今尾頭道探索その3(2006年5月)

年月日:     2006.05.03

行程:      こたき館裏の尾根先端から歩行開始・標高約625m (11:13)〜 土呂見堰堤到着・標高約705m (12:01)〜 支流のナメ到着・標高約750m (12:26)〜 谷筋で古道を見失う・標高約950m (13:03)〜 明治の尾頭道と出合う(標高約1,000m (13:20)〜 尾頭山山頂・標高約1,225m (13:56)〜 尾頭峠到着・標高約1,150m (14:28)〜 倉下山尾根の付け根到着・標高約940m (15:01)〜 958mポイント到着 (15:45)〜 倉下山山頂・標高約960m (15:53)〜 車に帰着・歩行終了 (16:17)

関連記録@ 2005-10-30 今尾頭道探索その2

今年は訳あって家族を残して独りで帰省。誰に遠慮する必要も無い。天気が良いので、猪苗代に帰省するついでに遊んでいこう。普段なら国道294号で白河経由で帰るのだが、塩原に寄ってから国道121号で帰ることにした。

国道400号線で塩原に行くと渋滞する可能性があるので、ドライブがてら下塩原矢板線に入り学校平経由で塩原へ抜けた。何かおみやげ買っていこうと思うのだが、塩原の名物が何か知らない。駐車スペースのほとんど無い温泉街で駐車できるほど神経太くないので、バイパスに回ってホテルニュー塩原の第三駐車場に置かせてもらった。ホテルの中に売店があるのかと期待したのだが、入口近くには見当たらないのでテクテク坂道を下って温泉街へ。車で通った時に気になっていた饅頭屋さんで三色饅頭を二箱買い、平安末期から続く古刹の妙雲寺を訪ねてみた。この地に落ち延びた妙雲禅尼の質素なイメージはなく、観光客向けに余計な物を付加しすぎている感じがする。

さて、時間はもう午前11時。暗くならないうちに田舎に行くと言ってあるので、塩原から猪苗代まで田島経由で2時間半かかるとして、午後4時には出発したい。中途半端な時間だが、1683年から1897年まで200年以上使用された今尾頭道の探索には丁度良かろう。以前準備した地図があるし、前回の探索で今尾頭沢奥の屈曲点近くで古道入口を見つけてある。今回は取り付き地点から尾頭峠まで忠実に古道の道筋を辿ってみよう。

こたき館裏の尾根先端から歩行開始。和楽遊苑・源平和合の里の前を通り、今尾頭沢の橋を渡ったところから道路を逸れて右岸を辿り、集落を迂回して大道ヶ原へ向かう林道に入る。集落の犬に吠えられて気分悪くしたくないがための策である。林道は長くは続かず、高台の耕作地で終点となる。ここが文献に出てくる大道ヶ原であると考えられる。耕作地を抜けると山道に変化し、今尾頭沢右岸の急斜面を抜けてから沢底に下る。今尾頭沢のゴルジュを巻くためにやむを得ず急斜面を通す必要があったわけだが、今にも崩れそうな細い道形から察するに、往時も馬がすれ違うことなどできなかったに違いない。

一旦沢底に下りた後は適当に歩きやすいところを進む。春に今尾頭沢に入るのは初めてだ。やたらとヒトリシズカが生えていること以外に目を引くものは無い。コゴミが若干生えているが貧弱で、あまり地力に富んだ沢ではないようだ。

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ヒトリシズカ  11:42


左岸の斜面に道跡らしきものがあるのだが、ほぼ全て崩落消滅してしまっており、街道跡なのかそれとも後世の作業道の跡なのかは判らない。

今尾頭沢はゴルジュが少なく沢にしては気分良く歩ける場所だ。特に昭和30年に建設された土呂見堰堤は、山腹から滲み出る伏流水がアクセントとなって美しい。

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土呂見堰堤   12:03
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銘板が金属製ではない


