女夫渕〜引馬峠〜孫兵衛山〜黒岩山〜鬼怒沼周回

年月日: 2004年10月16日(土)、17日(日)

初日行程: 女夫渕温泉駐車場手前数百m手前の路肩出発(07:21)〜黒沢第4号橋(09:05)〜平五郎山尾根到達(11:36)〜引馬峠(12:15-35)〜1,915mポイント(13:24)〜孫兵衛山南端(14:35)〜孫兵衛山三角点(15:13)〜幕場(1,962mポイント)到達(16:13)

(2015年11月8日フォーマット更新 + 画像追加)

関連記録: 2004-09-18 引馬峠考−峠への道を辿る

小学生の頃から地図を見るのが好きだった。山登りではなく高山植物に興味があって、普通のカラー地図でこげ茶色で示されている標高の高い所、特に人里から遠く離れた県境の尾根に関心があった。福島県出身であるから当然のことながら帝釈山地もその興味の対象の一つであった。大人になっても本格的に登山をすることはなく帝釈山地のことなどすっかり忘れていたが、栃木県に居住して再び地図で帝釈山地の存在を意識することとなる。1993年に購入した日本地学協会の Citying Map に栃木県と福島県の境に沿って破線が記されていた。こんなところに行くのは普通の人間とは思えなかったし、当時は本格的に山歩きをする気もなかったので、登山の対象として考えたことはなかった。子供の頃から備わっていた廃なるものへの憧れが歳をとるにつれ次第に昂じ、2003年に引馬峠の存在を知るに及んでついに帝釈山地へと足を踏み入れようという気になった。最初に帝釈山地に興味を懐いてから既に35年以上が経過していた。

前回は平五郎山から引馬峠へ尾根通しに昔の峠道を忠実に辿ろうとしたが、チシマザサと倒木が手強く時間切れで撤退。尾根通しで引馬峠に至り黒岩山を経由して女夫渕へ戻るには最低でも3日かかることを実感。テントでは眠れない性分なので、3日かけるのは自分にとって自殺行為に等しい。よって近道をして2日コースに短縮して再挑戦である。地図上では黒沢林道は二段堰堤を過ぎ赤岩沢の合流点付近で終点となる。しかし、その先も黒沢左岸の斜面では標高1,380m付近で等高線の幅が広くなっている。このような場所は楡ノ木沢と同じ様に旧い林道跡がある可能性が高い。この傾斜の緩い場所を辿って東側から流れ込む沢に至り、沢を渡って北東方向に平均斜度20度程度の斜面を一本調子で登ってナガフセリ沢の反対側に出れば、前回苦労した尾根を通らずに済む。この斜面に興味を懐いたのにはもう一つ理由があった。等高線が微妙にブレていて美しくないのである。尾根直下の標高1,781mポイントのある平坦地から細く浅い沢筋が何本も下っていることが読み取れる。この地形を実際に見てみたかった。尾根を1km弱辿れば引馬峠に至る。ここでしばらく峠道の痕跡を探り、初日はなだらかな孫兵衛山で幕営。翌日は黒岩山から朝の澄んだ眺めを楽しみ、余裕を持って鬼怒沼経由で登山道を歩いて女夫渕に戻るという計画である。

快晴の天気予報だったのにまたまたはずれ。県境に青空が覗いているだけで薄曇りの天気である。ラジオで天気予報を確認し、荒れる心配はなさそうだったので予定決行。女夫渕の無料駐車場に着いてみると満杯状態で車を停める場所が無い。実は奥鬼怒温泉へ至る林道の橋を渡った先や、黒沢方面に向かう林道の入り口に空き地があり、まだ車を停める余裕があったのである。初めてなので気づかず、女夫渕から数百m戻ったところにある広い路肩に車を停めた。薄曇りだから霜が降りていないものの、朝の気温は0℃近い。ハードな山歩きにもってこいの条件であった。

昨晩、退社時間が遅れてしまい新しい登山靴を買えなかった。汚く臭い登山靴は洗濯中でバケツの中で洗剤液に漬かったまま。帰宅してからすすいだため乾かす時間がなかった。歩き始めからびしょびしょ。

