隠居倉〜三本槍岳〜流石山(2004年10月)

年月日: 2004/10/07(木)

遭遇した動物: サル多数

行程:  湯川橋・標高約840mから出発(07:04)〜 深山分岐・標高約975m(07:31)〜 三斗小屋宿跡・標高約1,100m(07:50)〜 三斗小屋温泉・標高約1,460m(08:45)〜 隠居倉・標高1,819m(09:36)〜 熊見曽根分岐・標高約1,880m(09:55)〜 三本槍岳・標高1,916.9m(10:42)〜 大峠・標高約1,450m(11:58)〜 流石山・標高1,812.5m(13:02)〜 大峠復帰(14:00)〜 三斗小屋宿跡へ下る分岐・標高約1,330m(14:27)〜 三斗小屋温泉への登山道に抜ける・標高約1,110m(15:25)〜 湯川橋に帰着(16:21)

大型で強い台風22号が関東地方に接近すると予想され、秋雨前線も活発化して9日からの3連休は全て雨との予報であった。6日は移動性高気圧に覆われ、翌7日も秋晴れが続くとのこと。7日が那須の高山帯の紅葉を見る唯一の機会と判断し、仕事に都合をつけて休みを取得した。

深山湖に行くのは昨年同時期に那須の山歩きをして以来である。深山湖沿いの道路(黒磯田島線)は一年前はTEPCOの展示館の駐車場から先は未舗装であったのだが、数百m程度舗装区間が延長されていた。分岐から三斗小屋宿跡方面に進み、昨年同様チェーンが掛けられている湯川橋手前の空き地に車を停めた。一年前と異なり、他に車は無い。チェーンに鍵が掛けられていないので、皆は林道終点まで車で入り込んでいるのかもしれぬ。

放射冷却で朝方はこの秋一番の冷え込みとなり、汗かきの私にとっては好都合。本日は藪歩きするつもりはないが、何が起きるかわからないので保険をかけるつもりで一泊前提の装備を持っていく。

ここから奥は登山者用の地図に「クマ出没多く注意!」と書かれている地域だが、心配は無用である。クマの嗅覚・聴覚は人間よりもはるかに敏感で、クマの方が先に人間の存在に気づいて逃げていく。ツキノワグマは基本的に平和主義者で、ヒグマのように喰うために人間を襲うことはない。人間の存在に気づかず突然出遭ってびっくりして恐怖に駆られ自己防衛的に襲いかかるのである。つまり藪漕ぎしていて笹を掻き分けたらクマとバッタリということは100%無い。これまでの藪歩きの経験からこれだけは絶対の自信を持っており、鈴を持って山に入ったことはない。個人的にはクマよりイノシシのほうが怖い。

では何故、各地でクマの襲撃が報じられるのか。人間とクマが不幸な出会いをするのは以下の場合に限られる。@山の実りが少なく冬ごもりに備えて人里で索餌せざるを得ない場合:今年の北陸地方がその典型である。今年の栃木県はミズナラのドングリやトチの実が豊富で山野の実りが豊富なので昨年ほどはクマが出没することはないと思う。A好奇心旺盛な子グマを伴っている場合:秋には子グマも成長して人間に近づくことはない。B人が捨てた残飯に魅せられた場合:別荘地やキャンプ場近くに限られるので、人が入り込まない場所ではその心配はない。C人間が風下にいて且つ物音が沢音にかき消されて且つ見通しも悪い場合:渓流釣り師や山菜採りがクマに襲われるのはこの要素が大きい。しかし、雪解けの時期に沢沿いの若芽を求めることはあっても、秋に適度に降雨すれば川にクマが近づく理由は無い。以上をまとめると、春先に沢沿いの藪の無い場所を歩くのが一番危ないことになる。やむなく沢に近づく時は確かに鈴は効果があるだろう。鈴が無くて不安であれば登山道脇の笹藪をバシバシ叩くだけでも効果十分。