堰堤の上流部の広いゴーロを過ぎると一箇所ゴルジュが現れる。春先は水量が多くて靴を濡らさずに沢底を通り抜けることは不可能。右岸を巻いてみたのだが、道跡はなかった。この区間はおそらく左岸沿いにゴルジュを巻き、沢が渓流相になった辺りで右岸に渡渉していたと考えられる。沢が南に屈曲する場所を過ぎると再び左岸に渡渉する。渡渉点の岩場に人工的に手を加えた跡は見当たらず、往時は粗末な丸木橋が架かっていただけなのではないだろうか。ここに到るまでの間、沢底に古道の痕跡はほとんど残されていない。沢底の街道は出水の度に損壊したであろうから、昔の人々が街道の維持に腐心したことは想像に難くない。またまた右岸に渡渉してしばし平坦な場所を進むと、スギの植林地帯が近づき、左岸側に支流のナメが見えてくる。

取り付きは屈曲点近くに飛び出た尾根南西側の支沢の奥にある。支沢の入口がナメになっているので見誤ることはない。

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支沢合流点    12:26


沢はすぐに二俣になり、主流である左俣をしばらく進むと中央の尾根に上がっていく古道跡に出合う。一帯はカラマツ植林地帯であり、道筋は背丈を超えるスズタケに覆われている。古道は狭い尾根上をジグザグに辿り、850m付近で右俣が消滅すると、倉下山尾根が見える場所までジグザグ道の折り返しの幅が広まる。この辺りまで上がるとスズタケの藪は局所的に見られる程度となり歩きやすい。

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今尾頭道の跡・標高850m付近    12:49
このように道形が明瞭で藪も無く歩きやすい場所はほとんどない。同時期に放棄された高原道に較べて消滅度が著しい。


ところが950m付近でピョコンと飛び出た尾根の西側に回り込み谷筋に達したところで道は忽然と消えてしまう。

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道跡消失地点    13:03


谷筋の反対側には道の続きが無いので、道はしばらく谷筋に細かくジグザグにつけられていたと考えられる。緩い勾配では余裕で馬を通せる幅で道形が残されているが、やや急勾配で脆い場所では道形が完全に失われてしまっているのである。やっとかすかな道跡の続きを見つけたものの再び見失ってしまったので、あきらめて尾根を辿る。

標高約1,000mで倉下山尾根の付け根から南西方向に長い距離を登ってくる明治時代の尾頭道(これも廃道)に出合った。

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明治の尾頭道出合い    13:20


塩原ビジターセンターの新緑ウォークWの地図に描かれた古道の地図通り、確かに今尾頭道は明治時代の尾頭道と交差している。2005年に明治の尾頭道を辿った時に、不鮮明だが不自然な道跡らしきものが交差することに気づいていた。それが今尾頭道であったのである。さて、これは厄介なことになった。明治の尾頭道はダイナマイトを使って強引に作った道であるから、交差していた旧道の続きを見つけにくい。そのまま明治の尾頭道を辿って北に折り返すと、幸いにも途中で今尾頭道の続きを発見。この後2回交差しているのを確認したので、少なくとも3回は交差していることになる。

明治の尾頭道の最後の区間は尾頭山の山腹を南から巻いて尾頭峠まで達する。この最後の区間でも交差を確認したが、その先は今尾頭道の続きを見つけることができなかった。南側を慎重に探せば見つけられたのかもしれないが、時間が無いので尾頭山の山頂を目指してミヤコザサの斜面を直登する。

尾頭山山頂(標高約1,225m)にはまだ雪が残っていた。高原山方面の眺め良し。既に午後2時近い。遅い昼食をとってから今尾頭道の峠を探しに尾根を南西に向かった。

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尾頭山    13:56
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尾頭山から見る高原山    13:58


今尾頭道の峠は尾頭山の南側の鞍部にあったとされる。しかし、今尾頭道の峠があったとされる場所は丈の高いミヤコザサやスズタケにびっしりと覆われ明瞭な窪みは見当たらない。沢源頭部で勾配がきついためにほとんど消失してしまったのだろうか?重要な交通路であったはずなのに、稜線を跨ぐ道跡が全く無いのは解せぬ。わざわざ尾頭山の北西斜面を巻いてから今尾頭沢に下るコース設定は遠回りで不自然且つ危険。明治の尾頭道の最後の区間に出合った後は道跡を見つけられなかったので、今尾頭道の峠は明治の尾頭峠と同一であった可能性が高い。

