今尾頭沢右岸尾根から尾頭峠へ(今尾頭道探索その1)(2005年10月)

年月日:    2005.10.01(土)

行程:     今尾頭沢右岸の林道入り口から歩行開始・標高約645m(10:32)〜 右岸尾根に上がる・標高約850m(11:26)〜 高原道に抜ける・標高約1,105m(13:49)〜 東電の巡視路へ抜ける・標高約1,200m(14:26)〜 尾頭峠着・標高約1,145m(14:43)〜 尾頭トンネルへ降り立つ・標高約m(15:35)〜 車に帰着・歩行終了(16:12)

関連記録@ 2004-05-29 元湯林道から二方鳥屋山へ
関連記録A 2004-08-11 尾頭道探索
関連記録B 2005-10-30 今尾頭道探索その2

 

最近ますます廃道趣味が顕著になり、廃なるものに牽引してもらわないと山に出かけられなくなってきたような気がする。日曜から出張なので、あまり無理はできない。清澄度は良くないが日中は晴れるとのことで、今尾頭道の探索には丁度良い。

古来、上塩原と上三依の間に標高1,200mの尾根を越える交易路があった。尾頭峠から藤原に抜ける高原道が開削されたのが鎌倉時代のことで770年以上前のことになる。上塩原に抜ける尾頭道が形成されたのはさらに昔に遡る。昔の尾頭道は元尾頭道と呼ばれ、元尾頭沢沿いにあったとされるのだが、はっきりしたことは解らない。地震で倉下山尾根の馬の背と呼ばれる部分が崩落して不通になり、代替路として1683年に今尾頭沢沿いに今尾頭道が開かれた。「元」と「今」という名が沢についているのだから、沢の名は街道名にちなんでつけられたらしい。名称が確定したのは今尾頭道が開かれた後ということになるだろう。

小滝は宿場町として栄えた所であり、元尾頭道も今尾頭道も明治の尾頭道も全て小滝が起点である。元尾頭沢川に架かる橋を渡り、和楽遊苑「源平和合の里」の前を通って今尾頭沢を渡る。引久保地区に向かう坂道沿いの何件かの民家を過ぎたカーブのところから未舗装の林道が延びている。今尾頭道は今尾頭沢の右岸沿いにあったとされている(今尾頭道の位置については、塩原ビジターセンターの新緑ウォークWの資料が詳しいので参照されたし。)ので、カーブ路肩に車を停めた。前回下見に訪れたときは虻がワンワン飛び交っていたが、10月に入りようやく落ち着いた雰囲気となった。

今尾頭沢右岸の林道林道入り口近くの山肌に記念碑と石像群が並ぶ。馬頭観音、弁財天、阿弥陀如来座像、六地蔵尊、二十三夜塔はいずれも江戸時代のものである。記念碑によると、旅人の安全祈願のために建立されたこれらの石造群は元々は小滝西方にあったが、尾頭トンネルの建設に伴い国道400号が延伸されるに及んで昭和57年に有志がこの地に移したようだ。旧塩原町は観光客の誘致には熱心だったが、史跡の保存に関してはてんでお粗末だった。那須塩原市の史跡にでもしたら良いであろうに。

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今尾頭道と思しき窪みが林道の下側に並走している。しばらく進むと沢の近くに廃屋が見えてくる。私有地につき立ち入り禁止の立て札有り。書いた人の名前から、君島家の家だったことがわかる。夏に訪れたときは廃屋からハチがたくさん出入りしていた。秋はもっと危険なので近づかない。街道跡と思しき窪みは林道から民家へ続く道を横切り、今尾頭沢の右岸側の支流の堰堤付近で消える。この辺りが今尾頭沢右岸尾根の末端である。

