西沢金山跡から高薙山(2005年5月)

年月日:    2005.05.21(土)

行程:     西沢左俣沢の橋袂から歩行開始・標高約1,420m(07:45)〜 1,670m第一ピーク08:30)〜 第一展望岩到達・標高約1,900m(10:19)〜 第二展望岩到達・標高約2,130m(11:26)〜 高薙山山頂(11:45)〜 下山開始(12:25)〜 車に帰着(14:45)

高薙山は栗山村の山で、栗山側から眺めた様子にちなんで命名されたと考えられる。ならば、是非とも栗山村側から登ってみたい。高薙山に湯沢側から登れるのかどうか何度か地図で検討したことがある。湯沢側の斜面は平均すれば勾配が緩いが、溶岩台地のような地形をしており、等高線の密な場所を幾つか突破していかなければならない。おそらく崖が何段かあって危険であろうと判断し、実行に移す気にはなれなかった。ところが、2週間前に湯沢噴泉塔から手白峠に抜けた時、対面に見えるどっしりとした高薙山は下から上まで全て針葉樹でびっしり覆われており、崖があるようには見えなかった。薙も無い。つかまるものが存在するのだから登れなくはなさそう。急斜面であるので、安全を期して残雪が消えるのを待って挑戦。

金曜夜に再度地図を眺めてルートを検討した。何度見ても確信が持てない。過去に実績の無い深山の藪の斜面を900mも直登するので、いつもの単純な尾根歩きとは訳が違う。急峻な場所もあれば、シャクナゲの密藪も予想される。湯沢噴泉塔から手白沢温泉に抜ける登山道まで300m直登するのに2時間も掛かったのだから、単純に計算すると湯沢から山頂まで6時間。これに湯沢沿いの遊歩道歩き1.5時間を合わせると、登頂に8時間弱を要することになる。等高線に表れない危険箇所が在るかもしれない。この場合は無理せず引き返す。もし登頂できたとしても時間が足りなくなる怖れがあるので、その場合は東尾根を下り西沢金山跡へ抜けることとする。準備しながらいろいろ考えていたら深夜1時になってしまい、この時点で既に当初案は実現困難になりつつあった。

目覚ましをセットし忘れて、当日の起床は5時過ぎ。コンビニで食料を調達したり移動する時間を考えると現地着は8時近くになるだろう。山の神が「今日は止めておとなしくしていろ!」と忠告してくれているような気もしたが、素晴らしい天気に誘われて出発。川俣湖を過ぎると高薙山が見えてくる。手白山から見たどっしりと穏かな山容とは異なり、薄っぺらで険相である。さすがに気が萎えた。いまさら他に行くあてが無い。地図も「川俣温泉」しか持っていない。「栃木283山」の掲示板でおなじみのsatoさんが西沢金山跡から往復した実績がある。このルートも地図で何度か検討済みなので、西沢金山跡からの往復するルートに変更。平家平温泉・こまゆみの里ではなく、山王林道に入って西沢金山跡を目指す。

1,670mピーク末端部で西沢は二俣に分かれる。先端部は急峻で取り付けない。先端部は急峻なので取り付くなら左俣側の斜面が良さそう。左俣側に新しい橋(『ゆかわばし』だったかな?)が架かっていて、旧い舗装道路を短絡している。旧道の橋まで行かないうちに山肌に取り付いた。上方に石積みが見えたので不思議に思っていると、左側から登ってくる比較的広い道跡があった。これは尾根先端部へ向かってしまうので無視。ある程度登ると山肌が急峻で登れなくなるので、その下を勾配の緩い場所を探しながら奥(南側)へ移動していった。

細い枯れ沢があり、その右岸(南側)の斜面はミヤコザサが生えており適度に樹木があって、なんとか登れそうである。良く見るとシカかカモシカが上り下りする場所らしく地面が少々荒れている。数十m急登すると踏み跡が明瞭となり、勾配も緩やかになって楽に登って行けるようになる。ここで初めて人跡と出遭った。踏み跡に沿って樹木の幹に点々と赤ペンキが塗られている。だいぶ年月が経っているようだが二重丸や矢印が認められる。踏み跡を跨ぐ太い倒木を切り通した場所もあるので、踏み跡は獣道ではなくて古い登山道若しくは作業道であるらしい。現在はシカが利用しているにしか過ぎない。シカが一頭逃げていった。

道は尾根上には上がらず、尾根の東側斜面を南に向かう。東に膨らんだ尾根筋で赤ペンキを見失ったので、そのまま高みに向かい、1,670mピークに達した。高薙山が眼前に聳え立つ。

