大佐飛山(ひょうたん峠経由、2005年6月)

年月日:     2005年6月12日(日)

遭遇した動物: サルの群れ

塩那道路案内図の「ひょうたん峠」は木ノ俣川と大蛇尾川左俣を分ける連絡尾根の入口を示しており、地形図上の「瓢箪峠」の位置とは異なります。このため、本記録では「瓢箪峠」ではなく「ひょうたん峠」と記載します。

 

行程:  板室側ゲート前から歩行開始・標高約850m(04:55)〜ひょうたん峠・標高約1,695m(08:30)〜名無山・標高約1,870m(10:10)〜大佐飛山山頂・標高1,908.4m(11:45)〜名無山復帰(13:50)〜車に帰着・歩行終了(17:02)

 

ようやく梅雨入りし、6月11、12日の週末は降雨が予想されていた。那珂川の水位が平水に戻ると喜んでいたら、降雨はおしめり程度で土曜日(11日)の那珂川は渇水のまま。これではアユ釣りは厳しい。翌日曜日の栃木県の天気は梅雨の中休みで晴れ後雨だという。天気が良いならば、渇水でぼやきながらアユ釣りするより山歩きに行った方が良い。

6月といえばもう藪歩きの季節ではない。でもこの時期だからこそ可能な山歩きもあろう。土曜夜に田舎の親から電話が掛かってきた。今年のネマガリダケのタケノコ(姫筍)採りを完了したとのこと。「えっ?もう?」。川桁山や吾妻山の麓でタケノコが出ているならば栃木県だって当然出ているはず。最初は鬼面山に姫筍採りにでも行こうかと思った。そこで連想したのが2004年に塩那道路で見た大量のフキの葉である。フキの葉採りを兼ねて大佐飛山に登ろうと考え出した。今年の残雪期に大フィーバーした大佐飛山も今は藪に護られてひっそりとしているであろう。

2003年秋に横川から目指した時は疲労が著しくひょうたん峠から鞍部に下る気になれなかった。2004年春に百村山経由で日帰り往復は達成したが、まだこの山の真の姿を見てはいない。MTBを利用して塩那道路を歩き、ひょうたん峠から無雪期の大佐飛山に立ってみたいとは常々思っていた。天候が安定しない大佐飛山に行ける機会は多くない。日帰りとなればなおさらである。前知事の英断で塩那道路建設を中止し自然に戻すことになったので、2005年はその想いをかなえる最後の機会となるのかもしれない。外れる可能性は高いが一勝負賭ける価値はある。おおざっぱに見積もって、板室側ゲートからひょうたん峠まで4時間、ひょうたん峠から大佐飛山まで藪尾根往復6時間、帰りはフキ採りをしながらMTBをかっ飛ばして2時間の計12時間を要する。ひょうたん峠まで行っても疲れて藪歩きをする気になれないかもしれない。その場合はフキ採りをして帰る。

約12時間の行動をするためには早起きしなければならない。家族が夜更かしで早寝が不可能なので、現地で車中泊すべく土曜夜10時過ぎに現地へ出発。塩原から板室まで濃い霧につつまれていた。天気が良くて放射冷却が起きているのかもしれない。塩那道路ゲート前に着くと空に星がまたたくのが見えた。朝からアユ釣りをしていた疲れで猛烈に眠い。気温の低い未明から行動開始したいところだが、まずは寝不足を解消して元気を取り戻す必要がある。一応4時半に起床するつもりで、ビールをひっかけて気持ち良くなりぐっすり眠ってしまった。

朝目を覚ましてみると前に車が一台停まっていた。こんな季節には自分以外に登山客は居ないと思っていただけに驚きである。どの山に行くんだろうか?アホ面して寝ている姿を見られちゃったかな?宮城県ナンバーの車の主はちょうど出発の支度をしているところであった。車のハッチが閉じて熊避け鈴の音が遠ざかっていったので、こちらも起床。ちょうど4時半であった。

ゲート前  04:53
       


快晴で、適温。風が強いので体感温度は少し涼しいくらいで、長距離歩行に都合が良い。万が一山中泊することになっても凍える心配はないので、今回はテントと着替えだけ持ってシュラフは持たない。帰りの塩那道路は水無しでも平気だから飲料水はスポーツドリンク2.5リットルだけ。足りなかったらフキの柄でもなんでもかじってサバイバル。登山靴使用はひょうたん峠からとし、塩那道路歩きは軽快なスニーカーで通す。