クマに較べると、サルは感覚が鈍いのかそれとも人をなめているのか、至近距離でしょっちゅう見かける。今回も林道沿いに広範囲にサルがいて、中には林道の反対側で一応逃げる姿勢はとりつつも余裕でこちらを見送った奴もいた。

深山分岐に建っている寛政五年の道標には「左ハ板室、右ハヤマ」と彫られている。三斗小屋宿方面から街道を下ってきた人がそのまま湯川沿いに下ってしまわないように建てられたのであろう。一年前に来た時は麦飯(バクハン)坂を登って沼原に抜ける道が会津中街道であるとは知らなかった。安部貞任ゆかりの木の俣地蔵なるものが大川沿いにあるものだからてっきり街道は大川渓谷沿いに板室に抜けていたという先入感があって、何で川沿いに下る方向が「ヤマ」なのか不思議に思ったものだ。よく考えてみれば現在の深山湖から板室温泉にかけての谷は急峻で街道には向いていない。必然的に沼原越えとなるのである。

途中で一台のパジェロミニが追い抜いていった。やはりチェーンをはずして入ってくる車がいるのだ。三斗小屋宿跡を過ぎ、白湯山神社を過ぎるとY字路が現れる。右側が橋を渡って三斗小屋温泉へ向かう登山道だが、左の道の正体を知らない(実は左の道が会津中街道。)。

橋の手前で林道は終点となる。車が5台停まっていて、先ほど私を追い抜いていった車の持ち主がちょうど出発しようとしていた。なんと60代と思しき女性が独りでここまで車を乗り入れて山歩きをするのである。軽く挨拶を交わして先行する。この後、三斗小屋温泉までは誰にも遇わなかった。

三斗小屋温泉手前に大峠に向かう分岐がある。大勢の登山者でごった返さないうちに那須を歩くこととし、そのまま三斗小屋温泉へ進む。天気が良いのでシーツが干してあり、シーツの間を抜けて奥へ向かう。宿の主人なのかどうか知らないが、でかい声を出して忙しそうにしている男性に挨拶したら、ジロッと一瞥しただけ。客商売の顔ではないな。登山者に対する案内も見当たらないし、どうもこの温泉には良い印象が無い。

温泉神社に掌を合わせて源泉へ進む。9時前だというのに隠居倉から下ってくる人が何名もいる。こちらはアプローチが長いから茶臼岳方面から歩く人に較べて出遅れ感が否めない。

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源泉  09:00


源泉を過ぎると急な登りになる。外部から持ち込んだ大きな砕石で登山道が埋まっており、10名ほどの作業員が砕石を金網で整えて階段を作っているところであった。

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大倉山  09:04
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茶臼岳方面  0929
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大佐飛山方面   09:30


隠居倉から峰の茶屋に大勢の登山客がいるのが見える。熊見曽根の上にも人の列。幸い隠居倉方面は数える程度しか人がいない。裏側から登ってきたのは自分にとって正解だった。光線の関係もあるのだろうが、隠居倉と熊見曽根の間で見た光景がこの日辿ったコース上で最も紅葉が美しく見えた。

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剣が峰と茶臼岳  9:38
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熊見曽根南西斜面  9:42


標高1,700m以上でツツジ類の紅葉が見られ、この日巡ったコース上では隠居倉の東斜面が最も鮮やかに見えた。朝日を反射して白く光る笹原に紅葉した樹木が点在する光景が印象的である。沼原から日の出平へ向かう途上の1,775mピークから見る白笹山西側斜面にも同様の光景が広がる。

熊見曽根分岐に何名かのパーティが休んでいたので立ち止まらず通過。眺望は次の1,900mピークの方が良い。1,900mピークで鬼面山の写真を撮り、ザックにカメラをしまって立ち上がった時、目の前を水を飲みながら朝日岳方面に通り過ぎた方がなんとなく烏ヶ森の住人さんに似ているような気がした。平日だし、時間帯が早いのでもしやとは思ったが、家に帰って掲示板を見て同日に烏ヶ森の住人さんが那須に登られていたことを知って確信した。もう少し時間がずれていれば隠居倉と熊見曽根の間で挨拶を交わすことになり、お互いに気づいたと思う。