黒沢奥に向かう林道は鬼怒川沿いの奥鬼怒自然研究路の入り口でもあるのに入り口が閉鎖されている。これはあらかじめ得ていた情報通りで驚きはなかった。「遭難者や行方不明者が出ているので独りで入るな!」旨の表示もある。後者は無用な事故を減らす目的だから当然だが、前者の立ち入り禁止はアホ役人が責任回避したいがための措置である。行政に責任をとってもらうつもりはないので無視。黒沢林道はあまり荒れていない。奥鬼怒遊歩道へ続く吊り橋(絹姫橋)を左に見やり黒沢へ踏み込む。台風22号の降雨のせいで山はたっぷりと水を含み、林道にもところどころ水が流れている。ここ数年車が入ったことはないようだが、歩き難くはない。

黒沢は紅葉が美しい渓流である。ちょうど紅葉が見頃を迎えており、今年の紅葉にはあまり期待していなかっただけに嬉しい。時折、沢奥に引馬峠近くの県境尾根を窺いながら進む。さほど遠くには見えない。今回は到達できそうな気がする。

          
黒沢から見る県境尾根


S字ヘアピンカーブを過ぎて500mほど進むと昭和60年代に建設された大きな二段堰堤が現れる。この先は道上に徐々に草や笹が増え、踏み跡程度となってしまう。黒沢や赤岩沢に砂防堰堤を作った以降は林道は用いられていないようである。何所が林道終点なのか判然としないが、山肌が崩れて林道は完全に消失してしまっている。路肩を補強した跡が一箇所あったので、期待通り旧い林道のなれの果てであることは間違いない。足元が崩れたら沢底に滑落してしまいそうな細い踏み跡を辿り、目的の沢に近づく。

平五郎山から引馬峠に続く尾根を水源とする名の無い沢がある。この沢に黒沢第4号橋(昭和43年竣工)が架かっており、道がきれいになくなっているのに白い欄干の鉄筋コンクリート製の橋はそのまま残っている。

          
黒沢第4号橋


黒沢第4号橋の先に道があるようには見えなかったので、右岸斜面に取り付き、主尾根に乗って1,781mポイント方向に登っていく。この尾根はコメツガの大木があるためチシマザサが薄く歩き易い。尾根上には古い赤テープが残されている。同じ様なことを考えた先人がいるのである。驚いたことにこの尾根は天然林ではない。尾根上は数十年前に伐採されたコメツガの大木の切り株が残っている。今も大木は残っているが、昔の鬱蒼とした様子は現在の比ではなかったであろう。旧い林道は伐採した樹木を運び出すのが目的で建設されたのであろう。

登り斜面の紅葉 初日:09:46
平五郎山から引馬峠に続く尾根の直下まで、数十年前にコメツガなどの大木を伐採した跡が残されている。針葉樹が間引きされたことで広葉樹が豊かなのかもしれない。


予想した通りこの斜面には細く浅い沢筋が幾つも存在している。一本調子の登りではあるがカエデ類の樹木が多く、色彩豊かな紅葉を愛でながら登っていく。標高1,600m付近で尾根が不鮮明となり、チシマザサの藪も濃くなる。ここは北側に横歩きする感じでなるべくコメツガに覆われて藪の薄そうな場所を選んで登っていった。標高1,750mの急斜面を越えると広大な平坦な地形が広がる。針葉樹林と薄いチシマザサの藪と倒木の組み合わせ。どこまでも平五郎山の山頂みたいな場所。目指す尾根鞍部まではまだ500m程度距離があるし、深いチシマザサにつかまる可能性もあったので方針変更。標高1,781mポイントから小さな沢(というより小川)を跨いで門石沢左岸から上がってくる尾根に取り付く。この尾根は藪が濃く、標高1,800m以上では地図で読み取れないくらいの起伏が続く。ここにも青ビニール紐の古い目印が残されていた。最後は標高約1,860mの丘陵状の尾根上に向けて藪を避けながら登る。カモシカらしい大きな動物がガサガサと逃げる音が聞え、爽やかなそよ風を感じると、すぐに尾根上に到着した。

ここにも赤いビニールテープの古い目印有り。途中経路は違っても尾根に到達した場所は同じであった。ナガフセリ沢側に寄ってみるとダケカンバの巨木が一本有り、その向こうに引馬峠北側の標高1,981.7mのピークが間近に見える。峠道の痕跡らしきものが尾根上の緩やかなピークを巻くように続く。尾根上の見事なアオモリトドマツ樹林が気持ち良さそうなので尾根を忠実に辿ることにしたが、じきにアオモリトドマツの幼樹の藪につかまり少々時間を喰う。

