野門から富士見峠へ(2004年10月)

年月日:    2004.10.24(日)

行程:     野門集落の奥・林道起点の駐車場出発・標高約975m(07:59)〜 廃道から工事用林道に上がる・標高約1,240m(08:38)〜 神社到着・標高約1,330m(08:54)〜 野門沢堰堤建設用資材搬入施設・標高約1,410m(09:15)〜 標高1,480m(09:36)〜 林道終点到着・標高約1,500m(09:51)〜 布引の滝遊歩道分岐点・標高約1,610m(10:06)〜 金冷泉・標高約1,840m(10:30)〜 廃林道に抜ける・標高1,862m(10:58)〜 富士見峠・標高2,036m(12:05)〜 金冷泉復帰(13:20)〜 布引の滝遊歩道分岐点復帰(13:37)〜 林道終点復帰(13:54)〜 車に帰着(15:11)

関連記録@ 2010-08-08 寒沢宿経由で大事沢の滝訪問
関連記録A 2011-07-17 野門沢・布引の滝訪問
関連記録B 2012-10-08 野門〜三界岳〜女峰山〜帝釈山

天気予報では当初、23日と24日は高気圧に覆われ爽やかな秋晴れが望めるとのことであった。この機会に、ある場所に日帰りで行ってみようと思っていたが、事情があって土曜日は結局何所にも行かずじまい。一旦気勢を殺がれるとなかなかヤル気が復活しない。先週ひと勝負かけた反動なのだろうか。おまけに日曜日は曇りの予報。山歩きではなく古道探索に目的を変えて、ウダウダと道路地図を広げて眺めると、野門から富士見峠まで伸びる破線が目に入った。

この破線には以前から着目していたが、栗山村になじみがなくこれまで訪れる機会がなかった。所持していた1999年版エアリアマップ「日光」にも記載されているが、一般登山道としての案内は無い。栗山村からわざわざ日光を目指す人がいるとは思えない。とすると昔何らかの作業目的で作られた林道が廃道化している可能性が高い。富士見峠近くの勾配が大きいところでは道が折れ曲がって高度を稼いでいるので、あきらかに車道のコース取り。ところが、野門近くの急勾配では破線が真っ直ぐで車道とは思えない。長い間自分にとって謎だったこの破線の正体を確認してみようとする気になったのが午前一時過ぎ。この地域の2万5千分の1の地図を所持していない。時間が遅いのでWebで地図閲覧をする余裕もなかった。エアリアマップに載っているくらいだから迷うことはないと思い、準備無しででかけることにした。廃なるものへの関心が自分の山歩きの原動力ということか。もし、地図を持っていたらずいぶんと違った展開になったかもしれない。

日曜の朝、快晴の空を見て眠気がふっとんだ。こんなことなら寝不足覚悟で早起きして当初の予定を決行すれば良かったと後悔したが、もう遅い。観念して野門に向かった。野門は今でこそ主要道路からはずれた山の上に孤立したイメージがあるが、奥鬼怒へ至る現在の車道ができるまでは川俣から上栗山に抜けるには萱峠を越えて野門を経由しなければならなかった。集落の中の道は細い。このまま入って大丈夫なのか不安に思いながら車を進めると、集落奥に駐車場があった。10台程度は停められる。民宿の宿泊客が使用する駐車場ではなさそうで、停めても咎められることはないらしい。その先に舗装林道が続くが、「1.9km先に施錠ゲート有り、一般車通行禁止」、「工事現場、特別警戒実施中」、「行方不明、滑落事故多発」などと書かれた楯看板がある。無用なトラブルを避けるため、ここに車を停めて歩いていく。

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工事用林道の起点から先にも何箇所か車を停められる広場有り。先行者の車が一台停まっていた。標高1,028mポイント近くのカーブに野門集落の水道施設らしきものがあり、その近くから踏み跡が植林地内に続く。ここでエアリアマップを車に置いてきてしまったことに気づくが、引き返す気にはなれない。迷うような地形ではないのでそのまま地図無し登山続行。しばらくは道は明瞭で廃道というほどではなかった。ところが、スズタケが生えるゴツゴツした沢筋で道を見失う。どこかで右側の尾根に上がっていく道があったのかもしれないが気づかなかった。右側も左側も斜面に道跡は無い。適当に枯れ沢を辿っていくと上方に林道のガードが見えてくる。ようやく西側の尾根上に登っていく道跡を見つけて辿ると舗装林道に抜けた。

