蒲谷地から姥ヶ原・谷地平へ(吾妻山修験の跡探訪その2)(2005年7月)

年月日:    2005.07.16

行程:     登山道入り口から歩行開始・標高約1,340m(08:50)〜 涸れ沢を遡行開始・標高1,511m(09:50)〜 駕篭山稲荷神社・標高約1,786m(10:59)〜 姥ヶ原到着・標高1,780m(11:58)〜 谷地平南の交差点到着・標高1,480m(13:17)〜 白鳳寺跡到着・標高約1,500m(13:28)〜 駕篭山稲荷神社下の交差点復帰・標高約1,730m(14:23)〜 涸れ沢の下り開始・標高1,600m(14:59)〜 車に帰着(16:07)

7月中旬は梅雨真っ只中。前年(2004年)は空梅雨気味で猛暑が続いたが、今年は梅雨らしく前線が福島県上部に停滞して毎日天気予報がコロコロ変わる。一日先の天気も読めない。15日は予想外の好天だったが山に行くには暑すぎた。せっかくの夏休みだからもう一回は吾妻山を探訪したい。夜、実家でテレビの天気予報を見ていて、週末の天気が優れないようなので、翌日(土曜日)に日帰りで登ることに決めた。前回(13日)は一泊前提で釣り用具まで持っていったので装備が重かった。今回は歩きに徹して軽めの装備で望む。目的は、前回下りに使用するつもりだった蒲谷地から駕篭山稲荷神社までの破線路探索である。

15日夜から翌明け方までまとまった雨が降った。朝7時には猪苗代盆地の平野部では雨が上がったので出発。沼尻鉄道の跡である真っ直ぐな道を北上していくと下館集落より以北はまだ雨が降り続いていた。当然のことながら吾妻山は雲の中。木地小屋集落で国道115号から左折し、トンネルを抜けて市沢(発音:イッツァワ)集落へ抜け、大倉川と小倉川に挟まれた蒲谷地(発音:ガバヤジ)の道に入る。蒲谷地集落の入り口に大山神社があり、その前に登山届け入れがある。ここが昔の登山口であるが、今は歩く人はいない。小倉川支流の井戸尻川沿いの林道を進む。この林道は何年か前に破線路と交差する場所を探して、大きく折れ曲がる場所まで車で入り込んだことがあった。そのときと同様、道は荒れていない。ゲートも開いており安心して車を進める。登山道入り口を確認し、その少し先にある広場に車を停めた。まだ雨は止んでいないが、ガスが徐々に上がっていくので、準備開始。

ようやく雨が上がったので8時30分頃に雨具を着て出発。林道から登山道に入ろうとして地面の乱れが気になった。ここまで車で登ってくる間、人の姿は見なかった。まさか雨の中、早朝に行動したとは思えない。昨日天気が良かったので歩いた人がいたのであろう。難路とされていたので心配していたが、歩く人がいると思うと心強いものだ。ところが、道はいきなり下り坂の悪路となる。雨が降っているので地図を出すのが億劫だ。登山道を下っているような気がして車に戻ってしまった。林道に戻って地図を確認して仕切りなおし。

出発地点で標高が約1,340mもあるので、歩き始めからアオモリトドマツの樹林を進む。最初の沢に向けての下りは吾妻山神社へ下る場所よりも雰囲気が悪い。雨が降っていたのでゴツゴツした岩と木の根が滑りやすい。沢を渡った後は比較的歩き易い道を行く。周囲は2.5m以上の高さのチシマザサの藪だが、適度に笹刈りされているので藪漕ぎしなくて済む。樹木の幹や岩にまばらに赤ペンキで印がある。

細い涸れ沢で道が無くなった。どうやら涸れ沢を登っていくらしい。結構な降雨量があったのにこの沢は水が流れていない。岩はツルツル。岩は削れておらず歩く人が少ないことを物語る。途中に「登山道」の標示があるが、その方向は完全な笹藪。そのまま涸れ沢を半信半疑で登っていくと左に登山道の続きが現れる。

尾根に上がるとまるで伐採地のように明るい雰囲気である。アオモリトドマツの倒木が多く、開けた場所に草木が繁茂し、踏み跡が消え入りそう。おまけに何本も太い倒木が道を塞いでいる。尾根を横切り、水の流れる細い沢の左岸を少し上流に移動してから渡り、しばし急登すると大きな涸れ沢に出る。反対側に道は無い。これがガイドブックに「涸れ沢を400m登る」とされている場所である。

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涸れ沢の遡行    09:54


大きな岩が連続する涸れ沢は東吾妻山の真の姿が現れている。植物に覆われていなければ、全山がこのような岩だらけであると考えられる。岩が大きく、登山道とはとても思えない。鳥海山の幸次郎沢を思い出した。