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鬼面山方面   10:00


清水平はこの時期あまり見るべきものが無い。清水平から三本槍岳に向かう登山道は細く抉れて所々ぬかるんで歩きにくい。

三本槍岳へ登る途中から福島県側の眺めが良くなる。頂上からは故郷の猪苗代湖と磐梯山をはじめとして、山形県や新潟県との境までの全てが見渡せる。大佐飛山の手前からも同じ様な眺望が得られるが、三本槍岳は福島県との県境にあるのでこちらのほうが優る。子供の頃から猪苗代湖南岸の布引山の向こうに聳える那須を見ていたが、それが旭岳(赤崩山)と三本槍岳であったことがようやく理解できた。

県境尾根には山頂から北側に下る。こちらは登山客の姿が無く登山道も荒れていない。再び静かな山歩きに戻る。甲子山方面への分岐を過ぎて大峠へ下る尾根から見る光景も素晴らしい。那須の全てを歩いたわけではないが、喧騒な栃木県側よりも県境の方が景色も雰囲気も良い。途中の見晴らしの良い場所で食事をし、雰囲気を味わいながら時間をかけてゆっくり峠に向かった。

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甲子山分岐から見る大倉山方面   10:53
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旭岳、須立山方面   11:29


三本槍岳西側斜面でも熊見曽根南西斜面と同様の光景が見られる。

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三本槍岳西側斜面   11:01
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11:19


大峠には野仏がひっそり佇む。笹原と潅木しかなく冬の気候の厳しさが伺える。大峠を経由する会津中街道が開削されたのは元禄八年(1,695年)のこと。天和三年(1,683年)の大地震で戸板山(葛老山)が崩れて旧五十里湖が出現し会津西街道が不通にならなければ、開削されることはなく、戊辰戦争の舞台として歴史に名を残すこともなかったであろう。ここを経由して江戸廻米を運んだり、大砲を担ぎ上げてドンパチやらかしたなんてとても信じられないような場所である。いったい何名の人足、何頭の駄馬がこの峠を越えていったのだろうか。

峠から出発点まで3時間弱かけて標高差600mを下ることを考えると、時間的に大倉山まで行くのは無理である。峠から流石山手前の大峠山までは標高差300mの直登となる。どうしようか迷ったが、尾根上の雰囲気だけでも味わいたいと思って登りだした。

朝の登りで少し飛ばしすぎたこともあって疲れを感じる。帰りは流石山から出発点まで標高差1,000m弱を一気に下ることになるので、登りで無理すると脚がもたない。100mほど上に一組の夫婦が登っていくのを見て、だいたい同じ様なペースでゆっくりと登っていった。

大峠から流石山への登りは遮るものが何一つ無い丈の低いクマイザサの笹原。三本槍岳(写真中央)から大峠に下る県境尾根の穏かな山容を良く把握できる。

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大峠、三本槍岳   12:47


大峠山まで登ると後は楽チン。先行した夫婦が休んでいたので追い越し、大倉山を往復したと思われる単独行の男性及び3名パーティとすれ違った。流石山に行くまでに遇ったのはこの6名のみ。茶臼岳から三本槍岳にかけての喧騒とは対照的。

県境尾根には高い樹木が無いため冬季は雪に覆われて真っ白な姿となり、氏家からもその美しい姿を眺めることができる。栃木県にはこのような山は他に無い。とにかくどんな場所なのか見てみたかった。実際に行ってみて、長坂道を辿って鳥海山に登った時のことを思い出した。笙ヶ岳と雰囲気がとてもよく似ている。個人的に最も好きなタイプの尾根である。7月頃には高山植物の開花が楽しめるそうなので、名残惜しいが大倉山は次回の楽しみとして一気に大峠まで下る。