尾根到達地点からナガフセリ沢側
ホーロク平付近


後日、宇都宮市図書館で偶然見つけた下記の書籍に、引馬峠に関する記述があった。

    「奥鬼怒山地 − 明神ヶ岳研究」  橋本太郎 著  一九八四年 現代旅行研究所発行

この書物に拠ると、引馬峠から栃木県側に少し下ったところにある広くなだらかな鞍部を「ホーロク平」と呼んでいたらしい。ホーロクとは会津の方言で「迷う」ことを意味するという。見通しが悪く、平坦なので迷いやすいことからつけられたらしい。昔、薬草採りや万年筆を売り歩いていた若者が迷ったという。明治時代に無人交易の荷置き場として使われた小屋や鳥屋場はこの辺りにあったとされる。ちなみに私も同じ会津の出身だが、猪苗代では「無くす。落として失う。」という意味でホロクという言葉を用いる。実際には「ほろった(落とした、失くした)」という過去形で用いることが多い。おそらく語源は同一であろう。

さて、何も考えず尾根を辿れば自動的に標高1,981.7mピークまで行ってしまう。引馬峠へは斜面を横切る形で抜けるのであるが、どの辺りを横切れば良いのか判断が難しい。台倉高山からの縦走路でもあるのではないかと思って適当に標高1,981.7mピークの南西斜面を横切ってみたが何も見つからなかった。斜面の流れが南西方向になる地点から引馬峠に向けて下った。

引馬峠  初日:12:22
引馬峠には標識の一つもあって良さそうなものだが、枝岐側へ向かう道跡らしき場所に落ちていた「KOKUYO DEVELOPER」と記されたプラスチック容器の破片が唯一の人跡だった。DEVELOPER とは現像液のことだと思われるが、なんで現像液がここに?


檜枝岐と川俣の交易が途絶えて約半世紀。人跡を全て飲み込んでしまった鬱蒼としたアオモリトドマツの樹林のイメージを懐きあこがれつづけた場所:引馬峠。実際に目にした引馬峠はダケカンバ混じりのやや明るい疎林でチシマザサも薄い。幽玄な雰囲気はなかった。思い描いてきた引馬峠のイメージからは程遠い姿である。周囲に較べて大木があまり目立たないのは、過去の人間との関わりによるものなのだろうか。

美しい地形が唯一期待通りだった。見通しが悪く且つ広いので、地形が一望できるわけではない。20分ほど峠道の痕跡を探してウロウロしてみた結果として頭の中に形成された地形が地図の等高線の流れと一致したということである。広い平坦地なので、ガスがたちこめたら方位磁石だけで正確に行動するのは不可能であろう。

県境尾根でもっとも憧れていた場所に来ることができたのだから第一目的は達成した。あとは慎重に藪の県境尾根を辿るだけである。この先眺めが良くない藪尾根の連続であるし、廃なるものも期待できない。藪山に強い憧れはないので、危険を冒してまで独りで帝釈山地の最奥部へ踏み込むこと自体は目的となりえない。ここから引き返すという選択肢もあったが、翌朝に北東から黒岩山に登り快晴の空の下で絶景を眺めたいという欲求に後押しされて県境尾根を西に進んだ。天候に恵まれ体調も良いし、せっかくここまで来たのだから行ってしまおうという心理も働く。

引馬峠西側から見た引馬山(1,981.7mピーク) 初日:12:46
引馬峠周辺は視界が開ける場所がほとんどない。ダケカンバの葉が落ちている時期は引馬峠から西に登る途上で引馬山を眺めることができる。


引馬峠から西に向かう登りでチシマザサがやや濃い。広い尾根上に上がってしまえば苦労せずに歩ける。天気が良いので、栃木県側の明るさを感じながら単純に西に向かうだけなので安心である。前橋営林局の山火事防止のプレートが落ちていたりして、深山なのに里山にいるような感覚にとらわれる。藪の様子はどこまで行っても平五郎山といった雰囲気である。