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1,670mピークから見上げる高薙山  08:30


コメツガやダケカンバの疎林で、藪というほどではないがアズマシャクナゲの木があり、開花し始めたところであった。ここから見上げる高薙山頂は遥かに遠い高みにあり、薙や急斜面を見ていると逃げて帰りたくなる。何か面白い物にでも出遇わないと長い藪尾根登りは辛そうである。スズタケが無いのでマダニの数はたいしたことはないであろう。気温が高くなることが予想されたので、今回はマダニ対策のジャケットは着用しないことにする。

次の1,670mピークへ向かう。笹薮は薄く歩き易い。南側に見える於呂倶羅山の尾根に惑わされて漫然と地図も方位磁石も見ずに樹林の中を南に下ってしまい、チシマザサの斜面を横切って高薙山東尾根に至る鞍部へ抜けた。右側に高薙山を意識しながら忠実に尾根を辿ればこのミスは防げる。驚いたことにアクセスしにくいこの鞍部の南側がカラマツの植林地帯になっている。

もう1つの1,670mピークを越えて南側にカラマツが植林された最低鞍部に下ると、長い藪尾根登りが始まる。最低鞍部からの藪尾根に登山道標示は無いが登り始めは踏み跡が有り、笹藪も薄くて歩き易い。右側に薙ぎが一箇所ある以外は危険箇所も無い。約80m登って傾斜が緩い場所に出る。標高1,740m付近で尾根の北側斜面(西沢右俣奥部)にカラマツが植林されている緩斜面となり、南側が若いダケカンバの疎林で、チシマザサの丈・密度が高い。周囲の地形が良く見えるのは良いが、チシマザサが深くて密である。次第に尾根幅が広がり、チシマザサは太くはないもののさらに藪が深く密になる。コメツガ林が無いのでどこを歩いてもチシマザサ藪の薄いところは無い。過去の伐採によって日当たりが良くなり藪化したと考えられる。これが高度差約100m、距離にして約400m弱続く。コメツガ林のある急登の手前が最も密であった。1,820mの急登からはコメツガの密藪に変わる。

第一展望岩・標高約1,900m)からの眺めはなかなか優れもの。於呂倶羅山の背後に太郎山の北西に開いた爆裂火口が覗いている。この岩場は少し標高が低いので戦場ヶ原方面は望めないが、高原山、明神ヶ岳から帝釈山までを一望できる。

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手前から於呂倶羅山、太郎山、女峰山  10:19
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高原山方面    10:19
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明神ヶ岳方面(背景は男鹿山地)  10:20


素晴らしい眺めを楽しみながら一休みした後はいきなりシャクナゲの密藪に突入。体を割り込ませるのに四苦八苦。その後はコメツガ、シャクナゲ、チシマザサの混合藪もあったりして、花火大会のような展開である。痩せ尾根区間が終わるとようやく藪から解放されてコメツガ林の中を約100m登る。標高2,000mを超えるコメツガ林の中に、昔伐採されたと思われる大木の切り株を見つけた。かなり古いので最初は半信半疑だった。しかし、近くにあった倒木の折れ方とは明らかに違うし、幾つもあるので、昔の伐採跡であることは間違いない。道理でコメツガの大木が少ないわけだ。大きなシャクナゲの木の下にも切り株があった。シャクナゲは成長が遅いので、伐採時期は数十年前のことであったと思われる。

再び尾根が狭まると藪が現れる。カモシカの休憩所と思しき藪の無いポッカリと空いた場所があるが、この先はまたまたとんでもないシャクナゲの藪。高薙山北東の2,100mピークが現在位置より高く見えるので、山頂はまだ遠い。この辺りが最もつらく感じられる。

コメツガ林の急登になってようやく強い陽射しから解放された。しかし、この後に続くのは高度差約80m続く若いコメツガの藪。この手の藪は経験がほとんど無いので辛い。衣服やザックが引っ掛かって非常に歩きにくい。シャクナゲやコメツガの混合藪を抜けると標高2,130m付近で再び見晴らしが良くなる。

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第二展望岩・標高約2,130m)からの眺め  11:27


栗山村の山々を眺めるには向かない反面、奥日光一帯を眺めるには最高の場所である。陽射しは強烈だが、適温で湿度が低いので暑いという感じは無い。そよ風がとても気持ち良い。天候に恵まれたことに感謝。

再び尾根幅が広がるとミヤコザサが生えている場所があり、ここも日光方面の展望が良い。残雪の残るコメツガ林の中を高みに向かって適当に進むと、山部山名板の後姿が視界に入った。山頂付近の東側は、それまでの密藪との格闘が嘘のように藪が薄い。

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高薙山山頂  11:45
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高薙山三角点  11:47


山頂部は針葉樹に覆われている。登ってきた山頂東側は勾配が緩やかなので眺望が良くない。写真は東側を向いて撮ったもの。

山頂から少し南西側へコメツガ藪を進むと、なんとか燧ヶ岳方面の写真撮影が可能。また、山頂北西側は勾配が急なので、樹間から黒岩山、孫兵衛山方面を望むことができる。黒岩山と孫兵衛山の背後にまだ残雪を被って真っ白に見える会津駒ヶ岳が印象的であった。