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車に置いてきた古いアエリアマップ上ではここまで舗装林道が延びていなかった。林道の反対側に旧道の続きがみつからないし、富士見峠まで林道が延びているような気がしてそのまま林道をテクテク歩いていくことにする。林道カーブを過ぎて資材置き場を右に見やって進むと、熊除け鈴を鳴らす先行者が先を歩いているのが見えた。こちらは旧道を辿ってきたので林道歩きに較べてだいぶ時間を稼いだようだ。さきほど登ってきた沢の源頭部に木製の鳥居があったので祠に掌を合わせ安全祈願して再び旧道を辿る。

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神社  08:54


この辺りではスズタケは無く、やや深いミヤコザサのなだらかかな斜面に続く旧道窪みを辿って尾根上に出る。尾根の西側すぐ下に林道が走っているのが見えるが、ここは林道に降りずにそのまま尾根上を辿る。当日はこの辺りから紅葉が盛りであった。コンクリート製の建造物があり、頂部からワイヤーが斜面上方に伸びる。上方にはスキー場で見かけるリフト乗り場のような施設があり、その横の工事用の梯子を登ると標高約1,410mの眺めの良い林道カーブに出た。深い野門沢に巨大な堰堤を建設中で、沢底に資材を運び入れるための施設がある。

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野門沢堰堤建設用資材搬入施設到着(標高約1,410m)  09:15


数年しか持たない堰堤をわざわざこんな道路や施設まで作って建設する意味は無い。大量の土砂が不良資産として山中に溜め込まれるだけである。アユ釣りをするようになって解ったのだが、川はある程度上流から土砂の流入がないと健康状態を維持できない。土砂の流入がなくなると川底が深く削られてかえって浸食が進む。鬼怒川流域ではダムを造り過ぎた結果、上流からの土砂の供給が途絶え、下流域で川床が1〜2m程度下がってしまったという。栃木県は下野新聞でキャンペーンを張って盛んに鬼怒川流域の土木工事の意義をアピールしているが、天井川ではない鬼怒川が氾濫する可能性はまず無いし、ダムに洪水調節機能はほとんど無い。一旦巨大ダムを建設してしまうと、ダムへの土砂流入を防ぐために本支流に砂防堰堤を造りまくる必要がある。生態系もズタズタ。鬼怒川流域のダム建設は後世にツケを回す愚行である。公共事業による土木工事に頼らないと地域経済を維持できないのならば栃木県は麻薬患者と同じ。

林道カーブから再び尾根上の旧道を辿る。2万5千分の1地図では標高約1,410mの舗装林道カーブから先は破線が無い。しかし、紅葉とミヤコザサが美しい尾根の上には旧道跡が明瞭である。

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標高1,480mにて  09:36


林道終点には野門沢の底に第四砂防ダム建設の作業員を運び入れるためのモノレールが設置されている。赤岩山(古賀志山)のパラグライダー滑空施設にあるものと同じである。最大斜度47°とはすごい。ジェットコースターは二度と乗らないと決めているが、こちらは楽しそう。

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林道終点  09:51


林道終点からは布引の滝遊歩道の案内がある。整備されて新しいみたいで歩き易い。ここから約100mほど登っていく斜面には遊歩道の他に行く筋もの古い道形が残されている。試しにこちらを適当に辿ってみたが最後は再び遊歩道に戻る。

布引の滝遊歩道分岐雄大な布引の滝を遠望できる分岐点(標高約1,610m)で遊歩道と別れ、歴史ある富士見峠への道を辿る。ほどなく右手に山ノ神が祀られているので、ここでも安全祈願。さらに細い尾根上を進むと左手に子育地蔵なるものがあり、祠の中にはお地蔵様がある。

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山ノ神  10:07
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子育地蔵  10:16


歩く人が少ないため土壌が失われていない。クッションが効いて歩き易い。尾根が広い緩斜面に変わる所からは針葉樹が鬱蒼とした原生林となる。道筋がややわかりにくい場所もあるが、そういった場所には必ずといって良いくらいに「富士見峠方面」とかかれた標識があるので安全である。

