中吾妻山越え・中津川遡行(吾妻山修験の跡探訪3)

年月日: 2005年9月17日(土)、18(日)

初日行程: 浄土平(05:42)〜姥ヶ原東端(06:30)〜谷地平・白鳳寺遺跡(07:35)〜中吾妻への登り開始(08:22)〜中吾妻北峰(10:36)〜中吾妻鞍部(11:06)〜中吾妻三角点(11:39)〜吾妻山神社跡(14:15)〜ヤケノママ(15:57)

二日目行程: ヤケノママ出発(07:09)〜二俣(08:52)〜県境の縦走路に抜ける(10:37)〜東大巓(11:22)〜大倉新道の分岐点(11:35)〜谷地平湿原(13:49)〜姥ヶ原東端(15:30)〜浄土平(16:30)

関連記録@ 2005-07-13 吾妻山神社(吾妻山修験の跡探訪その1)

2012/11/17 フォーマット変更、記載内容の一部修正

2020/05/24 画像追加

興味を抱くと憑りつかれたようにどうしても行ってみたくなる場所がある。場所というより名前の響きに魅せられているのかも知れぬ。行ってみたところで、特別美しい景色に出会うことはない。おいしい話が転がっている訳でもない。たいていはただ藪を漕いで傷だらけになるのがオチだ。しかし、とにかく行ってその想いを成就しない限り頭に棲みついたまま離れることはない。2004年は引馬峠、そして2005年はヤケノママがそうだった。

ヤケノママは中津川の奥地にあり、崖から蒸気が立ち上る場所であるという。語源は「焼ノ間々」か「焼野間々」で、「焼けて熱い崖」という意味であろう。吾妻山修験の地獄駆けコースより上流側にあるが、「間々」という言葉に山岳仏教の名残が感じられ、あるいは昔の修験者が入り込んでいたかも知れぬ。また、この地は何万年も前に閉じ込められた岩魚の聖域であるとも言う。しかもかつての登山道は消え、常人では行けない。現在訪れるのは沢登りの連中のみである。これだけでも十分に自分を惹きつけ挑戦意欲をそそる要素が揃っている。7月に初めてヤケノママ行きに挑戦したが、吾妻山は予想以上に手強く、天候も安定しないため撤退。ヤケノママ行きは翌年に持ち越しかと思われた。

その後、中津川の情報を探していて驚くべき情報を得る。昭和の初期に木材搬出を目的とした猪苗代森林鉄道なるものが西吾妻山の中腹に建設され、終点がヤケノママであったというのだ。小野川不動滝の下に砂防堰堤ではない人工的な構築物があり不思議に思っていたが、猪苗代森林鉄道の橋脚跡であったと知り納得。ヤケノママなる秘境にかつて人の手が入っていたとなれば、廃なるものへのあこがれが黙ってはいない。天候が安定する初秋に再び挑戦することにした。せっかく行くならば天然記念物的な岩魚達にもお目にかかりたい。秋に産卵期を迎える渓流魚は保護のため9月20日を以って全面的に禁猟となる。ということは9月17日からの3連休が唯一の機会となる。良い天候に恵まれることを期待して計画を練った。

計画は浄土平を基点とする周回案である。一日目は谷地平経由で廃道を辿って中吾妻山を越え、吾妻山神社跡からヤケノママに抜けて一泊。翌日は渓流釣りをしながら中津川を遡行し、県境尾根を縦走して一切経を経て浄土平に下山する。体調次第で山中2泊、もしくは県境尾根縦走を短縮して谷地平経由で戻ることも選択肢の一つだ。最悪の場合は西吾妻経由で西大巓をデコ平に下り、猪苗代の実家に立ち寄り浄土平に戻ることも可能。山歩きの最終目的は無事に帰ることにあるから、状況に応じて最も安全な解を選ぶ。