一応古道探索の目的は達成したので、高原道を歩いて尾頭峠に至り、明治の尾頭道を下って倉下山尾根を辿って戻ることにする。

尾頭峠(標高約1,150m)にはまだ雪が残っていた。Vの字に掘られた峠には樹木が倒れこみ、馬頭観音も倒れており、この冬が厳しかったことを物語る。

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尾頭峠    14:28


さて、ここから明治の尾頭道を下って楽勝と思っていたら誤算が2つ。先ず、一度登りに使ったことがあるはずなのに、どこでどう間違ったのか薙で行き止まりとなった。道の続きが見つからないし、こんな場所は記憶に無い。倉下山尾根を見下ろしながら適当に斜面を下ってみたのだが、次第に急傾斜となり下るのは無理。南に逃げるように登り返すと尾頭道の続きが現れた。???。次に、倉下山尾根を目前にして恐ろしい場所を通過。法面が崩れて道が埋まってしまい、足幅分の足掛かりも得られない状況である。足が滑ったら受け止めるものは何も無い。確実に死ぬ。前回の恐ろしい記憶はあったのだが、危険箇所は倉下山尾根の中腹であると勘違いしていた。冒険はしない方だが、迂回する場所がなさそうなので突破。明治の尾頭道は場所を選ばずダイナマイトで破砕しながら作った道だから、今尾頭道に較べて危険箇所が多い。

無事、倉下山尾根の派生する場所(標高約940m)に到着。倉下山尾根を歩いた記録を目にしたことがない。藪の状態が心配だったが、尾根のスズタケ藪はたいしたことはなく楽に歩ける。尾根全体が伐採された歴史があり、稜線上に延々と古い切り株が認められる。イワウチワがチラホラと咲いていたので、今頃若見山に行けばイワウチワを楽しめるのであろう。「馬の背」に相当する場所は痩せているが適当につかまるものがあり危険を感じない。見晴らしは良好で、若見山から白倉山にかけて見渡せる。眼下には国道400号線が近い。北側斜面にはガレた場所は見当たらず、300年以上前に起きた「馬の背」の山崩れの場所がどこなのかは判然としない。

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馬の背から見る日留賀岳方面    15:27
右側の山が若見山。奥に見えているのが、アスナロの茂る日留賀岳前衛峰。日留賀岳がちょっとだけ頭を出している。


馬の背から958mポイントまでの区間は主に南側がスパッと切れ落ちて崖になっているが、裸の痩せ尾根は無く安心して辿れる。倉下山の山頂は標石もないのに人工的にぽっかりと空間が開けており、南北を見渡すことができる。目印も標識もなくスッキリしていてたいへんよろしい。

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倉下山山頂    15:54
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倉下山から見る高原山


倉下山の下りの勾配はきついが、岩場はない。途中からはヒノキの植林の際を下って正確に目的の尾根に入った。この尾根で最も危険な場所は標高740mの鞍部にある。北側斜面の崩壊が進んで痩せた裸尾根になっており、浸食の進行を止めるための工事が施されている(国道400号沿いの売店から見える。)。最後はスギ林を抜けて放棄された耕作地に出て、尾頭道を下って駐車地に帰着。

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明治の尾頭道入り口    16:17


3回目の探索でようやくその全貌を確かめることができた。今尾頭道をほぼ通しで辿ってみて、昔の尾頭峠越えが厳しい道のりであったことを実感。今尾頭沢入口の巻き道の危うさ、足元の不安定な沢底の区間、尾頭山の急傾斜など、楽に安全に歩ける区間がほとんど無い。街道を維持するためには大変な労力を要したはずだ。今尾頭道は元尾頭沢沿いにあった旧道が山崩れで使えなくなったためにやむを得ず開削された道である。できるだけ勾配の緩い場所を選んだことが伺えるが、全ての区間で安全を確保することは困難であったようだ。明治になって新たに尾頭道を開削し直した理由が納得できる。今尾頭道単独で小滝宿が安定して繁栄するのに十分な通行量を確保できたとは考えにくい。安全第一の旅客は高原道を辿り、大塩沢峠から元湯を経由して小滝に下っていたのではないだろうか。

山野・史跡探訪の備忘録