖側に下ればTEPCOの展示館の駐車場の近くに抜けられるようだ。

林道の開けた場所から大佐飛山や大倉山が良く見渡せる。

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大佐飛山方面  11:50
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大倉山方面  11:50


林道終点は人工的に山を丸く削って作った敷地があって柵で囲まれており、大きなタンクのような施設がある。これは沼原調整池の水を沼原発電所へ落とす導水路の一部である。柵の右側から尾根の藪をかいくぐり、施設のちょうど裏手の三角点に着いた。

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鬼が面山山頂・標高1,262.1m  12:00


見晴らしの悪い場所。ポールにくくりつけられた山部さんの山名板が地表近くまでずり落ち、じめじめした状態でだいぶ傷んでいた。ポールには細い針金が巻きついていたので、これを外してポールの上部に巻きその上に山名板を付け直した。少なくともこの秋はもつであろう。

すぐ南側に沼原−深山湖の遊歩道があるので、

さて、この先どうしたものか思案していると、北側から明らかに人間が藪を掻き分ける音が聞えてくるではないか。汗ぐっしょりで臭う体にハエがわんさかたかる状態なので、クマの如く人に遭うのを敬遠して元来た道を引き返し、沼原方面に向かう遊歩道を辿ることにする。

遊歩道は徐々に高度を上げて鬼が面山の北側で尾根上に出た。鬼が面山の三角点から真っ直ぐ北に藪を漕げば数十mで遊歩道に抜けられるはず。逆方向の沼原から鬼が面山を目指すのであれば、遊歩道から数十m藪を漕ぐほうが近道。つまり自分は遠回りをしたということだ。遊歩道は東京電力の施設を避けるために一旦尾根をはずしているようだ。

男性の登山客に鬼が面山の山頂の所在を尋ねられた。先ほど聞えた藪漕ぎの音の主はこの方であった。先が見えないので戻ってしまったとのこと。自分の辿ったルートを伝えしばし立ち話をしてから、遊歩道を北に快調に進んだ。

沼原に向かう間、樹木の枝越しにずっと西ボッチが見えている。地形図を見ると、鬼が面山と西ボッチは昔の爆裂火口の縁に位置するように思えるのだが。実際のところどうなのだろう。さて、遊歩道は1,304mピークを経てまっすぐ沼ッ原調整池に向かって下っていく。てっきり調整池の縁に出られると思って下りていったが、期待に反して遊歩道は調整池には近づかずにチシマザサの藪中を北に向かう。この遊歩道は笹藪の中を歩かせるのが目的なのではないかと思いたくなるほど眺望が良くない。この時期、目に留まるのはリンドウの花と色付いたマユミくらいなもの。

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沼ッ原調整池と白笹山  12:58


遊歩道を歩いて西ボッチの西側標高約1,240mの地点に達した(西ボッチの南側の急斜面には目的不明の林道が存在する。後で地図を見るとこの林道は沼原調整池から延びていることになっているが何故か横切った覚えが無い。???)。ここから下り気味なので、尾根に沿って登るならば当然ここが入り口であろう。登山道が何所にあるのか知らないし、見えている範囲はクマイザサの藪なので適当に進入した。しかしすぐにチシマザサの密藪にはまって後悔。山の西側だから積雪が深くチシマザサの藪が発達するのは当たり前。普通ならばこんな藪は敬遠するはずだが、信じられないことに掻き分けて体をねじ込むのに四苦八苦するような密藪の中に目印が残っている。時間も体力もあるし、足の状態も良くなったので、つい挑戦意欲をかきたてられてそのまま深入りした。

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西ボッチに登る途中で見た白笹山  13:48


尾根筋はチシマザサ藪の丈は2〜2.5mだが密度が異様に高く、つる性植物もあって進むのに難儀する。密度だけならば鬼面山並みのすさまじさ。少し北側に逸れると密度はやや低くなるが深くて見通しゼロ。一旦丈が低くなって眺めが良い場所に出る。しかし山頂直下はこれまで以上に深くて密な藪。実にしつこい。「もうー。勘弁してよ。」と何度つぶやいたことか。このレベルの藪を力任せに乱暴に漕げば1kmも進まないうちに体力が尽きる。丁寧に掻き分けたとしても腕が疲れてしまって2kmと持たない。ここは頂上まで藪を漕ぐだけだから気持ちに余裕があるのでキレることもなく丁寧に掻き分けて着実に前進し、山頂に到着。

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西ボッチ山頂  14:06
ダケカンバ主体の樹林と一面のチシマザサの海


西ボッチまで登れて縦走計画は100%達成。景色の悪い藪山3つを縦走するなんてことは将来二度とやらないのではないだろうか。写真を撮って軽く休憩して14時30分頃まで滞在。西の空が雲に覆われ出していた。登りに漕いだ密藪を戻るのが億劫で別の方角に下ろうかとも思ったが、安全策をとって同じルートを引き返すことにした。ところがなんと明瞭な道があるではないか。しかも自分が登ってきたすぐ隣である。登山道は徐々に稜線から離れ、やや北側に逸れた全く眺望の無い深い藪の中を通してある。何を考えてこんな場所に道を作ったのか。