8月は天候が安定せず、仕事の疲れもあって、帝釈山・田代山に行った以外は山歩きする気になれなかった。その分、山の神が恵んでくれたのであろう、9月17日からの三連休は安定した秋晴れが見込めるとのことだった。16日の残業時間に飛び込んできた仕事をなんとか片付けてから現地に出発したので、福島市から国道115線に入り土湯温泉を通過する頃には既に深夜1時を過ぎていた。放射冷却で冷え込みが厳しいことが予想されたため浄土平まで行くのは止め、野地温泉の手前の空き地で車中泊。

17日は朝から快晴で、5時に行動開始。磐梯吾妻スカイラインに進入し、浄土平のビジターセンターの奥の駐車場に車を停めた。最初に浄土平に来たのは小学校に入る前で、父について一切経山に登った。当時は勢いよくガスを噴出していて硫黄臭かった。最後に来たのは30年以上前の小学校の遠足の時だ。このときはバスに酔って浄土平に着いたとたんにゲロを吐き、一人バスに居残り吾妻小富士に登れなかった。よって、浄土平にはあまり良いイメージが無い。

既に何名かの登山客が準備をしているが、こちらは寒いのと寝不足でいまひとつ気合が入らない。隣に車を停めた男性が慌しく準備して軽装で出発していったのを見て行動開始。

冷え込みが厳しくなってきているし、何が起きるか判らないので装備を怠るわけにはいかない。ツェルトは不快なのでいつものテントを所持。着替え、防寒着、シュラフ、3日分の食料に加え、釣り道具まで所持。水場には困らないので飲料水は3リットルに抑えたが、それでも重くてかなわん。浄土平は早朝冷え込んでいたが姥ヶ原への登りで早くも汗をかき、しばし休憩。西端の姥神石像を拝んで谷地平への下りに入る。

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姥ヶ原西端から見る中吾妻山。
地獄駆け回峰行の修験者は、中津川を遡行して権現沢の吾妻山神社に詣でた後、谷地平の白鳳寺を経由して浄土平方面に抜けたという。
写真の左側のピークに中吾妻山の三角点が設置されている。右側のピークは中吾妻山の北峰で、標高は三角点峰とほぼ同じ。修験の道に起源を持つと考えられる中吾妻越えの旧登山道は、写真の山の向こう側にある権現沢を登り、三角点峰と北峰の間の鞍部を越えてくる。中吾妻越えの後、やや北側の谷地平に抜けるために、鞍部から北峰の中腹を横切るように下ってくる。


谷地平に下るのは7月に続いて2度目。悪路のタフな下りなので、慎重に足を運ぶ。しばし立ち止まったとき、背後でガサッと音がした。どんな動物なのかと思っていたら人の姿が見えた。今まで山で人に抜かれた経験は無いので、ちょっとした驚きである。朝から抜かれるのも癪なのでいつものペースで歩いていたら、下りなのにしこたま発汗。疲れているせいか、何でもない場所で転んで泥だらけ。洗濯をかねて姥ヶ沢をジャバジャバ2回渡渉して谷地平の南の三叉路に向かい、谷地平南歩道に入って白鳳寺遺跡到着。

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白鳳寺遺跡から見る中吾妻  07:35


ここから姥ヶ沢の川原を見下ろせる。後ろを歩いてきた男性が川原で釣りの準備開始。道理で先を急いでいた訳だ。当方は西進して大倉川の渡渉点に向かう。渓流釣り師が辿るため明瞭な踏み跡が維持されているが、朝方の冷え込みでチシマザサの葉が結露していてズボンがぐっしょり濡れてしまった。このまま渡渉して対岸の藪に入ったら全身ずぶ濡れになりそう。

あまりに大倉川の渓相が良いので、朝露が乾くまでしばし餌釣りして時間つぶし。渡渉点のすぐ下流に大場所がある。いかにも大物が潜んでいそうな気配なので、赤ブドウ虫を放り込んでみた。ところが魚の代わりに下流から釣り客が現れたのでびっくり。ここは栃木県の大蛇尾川並みに釣り客が多いようだ。ハイプレッシャーの川らしく魚の反応は無かった。