尾根上の平坦地に赤い布がぶら下がっていた。「三峰山岳会」、「H14.10.20」、「アキちゃん」、「エッチ屋」と書かれていたので、越前屋晃一氏と鈴木章子氏が2002年10月に鬼怒沼から木賊温泉まで3泊4日で県境尾根縦走をした時に幕営した場所のようだ。 この時は天候があまり良くなく、何度か尾根をはずしながらもGPSを頼って突破したそうな。実際に歩いてみた実感として、天候が悪い時に孫兵衛山から引馬峠に向かうのはかなり難易度が高そう。特にガスにまかれたら方位磁石だけを頼りに歩くのは危険である。その状況に独りで平然としていられたとしたら人ではなく立派な野獣である


1,915mポイントの鞍部はアオモリトドマツの純林で、灰青色の平滑な幹が美しい。ここからの登りは再びチシマザサの藪が現れるが、やや福島県側寄りに藪の薄い場所を拾えばたいして苦労せずに登っていける。標高1,950mを超えても基本的に似た雰囲気だが、倒れたばかりの大木が目立った。いままで倒木とは枯れ死した古木が朽ちて倒れたものだとばかり思っていたのだが、この山域で白骨化して立っている樹木は無い。ほとんどは一見健康そうな成木が強風もしくは積雪によって生きたまま倒れるのである。

アオモリトドマツの巨木を支えていた根の地中の深さはせいぜい数十cm。青樹が原樹海の溶岩台地上に見られるような太い根がうねうねと這う光景は存在しない。細い根がインスタントラーメンみたいに縮こまっていて、根の広がりもせいぜい直径5m程度。この脆弱な根で巨体を支えていられるのが不思議だ。絶妙なバランスの下にかろうじて維持されている樹林なので、いったん人の手が入ったら倒木の累々とした世界になってしまうであろう。

1,915mポイント
倒れたアオモリトドマツの根


アオモリトドマツ樹林でもう一つ気になることがあった。何割かの樹木で根元の樹皮がバナナの皮のように剥がされているのである。杉の植林地で同じような被害を目にしたことがある。そのときはシカが角砥ぎのためにやっているとばかり思っていた。ここは積雪が深くカモシカの生息地である。糞の量や踏み跡から見て生息数が多いとは思えない。樹皮を剥がなくても食い物には困らないはず。では何故か?Webで調べたところ、「クマはぎ」と呼ばれる剥皮害である可能性が出てきた。ツキノワグマが大木の樹皮を爪や歯で剥がし、その後の形成層(甘い皮)部分を歯で削り取って食べるのだとか。

引馬峠から孫兵衛山までの県境尾根は、チシマザサがやや濃い稜線を避けて若干福島県側に入ったところを歩いた。樹間から栃木県側の様子を伺えるものの写真撮影に適した場所ではない。栃木県側に寄ればあるいは何箇所か写真撮影に向いた場所があるのかもしれない。

孫兵衛山南端から見た黒岩山  初日:14:37
孫兵衛山南端の南西斜面は丈2〜2.5mのチシマザサの藪が濃い。樹木がまばらなので黒岩山が良く見える。


孫兵衛山は南北に長い丘陵状の山であるが、県境尾根をはずすことなく南端のピークに到達。前々日に降った雪(雹?)が残っていた。景色はまあまあといったところか。黒岩山が間近に見える。帝釈山地の盟主らしくきれいな容姿をしている。せっかくここまで来たら孫兵衛山の三角点を拝まないのはもったいない。一旦県境から離れて往復することにする。結構藪が濃く、獣道も無く、場所を選んで楽に進むということが出来ない。とにかく北に向かって藪漕ぎ。県境から三角点までは500m弱の藪漕ぎとなる。鬱蒼とした樹林ではないので結構チシマザサの藪が濃い。平坦な地形の藪中にいると山頂がどこか見当がつかないので、今回の歩いた山域で最も藪漕ぎのイメージが強い。山頂近くの藪中には田代山から孫兵衛山に至るかつての縦走路の痕跡が残っている(旧い地図には破線が記されている)。

