番屋から土倉山、黒峠山(2005年4月)

年月日:   2005年4月24日

行程:    番屋・戸倉沢左岸の四等三角点・843.8mから歩行開始(05:04) 〜 1,479mピーク(08:16) 〜 (09:20)土倉山山頂・標高1,559.8m(09:20) 〜 1,549mピーク(11:25) 〜 連絡尾根下降点(11:51) 〜 黒峠山山頂・標高1,315.7m(13:12) 〜 車に帰着(14:10)

    

2004年11月に明神ヶ岳の一ツ石尾根を下る途上、枯木山と荒海山の間に、福島県側にニョキッと突き出た2つの山が気になった。県境の向こうからこちらを覗いているかのようである。帰宅してから写真と国土地理院の試験公開中のHP地図を見比べたが、地図の範囲が狭くてなかなか同定できない。翌週、持丸山から湯坂峠に下る途上で再びこれらの山々を目にして虜になってしまった。この時は空気が澄み渡っていてじっくり山の位置関係を把握できたので、右側の山が土倉山、左側が大嵐山であることを同定。大嵐山に登山道があるらしいことは地図の破線を見て判ったが、遠出が苦手なので距離が近い右側の土倉山に興味が湧く。さっそくWebで調べたところ、残雪期に単独で安ヶ森林道側から登った記録と、真冬の2月に「太田勤労者山の会」のパーティが番屋から登った記録を見つけた。あまり知られた存在ではないが、360度の眺望が素晴らしいという。さもありなん。すぐにでも行ってみたかったが、道が無く藪が酷いらしいし、冬山の趣味はないので残雪期まで待つことにした。

単に土倉山に登るだけならば、安ヶ森林道側に登りやすそうな尾根がある。しかし、栃木県側から見ると手前側の1,549mピークの存在感が大きく、是非とも1,549mピークから栃木県側を覗きこんでみたい。土倉山から1,549mピークへ縦走すると安ヶ森林道歩きが長くなってしまうし、黒峠山に行くこともできなくなる。黒峠山は名前も魅力的だし、等高線があまりに美しいので、見たこともないのに姿が目に浮かんでくる。土倉山、1,549mピーク、黒峠山の配置は周回向きではないが、できるだけ往復が少なくなるように検討した結果、今回辿ったコースに決定した。

2005年は積雪量が例年になく多かったが、4月下旬ともなると雪融けが急速に進み、残雪歩きも終盤を迎えようとしていた。行くならこれが今季最後の機会と判断し、ついに南会津行きを決意。土曜日は仕事の疲れがとれないので早朝からの行動は不可能。天気が良くなる日曜日に挑むこととし、午後になってから舘岩村へ向けて出発。鬼怒川温泉は桜吹雪、川治の渓谷沿いはアカヤシオが美しい。「春だなぁ♪」と浮かれ気分で山王峠に向かっていくとだんだん雰囲気が変わってきた。福島県側の山々は新雪が積もって真っ白。番屋は積雪が特に多く、平地でも15cmから20cm程度積もったらしい。新雪の上に轍の残る番屋川沿いの林道に進入してみたが、残雪で戸倉沢合流点手前までしか行けない。四等三角点の横に車を置ける広場があるので、翌日はここを出発点にすることにした。登りに使う予定の戸倉沢左岸尾根は急峻で針葉樹が生えていて雰囲気が非常に悪い。明日、本当に登れるのかどうか不安になった。

次は泊まる場所探し。番屋は携帯電話が通じないので不向き。適当に車を走らせていたらたかつえスキー場に行ってしまったので、ここから土倉山の尾根の様子を観察。

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会津高原たかつえスキー場から見た土倉山    23日 17:23

土倉山は麓からは見えない。七ヶ岳麓の高杖まで行ってやっとその頂(写真右後方のピーク)を望める。左側の雪稜が白く見えるのが1,549mピーク。左端の頂が黒い山が黒峠山。


