奥日光周遊その1(西ノ湖 〜 三俣山 〜 宿堂坊山 〜 白錫尾根 〜 戦場ヶ原)(2007年8月)

年月日: 2007.08.11-12

目的: 奥日光周遊・県境尾根縦走

初日行程: 赤沼茶屋駐車場出発(5:30)〜西ノ湖入口下車(5:50)〜カクレ滝の沢右岸尾根取付き(6:57)〜1,928mピーク(9:14)〜三俣山(10:28)〜宿堂坊山(13:06)〜ネギト沢のコル・水場(13:55- 14:10)〜1991mピークにて幕営(14:30)

夏休み初日にアユ釣りに行ってもどうせ釣り客だらけで釣りにならないだろう。水面の照り返しで顔が真っ黒になっちまう。夏休みは晴れの日が続くらしいので帰省前に山中一泊で夏山縦走しようと考えた。行く先は奥日光の県境尾根。三俣山から北側は未訪であり、名の知れた山もいくつかある。どうせなら一回で縦走してみたいと思っていた。この山域には深い笹藪が存在しないようなので、夏山登山向きであろう。週末は雷雨に遭う可能性が低そうだし、低公害バスの情報も入手したので計画を実行に移す。

行くと決めたのが22時。バタバタと準備して家を出たのが深夜0時。千手ヶ浜行き低公害バスの出発時刻が早朝5時半なので、赤沼駐車場にて1時間半程度しか仮眠できなかった。つらい初日になりそうだ。

西ノ湖入口で降りたのは自分含めて6組。

西ノ湖に向かう時に抜けるカラマツ林とシラカンバの美しさがこの場所の売りの一つらしい。林床は開花直前のシロヨメナにびっしりと埋め尽くされていた。8月下旬には満開となるだろう。

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西ノ湖手前のカラマツ林  05:57


シラカンバはどうか知らないが、カラマツは過去に大規模に森林を伐採した後に植林したものだ。国立公園のど真ん中でかつて破壊行為が堂々と行われていたことにあきれる。西ノ湖からカクレ滝に向かう一帯もカラマツの植林地帯で、きれいに間伐されている。収穫時期が来たら伐採してしまうんだろうか。

西ノ湖に立ち寄ってからカクレ滝のある谷に向かった。カクレ滝を巻いていけるのならば奥の尾根に取付いて一気に三俣山に登れる。しかし、沢奥が狭いので行き止まりになる可能性があるのでこの案はボツ。安全策をとって谷の入口から山裾に沿って移動し、遠回りのカクレ滝の沢右岸尾根を登る。急遽行くことにしたので先人の記録を確認しなかったが、たしか何名か三俣山に登るためにこの尾根を利用していたはずだ。

取付きはザレた結構急な斜面で、最初の150mくらいはシャクナゲ藪がうるさく嫌な感じ。尾根幅が広がるにつれてシャクナゲ藪が薄くなり、1,598mポイント付近では楽に尾根を辿れるようになる。この尾根には古い木の株が残っているが、朽ちてボロボロなので人手によるものではないと思っていた。ところが、切り口が明瞭な倒木を発見。こんなところまで伐採していたとは驚いた。

カクレ滝の沢右岸尾根取付き   6:56
尾根上の人跡(伐採痕)    7:52


標高1,670m付近の尾根屈曲点付近で赤テープを見る。これが見かけた唯一のテープ。この辺りでは藪が無くすっきりしている。とは言っても、高温多湿で無風なので発汗がすごく、快適とは言いがたい。最初から超スローペースで登っていくが、1,928mピークへの最後の登りではバテバテ。この斜面は針葉樹の藪がありアブもつきまとうので実に不快だった。こんなんで尾根縦走できるのか?来たことを半分後悔。

三俣山方面に向けて下った最初の鞍部は松木渓谷側が崖になっていて、オミナエシに似た見たことの無い花が咲いている。恐る恐る近づいて撮影(後日、帰省先で山野草の本を見てコキンレイカであったことを知る。)。