04時55分 板室側ゲート前から歩行開始(標高約850m)。   舗装道路区間は年々木々の張り出しが大きくなっている。路肩に土砂や落ち葉が溜まった場所ではテンニンソウが勢力を拡大。コンクリートのひび割れに生えたウツギのような樹木が鮮やかな赤い花を咲かせている。石川建設のプレハブ小屋は前年と同じ場所にあった。平成17年度の工事期間が示されていたが、目的は書いてなかった。建設中止になった道路で何が行われているのかも今回の興味の対象である。

殉職の碑を過ぎて地蔵山を回り込むと木ノ俣川の渓谷奥部が見えるようになり、谷向こうに大佐飛山が聳える。めずらしくガスがかかっておらずくっきりと見える。早朝に強風で福島県側から澄んだ空気がもたらされて清澄度が高い。ただし、男鹿岳やひょうたん峠付近にはガスが懸かっている。この光景は過去2回板室側から歩いた時とまったく同じである。今回も、現地に着く頃にはガスに全てが隠されてしまうのだろうか?ガスの中を大佐飛山に行く気にはなれない。天気予報では午後から晴れると言っていたので、快晴の大佐飛山を期待して進む。

瓢箪峠方面    05:24
       

川見曽根を過ぎた辺りから道路上にゴヨウツツジ(シロヤシオ)やムラサキヤシオツツジの花が大量に落ちているのを見かけるようになる。眺めが良く彩りもあって退屈しない。

ノビネチドリ    06:25
シロヤシオ   06:31


道路は均されていて荒れたところは全くない。むしろ前年より整備されているようだ。知事が替わったので倹約の方針はあっさりと変更されてしまったのか?さらに進むとだんだんゴヨウツツジが減って替わりにオオカメノキの白い花が目立つようになる。

登りでは10kg近い質量のMTBを押すので、通常の歩きよりも少々つらい。しかし、塩那道路は一本調子の登り坂ではなく、笹の沢あたりまでは下りの区間が何箇所かある。こういった区間はMTBで一気に距離を稼げるし、脚休めにもなるから無休憩で進むことが可能で、全行程を歩くのに較べてはるかに早いはず。それにしては25分前に出発した先行者の姿を捉えることができない。地面の柔らかいところに2人分の足跡があるので前方に居ることは間違いないのだ。軽装だとしても歩く速さは普通ではない。貫通広場を過ぎてようやく熊避け鈴の音を捉えた。先行者は年配のご夫婦だった。スタスタ歩く姿はとても10数Km歩いてきたようには見えない。宮城県からこの季節に訪れるくらいだから三百名山を目標に男鹿岳を目指していると思われた。たまたま下りで追いついたので、話はせず挨拶だけ交わして前に出た。

塩那道路は月見曲がり付近で一気に高度を上げる。陽射しも強くなって発汗するのでさすがにつらい。しかも、1つ問題が発覚。方位磁石を忘れた!行きは問題ないが、名無山からひょうたん峠に戻る時に正確に鞍部に下れるかどうかが唯一にして最大の不安である。尾根が不明瞭なので、ガスに巻かれたら方位磁石なしで正確に下れる自信が無い。朝、横川方面から流れてきていたガスが消えつつあるのが励みである。

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ひょうたん峠と名無山(左)間の鞍部    08:01
ひょうたん峠から約90m下り、鞍部の小ピークを越えて、名無し山に向けて270m登る。この区間の約7〜8割は明瞭な踏み跡を辿ることができる。


08時30分 ひょうたん峠(標高約1,695m)到着。   登山靴に履き替えて、軽食をとって下降開始。ヤマグルマの木が多いので湿潤な場所であることが解る。ひょうたん峠直下は急な藪尾根でコメツガやアスナロの濡れた根で滑りやすい。最初は踏み跡らしきものがあったが、急降下するところで見失った。降下しやすい方向に逸れたところ稜線をはずしそうになり、稜線に復帰するために斜面を藪漕ぎ。おかげで安物の偏光グラスを紛失。

一見して踏み跡が無いように思われるが、稜線北側の縁にはしっかりとした踏み跡があり、沢登りの連中が大蛇尾川を遡行して詰める最低鞍部まで順調に下れる。『水場10分』との案内板が木の幹に打ち着けられている。板室から大佐飛山に向かうとき、『露の沢』が涸れている場合はここ以外に水場は無い。大蛇尾川左俣源頭まで10分も下らないと水が確保できないのだから、飲み水の確保という点では厳しいコースだ。