ダラダラとした傾斜が途切れ樹間から北側の山々の様子が見える場所に三角点があった。等高線の間隔の広がりから、孫兵衛山山頂はアオモリトドマツ樹林とチシマザサに覆われて見通しの全くない場所であると想像していた。北側の傾斜がやや大きく、燧ヶ岳方面を望むことができる。最近三角点測量をした形跡は無い。無雪期に訪れる人は少ないようで、MWVの青いプレートが転がっているだけ。これまで歩いた山で最も人跡の薄い場所という感じがする。もっとも、過去には帝釈山からここまで縦走路があったはずなので昔は多数の登山者が訪れていたのであろう。

孫兵衛山から望む燧ケ岳
孫兵衛山の三角点にて 初日:15:20


孫兵衛山山頂の北のなだらかなピークの方からシカに似た鳴声が何度も聞えてきた。秋の高原山に延々とこだまする鋭く悲しげな鳴声とは違い少し野太い。北側から風が当たるので寒い。幕営に向いた場所ではなさそうだ。日没まであまり時間が無いので、幕営する場を考えながら再び藪漕ぎして県境尾根へ復帰。

本日午後は北風が吹くという予報であった。翌日は快晴であるから夜間風が出る可能性が高い。ということはできるだけ高度が低く風が当たらない場所が良いであろう。黒岩山の直下がよさげであるが、本日中に到達するのは無理。とりあえず黒岩山に向かう県境尾根のどこかでテント設営に向く場所を探すことにする。

孫兵衛山南端の南西斜面は標高差にして100m程度チシマザサが密なので、黒岩山から孫兵衛山に向かうときは藪漕ぎがつらいと思われる。天候が悪い時に孫兵衛山から黒岩山方面に向けて下るのはやや危険である。尾根が広く目印となるようなものはないので、見通しが利かなければ尾根をはずして下ってしまい、尾根に復帰する際にチシマザサの藪にはまってしまう。

チシマザサ帯を抜けると下生えの少ないテント設営に向いた場所に至る。1,962mポイントで初日の歩行終了。過去にここで泊まった人がいるようで、カメラレンズのキャップらしきものや軍手を見つけた。大木がいつ倒れても不思議ではない代物だということを学んだので、大木の下敷きになる可能性の低い場所を選ぶ。周囲のチシマザサを切って敷き薄いベッド状にし、その上にテントを設営。これで地べたから冷え込まない。筍以外にも利用価値があるものだ。

          
幕営地にて


日没後次第に風が強まり、強風で山が轟々とうなる音が一晩中止むことはなかった。案の定眠れない。ラジオを聴きながら目を閉じてみたものの、まともに眠った記憶がないまま夜明けを迎えた。

二日目行程: 歩行開始(06:15)〜黒岩山北東の崖を越える(07:54)〜黒岩山山頂(08:25-50)〜登山道に降下(09:07)〜鬼怒沼山山頂(11:37)〜鬼怒沼巡視小屋(12:19)〜日光沢温泉(13:55)〜車に帰着(15:40)

テントの中の結露がバリバリに凍りついている。外に出しておいた濡れた登山靴は乾くどころかカチンコチン。この秋初めての氷点下体験。久し振りに天気予報通りに快晴で睡眠不足も気にならない。

孫兵衛山〜黒岩山間の県境尾根の雰囲気は引馬峠〜孫兵衛山間の雰囲気と若干異なる。栃木県側が急斜面になっているため、稜線がややはっきりしていて、チシマザサの藪が濃い。福島県側の低勾配の斜面に藪の薄いところを繋ぐようにしてカモシカの足跡があり、これを部分的に辿ることで左右にブレながらも確実に楽に黒岩山に近づくことができる。中間地点からはうるさいくらいピンクのテープが目についた。

黒岩山の北東斜面標高2,000m付近に広がるアオモリトドマツ原生林は見事である。ここから先は笹藪が無いので快適に登っていけるが、標高2,100m付近で高さ20〜30m程度の垂直な岩場が眼前に現れる。断崖がハチマキのように左右に続いているように見えたので、樹木が生える隙間に取り付いて正面突破。なかなか楽しませてくれる。

時間的にも角度的にもここからの眺めは秀逸であった。空気は澄み渡り、遠くは飯豊連峰や吾妻連峰まで見渡せる。これまで歩いてきた縦走路も良く把握できる。これ以上無いくらいの好天に恵まれて期待通りの光景を楽しむことができたことに感謝した。