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大倉川渡渉点 初日 08:22
白鳳寺遺跡から大倉川渡渉点までは踏み跡が明瞭。中吾妻山に行く登山者はいないので、歩くのはほぼ100%岩魚釣り師である。
渡渉点はフライフィッシングロッドを振りたくなる素晴らしい渓相。上流側正面には県境の烏帽子山が見える。谷地平を中心とした広大な地域の降水を集めるので標高1,500mにしては立派な流れだ。谷地平周辺の大倉川本支流は昔からイワナ釣りの名所だそうな。


40分ほど待っている間に朝日を浴びてだいぶ露も乾いてきた。いよいよ中吾妻への登り開始。笹刈りされていて道は明瞭。笹刈りが無かったら歩くことは困難なはず。てっきり明確な意思を持って登山道整備をしたと思い込み簡単に登れると期待した。しかし、笹刈りされた道は幾つかに別れ、その全てが行き止まりとなる(行方不明者捜索のために刈り払ったのかもしれない。)。だいぶ行きつ戻りつした挙句に、真ん中の道の終点であるリンドウが咲く湿原の奥に進入。一旦藪に入ったら視界が利かないので適当に登るしかない。地図に拠ると旧道の破線は中吾妻北峰の中腹を3回横切って鞍部に至る。よって、できるだけ南寄りに歩くことを意識して登っていった。

少し歩きやすく感じる場所で赤ペンキ発見。登山道の続きを発見できたという喜びもつかの間、すぐに見失う。おそらく谷筋に向けて南に曲がっているのであろう。どのみち踏み跡は無いので、自分の判断力を信じて先に進む。だんだんチシマザサの藪が鬱陶しくなってきた。ダケカンバの木が多くなってきたので藪が濃く直登は得策ではない。たまたま視界が開けて、一つ南側の尾根が見えた。旧登山道は標高1,800m過ぎまでその尾根上にあるはず。よって、藪の薄い場所を選んで南の尾根に移動。

南側の尾根はアオモリトドマツの倒木が多くて歩きにくい。間違いなく地図の破線路を辿っているはずなのに、相変わらず赤ペンキも赤布も無い。このまま尾根を登りつめると北峰山頂の南側に出る。姥ヶ原からは北峰の頂上が笹原になっているように見えた。笹原歩き=痙攣というイメージがあるので、できるだけ北峰山頂には出たくない。しかし、鞍部に向けて山腹を横切ろうにもチシマザサ藪が酷く無理。観念して上方に向かった。こちらもだんだんアオモリトドマツがまばらになってきて藪が濃くなる。ついにびっしりチシマザサが生える急斜面に入り、腕の力を使って体を持ち上げるような感じになる。やれやれこの先どうなるのかと思った矢先に急に視界が開けた。

遠くから笹原のように見えた中吾妻北峰の東斜面は膝から腰高のチシマザサやホツツジ等で草原状の姥ヶ原のような植生で、リンドウが咲いていた。森林限界となっていて遮るものがないため眺望が優れ大倉川流域一帯を見渡せる。旧登山道をはずしたおかげで思わぬ拾い物をした感じ。

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中吾妻山北峰からのパノラマ(1/2)  初日 10:37
写真中央が谷地平湿原。右側の鞍部が早朝に越えた姥ヶ原。画面左には福島県と山形県の境界となる吾妻連峰が連なる。


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中吾妻山北峰からのパノラマ(2/2)  初日 10:37
写真中央が東吾妻山。右側後方に安達太良山。


南北に連なる稜線に近づくにつれてアオモリトドマツの背が高くなり藪となり、少し西側に逸れるとアオモリトドマツが高く日陰が多いために藪が薄くなる。適当に藪の薄い場所を選んで鞍部へ下る。目的地の鞍部には小ピークがあり、この山にしては珍しく岩が露出している。旧登山道の破線路は小ピークの南側を東西に走る。

