両ノ手山尾根縦走(2005年2月)

年月日:    2005.02.13(日)

遭遇した動物:  猿の群れ(川中島にて)

行程:     鹿沼日光線・土砂採取場跡地から歩行開始(10:49)〜 641.5mピーク(11:28)〜 両ノ手山・標高928.1m(12:55)〜 954mピーク(13:40)〜 896mピーク(14:35)〜 871mピーク(14:59)〜 川中島へ帰着・標高約463m(15:55)

連休3日目は冬型の気圧配置が緩み風が収まる一方で、午後から曇るとの予想であった。車に給油しなければならないのでGSが開くのを待ってでかけることとし、朝ゆっくり起きた。予想より天気がよろしい。氏家は周囲の低台地以外に山が無く栃木県の中心に近いので、地理的にも地形的にも栃木県の山々を最も多く一望できる場所である。県北の山々が澄み渡り、明神ヶ岳がまるで近の山の如く鮮明に見え、さらに奥には深く積雪した黒岩山が美しい姿を現していた。

本日の行き先は六郎地山の南の山塊である。地図上に山名はない。写真も無い。石裂山(月山)や鶏鳴山から眺めたことがあるはずなのにどんな山なのか思い出せない。唯一、川中島から南西尾根を辿って六郎地山を縦走したときに北側半分を眺めたイメージがあるのみ。六郎地山の尾根に較べて凸凹していて急峻で、容易に近づける場所には見えなかった。いつかは辿ってみたいと思ったものの、懐が深く麓から主稜線が見えないので地図に表されない岩場があるかどうか判別できない。しかも縦走するとなると距離が長い。こんな訳で長らく行くのをためらっていた山域である。

翌月曜日のことを考えるとあまり長丁場は好ましくない。よって、出発点は鹿沼日光線の峠とし、六郎地山南西尾根を下って川中島へ抜けることとする。まず、出発点の下見に向かう。今回もMTB利用の尾根縦走なので、峠の最高点を出発点にすると一度は峠まで歩いて上がらなければならない。車の往来が多い車道歩きを避けたいので、峠まで行かずに手前の土砂採取場跡地から641.5mピークへ上がることにする。

MTB利用の縦走では、ほぼ100%尾根を登る方向に歩く。途中撤退したときのことを考えると基本的には標高の低い出発点に車を置いたほうが安心である。しかし、駐車場の存在とMTBの隠し場所の関係で標高の高い下山予定地に車を置く場合もある。土砂採取場跡地の入り口にはロープが張られていて車を停めることができないので、今回は下山予定地である川中島の住居跡地に車を停めることにする。まず、荷物を土砂採取場跡地に置いて車で川中島に向かい、空身でMTBを駆って出発点に戻る。今回は縦走できるという確証が無い。崖で進路を断たれた場合は車道を歩いて川中島へ戻らなければならない。その場合は車道歩きが長いので、時間的に撤退する見極めが重要なポイントとなる。

前日(土曜日)は終日家にいて体を休めていた。それなのに歩き始めから左足の足裏に嫌な疲労感有り。このまま歩き続けたらどんどん悪化して腱が切れるのではないだろうかという不安がよぎる。川中島手前の白井平で犬に吠えられたので、途中撤退して車道を歩いて川中島へ戻るのは避けたい。まず、土砂採取場跡の奥からスギの植林地を登って641.5mピークの南尾根の上を目指す。

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10:49


伐採・収穫したばかりで見晴らしが大変よろしい。ひんやりした空気に澄み渡った北の空。北側に鶏鳴山、さらにその向こうに美しい高原山を眺めていて、近くにでんと聳える植林の山が笹目倉山であることにようやく気づいた。

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笹目倉山(遠くに高原山)  11:20


太陽の方角にごく薄い雲がかかって日差しが柔らかく、2日前とはうってかわってそよ風が気持ちよい。こんな良き日に途中撤退して犬に吠えられてたまるか!何がなんでも歩き通してやる。

641.5mピーク南尾根に上がるまでは急登だが、一旦尾根上に上がると快適な歩きになる。何故か三角点が見つからず。641.5mピークからの見晴らしは良いが、次のピークが邪魔でその先の稜線の様子は判らない。稜線部までスギ・ヒノキが植林されており、藪は無く、うっすらとした踏み跡があって歩き易い。

696mピークの一つ手前でようやく山塊の核心部を視界にとらえた。主峰の928.1m峰はどっしりとした植林の山である。大きいが故に間近に見える。さらにその先にある最高峰の954mピークも見える。この2つのピークを同時に撮影できる場所はここ以外にはない。北東側の斜面はほぼ100%スギ・ヒノキの植林地帯である。つまりこの山塊は少なくとも954mピークまでは北東側のどこからでも登れることを意味する。途中撤退の可能性を考えると北東側に車を停めたほうが良さそうだ。