支流を横切って今尾頭沢の右岸を進む。今尾頭沢は右側にカーブし、両側の斜面の勾配が急になってくる。とても街道があったとは思えない。もちろん道跡は無い。そのまま今尾頭沢を進むと峡谷になってゴルジュの中を水に漬かって歩かざるを得なくなる。この区間で街道が沢底にあったはずは無いと確信。今回は水に濡れるのは嫌なので、少し戻って右岸のやや勾配が緩くつかまる樹木がある斜面に取り付いた。思った以上に急勾配で、つかまるものが無く怖い。滑落したら谷底に転落する。冷や冷やしながら尾根上を目指すと、きれいな道形が現れた。この道は尾根先端部から続いていると思われ、峡谷を巻いた後はゆっくりと沢底に近づく。

峡谷の奥にも堰堤があるのにはあきれた。アホの所業としか思えん。再び右岸側は傾斜がきつくなり、街道があった可能性は無い。しばらく左岸側を辿ってみるが、左岸側も明瞭な道形は無い。街道は沢底そのものだったのだろうか?この事実は新緑ウォークWの資料の道筋と一致しない。右岸側が段丘状になる地点で再び右岸に移ってみたが、やはり道形は認められない。またまた右岸側の平坦地が途切れてしまったので、次第にイライラしてきた。沢底歩きは御免なので、右岸側の小さなガレ沢沿いに右岸の尾根に上がってみる。傾斜はきついが樹木があって藪が無く登りやすい。

尾根上に出るまで道跡は全くない。つまり明治26年まで使用されたはずの今尾頭道は水の流れる沢底そのものだったことになってしまう。本当なのだろうか?もしそうだとしたら道形が残っているはずがない。道形が無いのならば辿る意味も無い。急にヤル気が失せた。谷の奥から尾頭峠に向かう登り区間には道形があるはずだが、再び沢底に下って確かめる気がしない。廃道探索を放棄して尾根伝いに尾頭峠に向かうことにする。

尾根上は笹藪がなくスッキリしている。但し道は無い。

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今尾頭沢右岸尾根     11:26


最初は広葉樹に覆われているが、しばらく登ると南側斜面にヒノキの植林が現れる。920m台のピークを幾つか過ぎると、幾つか炭焼き窯跡が認められる広い鞍部に至る。この辺りは地形がやや複雑で、登りは良いが下りでは注意を要する。次第にスズタケが目立つようになる。一箇所だけ細尾根が数十m程度、猛烈なスズタケ藪に覆われているので、ヒノキの植林の斜面を歩いて回避。その後は再び藪は薄くなる。一週間以内のものと思われる大きなクマの糞があった。1,010mピークを下りかけたとき、今尾頭沢を見下ろす側の斜面で休憩中の夫婦を見かけて挨拶。彼らは大きな篭を持っていたのでキノコ採りらしい。てっきり彼らは元湯峠(新大塩沢峠)経由で高原道の方から下ってきたものと思い込んだ。これは全くの見当違い。地図を所有していないのでとんでもない山奥に居ると思い込んでいたが、帰宅後に地図を見て、元湯林道から簡単に上がれる場所に居たことを知る。

鞍部からミヤコザサのやや急な斜面を100m強登って熊倉山(標高1,135.3m)に至り、昼食休憩。この時は地図を持たないので熊倉山に居るとは思っていなかった。山頂は日当たりが良くて、清澄度がよければ高原山方面が見える。熊倉山(1,135.3m)を過ぎるとスズタケ藪は無く、基本的にミヤコザサ原で歩き易くなる。ミヤコザサの尾根を下っていった場所に、TV電波の共同受信アンテナが設置されている。元湯地区のものと思われる。

