小法師尾根ツツジ観賞・象山探訪(2007年5月)

年月日:    2007年5月20日(日)

行程:    小滝の里(05:31)〜小法師岳(08:36−09:06)〜象山尾根・標高890mで退却(12:10)〜北夜半沢を下って浄水場跡から取り付き〜象山突端(13:36)〜帰着(14:20)  

足尾の山で主だったところは一通り歩いてみた。三俣山から渡良瀬川までの県境尾根には魅力を感じないので、今後は長い縦走はせずに自分好みの場所をゆったりと花や紅葉を観賞する目的で歩くつもりである。とはいっても賑やかな場所が大嫌いだから行く先は今までと大して変わらない。今年も足尾のツツジを観賞に小法師尾根を訪れてみることにした。

ツツジの種類によって分布も開花時期に差があるため、5月下旬の小法師尾根のツツジ開花状況は雨降沢ノ頭(1,526mピーク)を境に変化する。雨降沢ノ頭まではトウゴクミツバツツジが主体でアカヤシオは見られない(終わってしまっている)。雨降沢ノ頭から奥はアカヤシオ主体となる。アカヤシオ狙いで行くとトウゴクミツバツツジの盛期には若干早すぎる。その逆もしかりで、登る時期を見極めるのが難しい。これまで登った経験と他所のツツジの開花状況から、今年は5月25日頃に1,425mピークのトウゴクミツバツツジが見頃になると予想していたが、最後の週末に天気が良い保証はないので少し早めに訪れてみることにした。これがアユ釣りシーズン前の最後の山歩きとなるかもしれない。

明け方は、群馬県との県境には雲がかかっていたが旧足尾町上空は青空が広がっていた。ところが登っていくうちにどんどん雲が広がって、青空が時折覗く程度に縮小。庚申渓谷に面した稜線は時折遠くからゴォーッという唸り音とともに小雨混じりの強い北風が吹きつける。二子山〜袈裟丸山にかけてきれいな虹が出ていた。涼しいので花を眺めながらのんびり歩いていると発汗せずに済む。

庚申渓谷に面した北斜面はツツジ類が豊富。この地域の第四紀火山としては皇海山、庚申山、袈裟丸山が有名だが、1,425mポイント東の扇状の台地は火山性の堆積物のように見えるし、庚申渓谷に面した斜面は自然の浸食作用でできたとは思えないような形状をしている。名の無い第四紀火山があったのかもしれない。

期待していたトウゴクミツバツツジは全体としてまだ五分咲きといったところか。昨年全く見られなかったゴヨウツツジ(シロヤシオ)が今年はたくさん蕾を膨らませ、トウゴクミツバツツジを追いかけるように咲き始めている。

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白と紫が混在


ゴヨウツツジの蕾は最初上を向いており、膨らむにつれて横向きになり、開花時は斜め下向きとなる。うっすらと赤く縁取られる葉も美しい。この山域のゴヨウツツジは大木ではなく、目の位置に花があるので特にきれいに見える。

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ゴヨウツツジ(シロヤシオ)の蕾
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トウゴクミツバツツジの咲き方はゴージャス。蕾が一つの場合と二つペアになっている場合があって、蕾が一つで且つ全体の数が少ない樹木は葉の広がりも開花も早いように見える。花の向きは斜め上。

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トウゴクミツバツツジの蕾
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小法師岳のアカヤシオはちょうど満開。今年はあまりアカヤシオを見ていなかったので満足。

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小法師岳山頂    08:43
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小法師岳のアカヤシオ
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小法師岳にて (対面は庚申山)


庚申山は見えているが皇海山は雲がかかっており、鋸山はその中間で霞んでいる。こんな風の強い日に登っている人がいるのだろうか。太陽が覗く瞬間を狙って長いこと小法師岳に滞在していたが、空模様が好転するようには見えない。手がかじかんでしまったので花の撮影を切り上げ、ワラビ採り、罰当たりな連中の残したゴミの収集、うるさい目印の除去をしながら下山。

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防火線にあった荷造り用紐の目印の成れの果て


こういうものを付けて放置する神経がどうしても解せない。目印付けないと小法師尾根の防火線を歩けないような奴がいるのか?この他にピンクの荷造り紐も目立った。解けにくい結び方をしていて、はなから回収するつもりなどなかったことは明白。道案内をしたような気分になっているのかどうかしらないが、いい加減止めてもらいたい。今回自分が歩いた区間は出来る限り目印を除去した。