アオモリトドマツに打ち付けられたブリキ板発見。昔は「東・谷地平方面」・「西・吾妻山神社」などと書かれていたことであろう。これ以外に鞍部には何も痕跡が無かった。2003年に鞍部まで辿った方の記録では、たいして苦労した様子もなく、ずっと赤布を拾って鞍部に登り、吾妻山神社方面へ抜ける道跡も確認したとのことだった。嘘ではないのだろうが、楽に辿れると思ったらとんでもない。基本的に何もないと心得ておいたほうが良いだろう。

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鞍部にある登山道の痕跡 初日 11:06
写真は権現沢(西側)を見た図。鞍部にはチシマザサの密藪は無いものの、明るい疎林なので棘だらけの植物が混じって雰囲気が悪い。権現沢方面に下ると、立ち枯れ・倒木・チシマザサと雑木の混合藪でさらに雰囲気が悪くなる。昔の道跡を辿るのは現在では100%不可能。


中吾妻山三角点峰(南峰)は元々登山の対象にされておらず、鞍部から山頂に至る道は無い。標高差は70m弱。Web上では登山したという記録が見つからないのでどんな場所なのか予想がつかない。鞍部から尾根を南下するだけなのでルートは簡単。密な藪ではないが、稜線がはっきりしているのでアオモリトドマツとチシマザサに加えてハクサンシャクナゲの藪も混じる。シャクナゲの種類が違うところが東北の山らしい。藪尾根ではあるが東側の眺めは北峰同様に素晴らしい。

ダラダラと藪漕ぎが続くので少々つらい。山頂は広い平坦地で眺めは無く藪が濃い。三角点は西南端にあり、密なハクサンシャクナゲの藪に護られていた。中吾妻山の三角点(1,930.6m)は測量した跡があったが、山名板のようなものはなかった。何もないのが福島の山らしくて良い。

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裏磐梯方面  11:39
中吾妻山三角点 初日 11:40


猪苗代町から見る吾妻山といえば西大巓、西吾妻山、そしてこの中吾妻山を指す。西大巓よりも中吾妻山の方が位置的に南側の眺望が優れており、三角点から猪苗代湖と裏磐梯を一望できる。あこがれの場所の一つを訪れることができて十分に満足。あとは慎重にヤケノママを目指す。

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中吾妻南峰から見る北峰  12:05


鞍部に復帰して権現沢方面へ下った。なんとなく道跡のようなものはあるが、さっそく倒木が現れた後はまったく判別できなくなった。権現沢の源流域となる広い谷は荒れ果てた印象で、立ち枯れ寸前のアオモリトドマツの大木が多い。倒木が多く且つ明るくて藪化が著しく歩きにくいため、沢に下ってしばらく沢底を下り、勾配がきつくならないうちに左岸に上がって森林の中を下ることにした。ところが左岸に明瞭な尾根は無いため、沢の斜面に沿って沢と距離を保って下るのが難しい。密な藪や倒木を避けているうちに沢に近づいてしまう。再び斜面を登って沢から離れても、勾配に忠実に下るとまた沢に近づく繰り返し。しかも、この一帯は岩が大きく隙間だらけで、岩を這う木の根に針葉樹の落ち葉が薄く積もっているので、うっかりすると太腿まで踏み抜ける。下手をしたら骨折して死ぬのは確実。7月に感じた恐怖が現実のものとなった。何度めか踏み抜いた瞬間に両脚が攣って一休み。最後の手段としてバッファリンを一錠噛み砕く。ここの下りを甘くみると本当に命取りになる。昭和50年にここで若者が行方不明になった理由が解るような気がした。

