岬トンネル〜高瀬山〜持丸山〜湯坂峠縦走(2004年11月)

年月日:   2004.11.13

行程:    五十里岬トンネル出発・標高約605m(06:55)〜 尾根分岐に復帰・北緯36度56分30秒,東経139度41分3秒、標高約820m(08:28)〜 送電線鉄塔・標高約860m(09:13)〜 高瀬山山頂・標高1,276.4m(10:40)〜 送電線鉄塔・標高約1,160m(12:02)〜 1,312mピーク(12:28)〜 持丸山山頂・標高1,365.5m(12:50)〜 湯坂峠の切り通し上に到着・標高約1,070m(14:54)〜 MTB利用で五十里岬トンネルに帰着(16:29)

明神ヶ岳から一ツ石に向けて尾根を下る途中で見た横瀬山の姿が印象的で、湯西川と男鹿川に挟まれた山塊に関心を持った。地図上では一ツ石と芹沢の間に破線路があるため、以前から機会があったら歩いてみようと思っていた場所である。当初は、破線路を利用して横瀬山に登れば尾根上を適当に歩いて高瀬山と持丸山に簡単に到達できると考えていた。この地域の詳細な地図を持っていなかったので、国土地理院の地図をダウンロードして繋ぎ合わせてこの山塊の地図を作成。いざ完成した地図を見てみると、予想したよりはるかに山域が広く、当初の往復案では時間が足りない。それならばMTBを用いた周回コースはどうか?持丸山は1,312mピークから往復するとして、高瀬山と横瀬山を通しで歩くことは可能のように思える。国道121号線の新路線が五十里岬を通っているので、五十里岬を出発点として一ツ石に下降するという案には現実味がある。距離的には問題なさそうであるが、湯西川に橋が無いので降雨後には増水した川を渡らなければならないのが難点。あいにく12日まで雨が降っていたので危険を冒したくない。

川を渡らずに済ますには湯坂峠まで行くしかない。しかし、地図には破線路しか示されていない。おそらくこの峠道は使われていないであろうから、夕刻までに安全に下れるという保証がない。平沢側から尾根直下まで延びている林道歩きでは日が暮れてしまうであろうし、車で終点までMTBを運べるかどうかも不明。いったんはあきらめかけた計画だったが、13日早朝にWebで調べたところ立派な舗装道路が平沢と芹沢の間で貫通していることがわかった。この瞬間に縦走の可能性が復活。北西方向にズバッと山塊を貫いて標高の高い峠からMTBで一気に下って戻ってくるコースがとても魅力的に思える。あとは現地に行ってみるまでである。

まず、MTBを湯坂峠に置くために国道121号線を北上。五十里岬トンネル脇に広い駐車スペースを確認して三依に進む。中三依から芹沢へ向かい、そのまま道なりに進むと舗装林道・平沢芹沢線となる。急な斜面に設けられた林道を走って約400m高度を稼いで湯坂峠に着く。13日の栃木県北部の予報は晴れ。しかし福島県の予報は曇り後晴れ。三依や湯西川の天候はその中間であり、この時、峠もどんよりと曇って小雨が降っていた。峠は藤原町と栗山村の境界尾根を切り通してある。尾根に笹は見あたらず歩きやすそうである。芹沢側斜面から道路に降り立つことができることを確認して、次にMTBの置き場探し。平沢側の法面は全て崩落防止のコンクリート擁壁。谷側も勾配が急で、自転車を隠すのに適した場所など無い。しばらく下っていくと旧峠道の尾根が派生する場所があるので、道路から少し下って目立たない場所にMTBを置いた。何も知らない人がみたら不法投棄にしか見えないであろう。

そのまま林道を下って平沢に抜け、下りの道筋を確認しながら出発点に戻った。前日の雨でやや増水してはいるものの、一ツ石辺りで川を渡っても流される危険はないことを確認し、一ツ石へ降下するオプションも確保済み。

五十里岬トンネル横に広い駐車場有り。笹の生えていない落ち葉に覆われた斜面を70mほど一気に登ってトンネル上の尾根に楽に上がれる。藤原町と栗山村の境界尾根上には薄い踏み跡があって、境界見出し標を見ながら順調にコナラ主体の樹木に覆われた尾根を辿る。南側の空はすっきりした青空で、折しも高原山の方角から朝日が境界尾根を照らし始めていた。

確か816mピークの手前だったと思うが、両側が急峻になっている岩場がある。滑落したらどこまでも滑っていきそうで嫌な所であるが、潅木につかまりながらなんとか東側から巻ける。これ以外は特に危険な箇所はない。徐々に尾根上にスズタケが目立つようになると、お約束のマダニが登場。今日もジャケットを着たままとなりそうである。尾根の西側は日陰で暗く、スズタケが生える急な斜面で嫌な雰囲気。五十里湖側の斜面下方でサル達が騒いでいたのでしばし観察。