連絡尾根の1622m小ピークは一部アスナロの幼樹やチシマザサの藪で少々踏み跡が薄い。適当に次の鞍部に進むと鞍部から先は再び踏み跡が明瞭となり、疎林の中を真っ直ぐ登っていく。腰から胸の高さのチシマザサの藪だが密ではない。笹下の踏み跡を慎重に辿れば8割方は藪漕ぎから解放される。目印の類は意外に少なく、古い赤布や鳥避けテープが要所に見られる程度である。今後も無意味なテープや赤布で汚されないことを願う。この踏み跡はかつてMWVらが切り開いたものだろう。最近手入れされた様子は無いが、歩く人は少なくないらしい。残雪期でもここは比較的早く雪が消えるために踏み跡が維持されているのであろう。どうやら背後からガスに巻かれる危険性は低い。周囲の地形が見えればこっちのもの。ここに戻ってくるまでなんとか天気が持ってくれればよいが。

鞍部から名無山までは痩せ尾根ではないので、進路を妨げるような性質の悪いシャクナゲ藪は存在しない。シャクナゲの群落の中を満開の花を愛でながら登っていける。コメツガに覆われて陰鬱そうに見える谷が6月には男鹿山地で最も色鮮やかな場所となるとは。決して大木ではないが、西洋シャクナゲにも劣らぬ発色と花着きの良さは他に類を見ない。梅雨の時期に大佐飛山に登ろうとする物好きは少ない。名無山のシャクナゲが咲き誇る様に出逢えた幸運な人はいったいどれくらいいるのだろう。

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名無山のアズマシャクナゲ  09:19


ガスに覆われることが多くて湿潤な環境がシャクナゲの生育に合っているらしく、名無山の西側斜面にアズマシャクナゲが多い。1,872mピークの西側斜面にもシャクナゲが群生して一斉に開花しているのが認められた。

山頂が近づき勾配が緩くなると笹藪がやや濃くなり、踏み跡が消える。尾根の形が明瞭となるので尾根に沿って進めば山頂に至る。

10時10分 名無山(標高約1,870m)到達。   昭和58年8月26日の日付の MWV のプレートがある。

名無山    10:11
       

少し大佐飛山方面に下ると遮るものの無い男鹿山地随一の大展望が広がる。この場所は是非とも快晴且つ空気が澄み渡った時に訪れることをお薦めする。この季節、この場所で雲ひとつ無いなんて、一勝負賭けて良かった。今頃、男鹿岳に行ったと思われるご夫婦も眺めを満喫していることであろう。

那須方面    10:14
名無山から見る大佐飛山(左)と大長山(右)  10:15


名無山から大佐飛山への尾根は鬱蒼とした場所かと思っていたが、名無山からの下りは基本的に腰から胸高のチシマザサ藪の中に丈の低いコメツガやアオモリトドマツの木が点在する植生であり、明るく開放的。ミネザクラの花が咲いていた。冬は風雪吹きすさぶ場所らしくコメツガが直立せず伏せるように横に広がっている。ここのチシマザサ藪は一見チマキザサ然としていて、進路を阻むほどではなく優しく感じられる。普通、潅木の藪は前に進むのが困難であるはずだが、この尾根は必ずといって良いほどすりぬける場所がある。明瞭な踏み跡は無いが、かつてMWVらが切り開いた道の痕跡なのかもしれない。

アオモリトドマツの樹林のある1,824mピークの西端から好眺望が得られる。

1,824mピークと大佐飛山間の鞍部はこの山塊で最も積雪する場所らしく、チシマザサ丈がやや高い。この辺りで肉体的疲労よりも倦怠感が増して引き返したくなったが、このルートで大佐飛山に立った人が少なからず居るという事実に後押しされて先に進んだ。何箇所か残る雪がオアシスのように感じられる。雪で顔を洗い、雪を頬張って気分一新。大佐飛山への最後の登りはアオモリトドマツの疎林の中の藪漕ぎであるが、密な藪ではない。

大佐飛山山頂から少し西に下ったところに展望の良い場所がある。ここから見る高原山は鶏頂山〜釈迦ヶ岳の山並みの手前に明神岳〜前黒山の山並みが相似形で重なる。しばし、高原山と大長山を眺めてから山頂へ向かった。

高原山方面    11:41
大長山  11:41


11時45分 大佐飛山山頂(標高1,908.4m)到達。   大佐飛山の三角点が最近測量の対象になったことはないらしい。1cm程度頭を覗かせている三角点標石の周囲は胸丈の薄いチシマザサ藪である。春先は分厚い雪に覆われる大佐飛山山頂の真の姿を確認できて満足。山頂からは眺望が得られないし、日当たりが良くて暑いので、すぐに西側の樹林に下って昼飯とした。