金冷泉なる標示があった(標高約1,840m)。 名前は立派だが、沢に水がチョロチョロ流れているだけ。南西方向が「富士見峠方面」。その反対側に女峰山方面を示す標識があった。

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金冷泉  10:30


地図を持っていないため現在地を把握しておらず、原生林の中で見通しが無いので、女峰山まで簡単に行けるような気がした。一旦はそちらに踏み出してみたものの、踏み跡が見つからないし目印の類も無いのであきらめた。安全第一で富士見峠を目指す。結果的にこれは大正解。金冷泉から帝釈山の山頂まで直線距離にして2kmもあるのである。

一箇所、倒木の枝が邪魔になっている場所があった。鋸を使用して人が潜れるように枝を切り取っていて時間ロス。

標高1,862mポイントで突然開けた場所に抜ける。昔の林道の跡である。これまでの原生林の中の道とは異なり明るい雰囲気。林道跡の両側には笹の替わりにコメツガ、シラビソ、アオモリトドマツの幼樹が無数に生えて覇を競い、路上にはヒカゲノカズラが目立つ。この時点ではまだ林道跡が野門側から登ってくる林道の延長であると思っていた。

最初の1.5q南進する区間は樹林帯の中で見通しは良くない。途中、左側に朽ちて崩れた小屋の残骸があり、ビンビールのケースや一升瓶が幾つも転がっている。昔はここに飯場があったのであろう。もしくは伐採した樹木の集積場であったのかもしれない。

林道は勾配が緩やかな帝釈山の北西斜面を4回大きく折れ曲がって高度を上げる。南に向かう区間では右前方に樹木越しに小真名子山が見え、富士見峠まですぐに到達できるような気がしてしまう。富士見峠まではまだまだ時間がかかるはず。あわよくば小真名子山くらいは登れるかもしれないと期待していたが、富士見峠まで到達することすら怪しくなってきた。日照時間が短くなってきているので午後4時までには下山しないと危険だ。ということは若干余裕を見て正午までには富士見峠に到達したい。

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帝釈山北西斜面  11:43
広大な山域を無残に伐採した跡が残されている。若いダケカンバの木が多いのはその影響であろう。


道路が折れ曲がる場所は勾配が急で一部で崩壊が進んでいる。路肩が崩壊した場所では見晴らしが良く、歩いてきた山域が良く把握できる。富士見峠側の折れ曲がる場所では太郎山が望める。

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太郎山  11:59


旧道は大部分林道跡と重なっていると思われる。林道跡が折れ曲がる区間では交差していると思われるがそれがどこなのかは見当がつかない(2010年時に旧道が富士見峠に接続する最後の区間を確認。)。

時間に余裕が無いせいで、休憩を十分にとらずにエネルギーや水分補給を怠って先を急いだので、左腿の内股が軽く痙攣し続けている。近道したくとも地図を持たぬので危険を冒すわけにはいかない。我慢して忠実に林道跡を辿って富士見峠(標高2,036m)に到達した。名前から想像して見晴らしの良い場所であろうと期待していたが、徳川埋蔵金の伝説がある峠は樹林に囲まれたひっそりとした十字路であった。戊辰戦争のとき、日光東照宮境内に祀ってあった「男体山三社神体」と「徳川家康公の御神体」が戦禍を避けてこの峠を越えて野門に預けられたという。

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富士見峠  12:05


到着した時には無人。小真名子山から下ってくる登山者の話し声と鈴の音が聞える。少し野門方面に戻って日当たりの良い場所で昼食を摂り、滞在時間10分程度でそそくさと引き返す。

長く一本調子の下り。砕石の上を歩くので足裏の疲れも感じる。林道跡歩きをなんとか短縮したい。地図はなくとも道筋が頭に入ったので思い切って林の中を近道した。富士見峠寄りの場所で迂闊に林を下るととんでもないところに行ってしまう。なるべく北に寄ってから下れば林道跡を串刺しにできるし、万が一はずれたとしても斜面の流れに忠実に下れば最終的に林道跡に出会う。林の中には切り株が多数残されており、電気を引くのに用いたと思われる碍子も落ちていた。林道の建設目的は伐採した樹木の搬出に違いない。大きなYUASAのバッテリーが棄てられていたりするので、規律の無い伐採業者だったらしい。もっとも国立公園の原生林を伐採するくらいだから、ゴミを棄てるくらい平気であったろう。