816mピークから先は尾根のほぼ全てがスズタケに覆われており、スズタケ藪の中に延々と続く獣道を辿る。標高820mのなだらかな場所(北緯36度56分30秒,東経139度41分3秒、標高約820m)で尾根が枝分かれしており、周囲の地形を見定めて先に進んだ。前方には1,222mピークが聳え、辿っている尾根があたかも1,222mピークにつながって見える。ところが尾根は小ピークで二別れし、その先に獣道は無く急降下。右側を見ると遠くに尾根が見えるではないか。登りで慢心して地図も方位も確かめなかったためとんでもない方向に進んでしまっていた。体力的な浪費は少ないものの、約30分のロスが痛い。

慢心したとはいえ、何故間違えたのか?スズタケが繁っていて少し下ったところから派生する尾根が見えなかったためであった。スズタケは進むにつれて丈が高くなる。チシマザサに較べて藪を漕ぐ感じはしないがとにかくマダニが多い。特に登りでは笹の葉が常に顔の辺りにあるので、気持ち悪い。尾根そのものは決して歩き難くはなく、順調に送電線鉄塔に近づく。

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09:13


送電線鉄塔(標高約860m)は笹がなく藪中のオアシスのよう。その先はしばらく巡視路を辿ることができるが、次の鞍部で南側に下っていってしまう巡視路と別れて再びスズタケの藪に突入。しかも全行程中最も勾配がきつい高度差約100mの急登。こんなところでも獣道があって、マダニを気にしながらも笹につかまりながら登っていける。この辺りでポカリスエットの空き缶とお茶のペットボトルを拾った。境界見出し標も目印の類も一切残されていないが、この尾根を辿って高瀬山に登った者がいる。賞味期限の日付を見るとこの秋に捨てたものであることは確かだ。藪山に登るくらいだから相当な山好きだろうが、まさかゴミを平気で捨てる者が栃木全山制覇を目指しているとでもいうのか?

急登後に勾配の緩やかな尾根を北進し、最後はミヤコザサの斜面を西進して高瀬山山頂に向かう。

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高瀬山山頂から明神ヶ岳を望む  10:40


落葉期の高瀬山山頂は明るいブナの林に覆われ、林床はミヤコザサにまばらにスズタケが混じる程度で雰囲気は悪くない。ブナが鬱蒼と繁って良い眺望は得られないのではないかと予想していたが、枝越しに西側に明神ヶ岳が望める。これまで訪れた山の中で、山部さんの山名板が最も似合っていると感じた。明神ヶ岳の正面の姿を拝むという目的が達成されて、やっと明神ヶ岳の明瞭なイメージが形成された。反対側の高原山は樹木の枝が邪魔で写真撮影に向かない。

高瀬山から1,312mピークに向かう尾根は全てチシマザサの藪。目印もあるので落葉期で見通しが良ければ大きく迷うことはない。但し、特に送電線鉄塔から1,312mピークへの標高差約150mの登りは心理的にも体力的にもつらい。

途中で時間ロスしたとはいえ、行程の半分弱のここまで4時間弱を要した。時間に余裕が無いので休憩もせずに北進。高瀬山山頂から北に向かうと途端に植生に変化が現れる。ミヤコザサに丈の低いチシマザサが混じり出し、徐々に丈が高くなって藪となる。高瀬山の登りで一度もチシマザサを見かけなかったし、明神ヶ岳の東側でもチシマザサが皆無なので、この時点ではまだたいした藪にはなるまいとたかをくくっていた。

高瀬山のすぐ北側にある緩やかなピークに向けて歩いていると前方から人の気配。藪中で登山者に遇うのは初めて。どんな御仁かと思ったら最初に女性が現れた。持丸沢の林道終点から高瀬山に向かう途上のご夫婦でした。「高原山探訪の人ですか?」と問われてドギマギ。人前に出られるような格好ではないもので恥ずかしかったです。小生のHPを訪問して頂いているとのことでした。声が嗄れて満足に話せず、お名前も伺わず失礼致しました。

北に進むにつれてチシマザサの丈・密度ともに高くなり前方が良く見えなくなる。1,240mポイント近くでは結構密度も高い。西側にある標高1,200m以上の尾根で強風がブロックされるため、1,312mピークと高瀬山の間は深く積雪すると考えられる。尾根自体はあまり複雑ではなく、天気が良ければ下り斜面で方向修正が可能であり、且つ要所に目印があるので不安はない。ただ藪度が予想以上でペースが上がらないのが痛い。横瀬山に行くなどとんでもない。湯坂峠行きも怪しくなってきた。

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下郷線116号鉄塔  12:02


午前中に1,312mピークに到達することができなかった。送電線鉄塔から見上げる1,312mピークは地図で予想していたイメージよりはるかに高く見える。悲しいことに巡視路は横瀬山の西側の尾根に向かっていく。1,312mピークに向かう高度差約150mのチシマザサ藪の密度はたいしたことはない。しかし、休憩していないことによる肉体的な疲労、長い藪漕ぎによる倦怠感、太陽が既に西に傾きかけているのに遅々として進まない焦燥感で、全行程中最もつらい区間であった。早く先に進まなくてはという思いで、つい藪払いが雑になり強引な歩き方になってしまう。

