松木渓谷から大ナラキ沢左岸尾根経由で三俣山へ(2004年12月)

年月日:  2004.12.11

目的:   三俣山登山

遭遇した動物:  シカ(数え切れない)。

行程: 銅親水公園駐車場出発(07:18、標高約740m) 〜 大ナラキ沢左岸尾根取り付き(09:45、標高約1,050m) 〜 1,828mピーク(11:30) 〜 三俣山(12:30、標高1,980.2m) 〜 シゲト山(13:44、標高約1,835m) 〜 黒檜岳(14:32、標高1,976m) 〜 大平山(15:09、標高1,959.6m) 〜 安蘇沢保安林管理道へ降下(15:55、標高1,356m) 〜 車に帰着(17:33分)

                 

山部藪人さんが栃木283全山踏破行の最後を締めくくるにふさわしい場として残したのが12月の三俣山。三俣山は遠く、どこから目指すにしても容易に到達できる地ではない。道無き尾根の長丁場となるので、健脚且つある程度地図読みができることが最低条件となる。日照時間の短い12月に普通の山歩きの感覚で日帰りで行くのは無理で、山慣れた山部さん、SATOさん、ノラさんなればこそ可能な選択であるといえる。春に太平山に登り反時計回りで三俣山経由で松木渓谷を戻ってこようと計画したことがあったが、この時ですら山中一泊は必至と思っていた。

12月11日は私的に特別な日であり、山歩きを予定していなかった。12月10日(金)遅く退社して翌日の天気予報を見ると、11日はそこそこ良い天気が望めそう。「天気が良いのならでかけてくれば?」という女房の言葉で急遽山歩きを検討。エアリアマップで三俣山へのルートを眺めていたら、三俣山までは行けなくとも来年の山歩きのために松木渓谷を歩いてみようという考えが浮かんだ。

日の短い12月は明るい日中に安全に歩行できるのはせいぜい10時間。暗いうちに林道歩きで時間を節約しても12時間が限度であろう。モミジ尾根は皇海山に登るためのルートであるので、三俣山にできるだけ近い尾根を登って近道する必要がある。取り付きの勾配が緩やかで途中に岩場が無く且つ三俣山に最も近い尾根として着目したのが、大ナラキ沢左岸から1,828mピークへ続く尾根であった。

松木渓谷の道路歩き:1時間、ゴーロ歩き:1時間、松木渓谷から1,828mピークまでの尾根登り:1時間、三俣山まで県境尾根歩き:1時間、往復計8時間というのがいつものいい加減な予測。最初と最後の道路歩きは暗くても安心なので、残りの行程を10時間かけて歩けば良い。つまり4時間の余裕がある。三俣山行きが急に現実味を帯びてきた。ひょっとしたら283全山踏破のお祝いに駆けつけることができるかもしれない。しかし、そんなに簡単ならもっと多くの人が登っているはず。うまくいかない場合は、正午を撤退の目安とする。今回はエアリアマップ山と高原地図13「日光」1999年版のみ携行。

銅親水公園から5:30に歩行開始するには移動時間を考慮して3:30頃には起床しなければならない。しかし、連日の寝不足と疲れで早起きは到底無理。4:30に起き上がることすらできなかった。5時過ぎに娘がゴソゴソと卓球部の大会に行く準備を始めたので目が覚めた。普段なら足尾行きをあきらめて一日寝ているところだが、今日は独り勝手にお祭り気分なので、1時間半遅れで自宅を出発。銅親水公園に到着した時、既に車が2台停まっており、2人連れの登山客がゲート方面に歩いていった。

07時18分 歩行開始(標高約740m)      先行者に遅れること数分でこちらも出発。 松木渓谷方面には先行者の姿が見えなかったので、彼らは久蔵沢方面に向かったものと思われる。

太平山から長く伸びた尾根の先端を回りこんで、松木渓谷に踏み込む。山肌が黒い砂に覆われている場所がある。中倉山から見下ろした時、山がここまで崩壊するものだろうかと疑問に思ったものだ。この黒い砂は何だ?山肌の岩を見る限りでは砕けても黒い砂ができるとは思えない。後で調べたところ黒い砂の斜面の正体は銅鉱石を製錬して残った鉱滓(゚:カラミ)を大量に投棄した跡であった。上岡健司氏(元足尾町会議員)の資料等をまとめるとこうなる。