ノーマルタイヤでは早朝に道路が凍結すると危険なので、できるだけ標高が低くて人家が近くにない場所を探し、井桁の学校近くの道路脇で車中泊。月の明るい晩で、雲の様子が良く見えた。夜半には曇りになったが、空が白みかける頃にはどんどん雲が消えて快晴となった。明け方の気温はマイナス2℃。残雪歩きには好条件だ。日中は気温が上がることが予報されていたので、できるだけ早く出発することとする。

05時04分 番屋・戸倉沢左岸の四等三角点から歩行開始      林道は歩かず、いきなり雪面を歩いて戸倉沢左岸尾根の斜面に向かう。平地では前日融けた新雪が締っているので軽アイゼンをつけたが、いざ登り始めるとズボズボ沈み込む。伐採後に放置した斜面は若い樹木に覆われている。雪面で見るマンサクの花はきれいだ。戸倉沢に面した側は植林されていて、稜線部は刈り払われて歩き易い。最初は勾配の緩い尾根が長く続くため、だいぶ歩いたような気がするが、対岸の黒峠山の鞍部よりもまだまだ標高が低い。

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登りに使用した戸倉沢左岸尾根    05:32


イワウチワが咲いているのを見かけた。新雪がなければ大量のイワウチワが一斉に咲く光景を見ることができたはず。ブナやミズナラに混じって常緑のヤマグルマ(別名トリモチノキ)の高木が目立つ。葉は輪生状に互生し長い卵形、先は長く尾状に尖る、縁の上半部に鋸歯があり、質は堅く光沢がある。この植物はたまに栃木県でも見かけるが、この山域ではごく普通に存在する。緑が鮮やかで、東北の冬山にいるはずなのにまるで九州の照葉樹林にでもいるみたいだ。

植林地を過ぎると道らしきものは無いが、たまに赤いテープを見かける。残雪が消えた箇所は新雪が大変滑りやすい状態であったが、軽アイゼンのおかげで地面をとらえて安心して登っていける。いよいよ針葉樹が生える急勾配の痩せ尾根が近づく。岩場で行く手を阻まれることを当初心配していた。しかし、岩場の前に現れたのはアズマシャクナゲの酷い藪。無雪期に突破するのはかなり根気の要ることであろう。残雪に覆われている場所はなんとか正面突破できるが、痩せた場所で残雪が薄い場所は無理。戸倉沢側の急勾配の斜面にシャクナゲに支えられて断続的に残っている残雪の帯があったので、これを伝って稜線を回避し、最後はヒヤヒヤしながらシャクナゲ藪につかまってよじ登り稜線に復帰した。

早朝は気温が低く、雪まみれの靴が濡れることはない。しかし、冷凍庫に足を突っ込んでいる状態で常につまさきに圧力が加わっているので血行が悪くなり感覚が無くなる。凍傷にならぬよう、足先を温めるため標高1300m付近の日当たりの良い場所でしばし休憩。この時、黒峠山から土倉山方面へ続く尾根を眺めて、一箇所、針葉樹の少ない急勾配があることが気になった。戸倉沢側の斜面も樹木が少ないので切れ落ちているのは間違いない。帰りにあんな所を本当に下れるのか不安になった。

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黒峠山への縦走路    07:06
奥の山が荒海山(太郎山)。手前が帰りに辿った黒峠山(写真左)への連絡尾根。右側のネズコで黒く見える急勾配が気になったが、実はそのさらに右側(南西側)に存在する大きな岩峰と両側がスパッと切れ落ちた痩せ尾根が、この日辿ったコース上で最も危険な箇所であった。結果的には突破できたものの、生きた心地がしなかった。知っていて好んでこの尾根を辿る者がいるだろうか?過去にここを縦走した人はどうやって突破したのだろうか?


