大内峠(2006年11月)

年月日: 2006.11.18

行程: 大内ダム側入り口(10:17)〜一里塚(10:27)〜大内峠茶屋跡(10:34-10:49)〜高清水(10:59-11:07)〜三郡境の塚(11:23)〜氷玉峠〜氷玉トンネル(11:31-11:40)〜駐車地に帰着(11:54)

田舎から電話があり、柿・りんご・白菜・大根等を取りに来いとのこと。帰省するついでに会津の山で遊んでいこうと思い、とりあえず家老岳に登る準備をして出発。栃木県の平野部は晴天であるが北部山沿いは曇りで、鶏頂山にぶつかる西風が不気味な雲をたなびかせている。県境近くの山々は標高1,200m以上は新雪で真っ白。天候が思わしくなく、おまけに適当な車の置き場所も見つからないので、家老岳はあっさりあきらめて条件の良さそうな場所を求めて北上。大内宿方面に左折してすぐに小野岳登山口の標示を見つけたのだが、大内宿側から楽に登れるのではないかと期待してそのまま車を進めた。ところが大内宿側から小野岳に登る口を見つけられず、ロックフィル式の大内ダムまで行ってしまった。このまま進むと会津盆地に下りてしまうので面白くない。以前から興味があった大内峠で暇つぶしして行こう。

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大内ダム 10:16


大内ダム側の入り口にある説明板の文字が劣化しており、かろうじて読み取りは可能だが写真は撮れず。道は幅広でよく整備されており歩き易い。山腹を回り込むように大内峠に向かう。

下方の沢沿いに狭い舗装道路が上がってきて並走し、最後は一里塚で合流。つまり一里塚までは車でも上がってこられるということ。

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一里塚  10:28


一里塚は街道の左右に一対で設けられるのであるが、後の世に街道を拡幅した場合には片方を削らざるを得ない。一対で残されているのは山の中の放棄された街道ならではのこと。ここの説明板は字が消えてしまっていて読み取れず。一里塚を過ぎると道が2手に分かれる。左側を選択したのであるが、どちらを歩いても最終的に峠に行き着く。峠には、戊辰戦争の折、ここで2日間に渡って会津軍と西軍が展開した熾烈な戦いに関する説明がある。

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大内峠   10:34
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大内峠の説明


大内峠を越えて山の北側斜面に回りこんだところに茶屋跡がある。会津盆地方面を見渡せる場所であることが第一の立地条件であったのだろうか。山陰で冬は冷え冷えとしているが、夏場は涼しくて好都合だったろう。茶屋跡には祠が2基と馬頭観音が1体。いずれも建立年代は不明。

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茶屋跡   10:36
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茶屋跡の説明
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馬頭観音


茶屋跡で道が2つに分かれる。整備されていない下側の道が街道跡で、整備された上側が遊歩道であろうと判断。藪化した下側の道を下ってみる。

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複線分岐   10:38


やがて高清水なる水場に至る。ここの説明に拠ると、どちらの道も街道であり、三郡境の塚で合流していたとのこと。

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高清水の説明   10:59


高清水には上の街道への連絡路があるが、そのまま下の街道を下ってみた。しかし、県道開削によって道は消失しており、県道に出られなくはなさそうであるが面白くない。高清水まで戻って、上の街道を辿って三郡境の塚を目指す。見晴宜敷場所とされている場所は何の特徴もなく休憩するような場所には思えない。

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大内峠見晴宜敷場所   11:16
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大内峠見晴宜敷場所の説明


上の道は氷玉トンネルのだいぶ上方を跨ぎ西側から県道に近づく。三郡境の塚は周囲を柵で囲ってあるが、中には朽ちてなくなりかけた杭以外何もない。

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三郡境の塚の説明   11:23


街道はこの先県道と交差しながら栃沢まで続くらしいのだが、氷玉峠で県道に抜けトンネルを歩いて戻る。トンネル手前の橋から見る大戸岳の眺めが良い。氷玉トンネルは緩くS字にカーブしている。全長650m、1990年3月の竣工。

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県道から眺める大戸岳   11:30
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氷玉トンネル   11:31


歩く人は少なそうだが、良く整備されていて危険な場所はない。古に想いを馳せながら1時間半〜2時間程度で回れるお手軽なハイキングコースである。

山野・史跡探訪の備忘録