岩に削れたところが無いので昔から沢を登るコースではなかったのではないだろうか。2万5千分の1の地形図では涸れ沢(鴛沢)の左岸側に破線路が示されているが、実在しない。途中で左岸側に赤布や赤ペンキがあり、踏み跡があるので辿っていったら消えてしまった。初めてこのコースを辿る人は全てここに迷い込みウロウロするので踏み跡が維持されているのであろう。危険な場所である。結局、元に戻って涸れ沢を登っていった。まばらではあるが、岩にペンキの矢印有り。歩く人がほとんどいないので岩の表面は苔むしてツルツル滑る。とにかく気が抜けない。梅雨時はある程度水が流れているので、水の中をバシャバシャ歩いたほうが安全。涸れ沢を約400m(高度差にして約100m)遡行して右岸側の登山道に入る。

沢右岸にある登山道の続きに入るとほっとする。しばらく登ると勾配が徐々に緩やかになり、東吾妻山の中腹を巻くように進む。一応笹刈りされてはいるが、細かなアップダウンの多い悪路である。

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原生林    10:24


アオモリトドマツの樹間に遠く谷地平が垣間見えるようになると、赤く塗られた塩ビ製?パイプで作られた鳥居のある交差点(十字路)に至る。

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駕篭山稲荷神社の鳥居    10:54


自分が歩いてきた方向は「悪路」と書いてあった。2万5千分の1の地形図では駕篭山稲荷神社下の交差点は標高1,680m付近にあることになっているが、稲荷神社までたった数分しかかからないので実際には約50m高い場所にあると思われる。

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駕篭山稲荷神社  11:03


駕篭山稲荷神社に向けて登っていく途中で真新しい足跡があったので、浄土平方面から来た先客がいたらしい。東吾妻山北西側の小ピークを駕篭山と呼ぶのだろうか。ピークに石祠有り。何の説明もないが、前年に福島市笹木野の祥福山眞龍院が奉納したのぼりがあった。昔は木製の祠であったらしく左奥に朽ちた木が積まれている。現在の石祠は昭和54年7月建立のもの。昔の修験道との関係は不明。駕篭山稲荷神社からの眺望は無いのですぐに引き返す。

帰りは同じ道を交差点まで戻る。十字路をまっすぐ下れば谷地平、右に辿れば姥ヶ原に至る。交差点から姥ヶ原方面に進む。棘がびっしり生えたハリブキが目立つ。

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ハリブキ  11:08


浄土平の方から来るハイカーが歩くコースなのだからもっときれいな道を期待していたのだが、こちらも結構な悪路である。途中に見晴らしが良い一帯があり、烏帽子山、昭元山、谷地平、継森を一望できる。

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東大巓方面  11:35


この辺りでイワカガミ、ベニサラサドウダン、ハクサンシャクナゲ、コバイケイソウなどが満開。吾妻山はハクサンシャクナゲで有名な山。ハクサンシャクナゲの花は、たいてい醜く縮んだり、シミが入ったりして、アズマシャクナゲの鮮やかさに較べると見劣りがする。しかし、この吾妻山は湿度が保たれているために綺麗に開花する。みずみずしい若葉の緑と淡い色合いの花の組み合わせが美しい。ハクサンシャクナゲを見直した。

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ハクサンシャクナゲ  11:31
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サラサドウダン  11:27
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コバイケイソウ  11:37


登山道下方のアオモリトドマツの樹冠には青紫色の直立した球果がたくさんついている。

ダラダラとした登りの後、ハイマツが生え岩がゴツゴツした風衝地に至る。ハイカーが適当に歩くのでどこが道なのか判然としない。道標のようなものを目印にして適当に登ると姥ヶ原西端に出る。どこを見ても鋭角なものがないなだらかな風景。吾妻山系は全体的になだらかな印象だが、ここがその最たるものだ。7月の姥ヶ原には花が少ない。チングルマは既に花期が過ぎ、長いヒゲを伸ばしていた。

姥神石像の横の道標で何名か昼食休憩をしていたので立ち寄らず、そのまま木道を歩いて東に約800m移動すると鎌沼と一切経山を見渡せる場所に至る。この時期は残念ながらチングルマの花期は過ぎてしまっていてあまり見るものはない。

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鎌沼    11:58


鎌沼を眺めて昼食休憩。曇り空だがガスは無い。気温は高くも低くもない。強くはないが風が吹いているのでじっとしていると少し寒いくらい。この時期としては快適といえるだろう。遠く一切経山に多くのハイカーが見える。鎌沼の周囲にも何名か姿が見える。さすが土曜日。朝雨が降っていたのにこれだけ多くのハイカーが浄土平から登ってくることに驚かされる。どこまで行ってきた人達なのか知らないが、木道を再び西に歩いて姥神石像に戻るまでの数百mの間に10数名と擦れ違った。

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姥神石像  12:19


谷地平へ至る道は多くの登山者が歩くために幅が広く迷う心配は無い。但し、それまでの道と同様に木の根が張り出し、グチョグチョで悪路。延々と悪路を高度差約280mを下る。下りが長いので、帰りに再び駕篭山稲荷神社下の交差点まで登ることを考えると少し心配になった。姥ヶ原と対照的に谷地平へ至るまでの間は誰一人遭わなかった。