黒岩山北東の断崖上から見た孫兵衛山  二日目: 07:56
黒岩山からの眺めももちろん良いが、ほぼ平坦な孫兵衛山の姿を横方向から伺うにはこの場が最も適していると思われる。孫兵衛山の三角点はほぼ中央の高みにある。


最奥に見えるのが那須岳と男鹿山地。
中央左のピョコンと飛び出た場所が引馬山。
高原山の存在感が際立つ。
高原山の左手前が明神ヶ岳。中央のやや右側が平五郎山。


何箇所かある岩峰を右に左に巻いて山頂に近づく。黒岩山は帝釈山地の他の山同様、火山性の山ではない。命名は岩がゴツゴツしていて針葉樹に覆われて黒く見えるからなんだろうか。山頂近くはツツジ類やハクサンシャクナゲ等の藪がうるさいが、過去に何名も県境尾根に進んだ人がいるようで明瞭な踏み跡が残されている。

期待通り、山頂に一番乗り。もっともこの日登ったのは自分一人だったのかもしれない。近くに遮るものがないので、黒岩山からの眺望は文句無しに素晴らしい。特に西側の眺望は秀逸で、尾瀬や武尊山だけでなく、群馬県を通り越して長野県や新潟県との県境の山々まで見えている。滞在すること25分。

黒岩山から望む白根山方面
黒岩山から望む燧ケ岳方面


ほぼ全ての人が南側から往復するので明瞭な道を楽に下れるという先入感があったのだが、朝日が逆光となり見難いせいなのかうまく辿れない。間違って黒沢方向に下らないよう意識していたこともあって、踏み跡の方向が信用できない。おまけにとんでもない藪中に古い赤布がついていたりする。岩に右膝をしこたまぶつけてキレてしまった。西側斜面に尾瀬沼へ抜ける登山道があるので、道を見失ったらひたすら南西方向に下ってしまえば良い。考えるのが面倒くさくなって南西方向に倒木とアオモリトドマツの猛烈な藪を強引に突破。2日目で予定外の最たる藪漕ぎをしてしまった。踏み跡程度ではあるが明瞭な登山道に無事降り立つ。

尾瀬と鬼怒沼を結ぶ登山道はもっと広くて明瞭なのかと思っていた。ときどき倒木に遮られてその度に続きが見つけられずウロウロしてしまう。名の知られた現役の登山道にしても倒木があると迂回路ができるため道が不明瞭になる。引馬峠へいたる道跡など消えてしまうのは当然のこと。本来目印とはこういう場所につけるものなのである。

黒岩山分岐から鬼怒沼山までの区間は登山道が県境のピークをなぞっているために結構しんどい。おまけに眺望悪し。藪歩きではないので必然的にペースも速くなり、時々休憩しないと疲れてしまう。コザ池沢に向けて下ってしまいたい欲求に駆られたが、せっかくだから鬼怒沼山を目指すこととする。しかし、せっかく登った鬼怒沼山頂は眺望悪く徒労感有り。鬼怒沼が一望できないのであればこういう名前は付けないで頂きたい。三角点の関係上、そういう名前にしてしまったのであろうが、本来ならば鬼怒沼山とは2,141mピークであるべきであろう。

鬼怒沼巡視小屋到達は扉が開放されていて無人。ベンチがあるだけで泊まるには向いていない。あくまで避難用。時期的に枯れた湿原には見るべきもの無し。湿原の向こうに日光白根山がニョキッと姿を現している光景が印象的。

鬼怒沼山にて
鬼怒沼から見る日光白根山


この時間はまだ湿原にハイカーの姿は少なかったが、下る途中で計30名程度とすれ違った。鬼怒沼から一気に600m以上もゴツゴツして湿った道を下るのはつらい。わざわざ鬼怒沼を見るためにあの道を歩くのは御免だ。日光沢温泉からは車道歩きとなる。八丁湯や加仁湯の送迎バスが何台もひっきりなしに往復するが、概ね気持ち良く順調に林道を歩いて帰りついた。


初めて帝釈山地最深部に興味を懐いてから35年以上経過して、ようやくその思いをかなえることができた。天候に恵まれ、紅葉も見事で、夢のような2日間であった。

2005年9月に三峰山岳会の越前屋氏が尾根伝いに引馬峠越えを果たされています。

山野・史跡探訪の備忘録