古河市兵衛が1877年(明治10年)足尾銅山を買収し急速に銅生産を拡大。銅鉱石から溶かしだしたハ(カワ)から硫黄分を除去する過程で高濃度の亜硫酸ガスが発生する。硫酸化設備がなかった時代は亜硫酸ガスを煙突から放出するのみ。谷間を流れる亜硫酸ガスは足尾一帯の草木を枯らし、土壌が酸性化して農作物に被害が発生するようになる。今の足尾ダムの上流にある3つの谷にはそれぞれ村があったようで、久蔵村と仁田元村は1885年(明治18年)に早々と古河と示談に応じた(いつ廃村となったのかは不明。)。

松木渓谷の道路は元々は上流から製錬の燃料及び坑木として木材を上流から運ぶために作られたようである。群馬県の木材を六林班峠を越えて庚申渓谷を経て運んだり、遠く高原山からも木材を運んでいたくらいだから、松木渓谷上流の森林が乱伐されたことは想像に難くない。

乱伐に1887年(明治20)年の山火事が追い討ちをかけて森林の荒廃が一気に進んだ。松木村は農業が壊滅し住民に健康被害が出るに及んで、1901年に一戸を除いて4万円で古河に土地を譲渡して廃村となった。以降、松木村跡地は大量のカラミの投棄場所となる。

森林が失われて山の保水力がなくなると、降った雨が一気に流れ下り、カラミから出る鉱毒を下流に押し流す。渡良瀬川下流の漁業は勿論のこと、広範囲に農業被害が出た。公害訴訟の中、銅生産を最優先する明治政府は谷中村を強制的に消滅させて渡良瀬遊水地を作った。明治政府は治山事業を推進したものの、亜硫酸ガス対策のないままの植樹は焼け石に水。土壌流出と崩壊に歯止めがかからなかった。久蔵沢保安林管理道の横に明治42年の治山記念碑を見ることができる。

荒涼とした松木村跡を抜けて大ナギ沢を越えてしばらく進んで林道終点となる。その先にも堰堤建設当時に用いられた車道跡が続くが荒れている。道路はずっと左岸側についているが、オロ山から流れ下るウメコバ沢を対岸に見る辺りからは道が無くなりゴーロ歩きとなる。谷の隘路ともいうべきところでは谷奥から吹き抜ける向かい風が強い。一旦右岸に渡渉し、6番堰堤下で再び左岸に渡渉。6番堰堤の上流側は再びゴーロ歩きで何度か渡渉する必要がある。本来はやるべきではないが、足を濡らしたくないので飛び石で渡った。目的の大ナラキ沢左岸尾根に至るまで取り付けそうな場所はない。

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松木沢から見る皇海山  09:22


09時45分 大ナラキ沢左岸尾根取り付き(標高約1,050m)     皇海山が谷間に姿を見せると程なく、川が南に向けて折れ曲がる場所に至り、左岸側に目的不明の人為的な石組がある。モミジ尾根に行くには川沿いに歩くが、今回は石組のところから大ナラキ沢左岸(東側)の尾根に取り付く。ゴーロにはシカの足跡があった。おそらくこれから登ろうとしている尾根を伝って県境尾根と行き来しているに違いない。その予想通り、尾根に取り付くやいなや警戒音が鳴り響いて数頭のシカが上に移動していく。

大ナラキ沢左岸尾根は笹が食い尽くされて土壌が剥き出しのやや急な斜面だが、ミズナラとリョウブにしっかりと覆われて土壌流出がなく登り易い。樹間に皇海山と鋸山を眺めながら登っていける。300m以上急登して見晴らしの良い丘陵に至る。

10時11分 尾根中間の丘到着(標高約1,390m)     ゴーロ歩きと飛び石で渡渉できる場所探しに時間を喰ってしまったので、遅れを取り戻すべく一気に登ってしまった。ここは松木渓谷の奥地とは思えない日当たりの良い広い丘である。太平山を眺めながら休憩し、今後のルートを確認。

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黒檜岳(中央奥)と太平山方面  10:11 


シカの尻を眺めながら丘陵から鞍部に約20m下る。なんとなく巣神山に登る途中にある草刈スキー場跡の雰囲気に似ている。鞍部から1,828mピークに向けて残り約450mを一気に登る。登るにつれて徐々に矮小な笹が見られるようになり、標高1,640m付近では膝丈程度の美しい草原状の笹原となる。逆光気味になるが、皇海山を筆頭に鋸山、庚申山、オロ山の眺めが良い。景色も尾根の雰囲気も最高。