県境尾根から遠ざかるにつれて天気が良くなる。時間はたっぷりあるので、小滝のシンボル的存在であったという象山に尾根伝いに寄ってみることにした。足尾商工会HPの小滝坑封鎖50周年記念特集のページ http://ashio.shokokai-tochigi.or.jp/main/index.htm で小滝会の記念誌の一部が紹介されていた(2020/04/07 追記。現在はウェブ上にないが Internet Archive Wayback Machine で参照可能。)。筆者の柳田氏が小滝の想いでを綴った「故郷の山にロマンを求めて」を読んで以来、昭和10年頃に少年の柳田氏が見た、月の砂漠と形容される赤土の広がる光景を実際に見てみたいと思っていた。自宅で見た地形図の記憶では、尾根の勾配はさほどきつくないものの象山手前に崖が存在することになっていた。おそらくザレた斜面であろうが、下れるかどうかは現場で判断する。

地形図を持ってこなかったので正確な位置が判らず、誤って三角点の尾根の手前の小尾根を下ってしまったので、小さな谷を幾つか横切りながら1,167.3m三角点の南を通過して象山の尾根に乗った。この辺りはカラマツの植林地帯でとても歩き易い。枝尾根の選択を誤らないように周囲の地形を確認しながら慎重に下る。標高1,100m付近で尾根幅が狭まり急に藪っぽくなってくる。

1,100m付近で立派なヤマツツジの株があった。身近な山野にありふれた存在であるが故か、それとも今ひとつ気品に欠けるからなのか、あまり愛でる話を聞いたことがない。株の大きさ・花の密度でともにトウゴクミツバツツジを上回るのにちょっと可愛そう。

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ヤマツツジ


標高1,070m付近で植林帯から広葉樹林帯に移る辺りから尾根が岩がちになり、標高1,050m付近の展望岩から先は急勾配となる。掴まるものや足掛かりとなるものがあって順調に下っていくと、樹木と樹木の間隔が空いたザレの区間に達した。登りならなんとかなりそうだが、下りで滑ったらヤバイことになりそう。ここで退却決定。標高890mから標高1,100mまで登り返し、高度を維持して斜面を横断しながら安全そうな場所を探して夜半沢に降下。

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クワガタソウ


「故郷の山にロマンを求めて」に拠れば象山には3つの登山ルートがあったという。安全そうなのは夜半沢の浄水場近くから登るルートのみらしい。

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クリンソウ
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浄水場跡と思しき場所から適当に斜面を登っていくと、だいぶ高いところに湧き水を溜めていたと思われる施設がある。チョロチョロ流れ出る湧き水を溜めていたようだ。当時の北夜半沢の水需要のほとんどは夜半沢の水を浄化した水道でまかなっていたと思われるが、水量に限界があるのでチョロチョロの湧き水でも貴重な存在であったのだろう。深さは3m近くあり、落っこちたら脱出不可能。

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この先は道が見当たらないので適当にガレ場を抜けて上方を目指すと、うっすらとした踏み跡が現れ鞍部に至った。古い緑色のテープが残っていたので、小滝会縁の人が訪れたのであろうか。

抜けた場所はなんの変哲もないやせ尾根。「はて、月の砂漠はどこ?」と思いながら北側が切れ落ちる痩せた岩稜を東に辿ると、赤土に広く覆われた鞍部に至った。

「故郷の山にロマンを求めて」の筆者(小滝会の故柳田氏)が「月の砂漠」と形容した地形は、もちろん当時に較べれば変化はあろうが70年以上を経た今もなお存在していた。柳田氏が子供の頃の記憶に基いて記述した内容は極めて正確なものであり、象山のピークは北側(写真右側)にもあり、南北のピークの間にすり鉢状に赤土が広がる。足跡は無く、長い間訪れた者がいないことを物語る。この瞬間、時を隔てて少年時代の筆者と同じ感覚を共有できたような気がした。フカフカの赤土は長い年月をかけて風化で形成されたと思われるのだが、剥き出しの岩石とは成分が全く異なる。そして植物に覆われることなく維持されている。少年のようなみずみずしい感性が無くとも不思議に感じる場所である。

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月の砂漠
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ここはまた小滝随一の展望台でもある。「月の砂漠」を歩いて突端の岩場に至り、360°のパノラマに小滝の歴史を感じながら2007年春の山歩きを締めくくり。

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象山の岩場突端から西に続く尾根を見る
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庚申渓谷下流側


象山の名の由来: 昭和10年頃の山神社祭典の「飾り物」として区内が奉納した空前絶後の巨大な象が岩壁に出現した。以来「象山」と呼ばれた。

上記は足尾商工会HPの「小滝抗封鎖 50周年記念特集」のページから引用

山野・史跡探訪の備忘録