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流石山から見る県境尾根  13:02


登る時にすれ違った人も、三本槍岳方面から下ってきた人も、皆福島県側へ下っていった。いよいよここから会津中街道を下ることになる。大峠に栃木県側から登る人は少ない。栃木県側は道が荒れていて渡渉点が多いので降雨後に通るのは避けたほうが良い。一部川のようになっているところもある。峠沢に橋は無い。岩を飛び跳ねて渡る。

峠沢を渡ってしばらく進むと分岐が現れ、右側は三斗小屋宿跡に向かうとの標示がある。この道の存在を知らない。歩く人がいないようで笹が両側から被りつつあるものの、道の存在を視認できるし歩くのに支障はなさそうである。左側を選択して三斗小屋温泉に行けば尾根を越えなければならない。登りが嫌なので右を選択し、まっすぐ三斗小屋宿跡へ向かうこととした。道の出口が何所にあるのかにも関心があった。

予想通り、こちらの道は登り返しが無く順調に下ることができる。ところどころ赤いテープが木に巻きつけられており、だいぶ前に笹を刈った痕があった。最近のことではなくても誰かが歩いた形跡があるというのは心強いものである。

中ノ沢の渡渉点は沢底が岩盤状になっていて滑りやすい。もちろん橋は無い。水量が多いので安全に渡れそうな場所を探し、靴を濡らしながらも渡渉成功。この後渡るのは湯ノ沢しかないと思っていたので、もう帰りついた気分であった。左側のチシマザサ藪の中にしっかりした広い道形が残されている。これで自分が辿っている道が会津中街道の跡であることを確信した。

右側から大きな沢音が聞えるようになり、苦土沢(峠沢と中ノ沢が合流)に近づいていることを知る。まだ谷は開けておらず、林道終点の橋が架かっている場所まではだいぶ距離があるはず。嫌な予感がした。案の定、道は突然上流側に向けて折れ曲がり川の縁に下って消えた。木に赤いテープが巻きつけられているので道を間違った可能性はない。対岸に渡れと言わんばかりだが、対岸の山の傾斜が急なので街道があるようには見えない(街道跡は実在し、ここで渡るのが正解だった。)。対岸に目印も見えない。では左岸沿いに下れるかというとそれも無理。しばらく下ってみたが渓流に藪が覆いかぶさっていて歩く場所が無い。登山靴で沢を歩くのは自殺行為だ。急流を渡るのは嫌だし、いまさら分岐点まで戻る体力も時間も無いし、進退窮まったか?

しかたがないので藪を掻き分けて岸に上がり、三斗小屋温泉から下る登山道へ向けて、左岸の傾斜の緩い場所の藪を強行突破することとした。左岸の川沿いにカラマツが植林されているので、地形的には下流側からここまで歩いてこれることを示している。しかし、植林した時はともかく、今は一面のチシマザサの藪である。しかも斜面を下るのではなく、斜面を横切らなくてはならないので余計につらい。まだ湯ノ沢を渡っていないので、あとどの位距離が残っているのか判断できない。今日は快適に登山道歩きをするはずだったのに気分最悪である。

小さな沢を越えたとき、ストローのようなゴミが落ちていた。こんな物でも人跡があると心強いものである。湯ノ沢を渡った後にはそれらしい窪みは見当たらなかった。最後の区間は藪が薄くなり歩き易くなる。

三斗小屋温泉への登山道に抜けて安堵。どうも午後に沢沿いに歩くというのは精神衛生上よろしくない。2日の沼原からの下りもそうであった。出口が見えないのに時間の経過とともにどんどん暗くなってくるとあせりを感じるのである。一時はどうなることかと思ったが、安全な場所に出られて安堵。三斗小屋宿跡から流石山方面を見上げると、先ほどまでの晴天が嘘のようにガスに覆われ始めていた。天気予報通り、明日は雨であろう。ビバークすることにならなくて良かった。

湯川の川原で着替えをし、体も拭いてさっぱりして帰宅の途についた。平日なので渋滞に遭うこともなかった。たまにはこういう休みも良いものだ。念願の那須の高山帯の紅葉を目にすることができて大いに満足の一日であった。

山野・史跡探訪の備忘録