自分が登っている尾根も恐ろしく痩せてゴツゴツしている。樹木が生えているからなんとかなるものの、踏み抜け・滑落せぬように稜線を辿るのは時間がかかって仕方がない。さすがに標高1,340m付近の岩場は稜線通しで越えられないため、右側の谷筋を横切り、シャクナゲ藪も岩場も無い隣の穏かな尾根筋の雪面を登り標高1,390mで再び主稜に出た。厚く残雪に覆われて樹木の見えない1,479mピークに向けて、それまでの苦労が嘘のように順調に壷足で登っていける。この辺りから七ヶ岳を一望できるようになる。

08時16分 1,479mピーク到着   番屋から登ると、1,479mピークから北に登る尾根が邪魔になって土倉山が全く見えない。このピークに上がって初めてその姿が視界に入る。

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1,479mピークにて    08:16
戸倉沢左岸尾根の新雪に覆われたシャクナゲ藪と岩場の急登に時間を費やし、1,479mピークまで3時間強要した。


1,479mピークは北東方向に細長く、強い北西風が吹きつける場所であるため南西側に大きな雪庇が発達している。新雪の深さが40cm位あり、膝まで沈み込むため、壷足はあきらめてかんじきを装着。

1,479mピークと土倉山の間の鞍部の南面ではチシマザサの藪が立ち上がりつつあった。鞍部からの約80mのやや急な登りは表層雪崩を起こすような状態ではなかった。新雪の下に埋もれている残雪に段がついている場所は新雪が滑るので、迂回したり立ち木につかまったりして、ようやく東の肩へ上がった。

土倉山東の肩から見る土倉山山頂    09:12
       

土倉山山頂まではひと登りだが、つかまるものが何も無い急な雪面である。南側はスパッと切れ落ちていて、もし足を滑らして南側に墜落したらまず助からないだろう。安全策をとって山頂をあきらめようかと思ったが、東の肩では360度の大展望は望めない。山頂の北側も急な斜面ではあるが樹木が生えているので、慎重に北側に回りこんで木につかまりながら山頂に出ることにした。荷物を東の肩に置いて、カメラだけを持って山頂にアタック。足元からこぼれた雪が急斜面を転がりながら大きな円盤状になり崩壊する。崩壊した雪の塊が競いながらさらに同じプロセスを繰り返し、どんどん雪面の乱れが増殖していく。雪球の滑降レースを見ているようだ。

09時20分 土倉山山頂(標高1,559.8m)到達   絶景だ。空は4月9日以上に澄み渡り、福島県会津地方のほぼ全域を見渡せる。眼前には大嵐山が対峙し、その背後には会津駒ケ岳の白い峰が鮮やかだ。尾瀬、日光、高原山、男鹿山地、那須のいずれもくっきりと見える。登ってきた苦労が報われた。標高は低くても眺めは台倉高山に優る。最初に土倉山に興味を持つきっかけとなった明神ヶ岳も眺めることができて満足。遠くの茶臼岳の噴煙が立ち昇るのをしばらく眺めてから東の肩に戻った。

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七ヶ岳


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大倉山〜那須〜男鹿山地

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荒海山(太郎山)と1549mピーク


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高原山と持丸山


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明神ヶ岳、日光火山群、枯木山

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枯木山


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燧ヶ岳、大嵐山、会津駒ヶ岳


携帯メールを送ってから下山開始。強い日差しを浴びて斜面の雪が融け始めていたが、もともと新雪で沈み込むので歩き具合は変わらない。汗拭きタオルを被って歩くが、雪面の反射光を顔面に受けるのでまたしても鼻の頭が赤くなってしまいそうだ。1,479mピークの途中まで戻って1,549mへ向かう尾根へ入る。尾根が南東に向いているので大きな雪庇は発達していない。1,496mピークまでは広くも狭くもない藪の稜線で、快適とは言い難い。

10時42分 1,496mピーク到達   登りに使った戸倉沢左岸尾根の様子が良く見える。よくもあんなところを登ってきたものだ。周囲の斜面は岩場だらけ。痩せた稜線部のみ辿ることができるのである。地図を持ってこなかったので、黒峠山への連絡尾根を渡れない場合は実績のある戸倉沢左岸尾根を下らざるを得ない。少し気が重い。