登りの尾根の一光景  10:55
皇海山  10:56


皇海山の頂上部にかかっていたガスも消え、抜けるような青空となり不安は無い。ところが心肺には余裕があるのに脚が思うように動かなくなった。ゴーロ歩きと渡渉、そして水分補給せずに一気に登ったことで筋肉に疲労が溜まり、少し無理をすると腿やふくらはぎが攣る。時間はどんどん経過するが脚の具合に合わせてゆっくり登るしかない。そもそも標高差800mを1時間で登れるはずがなかった。

この頃から、正午までに三俣山に到達できない場合の代替案が頭に浮かぶようになる。暗くなってからゴーロを歩いたり川を飛び跳ねるのは御免だ。三俣山まで行ってしまえば起伏の少ない尾根伝いに太平山まで縦走して安蘇沢保安林管理道に下るほうが安全に思える。松木渓谷からモミジ尾根を登り三俣山経由で太平山から下るというコースは6月に烏ヶ森の住人さんが歩いた実績がある。太平山から安蘇沢保安林管理道までの下り:1時間と見込んで、太平山に午後3時に到達できれば日帰りできる可能性がある。

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標高1,670m付近から三俣山を遠望  11:06
中央右側に突き出ているのが三俣山、左手前にあるのが1,847mピーク、その左の鞍部が釜北コル。この写真を撮影した時点では簡単に到達できそうな気がしたのだが、ここからのアップダウンが予想以上にきつく、脚に疲労がたまっていたこともあって山頂まで1時間半近く要した。


尾根を登り詰めると奇怪な岩峰が並ぶ場所に至る。岩と岩の間から皇海山と県境尾根が見えるので、まだ1,828mピークに達していないことを悟った。西側の切り立った地形が「釜」と呼ばれるものであろう。皇海山や庚申山は約100万年前に形成された第四紀火山だが、松木川から西ノ湖にかけての山地は一億年以上前に形成された深成岩らしい。釜が爆裂火口跡なのかどうかについては情報がなく判らない。1,828mピーク手前の稜線には奇怪な岩峰が並んでおり、岩と岩の間から西側(釜側)が鋭く切れ落ちている様子が確認できる。1,828mピークからは県境を示す赤い標識を見ながら県境尾根を北へ進む。

11時30分 1,828mピーク到着)      県境尾根はコメツガの林である。明瞭な道は無いが単純な尾根であり、県境を示す標識もある。行動できる時間が短い時期に奥遠い場所に来たという緊張感はあるが、時間切れになればテント泊すれば良いので不安はない。群馬県側が良く見えるが、近くに特に目立った山は無い。積雪は数cmで歩行の支障とはならなかった。冷たい西風が吹き寂しい場所であると感じた。

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三俣山と白根山方面  11:33


釜北コルへの下りは雪を被ったやや深いミヤコザサの斜面である。ここを登って戻ってくるのが嫌になって、ますます周回案に気持ちが傾く。釜北コルも笹原だが、獣道程度の道があるので歩き易い。

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釜北コルから見る松木沢方面  11:44


1,847mピークへは木につかまりながらの急登りとなる。1,847mピークによじ登るまではよかったが、1,847mピークから三俣山までは延々とミヤコザサを分けての登りが続く。三俣山までの笹尾根の長い登りがとてもつらく感じられた。これは烏ヶ森の住人さんの経験と一致する。気温が氷点下であまり発汗せずに済むので助かる。気温が高かったらもっとハードな歩きになっていたであろう。

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栃木・群馬県境尾根  12:16


三俣山南面もまたシカの生息数が多い。山頂までずっと警戒音が鳴り響いていた。シカがいるということは三俣山アタック隊は来なかったということなのだろうか?誰もいない山頂に近づくと本日掛けられたばかりの山名板が見えた。

三俣山山頂  12:30
       

12時30分 三俣山山頂到着(標高1,980.2m)     山頂は針葉樹に覆われており、西側(群馬県側)を除いて見晴らしは良くない。山頂に人の姿はなく、雪上に真新しい足跡が残されていた。この日設置されたばかりの山名板が、三俣山アタック隊(山部さん、SATOさん、ノラさん)の足跡であることを示していた。

山頂の20cm程度積もった雪上に新しい足跡が残されていた。山部さん達には会えなかったものの、三俣山山頂を踏めて満足である。時間が無いので感慨に浸っている余裕はない。倒木に腰を下ろして5分程度で軽く食事を済まし、足跡を追って北へ向かった。三俣山北側が最も積雪が深かったが、足跡を辿るので楽である。足跡は黒檜岳から来て三俣山に立ち寄り宿堂坊山へ向かっている。地図を見て納得。三俣山アタック隊は西ノ湖へ向けて周回したと思われた。