徹底して西に向かえば吾妻山神社跡に向かう登山道に降り立つことができるはずだ。しかし、7月に歩いた登山道は不明瞭であったので気づかずに通り過ぎる怖れがある。あまりに地形に特徴の無い藪中なので権現沢から離れる勇気がなかった。薄い赤ペンキを一回、真新しい赤布を二回見つけた。しかし、道跡もマークの続きも見つけることはできなかった。今回歩いたコースで最も難易度の高い場所である。

下り始めて2時間が経過し、吾妻山神社跡に至る登山道に出会わないまま権現沢の崩壊ガレ地が見えてきた。7月に見たヤケノママに至る道筋を示す赤いペンキが見えたので、ご神体に詣でることなく右岸側に渡った。沢登りの人たちが吾妻山神社を見つけようとして権現沢を遡行しても見つけられなかったとか、登山道を見つけられなかったという話が Web上にある。今回、権現沢を下ってみてその理由がよく解った。吾妻山神社跡が沢本流沿いではなく、権現沢左岸から流れ込む細い沢にあるため、皆気づかずに通り越してしまい、左岸側の斜面をいくら南にトラバースしてもはるか下方にある登山道には行き着かないのである。

崩壊ガレ地を横切り、チシマザサ藪斜面の刈り払われた道を登って権現沢右岸のアオモリトドマツの原生林に入り、7月に撤退した地点に到達。ヤケノママまで地形に特徴の無い原生林を2km弱北上するのである。前回は天候が悪く、マークの続きを見つけることができずに安全策をとって撤退した。今回は快晴で精神状態が安定しており、絶対に突破できるという自信がある。赤ペンキや赤布のつき方から次のマークの位置をほぼ正確に予想し、密なチシマザサ藪の向こう側にある次のマークを拾うことができた。権現沢の下りとは違って踏み抜けの恐怖は無い。藪の様子は引馬峠から孫兵衛山へ向かう時の雰囲気に似て、密ではない。ただし、尾根のように辿るべき場所が明確ではないので気が抜けない。

だんだん日が西に傾き、赤いマークが拾いにくくなってきた。そろそろ藪歩きの時間切れであろう。継森から下ってくる沢に達し、ようやく現在位置を特定。ヤケノママまであと約300mである。沢を渡った後はマークが見つからなくなったが、ここまで来ればこっちのもの。北に向かってヤケノママを見下ろす高みに出て、やや急な斜面を樹木につかまりながら滑り降りた。行動時間は10時間強だが、すさまじい初日の藪歩きを無事終了。時間があれば朱滝に降りるつもりだったが、藪歩きに時間がかかりすぎ今回は無理。体力も残っていなかった。

ヤケノママの下流に小さな沢が中津川左岸から合流するやや開けた場所がある。大雨が降った場合は氾濫原となるらしいが、支流の横に一応テントを張れそうな場所がある。近くに焚き火をした跡もあった。石がゴロゴロしているので、藪中からチシマザサを刈り取ってきて下敷きにして快適な寝場所を設営。テントを設営していて中津川左岸の岩上に小さな物体がたっているのに気づいた。近づいて見ると、小さなおもちゃのお地蔵さんが簡易セメントで固定されている。わざわざこんなものをヤケノママまで運んでくるとは、遊び心のある人もいるものだ。

谷底は既に日が当たらない。日暮れまでにまだ時間があったので4ピースのフライフィッシングロッドを取り出し自作のフライ:ヤケノママスペシャルを試す。本命の場所に投げる前に練習のつもりで目の前の流れに無造作にフライを流したらいきなり岩魚が食いついた。手付かずの自然な流れとはこういうものなのだろう。一日歩いて一匹も釣れない栃木の川はただの水路だ。フライでヤケノママの岩魚とご対面するという夢もあっさり達成し、気持ちに余裕を持って蒸気の噴出する地点まで釣り上がった。

ヤケノママ地蔵     17:46
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ヤケノママ    17:38