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1,496mピークから見た戸倉沢左岸尾根  10:42
戸倉沢左岸尾根はネズコの大木が生えていて黒々と見える。黒々と見える場所は決まって急傾斜とシャクナゲ藪と岩場がセットになっている。登りはまだしも、この時期の下りには使いたくない尾根である。


1,496mピークから先は比較的歩き易くなる。黒峠山への下降点に到着して、これからの行程を思案。予定外の新雪歩きで疲労しているので、そのまま降下してしまおうか。しかし、1,549mピークに行かずしてこの山歩きは完結しない。1,549mピークは樹木が少なく眺めが良いはず。あそこから土倉山を眺めてみたいという欲求に後押しされて、荷物を置いてカメラと三脚だけ持って1,549mピークを目指す。

1,549mピークへの登りは北東側に雪庇が発達しているが、樹木があるので過去に雪崩が発生したことが無いことを意味する。すこし稜線からずり落ちている状態だが、際の踏み抜きさえ注意すれば危険ではない。

11時25分 1,549mポイント到達    明神ヶ岳の一ツ石尾根や持丸山から福島面側を見ると、土倉山よりも南東側に同じ位の標高のピークがあるのが見える。それが1,549mピークである。山頂は樹木の無いなだらかな雪面である。山名板は無いが営林署の注意書き有り。山頂には樹木が少なく眺めは土倉山に劣らない。危険箇所も無い。個人的には土倉山よりも1,549mピークの方が気に入った。

大嵐山と土倉山、背景が会津駒ヶ岳
1,549mピークから見た荒海山(太郎山)    11:27


土倉山から荒海山を眺めると1,549mピークが邪魔となる。栃木県側を眺めるのであれば1,549mピークが良い。毎度、県境近くから栃木県を眺めて感じることだが、山体の大きな高原山の存在が際立つ。

土倉山に比肩する眺望を堪能できて満足だが、同時にショッキングなものを見てしまった。戸倉山左岸尾根を登る時に黒峠山連絡尾根の上に雪を被った瘤のように見えたものは岩峰であった。どう見ても巻けるとは思えない。しかし、過去にここを縦走した人がいるはずなので、一縷の望みを託して黒峠山を目指すことにする(気持ちに余裕が無くて画像を撮り忘れた。)。

11時51分 黒峠山への下降点復帰    最初の下りは素晴らしい雰囲気。カモシカが一頭、稜線を跳ねて逃げていった。尾根は次第に狭くなり、超痩せ尾根へと変貌。幅の無い尾根上をシャクナゲ等の潅木が覆い、その上に残雪が載っている状態である。残雪の幅は1mもなく、両脇は切り立っていて、足を滑らしたらまず助からない。カモシカの足跡を追って肝を冷やしながら渡り終えると、目の前に岩場が現れた。

さすがにカモシカもこの岩場は通れないらしい。北側は絶壁状態。足跡は南側に消えている。覗き込んでバランスを崩して墜落しそうになった。斜面というより崖になっていて絶望的な雰囲気。但し、時間はたっぷりあるのであせりは無い。早めに帰宅して女房とさくら市の市長選挙の投票に行く約束をしていたことが気になる程度。行けるところまで行ってダメなら手遅れにならないうちに引き返せば良いのである。かんじきをはずして岩場をへつる可能性に賭けることにした。ガキの頃から川桁山の脆い急傾斜で遊んでいたため、どんなに細くても生木さえつかめればカモシカに負けずに移動する自信はある。10m程度樹木にぶら下がりながら降下したが、その下の雪に覆われた斜面までの10mはつかまるものが無い平滑な岩場で降りられない。ロープでもあれば降下してそのまま谷を下れるであろうが、その先も安全であるという保証は無い。岩峰直下に急な尾根が南東方向に膨らんでおり、この尾根のせいでその先が見通せない。細い生木につかまってぎりぎりのトラクションで腕をいっぱいに伸ばしてへつる繰り返しで、なんとか尾根まで辿りついた。