藪中で大きな動物が走り去った。糞のまとまりから見てカモシカであると思われる。明神ヶ岳ではシカの鳴声がこだましていたが、チシマザサに覆われたこの山塊では一度も鳴声を聞かなかった。シカがいるとしても生息数は少ないようである。

山中泊の用意はしているが、この程度の中途半端な行程で山中泊はしたくない。遅くとも12時半には1,312mピークに到達したいと考えていたので一安心。

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1312mピーク  12:28


1,312mピークで地図上で破線で示されている道と交わるはずだが、それらしきものは見当たらない。チシマザサ藪があるのみ。破線路の湯西川側は尾根上ではなく、急勾配の斜面についている。おそらく一ツ石の住民以外に利用する者はいなかったことであろう。こんな山越えをしてまで芹沢方面に抜けていたということは、現在の車道ができる以前は一ツ石から湯西川沿いに外界に出るのが困難だったのであろうか。その頃細々と利用されていた道ならば、痕跡など残っていなくても不思議ではない。

1,312mピークの下りから持丸山へかけての尾根は西側に遮るものが無いために視界が開けて明るい雰囲気である。風除けがなく積雪が少ないのであろうか、ミヤコザサが主体で歩き易い。これは助かる。

持丸山への最後の登りから再びチシマザサが現れる。持丸山の山頂はただのブナ林とチシマザサの藪。眺望は良くない。持丸山の魅力は途上の尾根からの眺めと雰囲気にある。三角点は笹原に囲まれて2cmほど頭を覗かせている。

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持丸山山頂  12:50


持丸山から湯坂峠方面への下りは、背丈を超えるチシマザサにつる性植物がからむ藪。落葉期でも下る方向を見定めにくい。最初は方位磁石のみを信じてザバザバ笹を掻き分けて標高1,300mまで進出。ここも進むべき尾根が見えないのでわかりにくい。地図も方位も確認せずに勾配が緩やかな方向に少し下ってみた。笹が少なく歩きやすいし、赤紐も見かける(山部さんが登ってきた尾根であることを後で知った。)。100m程度下ってから周囲の地形と方位を確認して自分の下るべき尾根ではなく北東に向かっていることを知る。戻るのがめんどうで、きれいに彎曲して掴まるものの少ない窪みの急斜面を横切った。命の危険は感じないものの一旦滑るとなかなか停まらない。尻が真っ黒になってしまった。

湯坂峠に下る尾根はチシマザサが生えていて決して歩きやすくはない。但し、西側斜面が植林された尾根が下方に見えるので安心感がある。植林地の存在はある程度安全な下降路があることを保証してくれるからである。1,207mポイントから先の進路もわかりにくい。尾根の流れに沿うと北東に下ってしまう。地籍調査のピンクリボンがぶら下がっているから余計にややこしい。またまた谷筋を横切って境界尾根に復帰。ヒノキの植林地の縁に沿って下るのが正解である。笹はほとんどない。

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荒海山   13:34
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大嵐山(左)と土倉山(右)  13:34
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明神ヶ岳


1,112mピークで植林地と別れて境界尾根を北に進む。目的地の峠までは笹の無いスッキリとした尾根が続く。峠まであと少し残すのみで気持ちに余裕があるせいか、境界尾根で最も雰囲気が良く感じられた。この日歩いたほぼ全ての行程で古い大木の切り株を見かけた。昔は写真のような大木に覆われた山域であったと思われる。

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1,112mピーク北尾根にて 14:42


林道平沢・芹沢線の切り通しのひとつ手前の鞍部に境界尾根を横断する旧峠道の細く浅い窪みがあった。平沢側から境界尾根に上がり、しばし北に進んでから芹沢側へと下る。急勾配で冬季は風雪が吹き抜ける蕭蕭たるこの場所を、確かに何百年にもわたって細々と人々が往来していたのである。車道建設で分断されて現在は辿ることができない。樹木に覆われ完全に廃道化している。

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林道平沢・芹沢線の切り通し  14:54
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平沢側斜面   14:55


林道平沢・芹沢線の切り通しの平沢側は法面工事が施されている。下見通り芹沢側から車道に降り立つ。

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林道・平沢芹沢線 湯坂峠  15:06


湯坂峠の平沢側に天保15年建立の道祖神有り。林道建設時に旧道の峠から移したものであろうか。

帰りに気づいたのであるが、MTBを置いた場所は偶然にも旧峠道の尾根であった。MTBでの下りは快適。途中、平沢源流の清冽な流れで顔を洗ってスッキリ。勾配が緩そうなのでここから持丸山に登ることも可能と思われる。

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五十里岬トンネルに帰着  16:29


やや強行軍ではあったものの、首尾良く山歩きを終えることができて心地よい。この山塊を境界線に沿って南東から北西まで縦走してみて、植生(特に笹)の変化が顕著であることが印象的であった。

五十里岬周辺と湯坂峠周辺でこそ境界見出し標または杭を見かけるものの、深山部では何も見かけなかった。この境界尾根を辿るにあたって頼りになるのは地形図、方位磁石そして送電線鉄塔のみである。

山野・史跡探訪の備忘録