山頂から15分もかからずに遊歩道の深山⇔沼原の案内標識に至った。20分程度で登れてしまうであろう行程を1時間強要したわけだ。大間抜けな藪漕ぎをしてしまった。遊歩道に西ボッチ入り口の案内は無い。入り口が不明なのでは下山専用路のようなものだ。林の中にゴミ入れや朽ちたベンチが転がっていたので、かつて遊歩道として整備されたのであろう。訪れる価値が無いのでいつしか放棄されてしまったようだ。

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西ボッチ入り口  14:44


沼ッ原調整池の西側に沿って下り、湿原の遊歩道に出る。まだたくさんの観光客が歩いている。前回の藪歩きでできたズボン裾の破れがさらに拡大してみすぼらしい。ボロボロの格好でしかも汗ぐっしょりで臭い体で観光客が大勢いるところを歩くのは嫌なものだ。2人の若い女性を追い抜いたとき、「あらら、大変。」とか言っているのが聞えた。ほっといてくれ。

沼原駐車場は大勢の観光客で賑わっていた。佇む気になれず、逃げるように車道へ。3時近くだというのにどんどん車がやってくる。真っ直ぐ下っていくと左手に乙女の滝・板室と書かれた案内がある。未知の遊歩道が存在するらしい。これが会津中街道の跡という可能性もあるが、乙女の滝は板室温泉から離れた沢名川にあるので自重。

何度か道が折れ曲がったところから車道は舗装化されている。それにしても会津中街道はいったいどこにあったのか。勾配がきつく車道が折れ曲がっているところでは会津中街道もジグザグになっていたと考えられるので、道形が残っていないか林の中を覗きながら下る。なんとなくそれらしき不自然な起伏は存在するが何の案内もない。しかし、ついに林の中に崩れた野仏を発見。享保九年の建立である。会津西街道が古五十里湖の崩壊によって復興したのが享保八年だが、当時の規制緩和政策で中街道も使われ続けた。時代的には符合するので会津中街道の遺物と考えて良いであろう。

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会津中街道の遺物  15:28
車で通ったらまず気づくことはないであろう。市道沼原線の傍の藪中にある。享保九年十月吉日建立。


遊歩道は何度か車道と接触している。どうやら板室温泉への下りに使う予定の遊歩道は沼原まで続いているらしい。最終的に車道から逸れる一つ手前の区間から遊歩道を歩いてみた。最近誰かがMTBで下った跡以外に足跡は残されていなかった。沼原まで自動車で簡単に乗り入れできるようになって、歩く人は絶えてしまったようである。緩斜面なので道の保存状態は良い。この区間は会津中街道の跡そのものと考えられる。往時の様子を想像しながら歩いたので疲れはまったく感じなかった。

標高965mで車道と完全に別れ、沢名川の西側にある浅い谷を下る。右側に清冽な流れが現れるので顔を洗ってさっぱり。さらに下ると左側にも小さな流れが現れ、左右の流れが合わさり滝となって左側の沢名川に落ち込む。遊歩道は沢名川と別れて906mピークの東斜面を巻いて南下する。南側の南北に細長いピークの手前で「乙女の滝1.2km、板室温泉1.6km」の案内標識があった。右側を選択。道はまっすぐ右側の谷には下らず、一つ南側の沢を下る。ここから先行きが怪しくなってくる。沢が切れ込んでくると道はことごとく崩壊して消失。崩壊斜面の細い踏み跡を辿ることとなる。まったく手入れされていない。廃道となって久しいようだ。夕方で曇ってきたので谷の底は暗い。1.6kmがとても長く感じられる。先日夕暮れ寸前に平五郎山の谷を下ったときと同じ感じである。足元が不安定なので時間が無いときはこのルートは避けるべきであろう。

遊歩道のある沢は湯川の本流と合わさり水量を増す。ここで上半身裸になって着衣を洗いすっきりして人里を目指す。ようやく谷の出口に近づき明るくなって板室温泉が見えてきた。最後の砂防堰堤の近くに登山カード入れやベンチが置いてあるが朽ち果てている。

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朽ちた登山カード入れ  16:53


現在の遊歩道は板室温泉の水源管理にしか用いられていないようである。遊歩道は最終的に江戸屋旅館の前に抜け周回達成。秋の那珂川の雰囲気を楽しみながら車に戻った。

初めての場所ばかりで足の具合も悪く100%達成できるという確信はなかったし、正直なところあまり期待してもいなかった。ひどい藪漕ぎも体験したが、爽やかな晴天に恵まれ廃道探索までできて、期待以上の成果に大いに満足できる一日であった。

山野・史跡探訪の備忘録