尾根を周りこんで見た反対側の光景は、いましがたへつった場所よりさらに厳しい。つかまるものも足場も無い。頭上を見上げると岩峰の直下に潅木の帯があり、雪も若干残っている。渡るとしたらあそこしかない。岩が剥き出しの尾根をよじ登ってへつりを続行。最後のシャクナゲをつかんでへつり終えた時は半分生還した気分になった。しかし、まだ気が抜けない。ネズコとシャクナゲ藪の痩せ尾根がさらに続き、登る時に眺めて不安に感じた急降下も控えている。予想通り、足元に谷底を覗き込みながらつかまるものの少ない雪の急斜面を降下するのは岩峰巻きより恐ろしい。とにかく尻をついて足場を確保して体を安定させ、雪の中からつかまる物を探し出しながら移動し、最後の難所を抜けた。恐怖と緊張の連続で四十肩の痛みなどまったく気にならなかった。難所抜けに汗ぐっしょり。融けだした雪でズボンもぐっしょり。

黒峠山への登りはきついものの、樹木が多く藪が少ないので腕の力を使えば危険なく登れる。植生はこれまで歩いた場所と変わらない。黒峠山の名の通り、上部に行くとネズコの林となり黒々としている。

13時12分 黒峠山山頂(標高1,315.7m)到達     山頂だけ樹木が無く、荒海山が見える。伐採された樹木があったので、人為的にもたらされた光景なのかもしれない。R.K.のかまぼこ板の山名板があった。

山頂からは真北に向かって下る。尾根は見通しが良く、単純なので方向を誤る恐れはない。結構登る人がいるようで、赤紐が付いている。過去の山仕事で使用したワイヤーが残っていたりするが、道は無いようである。尾根の約半分は雪庇があって順調に下ることができるが、新雪が中途半端に残っている場所では樹木につかまっていても何度も尻餅をつく。最後は尾根が一気に広がり、緩い勾配の植林地の残雪を適当に下って麓の林道へ抜け出る。戸倉沢で顔を洗い、すっきりして車へ向かった。

14時10分 車に帰着・歩行終了     これで2005年春の残雪歩きは終了。思い残すことは無い。

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黒峠山    14:11


初めて挑んだ南会津の山は美しくも手強かった。6時間程度で周れるのではないかと思っていたが新雪や難所越えで時間を費やし9時間もかかってしまった。帰宅してから「太田勤労者山の会」の記録を再確認したところ、彼らが登ったのは自分と同じ戸倉沢左岸尾根であった。その割りにたいして苦労したような記述は無い。2月は雪が深いのでシャクナゲ藪が支障にならないのかもしれない。無雪期にこの尾根を登れるのかどうかは判らない。一方、下りに使用した黒峠山連絡尾根は危険度が高かった。絶対に行くべきではない。登りも下りもへつりも、とにかく腕の力を最大限使わないと歩けない山なので、腕の疲労が著しく、帰宅後にちょっと力を入れると掌が痙攣する状態であった。藪山ではあるが、眺めの素晴らしさ故に登る価値は十分にある。5月上旬に安ヶ森林道側から登ることをお薦めする。

この山の植生には大きな特徴がある。栃木県で岩がちの稜線部に生える針葉樹は通常はモミ、ツガ、標高が高くなるとコメツガが定番である。ところが、ここでは上記の樹木は全く見られず、ネズコ(見分け方を良く知らないのでひょっとするとヒノキだったのかも)が主体で五葉マツが混じる。また、ヤマグルマが多く、山頂を含めてどこに行ってもこの樹木を見かけた。世界で一属一種のめずらしい原始的な形態を残した被子植物であるのだそうな。寒さに比較的強く空中湿度の高い岩場を好むのだという。土倉山は積雪が多いだけではなくて多雨多湿であるということであろう。

山野・史跡探訪の備忘録