696mピークはヒノキ中心の植林の山で眺望無し。928.1mピークまでは約250mの緩い登りだが、稜線には2つの小ピークがあり、大岩が鎮座していたりして退屈しない。石裂山のように危険な場所はなく、笹目倉山のように植林された急斜面の単調な登りでもなく、自分の好みに合っている。

標高928.1mの三角点峰のR.K.氏の山名板を見て「両ノ手山」なる名前があることを知った。南西麓の両ノ手地区の山なのであろうが、人が訪れている気配はなかった。山頂に石祠の類は無く、植林以外に人の関わりは薄そうである。長い尾根が南西に伸びているので、縦走目的でなければ両ノ手地区から南西尾根を辿るのが良いと思われる。

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両ノ手山にて  12:58


両ノ手山から954mピークまでは危険箇所無し。南西側の傾斜の急な場所は植林されていないので、周囲を伺いながら尾根を辿れる。北西側斜面は植林されておらず、夕日岳が望める。一部でやや若い植林地帯で枝払い・間伐がされておらず歩きにくい。雪の上にはカモシカらしき足跡が続く。

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954mピーク方面(遠くに夕日岳)   13:16


尾根の最高峰である954mピークに名前はないらしい。麓からは見えないこの山は地元の人との関わりが薄かったのであろう。保安林の標識があるのみ。

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954mピークにて  13:42


尾根の雰囲気が954mピークを境にガラッと変わる。尾根は痩せていて、左右は急斜面で植林されていない。ヤシオツツジが楽しめそうである。954mピークを西に下る途上に眺めの良い場所有り。

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954mピークからの眺め  13:46


この後に急降下となる。崖というほどではないのだが、足元に谷底が見えるというのは嫌なものである。一応掴まるものがあるので登り降り可能。こんな場所でも稜線の住人であるカモシカは余裕で歩いているようだ。

896mピーク手前には尾根が屏風のようになっている場所があって巻くことができない。積雪した狭い棚にカモシカの足跡が続くが真似する気になれない。高さはたいしたことはないので岩場の上をテクテク。896mピークへの最後の登りも地図からは読み取れない急な斜面である。真っ直ぐよじ登ったほうが良いかもしれない。勾配の緩い尾根に移ろうとして獣道を辿って左側に巻いて怖い思いをした。落ち葉の積もった細い獣道を一歩踏み外したら数十m滑落してしまう。

896mピークまで来ればもう安心。緊張が解けて足の痛みを再び意識するようになった。まだまだ山深い場所だが、急勾配は少なく、植林されている場所が多いのでいざとなったら何とでもなる。

確か847mピークの手前だったと思うが、崩れた石祠の残骸が2基ある。重い石祠を運び上げて真摯な想いを表し、永久の加護を願ったものであろうが、それはかなわなかった。建立の年代は不明であるが、石祠といえどもいずれは確実に風化し崩れ消えていく。人々の信仰心の風化はさらに激しい。世代を経て同じ想いを伝えていくことは不可能に近い。今見ている石祠の残骸は、長い歴史のほんの一コマに過ぎない。己の存在はもっと卑小だ。死んでから50年も過ぎればその存在を覚えている者などいないし、それで良いと思う。自分の名を後世に残して何の意味がある?人間は生きて後世のために役立ってそして消える。どうして廃なるものに惹きつけられるのか今まで理解できなかったが、ほんの一時だけ存在して廃れ消えていくのが世の本質でありそこに自分の姿を見ているからなのかもしれない。

847mピークからの下りにも石祠がある。一つは崩れ、もう一つも崩れる寸前。北東側を向いているので川中島の住民が建てたものではないだろう。

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14:48


1993年に下野新聞社が発行した栃木県市町村地図の日光市のページに川中島と西小来川・菅沢の間に「上道陸神峠(おそらく読みはカミドウロクジン)」の記載がある。峠の両側の地形を見る限り847ピーク付近にあったと思われる。847mピーク付近にある石祠が北東を向いているのはそのためなのかもしれない。地図上から破線すら消えた峠道があったのである。

871mピークへの登りからは六郎地山の南側の雰囲気に似てくる。871mピークを下り、凍てついた急な植林地を急登して860m級ピークに上がった。この瞬間に641.5mピークから大木戸山までの尾根歩きがつながった。860m級ピークの北側に川中島を向いた石祠があるはずだが、詣でずに南西尾根を下山開始。一度歩いた場所なので安心。稜線に道は無いが単純な尾根であり黄色い境界杭もあるので下りやすい。

川中島の「鍋ヶ沢滝」・「三蔵滝」の橋が架け替えられていた。渕にはまあまあの型の渓魚が数匹。西大芦川漁協がわらび平橋まではヤマメを放流しているので、おそらく天然ものではない。解禁一日目で釣りきられてしまうのであろう

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川中島に帰着    15:56


山野・史跡探訪の備忘録