残雪の釈迦ヶ岳(2005年4月)

年月日:    2005.04.17(日)

行程:     歩行開始・標高約800m(05:55)〜 前山到着・標高1,435m(07:28)〜 釈迦ヶ岳山頂・標高約1,794.9m(08:55)〜 前山復帰・標高1,435m(09:56)〜 車に帰着(11:26)

月曜日に疲れを残さないために日曜日はあまり無理をせず軽めに歩きたい。遠出もしたくないので、近くで人が少ない場所として思いついたのが高原山であった。2003年秋以降登っていないので久し振りに登ってみたい。初めて残雪を踏み締めて釈迦ヶ岳に登ったのが1999年4月3日。この時は誰も訪れた形跡はなかった。日付としては2週間遅いが、今年は積雪が異常に多いから静かな山歩きに丁度良いのではないかと期待した。

明け方、さくら市氏家から塩谷町まで濃い霧に包まれていた。前日の降雨で湿度が高く、朝方の放射冷却で一気に霧が発生したのだ。こういう場合、清澄度はあまり高くなくても快晴が約束されたようなもの。安心して高原山を目指す。毎度のことながら朝早くから藤原宇都宮線(県道63号)を走る車が多い。たいていは西古谷湖に行く釣り客と東荒川湖畔に尚仁沢湧水を汲みに行く連中であり、東荒川湖を越えて先に進む車はほとんどいない。土上平放牧場に向かう道に入り、途中で右折して林道黒沢線を進み、黒沢の荻の芽橋を渡ってすぐに左折して尚仁沢へ向かう。予想に反して雪は全く無く、舗装林道に荒れたところ無し。木苺の張り出しも無く、安心して進んでいける。程なく、尚仁沢を見下ろす峠に出た。ここが歴史ある権現沢(尚仁沢)右岸尾根コースの入り口である。

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登り口(帰りに撮影)  11:26


1999年に初めて訪れた時は、歩く人の絶えた登山道の入り口は藪化して識別できない状態であった。2003年秋に守子神社の再建に伴い笹刈りされたことは把握していたが、なんと今年は法面に梯子がついている。笹刈りは昨年も行われたようでとても歩き易い。道の整備に伴い歩く人も増えたようで良く踏まれている。登山道にはたくさんのカタクリが生えていて、蕾を開かんとしていた。

尚仁沢から上がってくる不明瞭な道と合流する付近で太い倒木が道を遮っていたはずだが、片付けられて影も形も無い。一年も経つとそれなりに変化が生じるものだ。鬱蒼とした天然ブナ林の中を快調に進み、守子神社を過ぎると徐々に勾配がきつくなる。この付近が高原山で最も手付かずのブナ原生林が残されているところだ。ちょうど朝の野鳥のさえずりが最高潮を迎えたところで、ウグイスをはじめいろいろな鳥の声が聞える。これにキツツキの木を穿つ音と、シカの警戒音が混じる。

守子分岐を過ぎてしばらくすると残雪が現れた。前日の降雨と朝の冷え込みで雪はかなり締っている。裏が磨り減った安物の登山靴では滑る。前山の急斜面は全て残雪に覆われていた。1999年は腐れ雪で滑って笹につかまってやっと登ったのであるが、今年は雪が締り過ぎて少し緊張する。軽アイゼンを持ってくればよかった。

前山から先、残雪に2、3名分の足跡が残っていた。形がはっきりしているので、前日に釈迦ヶ岳林道終点から釈迦ヶ岳まで往復した人達がいたらしい。前日土曜日は一時雷が鳴るくらい天気が悪かったはずだが・・・。

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前山から見た釈迦ヶ岳  07:40
前山は若いダケカンバに覆われて見通しは良くない。落葉期になんとなく釈迦ヶ岳の姿を確認できるだけ。前山から一旦下ってイラモミの天然林へ向かう途上で太いツツジの木に登って撮影。


前山から先は雪の残っていないところはほとんどなかった。ほぼ登山道に沿って残雪の上を適当に歩く。釈迦が岳や中岳が近づくと、コメツガに雪が被さっているのが見える。一旦雪が消えたはずのミヤコザサにも雪が積もっている。前日の雨は標高1,600m以上では雪だったのである。樹氷で飾られた山頂を見たことはあるが、残雪でアクセントが付いた光景もなかなか良い。