林道跡は登山道との接続点よりもさらに野門側に延びている。このまま林道跡を歩いて下山しようか。しかし、わざわざ「野門・焼小屋方面」と書かれた登山道の標識があるので、この林道跡を辿ると野門へは下れないような気がする。とんでもない場所に下って行き止まりになったら日没までに下山できない。冒険はせずに安全策をとって往路を辿った。この時期、午後一時頃でも日が西に傾きかけると不安になる。

登って来る時に鋸で倒木の枝を切除した場所にさしかかった。倒木の下を潜るのが面倒で左手(西側)の林の中を迂回しようと、道から離れて歩きやすそうなところを下っていった。ところが、どこまでいっても登山道には行き当たらない。どうやら登山道は右に(東側)にカーブしていて離れてしまったらしい。引き返そうと思ったとき、足元にゴミ袋のようなものがあるのに気づいた。かなり古そう。ひっくり返して中身を調べて見ると1〜2名用のテントである。自分が所持しているアライのテントに似ている。落ち葉に埋もれていたのはそれだけではない。折りたたんだシートのようなものが2袋とプラスチックの容器が出てきた。容器から出てきたものは意外にも釣具。がまかつ社の釣り針とサンライン社の渓流釣り用ライン:パワードなどが入ってきたので、所持者が釣り人であったことは間違いない。しかし、何故こんなところに荷物が捨ててあるのかが理解できない。わざわざここに荷物を捨てるはずは無い。場所的に釣り人は野門沢ではなく大事沢を遡行しここまで登山道を探して登ってきたと考えられる。しかし、登山道のすぐ近くまで達していながら何があったのか?ひょっとしたらこの山域のどこかに白骨が転がっているのかもしれない。気味が悪くなってきた。すっきりしない思いを懐いて下山するのは釈迦ヶ岳直下の残雪からテントがはみ出ているのを見た時に続いて2度目。これが遭難だとしたら明日は我が身か?

金冷泉まで下れば道が明瞭なので安心。山ノ神に寄ってみるとお神酒が3本供えてあった。末廣の一升瓶のお酒はほとんど劣化していないので、おいしいお神酒を少々頂いた。ご利益があるかも。

布引の滝遊歩道分岐点復帰。 朝、見かけた人物には結局行き会わなかった。彼は布引の滝に行ったのであろう。布引の滝に行くには数百m下らなければならないらしい。時間が無いので布引の滝訪問は後日の楽しみとして下山。

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布引の滝遠望  13:37


舗装林道終点の先は人の手が入った形跡が無い。つまり富士見峠から続く林道跡は野門から延びているのではなく、南側から富士見峠を越えて下ってきているのである。冒険せずに登山道を辿って良かった。

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残り紅葉  14:02


林道終点から標高1,410mのカーブまでは林道歩き。大事沢でも堰堤工事をしているらしくモノレールが設置されている。標高1,410mのカーブからは旧道を辿って神社に下り、登りに辿れなかった区間も道筋を見つけて標高約1,240mの場所まで近道。ここから舗装林道を歩いてみたが、やけに距離が長い。足元にさえ気をつければ適当に斜面を下ったほうが断然お得。野門集落の水源から導水する管があったのでこれに沿って近道。こんなことを繰り返しながら歩く時間を短縮し、明るいうちに野門に帰着。

距離は長いが静かで歩き易いコースである。明るい時間に行動するのであれば特に危険な場所は無い。日照時間の長い時期に再び野門から歩いて日光の山々に登ってみたい。

<確認した旧道の道筋>

旧道は標高1,028mポイント近くの舗装林道カーブから始まる。ここは2万5千分の1地図の記載と一致。しかし、この後実際に目にし歩いた道筋は地図上の破線とかなり異なる。約200m沢筋を登ると北西方向から上がってくる舗装林道と交差し、次に約70m沢の左岸を急登して再び舗装林道と交差する。その反対側の沢源頭部に木製の鳥居があり、万延元年建立の祠が祀られている。沢源頭部から西側の尾根に向かい、尾根上に出ることなく進路を変えて徐々に高度を上げて地図上の破線路に近づき、標高1,410mのカーブに至る。地形図に記載はないが、カーブから林道終点までは尾根上に存在する。

山野・史跡探訪の備忘録