三俣山からは遅れた時間を取り戻すべくほぼノンストップで早足で歩く。修験者にでもなった気分である。眺望の良い尾根ではないものの歩き易い。10cm程度の積雪の上に足跡がついているので、余計なことに気を遣わずに済む。

13時44分 シゲト山到着(標高約1,835m)     エアリアマップでシゲト山の近くに記載されている標高は1,919mピークのみ。よって、てっきりこれがシゲト山であると思い込んでいた。道が屈曲してまもなく、予期せぬシゲト山の山名板が現れた。たいして特徴の無いこの一帯がシゲト山と呼ばれるようになった所以は何なのだろうか?

シゲト山  13:44
       

シャクナゲ・コメツガの藪尾根を抜けると雨量観測所のあるピークに抜けた。西側から見るとこのピークしか認識できないが、その東側にダラダラとしたピークが続く。

14時32分 黒檜岳到着(標高1,976m)         黒檜岳というからにはネズコが繁っていると思い込んでいた。しかし、コメツガ林に覆われて黒く見えるにすぎない。暗くてこの時期の午後には長居したくない場所である。烏ヶ森の住人さんが同日朝7時にここに立っていたとは想う由もなかった。分岐点から移設されたばかりの山部山名板を前にして写真を撮ろうとしたらバッテリー切れ。急に出かけることにしたので予備のバッテリーも充電していない。写真をあきらめて先を急ぐ。

足跡は千手ヶ浜から黒檜岳に登ってきていたので、分岐点から社山方面は雪上に足跡無し。だだっ広いコメツガ林の尾根を南進すればよい。標識が有り、道型も認められるので歩き易い。コメツガ林を抜けると見覚えのあるダケカンバの明るい疎林に出る。ここからは太平山に向けて笹原の中を南西に向かう。一度歩いたことがあるので安心である。脚の方は限界に近く、太平山の緩い登りでもつらい。ここもシカの警戒音が延々と響き渡っていた。

15時09分 大平山到着(標高1,959.6m)         三俣山から太平山まで、遅れた時間を取り戻すためにまるで修験者の早駆けのように休み無しで歩いた。頑張った甲斐あって、安全に下山できる目安としていた午後3時に遅れること約10分で太平山到着。この先は経験済みのコースである。遅れをほぼ挽回したことで、最後になってやっと気持ちに余裕が生まれた。南東尾根に下る屈曲点まで下り、三俣山を発って以来初めて腰を下ろして南東尾根と遠くの山並みを眺めながら休憩。

太平山の南側に広がる光景は何度でも見てみたいと思わしめる。西に傾いた陽光の中で一面の笹原とダケカンバが織り成す尾根の雰囲気は感嘆に値する。黒檜岳で痛恨のカメラバッテリー切れとなったが、なんとかこの景色を写真に収めようと、バッテリーを手で温めてかろうじてこの日最後の一枚を撮った。

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太平山からの下り  15:20


見下ろした尾根にはシカ道が走り、群れがのんびり移動している様子が見える。遠くから尾根上に向かって走ってきた1頭が気づき慌てて引き返していく。警戒音が響き、異変に気づいた群れに緊張が走る。ほとんどのシカは敵がどこにいるのか判らずオロオロするだけ。立ち上がって「ホーイ!」と声を出すと一目散に走り下っていく。この日の尾根歩きは最初から最後までシカの尻を追っていたような気がする。

15時55分 安蘇沢保安林管理道へ降下(標高1,356m)     夕方、既に安蘇沢保安林管理道は日陰になってひんやりとしている。このまま松木渓谷へ下ってしまいたいところだが、安全策をとって夕日に照らされた山並みを眺めながら林道を歩いていくことにした。途中でとっぷりと暮れてしまったが整備された林道なので不安はない。ヘッドランプを点けることもなく暗闇を歩き、17時33分無人の銅親水公園駐車場に無事帰着した。

首尾良く周回できたものの、最高の条件下で肉体的にかなり無理をして達成した山歩きであった。日照時間の長い時期ならば時間に余裕がある反面、気温が高いのでペースが落ちる。松木川の水量も増え渡渉に注意が必要であろう。烏ヶ森の住人さんのように16時間も行動できる超人は別だが、基本的には一泊前提でゆとりを持って歩くコースであると思う。

山野・史跡探訪の備忘録