ドライジェルを忘れたのでウェット状態でキャストして感で合わせるしかなかったが、それでも何匹かと対面することができた。20代のときに石城謙吉氏著「イワナの謎を追う」を読んで、瀑布の上流に棲息するイワナに興味を抱いた。その後、スキー場ができる以前のデコ平でチシマザサの藪中に豊かな水量の川が流れているのを見て以来、吾妻山のイワナは私のあこがれの一つだった。

濡れた衣服を全て着替え、脱いだ服は水洗い。風のほとんど無い静かな夜。谷底は冷え込みが厳しく、テントの外側はすぐにびっしょり結露した。虫の音は無く、時折シンシンシンという音を伴い飛行する正体不明の生き物(蝙蝠なのか?)の存在を感ずるのみ。中津川の沢音が気持ちを落ち着かせてくれる。2時間ほど眠って目が覚めた。仲秋の名月が谷間の空に懸かっていてとても明るい。実家の母はおそらく翌日の十五夜のお供えを準備しているであろう。子供の頃の月見が懐かしく想い起こされた。じっとしていると冷えるので熟睡はできなかったが、秘境に一人でいることなど忘れて安らかな気持ちで朝を迎えた。後日知ったことであるが、この晩、「丹沢の滝ホームページ」の管理人さんが朱滝下で同じ月を眺めていた。

二日目も好天。中津川を釣り上がる計画なので、着ている衣服を濡らす気になれず前日の濡れたパンツ、ズボン、靴下に着替えた。朝日が射し込まないので谷間は冷え冷えとしており、濡れたパンツとズボンが冷たいのなんの。飲料水は全て飲み干し、支流のきれいな水を汲んでポカリスウェット粉末を溶かし込み本日分の3リットルを準備。

前日とは違うフライをつけて下流側に200mほど下ってみた。左岸、右岸ともに中津川を渡渉するヤケノママの登山道の入り口らしきものは見つからない。ヤケノママから吾妻山神社跡方面に向かうのはやめたほうが良い。釣りの方はフライへの反応がさっぱり。風があるのでフライをあきらめ、遡行開始。

中津川の水量はたいしたことはなく、適当に右に左に移りながら遡行。履いているのは渓流シューズではなく安物の登山靴だが、特に危険は感じない。

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ヤケノママのイワナ  07:44
過去に天元台方面から入った釣り人が移植放流したという説もあるが、デコ平の奥地にも生息しているので、名瀑群が形成されるはるか以前から自然分布していた可能性が高い。体色・模様は猪苗代の一般的な岩魚と大差ない。薄いオレンジ色の斑点は栃木県の一般的なニッコウイワナには見られない特徴と思うがどうなんだろうか。


次第に両岸が切り立ち峡谷となり、小さな滝も何段か現れる。しかし、足掛かりは十分にあって竿を持ったまま越えていける。この場所を抜けると視界が開けて二俣に至る。

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二俣・標高1570m    08:52


二俣にも岩魚が居た。この調子だとさらに2km程度上流まで岩魚が居るだろう。十二分に釣りを堪能したので、二俣から先は竿をたたんで沢歩きに徹する。ここで初歩的なミスを犯した。よく地図を確認しなかったため、1,596mポイントに居るように錯覚したのである。県境尾根に抜ける登山道にとっくに出会っても良いはずなのに、両岸には幕営した跡以外何も無い。一旦二股まで戻ってみたが見つからない。沢登りの連中の真似をして、どこまでも沢を詰めて中大巓と西吾妻山の間に抜けるしかないのだろうか?だいぶ遠回りとなるのでタフな帰り道となる。観念して沢を登っていくと、前方に青い物が見えた。