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高薙山から見た燧ヶ岳方面  11:51


燧ヶ岳方面の写真を撮ろうと思い、高薙山登山の主要ルートである南西側に少し寄って見た。たちまちコメツガの幼樹の藪につかまる。北東側の2,100mピークにも興味があったが、それ以上藪を漕ぐのは嫌になって行くのを止めた。

一通り山頂付近を探ったので、三角点に腰を下ろして昼飯。青空の下、山頂で昼ご飯を食べるのを目標にして登ってきたようなものだから大満足。正午を境に徐々に雲が発生し始めた。時折日が蔭ると汗で濡れた服が冷たい。少しでも天候の変化を感じると逃げて帰りたくなる性分なので、もう一度景色を確認してから下山開始。

太郎山方向に下れば良いので、天気が良くて太郎山が見えている限り、方位磁石を確認するまでもない。下りはシャクナゲの密藪も少しいなしやすく感じる。時には体を潜り込ませるというよりは強引に枝に乗ってしまう乱暴な歩き方をしてしまう。子供の頃から親父がシャクナゲの盆栽や庭木を大事にしているのを見て育っただけに、こんなことして良いのだろうかとも思う。satoさんが同じルートを歩いたはずだが、樹木を痛めたような痕跡は全く無い。もちろん目印の類も無い。satoさんは藪歩きの達人であるとお見受け。

下りで最初に注意すべきは標高2,000m付近で下る尾根を間違えないこと。コメツガ林の中なので、太郎山が見えない可能性がある。周囲の地形の変化に注意して下れば大丈夫。若干北側に逸れたが、うまく東尾根に入ることができた。

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13:12


次に注意すべきは標高1,830m付近でチシマザサ帯に降下する際に南側にずれないこと。尾根筋を維持していると自然に南側に少しずれてしまう。下りすぎるとチシマザサ帯を横切って復帰するのが面倒である。カラマツの植林地の際を意識しながら下れば、ずれは最小で済む。チシマザサ帯では藪を強引に押し倒して進もうとしたが、時々交差したチシマザサが解けない。長時間藪漕ぎで痛め続けてきた脛に当たると痛い。冷静に歩いていたつもりでも、時々「痛ぇーっ!この野郎!」とわめいて蹴飛ばしてしまう。雑な性格は直らない。

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1670ピーク西鞍部から  14:09


1,670mピークからの下りでは、登山道の入り口を確かめんと赤ペンキの標示を辿ることにした。登りで赤ペンキに気づいたところまでは辿れたが、急な斜面を下る前に見失ってしまった。仕方がないので枯れ沢に降り、そのまま枯れ沢の底を歩いて下っていった。最初は登山道のようなただの溝だが、次第に深くV字の形となり、最後は西沢左俣を見下ろす場所に出る。ここは勾配がきつく危険なので、右岸側に上がって山肌を下ることにした。ここで再び赤ペンキ発見。踏み跡もある。入り口の樹木には赤と黄色のテープが巻きつけられていた。最初の堰堤の手前に赤茶けた沢底がナメになっている場所がある。この辺りで右側(左岸)を良く見ると作業道の入り口を見つけることができる。作業道は西沢左俣に合流する小さな枯れ沢の右岸沿いについており、このまま枯れ沢沿いに進んで急な斜面を登りきれば登山道は明瞭となり、後は1,670mピークまで楽に到達できる。1,670mピークまでは藪が無い。

西沢左俣は上流に温泉でもあるのか、沢底が赤茶けた色をしている。しかし、水は透明で臭いも無い。一見して生物など居そうもないが、水流の下で赤茶けた石に小さな黒いものが数点ついている。プラナリアの仲間のようである。沢底はきれいなナメになっていている。谷も広くて雰囲気の良い場所である。

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西沢左俣    14:40


せっかく西沢金山跡まで来たので、初めて山王林道を通り、2年振りに奥日光を通って帰ることにした。いろは坂で見た大谷川左岸の崖上がシロヤシオ、トウゴクミツバツツジ、ヤマツツジの開花で彩り鮮やかであった。

天候に恵まれて、高薙山の最も美しい姿と素晴らしい景色を拝むことができて満足である。一方、藪は変化に富み、しつこさは超一級品。安物の手袋はボロボロ。通常は傷が出来ないような部位にもコメツガやシャクナゲの枝による擦過傷ができた。高薙山は急峻で登るルートが限定される。どのルートもシャクナゲ・コメツガ・チシマザサの密藪にがっちり固められていて、無雪期には腕や脛に幾つも生傷をつける覚悟が無いと到達できない。個人的には栃木県の藪山No.1の称号を与えたい。

山野・史跡探訪の備忘録