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08:09


数本のイラモミが立つ場所より上はまだ冬の様相で、雪の量が多い。中岳への縦走路に出るまでは斜面を斜めに横切るので、滑落しないように気を使う。縦走路に出ると爆裂火口壁が荒々しい鶏頂山の姿が見える。川治から見る鶏頂山は異様に大きな坊主頭みたいだが、ここから見た姿はすっきりしていて良い。雲ひとつなく晴れ渡り、福島との県境尾根や会津駒ヶ岳までもが見えるものの、予想通り清澄度はいまひとつ。山頂でゆっくりして清澄度が上がるのを待ってみようと思った。

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釈迦ヶ岳直下から見る中岳・西平岳  08:48


山頂に人影が見えないのでしめしめと思ったが、頂上手前20mで山頂に男性登山客の姿現る。1人かと思ったらとんでもない。10名近くいた。どうやら鶏頂開拓方面から登ってきたらしい。自分の感覚では鶏頂開拓方面から登るのは裏口入学みたいなもの。山は自分の物ではないが、タッチの差で一番乗りを逃し、自由に眺めを堪能する機会を逃したことがくやしい。

登山していることは同じでも、パーティを組んで登山する人間は自分と全く異質の存在だ。自分が日常の全てから自分を解き放つために単独で山に入るのに対し、彼らは仲間との交わりを求めて山に登り、日常の生活の一部を山に持ち込んでいる。山歩きウェアもばっちりキメて、藪歩き乞食スタイルの当方とは対照的。特に、残雪期にこんなところに来る団体の登山者は普段の山歩きでは飽き足らなくなった人達で山歩き歴自体は豊富だから、自分たちの常識に当てはまらない若造(でもないのだが)に対して見下したような態度になる。

自分と異質の集団と同じ場所を共有するのは実に居心地が悪いものだ。今回は特に相手が悪かった。少し離れて景色を見ていたら、いかにも山慣れしてそうなオバハンが大きな声で「ワカンの紐が解けて垂れてますよー!」と何度も呼びかける。親切心で言っているのではない。周りに聞こえるように「ファスナーが開いてるよ!」とか「お尻破けてるよ!」とか言うようなものだろう。きちんと束ねるのが面倒くさいからベロンと垂らしているのだ。これは俺のスタイルであって変態行為ではないぞ。誰にも迷惑をかけていない。余計なお世話ってもんだ。著しく気分を害したので即退散。山頂滞在は3分程度。撮った写真は前黒山1枚のみ。今回を含めて5回登っているが、最悪の登頂体験となった。

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釈迦ヶ岳から見るスッカン沢最奥部  09:00
塩原火山のカルデラに出来た中央火口丘。その背景が男鹿山地
右端の1,700mピークから左端の明神岳西峰までが、スッカン沢最奥部の馬蹄形の壁を形成する。


中岳・西平岳方面も剣ヶ峰方面も雪庇が嫌らしく行く気になれない。同じルートを戻ったのだが、残雪は急速に緩み始めていて、歩くにはちょうど良かった。中腹で休憩して一気に前山まで下った。

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前山分岐点   09:56


前山で往路を戻るか、釈迦ヶ岳林道終点を経由して守子分岐に復帰するかどうか考えあぐねていたら、権現沢右岸コースを1人の年配の男性が登ってきた。「私も今朝こちらから登ってきたんです。」「車を見なかったけどどこに置いたんですか?」「林道黒沢線から尚仁沢林道への連絡路の峠からです。」「道理で。私は尚仁沢の奥に停めたんです。」。その登り口を知っているなんてかなりの通である。数年前の消えかかった登山道の様子とは見違えるくらい整備されたこと、前山の登りはつらいけれども栃木県でも有数の手付かずのブナ原生林がこのコースの最大の魅力であること、足尾銅山の製錬のために樹木を伐採したため栃木県では天然林が少なく高原山も例外ではないこと、今日は足慣らし目的で訪れたこと等、嗜好や認識が共通で話が弾んだ。矢板市在住の方で、山岳会には属しておらず単独行が多く、春は残雪歩き、夏は高山植物を愛で、秋は藪も歩くとのこと。既に群馬百名山は達成し、栃木百名山も藤原の4座(持丸山など)を残すのみ。知識も経験も私の比ではない。最近は南会津に行くことが多いそうで、お薦めの山を幾つか教えて頂いた。確かめはしなかったが、この方は2003年初冬に前黒山〜明神岳〜鶏頂山を縦走した際に遇った人物と同じであると思われる。

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(帰りに撮影)   10:43


尚仁沢林道を走って県民の森を抜けて帰宅。久し振りの高原山訪問で現況を視察できたのが収穫であった。

山野・史跡探訪の備忘録