青く見えたものは釣り人のヘルメットであった。前日、ヤケノママに先行者は居なかったので、彼は沢登りの人ではないはず。ということは県境尾根から下ってきたのであろう。やれやれ、これで遠回りせずに済むと思い安堵。しばし釣り人と話をした。彼は朝方、谷地平経由で県境尾根を歩き、ヤケノママに至る登山道を下ってきたという。宿泊の装備は所持していなさそうだったので、昼過ぎには帰路につくのだろう。禁猟間近だから、こういう恐ろしくタフな釣行をする人もいるのだ。彼も中吾妻越えを考えたことがあるそうで、道が無いという情報には残念そうな表情をしていた。県境尾根に抜ける登山道の場所を教えていただき、お礼を申し上げて先を急ぐ。彼は二俣に向かって下っていった。

県境尾根に抜ける登山道の入り口にはタオルが木に巻きつけられている。それでも入り口が判別しにくい。登山道には見えないが刈った跡があるので進入。周囲はチシマザサの藪が濃く時々不安になるもなんとか辿っていける。風はあるけれども陽射しが強烈で湿度も高い。前日の疲れがたまっていて県境尾根までが実に遠く感じられる。何度も休みながらやっと潅木帯に抜けた。中吾妻山や中津川流域を見渡せる。登山者の熊避け鈴の音が聞こえ、やっと県境の縦走路に近づいたことを知る。ハイマツやシャクナゲ等の頑丈な藪が密で、登山道が無ければ移動は困難だろう。登山道脇の日当たりの良い場所ではリンドウが満開であった。

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リンドウ    10:30
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継森と中吾妻    10:32


ヤケノママ分岐は人形石まで1.8kmの地点で、「至ヤケノママ」と書かれた道標あり。既に存在しない道であるのでいずれ撤去されるであろう。

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ヤケノママ分岐    10:37


県境に沿って立派な木道が敷かれており、沢歩きで疲れた足裏に優しく大変歩き易い。これは助かった。人気のコースとあって、うじゃうじゃというほどではないが、ハイキング客が多い。しかし、この時点でこの場所を歩いている人たちはいったいどこから登ってどこに下るのだろうか。どちらかというと弥兵衛平から藤十郎方面に西進する人の姿が多かった。

弥兵衛平の緩やかな湿原の登りは天国でも歩いているかの気分。木道傍らには大蛇のようなコモが敷かれている。長年にわたって登山者に踏まれてできた無残な県境の傷跡は痛々しいが、近年本格的に土壌流出防止処置がとられたことは喜ばしい。

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県境縦走路と菰    11:02


縦走路のすぐ近くにある東大巓の山頂は眺望ゼロでつまらん。西吾妻山と似たようなもので行く価値は全くない。

東大巓   11:22


縦走路に戻り東大巓の東側に抜け出ると眺めが良くなり、前方には本日辿る予定だった昭元山、烏帽子山、ニセ烏帽子山、兵子(ひょっこ)、家形山、一切経山がモコモコと連なる。

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昭元山〜一切経    11:29


この時点で既に県境尾根を縦走して浄土平に帰るという当初案はあきらめていた。かなり腿に疲労が蓄積していたし、沢歩きの影響か足裏もかすかに痛む。汗をかきすぎたときに感じる頭痛もある。残念ながら重装備で縦走路のアップダウンを越えていけるだけの余力は残っていない。尾根縦走はまたの機会にまわすとして、大倉新道経由で谷地平に下ることを決意。

先に休んでいた親子が大倉新道を下っていった。ガイドブックによるとここから谷地平まで2時間もかかる。登山道を下って2時間とはタフなコースだ。分岐点で昼食休憩してから下り開始。最初の小さな湿原ではリンドウの花が満開だった。ここで道横のクロマメノキ(ブルーベリー)の実を賞味。

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湿原のリンドウ    11:50


県境尾根と同様歩きやすい道を期待していたのだが、大倉新道はとんでもない極悪路だった。こんなに酷い一般登山道を見たことがない。斜面では土壌が抉れて幅15cm程度の細い溝になっていたり、表土が流れてごつごつとした岩石道だったりする。森林の中では泥んこぬかるみが続く。適当に休みながら下り続け一時間半ほど経過しただろうか、最初の渡渉地点で先行した親子に追いついてしまった。かなり疲れを感じたので斜面にもたれて一休み。適温で微風、煩わしい虫が全くいない。栃木の山とは大違い。目を閉じていたら、しばし午睡してしまった。目が覚めて体のリズムがリセット。急な下りが過ぎて大倉深沢を渡渉して、少し登り返すと谷地平湿原に着く。