大佐飛山山頂    11:46
大佐飛山三角点    11:46


気温が高くなるにつれてハエや名前不明の小さな虫(たぶんメマトイ)が無数にまとわりつく。ハエにチュウチュウされるのはたいして気にならないものの、小さな虫は性質が悪い。こいつには鳥海山登山の時も悩まされた。口を開けて息を吸うと飛び込んできてうっかりすると肺まで吸い込んでしまう。耳の穴も大好き。ほうっておくと噛み付くこともあるので、ゆったりと休憩することができない。急いで昼飯を食って下山にかかる。名無山〜1,872mピーク〜1,870mピークの背後に会津駒ヶ岳の白い姿が浮かぶ構図が印象的。

会津駒ヶ岳がちょっぴり    12:03
       

バサバサとチシマザサを押し倒して快調に下れると思っていたのだが、下り始めてすぐに腿裏に軽い痙攣が生じるようになった。藪歩きは脚が笹の根元に引っ掛からないように持ち上げるため、腿裏やふくらはぎに疲労が溜まりやすい。まして今日は気温が高いので心肺よりも筋肉が先に音を上げた。虫がまとわりつくので休憩できなかったから疲労回復する暇が無かった。飯は食べたものの、まだ消化して全身に栄養が行き渡っていない。無理をして激しく痙攣したら筋肉にダメージを与えて動けなくなってしまうので、こんな時は休憩するしかないのであるが、じっとしていると虫に攻撃される。少し立ち止まって痙攣が治まったら、笹を両手で根元まで丁寧に掻き分けてゆっくり数歩進む。この繰り返しなので全然ペースが上がらない。ひょうたん峠に戻れるかどうか怪しくなってきた。

1872mピーク〜名無山    12:21
男鹿岳    12:21


なんとか足を騙しながら大佐飛山と名無山の中間地点までは戻ってきたが、ついに足が完全に停まった。虫を振り切るスピードが出せないので、全行程の虫を引き連れている。半端な数ではない。覚悟を決めて木陰でタオルを被って虫の攻撃に耐えながら休憩。なんで痙攣が治まらないのだろうか?喉の渇きは無いものの水分補給が足りないのだろうか?それとも血の巡りが悪くなっているのか?軽く頭痛の前兆を感じるのでバッファリンを一錠噛み砕き、ここが正念場とばかりスポーツドリンクを惜しみなく飲む。休憩で疲労回復したのか、それともバッファリンで血がサラサラになったためなのか、この後は足が痙攣することはなく、徐々にペースを取り戻した。

午後になって大佐飛山の上に雲が発生し、大佐飛山に陽が当たらず暗くなった。北西風が男鹿山地にぶつかり上昇する際に発生するガスではない。午前中の風が収まったことにより、太陽熱で温められて上昇した水蒸気が大佐飛山上空に溜まったためである。このため、その他の地域の空は晴れ渡っていて、特に那須や福島県側が澄み渡っていた。

13時50分 名無山復帰。    小さな残雪の上に寝転がって安堵。スポーツドリンクを飲み干し、ペットボトルに残雪を詰める。雪を融かした水は酸っぱいが無いよりはまし。

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名無山にて  13:50


ガスが無く、常にひょうたん峠方面が見えているのでほぼ正確に踏み跡を辿ることができる。半分還り着いたようなものだが、滑りやすく笹に倒木や木の根が隠れているので、気を引き締めて慎重に下る。

14時52分 ひょうたん峠復帰。   大佐飛山上空に発生した雲はどんどん拡大し、既に名無山も雲の下になって暗い。那須連峰上空にも暗い雲が発生していた。たまたまひょうたん峠から往復した6時間だけガスも雲も無かったことになる。

ひょうたん峠    14:54
木ノ俣川渓谷    15:06


夕方から降雨が予報されているので、ゆっくりせずに帰路に着く。MTBを飛ばしてまとわりつく虫をやっと振り切った。帰りは概ね下りでMTBで飛ばせるが、ブレーキングしっぱなしで掌が痙攣しないように、何度か休憩をはさむ。貫通広場の近くであったと思うがサルの群れが大騒ぎ。途中で、太くはないがちょうど食べごろのフキの葉を収穫して20分ほど費やす。最後の舗装区間を一気に下る時にはゴロゴロと雷鳴がとどろいていた。

17時02分 車に帰着・歩行終了。   きまぐれな梅雨の空がもたらしたつかの間の晴天を衝き、無雪期の大佐飛山の姿を確認することができた。残雪期に山頂を踏んだ時もそうであったが、また一つ栃木の山歩きに区切りがついたような気がする。今後、再びこの山を訪れることはあるだろうか?行きたいという欲求が湧くだろうか?今回以上の美しい光景に出逢えるだろうか?少なくとも同じ季節同じコースで再訪することはないと思う。

山野・史跡探訪の備忘録