小野岳(2006年11月)

年月日:     2006.11.18

遭遇した動物:  ヤマドリ

行程:    小野観音堂無料駐車場(12:11)〜小野岳山頂(14:00-14:22)〜帰着(15:30)

大内峠を散策した後、一山登ってみようかと再び大内宿をかすめて小野岳登山口へ移動。

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小野観音堂   12:11


小野観音堂に無料駐車場があり、登山道の標示もしっかりしている。これならば予備知識ゼロでも登れそう。先客は宇都宮ナンバーの1台のみ。既に昼を過ぎているので、途中ですれ違うだろう。静かな山頂が期待できそうだ。

登山道としても用いられている山道は山腹を斜めに西側に向かって直進。やがて登山道の分岐が現れ、スギ林の中をジグザグに登る。スギ林の上端を越えると、以後は延々と気持ちの良いミズナラ主体の落葉樹林の中を行く。

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中腹のミズナラ・クリ林   13:14


慣れない登山道歩きでペースが上がり気味になるので、途中から故意に道を外れて適当に落葉樹林の斜面を登る。この山にはクリの木が多く、斜面でうっかり手をつくと痛い目に遭う。登山道を見失うことはないと思うが、所々にピンク色のテープが付けられている。落葉したこの時期には山腹のどこに登山道があるのか明白だ。登山道から逃げるようにだいぶ西側に移動したつもりが、道も西側に山を巻くように追いかけてくる。結局観念して大人しく登山道を辿ることに落ちついた。標高1,200m付近で積雪がちらほら見え出したところで、若い男女が休憩中。この先は誰にも遇うことは無い。天気が回復して明るくなり、時間帯は遅いが雰囲気は悪くない。

小野岳はどっしりと広く丸い形状であるため、山頂が近そうで遠く感じられる。登山道は真っ直ぐ頂上には向かわず、標高1,350m付近でぐるっと西側に回りこんでから山頂に向かう。山頂部だけが深く積雪するらしく丈2m程度のチシマザサが濃い。

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山頂部のブナ・ダケカンバ林   13:57


ただの藪山なんだろうかと思いながら高みに向かうと眼前に素晴らしい景色が広がる。東側には大戸岳が聳え、北東には猪苗代湖、川桁山地、安達太良山、磐梯山が望める。北側の会津盆地も見渡せて、予想外の好眺望に感動。

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小野岳から見る大戸岳  13:59


北側にも登山道があり、祠の周囲の雪上には大内集落側から往復した人たちの足跡が多数残されていた。

陥没していた小野嶽明神を平成二年度に地元有志が復元したことを記念して建てられた覚書がある。覚書の朝日長者が残したと伝えられる歌は、平家落人に関わる南平山の伝承と瓜二つ。おそらく起源は同じなのであろう。

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小野嶽明神  14:05
一番手前の木はキハダだったような。
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覚書


少し南側に移動すると二等三角点がある。

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二等三角点  14:08


帰りは小刻みに足を繰り出して滑らないように下る。岩も藪も無いので下りが結構きつい。中腹で登山道の東側に見晴らしの良い斜面があるのを見つけて、しばし南側の景色を堪能。眼下に会津大川沿いの湯野上温泉郷を見下ろし、二岐山から三倉山まで一望できる。

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小野岳中腹からの眺望  14:53


標高差約850mを3時間強で往復した訳だが、気温が低く発汗が抑えられたことで翌日に筋肉痛が生じることもなく、久々に快適な山歩きであった。

小野岳登山を終えてから駐車地の目の前にある小野観音堂を訪れてみた。南山御蔵入三十三番巡礼札所の第十番札所で1,813年の建立とのこと。境内入り口の大きな門は近年復興したものであるという。正面に観音堂があって、左隣に神社がある。

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小野観音堂  15:38


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小野観音堂の説明板


記帳場所に置いてあったお持ち帰り用のパンフレットには、小野観音堂の由来や小野岳にまつわる伝説が紹介されている。小野岳山頂の覚書で知った「朝日長者」の存在が気になっていたのだが、パンフレットを読んで納得。なんでも允恭天皇(5世紀前半)の頃に小野岳山頂に朝日長者なる豪族が住んでいたというのだ。この長者が、娘である朝日姫とその夫の有宇中将の供養のために観音堂を立てたのが始まりという。どう考えても允恭天皇の時代に小野岳頂上に長者が住んでいたなんてことはあり得ない。しかし、小野観音堂の後ろに朝日長者の墓、近くの畑にはその妻の墓があるとのことで、よくできた伝説である。朝日長者には実在のモデルがいたのかもしれないと思うと妙に楽しい気分になった。

山野・史跡探訪の備忘録