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谷地平湿原    13:49
谷地平湿原は大倉深沢と姥ヶ沢に挟まれた高台にある。色付き始めた広い湿原と池塘に写る烏帽子山の組み合わせが絵になる。谷地平湿原の花の盛期がどんな感じか想像できないが、キンコウカなどの花を愛でる高山植物よりも単子葉植物が主体であるように見える。高山植物は谷地平の周辺部に多い。


9月になると花は無く、完全に秋の雰囲気だ。7月にここまで足を延ばしていればワタスゲがきれいであったろう。谷地平湿原を抜けてから谷地平小屋に至るまでの草原に高山植物が多い。咲いていた花はリンドウのみだが、この時期は7月頃に満開だった植物の種子が採取できる。モミジカラマツとギボウシらしき植物の種を採取して、父へのおみやげとする。

谷地平小屋を過ぎて、いよいよこの日最後の登りに入る。姥ヶ原までの約300mの登りは疲れた身にはとてもつらい。標高1,530m地点の沢で頭を冷やしていたらチリンチリンという熊避け鈴の音と、威勢の良いオッサン声が聞こえてきた。このタイプの登山者と顔を合わせたくないので先を急ぐ。前日の下りといい、今回の登りといい、追われて歩くのは気分がよろしくない。後方から迫る人たちはすごいスピードだ。熊避け鈴がチリンチリンどころかヂリヂリ迫ってくる。一日行動してなおこのスピードで大声で話しながら登ってくるなんて何者か?こちらはへばっているのに無理をして登るので滝のように汗が出る。あっという間に先行していた親子を追い抜き、姥ヶ原に抜け、そのまま鎌沼を見下ろす東端まで移動。

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鎌沼   15:30



よくぞ体がもってくれた。尾根縦走コースに行かなくてよかった。あとは適当に散策しながら浄土平に戻るだけだ。木道横のブルーベリーをつまみながら鎌沼北岸を歩いて酸ヶ平に抜け、吾妻小富士の雄姿を眺めながら下っていく。2日間の山歩きの最高の締めくくりだ。

下り終える前に、駐車場の手前に青い服を着た男性がいるのが見えた。警官だ。嫌な予感。登山届けを出していないから、氷室山登山の時のように騒ぎになっていたのだろうか。果たして、駐車場手前で警官に話しかけられた。用件は自分のことではなく、8月末に県境尾根で行方不明になった70歳代の登山者に関する情報収集だった。何日か自衛隊まで動員して捜査したが発見できなかったことは出かける前に知っていた。この登山者と県境尾根で遇った人の話では、自分と同じように大倉新道を下り谷地平経由で浄土平に抜けると話していたという。だいぶ疲れていた様子であったので一緒に下りましょうと誘ったものの、予定のコースに向かったのだという。夜間に行動したのであれば、悪路の大倉新道で迷った可能性が高いのではないか?そんなことを含めて10分程度、感じの良い若い警官とおしゃべり。

ワイパーに駐車場料金の請求書有り。既に駐車場料金所が閉まっていたので、近くにいた係員を呼び止めて¥410を渡したら、わざわざビジターセンターまで行って領収書をくれた。磐梯吾妻スカイラインの料金を払っていないから、駐車料金など安いもの。

天候に恵まれた一ヶ月振りの山歩きで、憑依していた中吾妻とヤケノママへの想いを成就することができ、満ち足りた気分だ。帰りは猪苗代の実家に寄り、その晩は父と吾妻山の話をしながら美酒に酔った。

山野・史跡探訪の備忘録