今尾頭沢は谷の出口では東西に流れているが、奥部では南に向かって切れ込んでいる。右岸尾根も同様に南に向かっているため、倉下山や尾頭山は見えない。居場所を特定できないものの、単純に尾根を歩いていけば自然に尾頭峠のある境界尾根に行き着くであろうと思い込んでいた。右側に今尾頭沢とその向こうの一段高い山の連なりを感じながら、大変気持ちの良い尾根を快調に歩いていった。ところが、尾根の高度が下り始めて遠く前方に高原山が見える。このまま下ったら、尾頭峠には行けない。下方から遠く聞こえてくるのは今尾頭沢の沢音ではないだろう。ということは今尾頭沢の源頭となる連絡尾根がどこかにあって、とっくに行き過ぎてしまったようだ。連絡尾根に気づかなかったということは、歩いてきた尾根の中腹から派生しているはず。これは厄介なことになった。この一帯は尾根が複雑にくねっており、しかも見通しが悪いので、地図と方位磁石無しでは熊倉山から那須塩原市の境界尾根に抜けるのは難しい。周囲の景色が頼りなのだが、清澄度が低く遠くの地形を把握しにくい。曇ってきたので太陽の方角も判らん。こうなったら試行錯誤の繰り返し。50m程度下ってみて、左右に現在位置より高そうな場所があれば一旦尾根に戻って移動し、再び下降してみる。3回か4回試してやっと細い連絡尾根に入ることができた。迷走登山の真骨頂。これで帰れる!

連絡尾根の南西側斜面は基本的にヒノキの植林地帯。一方、北側の今尾頭沢源頭は崖に近い急斜面で、利用価値がなく自然林が残る。鞍部から70m程度登って緩やかなピークを越えて少し下るとミヤコザサ原の中に一筋の道が現れた。高原道(約770年前の鎌倉時代に開削され、太閤秀吉も通ったとされる、歴史ある街道)である。

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高原道出合い    13:52


新大塩沢峠と足倉山の間のどこかに抜けたらしい(新大塩沢峠の近くだった。)。この区間を歩くのは約2年振り。ここは塩原地区で最も快適な歩道である。2年前との違いは足倉山の中腹でブナの大木が倒れて通せんぼしていたことだけ。

ザーッという音が聞こえ出した。上空はうす曇りで時折雨が降ってくる。きれいに整備された東電の巡視路(合流点から尾頭峠までは高原道の道筋と同じ。)を快適に歩いて尾頭峠へ急いだ。何度か山頂近くをかすめたことがある尾頭山の頂上に行ってみようと思っていたのだが、疲労と降雨でパス。

尾頭峠で心無いハイキング客もしくはチタケ採りが捨てたらしいゴミを回収。バカヤロめ。さて、ここからの選択肢は3つ。

  @ 巡視路経由で尾頭トンネルに下り国道400号を歩く、
  A 明治の尾頭道を歩いて下山、
  B 倉下山尾根を歩いて下山

雨が本降りになったら国道をずぶ濡れで歩くのは格好悪い。しかし、倉下山尾根はスズタケの藪とアップダウンが控える。明治の尾頭道は足場が危険。時間的にもぎりぎり。明治の尾頭道の切り通しを倒木が一本通せんぼしていたので、山の神の示唆ととらえて@案を選択。巡視路は以前より少し歩きやすくなった。何箇所かでヤマボウシの実が落ちていたので賞味。実においしい。

21号鉄塔で一休み。雨がパラついたのは尾根上だけだった。ここから倉下山尾根の向こう側の今尾頭沢を覗き込むことができる。右岸側の沢底に一箇所スギの植林が認められる。いったいどこに道があるのだろうか? 次回以降の課題だ。

巡視路は尾頭トンネルの塩原側出口横に降りる。トンネル内で湧出したきれいな水を排出しているので、顔を洗いサッパリして国道を歩いて戻った。元尾頭沢の地形から判断して、元尾頭道も今尾頭沢同様に沢底にあったと思われる。洪水や崖崩落の影響を受けやすく不安定な道であったことであろう。高原道と対照的だ。

気温・湿度共に高く、軽装で飛ばしたので、短時間ながらタフな山歩きであった。今尾頭道を辿ることはできなかったが、地図無しで尾根歩きに切り替えたことで、予定外の迷走登山を満喫。なかなか快晴の空の下で山歩きできない鬱憤を晴らすことができた。

山野・史跡探訪の備忘録