小法師尾根歩き(小滝・夜半沢ルート探索)(2005年11月)

年月日:    2005.11.19(土)

行程:     庚申ダム駐車場出発・標高約650m(06:45)〜 巣神山・標高1,226.0m(08:14)〜 破線終点・標高約1,385m(08:45)〜 小法師岳・三角点(10:07)〜 破線終点・標高約1,385m(10:58)〜 小滝坑・北夜半沢地区に降下(12:30)〜 車に帰着(13:45)

久々に土日連続で快晴が望めるとのこと。この秋は天候に恵まれず本格的な山歩きができなかったので、冬に入ったというのにまだあきらめがついていない。これが今年最後の機会と考えて計画を練った。福島県境は降雪するであろうから、狙いは足尾の群馬県境である。群馬県も晴れの予報だから県境も天気が良いだろうと期待したのである。銀山平から六林班峠に至り小法師尾根を歩いて帰るコースはH@上三川さんが歩いた報告がある。小法師尾根を下りで通しで歩いたことはあるが、上りでは小法師岳止まりである。日の短いこの時期に逆周りで周回できるかどうかわからないが、ダメなようなら潔く退却する。周回できた場合に備えて、時間短縮のために銀山平近くにMTBを置いておく。

いざ、足尾に行ってみると車のライトにキラキラ光るものが降っていた。麓で風花が舞っているのなら、山の上は降雪中。これで早々と計画に黄色信号が点った。頭上は青空が広がっている。雪が止むことを期待して登山開始。何が起きるかわからないので、山中泊できる本格的な装備を担いでいく。

庚申ダム駐車場からのコースを辿るのは4回目。近くの高原山でさえ4回以上登ったことがあるのは1コースのみであることを考えると不思議だ。それだけj静かで綺麗で且つ安全な場所ということか。

スギの植林地内にはうっすらと雪が積もっていた。谷の上方でシカが移動する姿が見えた。何も食い物がなさそうな植林地だが、寒さを避けるために麓に下りてきているようである。いつもは最後まで登山道を辿るのだが、左側の尾根上から明るい光が射し込んでいたのでシカ道を辿って早めに尾根上に抜けた。尾根上のミズナラやカエデは全て葉を落とし尽くしている。よくよく考えてみれば、足尾は高原山の麓より標高があって寒い。来るのが3週間遅かった。

巣神山(標高1,226.0m)到着時、天候が回復する兆しはないどころかさらに雪雲が広がり太陽が翳りつつあった。袈裟丸山方面から時折雪混じりの強風が吹き付ける。歩き始めてすぐに左足のかかとに異常を感じていたので、この先どうすべきか思案。急な登りはしばらく無いし、せっかく来たのだから来春の縦走のための貴重なデータ集めをすべく、ひとまず1,425mピークまで進むことにする。その後は天候と体調次第。

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巣神山   08:14


腰高のミヤコザサに積もった雪をバサバサ払い落としながら進む。気温が低いからズボンに付着した雪が融けず、あまり冷たく感じない。汗もあまりかかないし、気温的には最適な状態といえる。

破線路終点・標高約1,385m)で庚申山方面の降雪の状態を見て六林班峠に行く気はなくなった。時間的にも当初の周回をするのは無理だろう。降雪の状況は今年3月に訪れた時と酷似している。かんじきが要らないのと吹雪いていないだけマシ。小法師岳が見えているので、前回同様、小法師岳まで往復する。

1,526mピーク(雨降沢ノ頭)への登りはミヤコザサがやや深いが踏み跡は明瞭。雪を払いながら進む。ちょうど1,526mピークに達した頃、雪雲が一時後退し、鋸山の近くまで見渡せた。このまま雪雲が後退してくれると期待して小法師岳に進む。

鞍部への下りでは笹に混じって大量の枯れた蕨が目に付く。ここから小法師岳までの間に蕨が大量に発生する場所が何箇所か存在する。今度は蕨採りに来るか。

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小法師岳から見た庚申山  10:02
三角点手前の偽山頂から撮影。


県境尾根を越えて次々に雪雲が波状的に到来。1,526mピーク到達時には青空が広がりつつあったが、小法師岳到着時には再び悪化。その後は回復せず。

小法師岳・三角点近くの木の幹に新たな山名板(山部山名板ではない)が頑丈な釘で打ち付けられた様子が痛々しい。残念ながら天候が悪化してきたので、すぐに退散。まるで3月と同じ展開だ。

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小法師岳   10:07


破線路終点・標高約1,390mに復帰して、下山ルートを思案。当初の周回案をあきらめたので時間はたっぷりある。下野新聞社の栃木県市町村地図に小滝坑跡からの破線が記されていたことを思い出した。最後は谷を下るルートなのでこれまで敬遠してきたのであるが、出発前に目にした小滝の里に興味が湧き、どこに登り口があるのか特定してみようと思った。