イワナが棲んでいても不思議ではない姥ヶ沢を渡渉すると谷地平避難小屋が見える。

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谷地平小屋手前から見る中吾妻山(左)  13:10


小屋の手前で姥ヶ沢にキリン一番搾りがたくさん冷やしてあった。小屋入り口では一人が中にいる仲間と話中。昼間からこんなところで泊まる準備をしているとは不思議な連中だ。小屋を通りすぎ、再び姥ヶ沢を渡渉する。谷地平南の草原は腰高のチシマザサ原にモミジカラマツの白い可憐な花やシシウドが咲く程度。

姥沢を渡渉して谷地平避難小屋を通りすぎ、再び渡渉して草原を進むと谷地平南の分岐点に着く。2万5千分の1地形図では谷地平の分岐点は十字路になっており、石碑があることになっている。現在いる分岐点はT字路であり、そこには石碑は無く道標があるのみ。後ろに人の気配を感じて振り返り我が目を疑った。なんとウェーダーを履いて2ピースのフライフィッシングロッドを持った3人組だ。「姥ヶ沢で釣れるんですか?」と聞いたところ、「ここはいない。あっち。」というぞんざいな返事。あっちというのは大倉川のこと。ヤケノママにイワナがいるくらいだからひょっとしたら大倉川にもいるかもしれないと思っていたが、やはりいるらしい。姥ヶ沢でビールを冷やしていた連中のようだ。小屋をベースにして今日、明日と釣りをするのであろう。しかし、3人で釣るほどの場所があるのか?言葉を交わしたリーダー格は仲間に道筋を説明しながら姥ヶ沢沿いに引率していったので、来慣れた場所であるらしい。

谷地平湿原はこの北側の少し標高の高いところにあるらしい。少し北側に木道を歩いてみたが、あまり花が期待できなかったので引き返す(ワタスゲが見頃だったらしい。行っておけばよかった。)。その途中で西に向かう細い踏み跡があったので進入。谷地平南歩道と書いてあった。谷地平湿原に至る別ルートなのかと思ったらそうではない。大きな岩が突き出た場所に至った。

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谷地平南の白鳳寺遺跡  13:28


幸運にも修験の跡に行き着いた。「寺屋敷」と呼ばれる場所で、白鳳寺があったとされる。石碑が3つ有り。年代を示すものはない。説明板も何もないが遺跡らしい雰囲気。倒れていた石碑から、かろうじてここに白鳳寺があったらしいことが読み取れた。一番大きい石には「蚕養の神」と彫られているので、猪苗代町蚕養(こがい)地区にとって神聖な場所とされていたようだ。左側の碑には「○○の弥陀仏」と彫られているように見える。倒れている花崗岩の碑には「修験高祖」「白鳳寺遺跡」などの彫文字が読み取れる。

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蚕養の神  13:29
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白鳳寺遺跡の彫文字  13:37


歩道はさらに西に延びる。歩く人など居そうもないのに結構明瞭である。他のWebの記録によれば、大倉川の先まで続いているようである。昔の吾妻山神社に詣でる修験の道跡らしい。大倉川まで行ってみようかと思ったが、先ほどのフライマン達とはちあわせしそうなので止め、後日の楽しみとして引き返す。

谷地平の交差点に復帰。南に向うと姥沢の川原に出て、ちょっと判りにくいが渡渉すれば駕篭山稲荷神社へ登る道がある。姥ヶ沢近くの小さな湿原ではワタスゲが揺れる。モミジカラマツを撮影し、振り返って谷地平の光景を一望して、コメツガやネズコが鬱蒼とした陰湿な樹林帯に入った。

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ワタスゲ  13:43
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モミジカラマツ  13:45


この道は他の道に較べると荒れていない。右側に小滝へ至る不明瞭な踏み跡が分岐する。標高が高くなってジメジメ感が薄れるとアオモリトドマツの原生林に移行する。

駕篭山稲荷神社下の交差点から悪路を戻る。木の根や岩がゴツゴツしていて、あちこちに罠がしかけられているようなものだ。こんなに気の重い帰り道は久し振り。往復で道の特徴がしっかり記憶に残るというメリットはあるが、最後はやはり快適でありたいものだ。チシマザサの筍が登山道にニョキニョキ出て胸程度の高さに育っているので、ストックでバシバシへし折りながら進む。

涸れ沢の下りは緊張する。うまく登山道に復帰できるかどうか危惧していたが、案ずることはない。この涸れ沢は最後は断崖となって大倉川渓谷に流れ下る。登山道を見落とすことはないとは思うが、万が一、断崖まで行ってしまったらほんの少し戻ったところに登山道の続きがある。

林道へ抜ける手前の沢で服を洗い体を清めて、充実した山歩きを締めくくり。

大きなアオモリトドマツの倒木があった。倒れたばかりで、良く見ると青紫色の球果がびっしりついている。高い樹冠にしか付かず、写真に収めるのが困難で残念に思っていた。イラモミの球果を見たときと同じくらいの感動を覚えた。

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アオモリトドマツの球果  16:08


中津川渓谷コースを除き猪苗代町から吾妻山に登るルートを全て辿ることができて満足。ふるさとの山々を見直した充実した夏休みであった。

山野・史跡探訪の備忘録