湯西川・三河沢奥部の峠道跡(2005年10月)

年月日:    2005.10.23

行程:     破線路入り口から歩行開始・標高約1,460m (10:38)〜 1,714mと1,684mピーク間鞍部・標高約1,670m(11:29)〜 1,714mピーク北東尾根・標高約1,650mで折り返し(11:50)〜 車に復帰(12:40)

関連記録@  2005-08-16、17 帝釈山〜田代山

しつこいアブも蒸し暑さも消え、抜けるような青空の下で本格的な山歩きができる季節到来となるはずだったのだが・・・・。今年は週末に良い天候に恵まれない。このままいくと紅葉を見ずに終わってしまいそう。かすかな期待を持って出かけてはみたものの、天候が悪すぎて登山は無理。未走行の林道をドライブしてちょっぴり廃道を探索するに終わった。

明け方、激しい雷と降雹でうるさくてよく眠れず、またしても早起きできなかった。家を出たのが8時近くで、本格的な登山をするには時間が足りない。どんよりと曇り、風も強い。

今後の山歩きの下調べのつもりで、まず安ヶ森林道に進入し安ヶ森峠まで行ってみた。この林道沿いには笹がほとんど見当たらない。ここは湯坂峠から尾根続きの場所である。湯坂峠にも笹がないから、安ヶ森峠まで楽に歩いてくることができるのかもしれない。県境は福島県側から冷たい風が吹き付けて、とても県境を歩いてみようという気にはなれなかった。枯木山はまだ降雪中らしく、雰囲気が悪い。早々に湯西川に戻って土呂部峠方面に向かった。

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安ヶ森林道から見た枯木山方面   09:00


県道栗山舘岩線が開通したという情報を得ていたので、とくにあてもなく進入。8月にとぼとぼ歩いて県境を越えて戻ってきた時は道路工事中だったので、どんな仕上がりになったのか見てみたかった。思いのほか走行する車やツーリング族が多い。撮影の好ポイントでは本格的な写真撮影をしている人が何名かいた。

県道栗山舘岩線は三河沢林道右岸尾根を跨いでから県境尾根まで約3km弱、ほぼ同じ標高を維持して三河沢最奥部の急峻な山肌に沿っている。この区間が最も眺めが良い。ひとまず田代峠まで行って、所々で写真撮りながら三河沢林道右岸尾根を跨ぐ場所まで戻ってきた。

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三河沢と明神ヶ岳、遠くに高原山  10:14


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葛沢山  10:27


地図上の破線路入り口を視察。とっくに廃道になって跡形も無いだろうと思っていたのであるが、尾根取り付きの林の中を覗くと明瞭な道形が残っている。廃道探索で暇つぶししよう。

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破線路入り口  10:38
破線路の入り口は左の2枚の看板の間にある。
写真左側にも林道らしきものがあるが、どこまで延びているのか不明。


最初はチマキザサの丈が低く、笹の葉もだいぶ乾いていた。最初に折れ曲がって高度を稼ぐ場所から徐々に笹の丈が高くなり、ズボンも濡れだす。カッパ着用が面倒で、すぐに笹が無くなるだろうと期待してそのまま進行。

道跡上の笹藪は途切れることなく続き徐々に身の丈ほどの高さとなる。チシマザサの藪もまばらに存在する。途切れることなく続く笹原の斜面を見て「お腹いっぱい。ごっつぁんです。」と言って帰りたくなってしまった。カッパを着るタイミングを逃したのですでにズボンはぐっしょり。当然登山靴もぐしょぐしょ。行けるころまで行ってみる。

2万5千分の1地形図の破線路は一貫して稜線上にある。実際の道は何回か折れ曲がって高度を上げるが稜線上に出ることはなく、馬坂沢側の斜面にある。道形はしっかりしており、登山道ではなく現在の車道建設以前に湯西川と舘岩間の往来に用いられた峠道であると思われた。登山道として用いられたことがあるらしく、少なくとも2箇所で塗装の剥げたブリキの登山道マークが残る。大きな赤ペンキ矢印もひとつある。一見ただの笹薮斜面だが、笹原の微妙な変化から道跡の位置をかろうじて視認できる。最近人が歩いた形跡はなく、太い朽ちた倒木がいくつか道を遮っており、放棄されて久しいらしい。

尾根上は強風が吹いて木の葉が舞う。時折風裏にあたる斜面にも突風が吹き、体ごと飛ばされそうになる。標高1,500mを超えると笹に雪が積もっている。濡れたズボンが冷たくてかなわん。雪が直接付着して腿が冷えるのを防ごうとようやくカッパを着込む。

進行方向の左側に一段高い尾根が続いている。稜線部に生えているコメツガらしき針葉樹は雪を被って白い。地図を持たないのでこの時点ではこれが県境尾根であると勘違いした(実はこの尾根は1,731.8mピークのある枝尾根であった。)。

道跡は尾根の鞍部に上がる(帰宅後に1,714mと1,684mピーク間鞍部であったことを確認。)。コメツガの木にステンレス製の板が打ち付けられており、標石もあって峠の雰囲気。

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1,714mと1,684mピーク間鞍部  11:29


道形は尾根の反対側に抜けている。稜線上に道跡と交差するような踏み跡は無いが、南東側の木の幹には「山」という字と数字が書かれている。営林署の林班を意味しているのだろうか。北西側には点々とピンクの目印有り。こちらは測量屋さんのつけたものかもしれない。雪に濡れたクマイザサの藪の濃さは相変わらずで、稜線上を進む気にはなれない。

鞍部の反対側に続く道形が気になって、少し先まで足を伸ばしてみた。下方に車道が見えるし、遠くの景色にも見覚えがある。さきほど車で県境まで行く時に見たのと同じ。つまり、鞍部は県境峠ではない。道形は三河沢側の斜面に抜け、ゆっくりと高度を下げながら、県道栗山舘岩線の約100m上方を並走して三河沢最奥部の急斜面を横切っているのである。

大正時代、湯西川の男性は冬期に県境峠越えをして田代山(舘岩村側)へ木杓子作りの出稼ぎに行っていた。すなわち、舘岩と湯西川の間には県境を跨いだ交易があったのである。大正6年には三河沢を見下ろす急斜面で雪崩が発生し、7名の出稼ぎ者が亡くなるという悲しい事故が起きたという。地図上の破線は一貫して稜線上にあるため、何故彼らが雪崩に遭ったのか謎であったのだが、昔の交易路は三河沢の最奥部を横切っていたのである。自分は約90年前の遭難の現場を歩いていることになる。

1,714mピーク北東尾根・標高約1,650mを回り込んだ途端に強い北西風をまともにくらった。既に足先に感覚が無くなっており、凍傷になりかねない。県境尾根方面を眺めて引き返した。

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田代峠方面  11:50
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鞍部近くから見る奥日光方面  12:00
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1,684mピーク南のブナ林  12:22


日光方面も天気が悪かったので、まだ車を走らせたことのない大笹牧場を抜けて大笹街道経由で今市に抜けた。戊辰戦争縁の街道跡が残っているのを確認できたので、こちらもいつか辿ってみたい。

山野・史跡探訪の備忘録