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破線路終点   10:58


破線終点(大きなダケカンバの木がある)から1,326mポイントまで明瞭な踏跡は無いが、迷う心配はない。扇状に広がる尾根(台地)全体にカラマツが植林されており、その北側の縁の防火帯を進む。一面、膝下のミヤコザサに覆われて道跡は無い。北風が吹きつける場所であり、小法師岳と似た雰囲気がある。

所持している地形図には道が記されていないので、1,326mポイントからの下り方が不明。本当に沢沿いの道だったのかどうか記憶が曖昧で自信がない。ダメなら戻ってくれば良いのだが、雪の勢いが増してきたので気持ちに余裕が無い。何度も地形図を見て思案。こんなに地形図を眺めたのは久しぶり。地形図によると、1,167.3mの三角点がある尾根の先端は崖になっていて下れそうにない。

1,326mポイントの辺りの標柱がある場所から谷に降下。赤テープが点々と沢に向けて下っていく。急勾配の区間では斜めに北に向かって下るしっかりとした道があった。勾配が緩くなると赤テープが消え、道も不明瞭となるが、沢の奥部一帯は勾配の緩いカラマツの植林地帯であり移動は容易。全ての沢筋が最後は一つにまとまるので勾配に沿って適当に下っていけばよい。そのうち、下っている沢の右岸に道形が現れた。あとは道なりに下るだけ。

道形は途中から左岸に移る。ガレて道を識別しにくい場所もあるが、沢底はそこそこ広く危険個所は無い。小さなナメ滝で最初の人工物を見つけた。取水施設の残骸である。この沢が小滝坑の主要な水源として用いられていたことが解る。沢底には放棄された導水管が転がっている。

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取水施設   12:10
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導水パイプ   12:13


さらに下ると、囲いと屋根の残骸に至る。一見ただの建物の跡地風だが、煉瓦造りの水の取り出し口があるので浄水場跡と思われる。外れた太い水道管のフランジが印象に残った。貯水槽には落ち葉がぎっしり詰まっている。

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浄水場跡   12:19


浄水場より下方には、斜面にしっかりとした石積みで作られた平坦地が次々に現れる。沢の向かい側にも敷地跡がたくさんあるのが見える。地形図では急峻な沢にしか見えないが、ここには小滝坑の大規模な居住地区があったのである(後で小滝の里の説明を見て、北夜半沢地区であることを知った。昭和29年の閉坑に伴い全ての施設を撤収したため、住居の残骸は無い。)。

北夜半沢地区の大通りに相当する場所に往時の階段が残されている。今はカラマツが植林され、積もったカラマツの腐葉土にスギの種が芽を出し育ちつつある。

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小滝・北夜半沢社宅跡  12:28


相変わらず風花が舞っているが、カラマツ林の柔らかい陽射しが心地好い。石塁に腰を下ろして昼食休憩。ふと後方を見やると、人間の出現に驚いたサルの大集団が山に避難していくところだった。その数、50匹くらいいたのではなかろうか。今は彼らがここの住人ということか。

最後は切り通しに設けられた階段で車道に降りた。現在の車道建設で山が削られてしまっているので、この部分だけ往時の面影が無い。

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北夜半沢の入り口(小法師岳旧登山口)  12:50


旧小滝橋や火薬庫跡などを見物しながら銀山平手前に置いたMTBを取りに行き、再び小滝の里を見物しながらゆっくりMTBで庚申ダムに下った。小滝の里には大正5年(1,916年)の最盛期には12,000人も生活していたという。小学校(昭和31年まで)と中学校(昭和29年まで)があった広い敷地を散策しながら夜半沢や爺ヶ沢を眺めているうちに、中途半端に終わったこの秋の山歩きのことなどどうでも良くなった。

小滝坑と小法師尾根は深い関係にあったと思われる。明治時代には小法師尾根から大量の樹木が伐採され小滝坑へ搬出されたことであろう。庚申ダムから巣神山経由で登るより、距離・時間的に夜半沢から登る方が有利と思われる。次回訪れる時は、今回確認した夜半沢ルートから登ってみたい。

山歩きとは関係ない話だが、舟石峠に若いネコが一匹いた。舟石峠に人家はなく、遠くの住宅地から移動してくることも考えにくい。家ネコがここで餌を捕って生きるのは不可能だ。捨てられたんだろうか?ネコ好きなのでなんとかしてあげたかったけれども、近寄ってこないのでしょうがない。いずれ死んでしまうのだろう。

山野・史跡探訪の備忘録