小足沢右俣の左岸尾根 09:31
コキンレイカ  09:29


鞍部から登っていく途中で単独行の男性が降りてきた。軽装だからビバークしたとは思えない。時刻はまだ9時半。常識的に考えればこの時刻でこの場所に軽装の登山客がいることは有り得ない。いったいどこから来た方なのか?この後、ずっと疑問を抱きながらの山歩きとなる。おそらく、未明に戦場ヶ原から移動して宿坊堂山に登ったのであろう。

二度目の三俣山訪問達成。山部さんの山名板は健在。前回は時間に余裕が無くて滞在時間5分程度で先を急いだが、今回はアブにたかられてもっと余裕がない。座って休めないのはつらい。

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三俣山から錫ヶ岳を遠望   10:29
雲の陰になって中央に暗く写っているのは宿堂坊山と錫ヶ岳の中間にある2,060m級ピークである。


宿堂坊山方面への県境尾根には登山道マークが適度な間隔で付いているので、ルートファインディングは不要。踏み跡もけっこうしっかりしている。地形図はたまに取り出して現在位置を把握するのに用いるだけ。

1,850mピークを下る途中で、本日2人目の登山者と擦れ違った。ネギト沢を詰めて来たそうで、どこかで見た方だなと思ったら、西ノ湖入口で一緒に降りた方であった。三俣山に一泊して、翌日黒檜岳を下るとのこと。「ネギト沢でたっぷり水を仕入れたので重いよ。」との言葉で、水補給ができることが判り、所持している水を惜しみなく飲める。

宿堂坊山山頂は眺望はないが広くて感じの良い場所だ。軽食休憩しながらこの後の行程を思案。気温が低ければ錫ヶ岳まで行くことも可能だろうが、今日は発汗しすぎで既に筋肉が悲鳴を上げている。中間の2,077mピークまで行くことも不可能だろう。こんな過酷な状況下で山登りをした経験がないので、思い切って早めに行動を打ち切って体を休めることにする。

携行した水は計4リットル、縦走するには絶対的に足りない。まずは飲み水を補給しにネギト沢源頭を下る。幸い数十m下ったところで水場に到達。ここで2リットル汲んだ。この状況下では3リットルは飲んでおくべきであったろうから、水分補給が不足していたのは明らかだ。水場付近はアブやヌカカの大群が待ち構えており、攻撃性も半端ではなかった。帽子で必死に振り払っても水を汲む間に数箇所刺された。しかし、この甲斐あって冷たくておいしい水をたっぷり補給でき、縦走を続ける可能性が復活。

ネギト沢コルには日光夏峰行縁の石祠がある。この石祠を見るのが今回の縦走の目的の一つであった。てっきり笹薮に埋もれていると思ってガサガサ探しながら西に進むと、意外にも夏道の傍らで屋根が露出していた。錫ヶ岳方面から来ると気づかずに通り越してしまうだろう。

男嶽の宿跡   14:10
『足尾山塊の山』著者の岡田敏夫氏らが、1980年代に古老の情報を頼りにネギト沢コルで石祠を再発見し、この祠の青銅扉の文字解読からネギト沢コルが日光夏峰行の男嶽の宿が置かれた場所であると特定された。現在付いている青銅の扉はレプリカであるとのこと。


岡田氏らが再発見した当時は石祠は夏道の2、3m北側の笹薮中に半分埋もれていたとのことだが、今は夏道の南側傍らにある。石祠を移したのか?それとも”北側”は単なる誤記か?

目的を一つ達成したので、次は幕営地探し。ネギト沢コルは無風で不快であるため、そよ風が吹く高いところを目指す。脚を騙し騙し登って1,991mピークで日陰と風通しの両方を満足する場所を発見。登山道横だから万が一死んでもすぐに見つかるわな。時刻はまだ午後2時半。テント設営して中に逃げ込み、ようやくアブとヌカカから解放された。こいつら実にしつこい。テントに潜り込む際にウシアブが3匹も入り込んだし、夕方暗くなるまでテント周りにアカウシアブがブンブンしていた。


今宵は新月で真っ暗。晴れているが冷え込みは無し。深夜、20分ほどシカが至近距離で激しく警戒音を立てていたのを除き、時々木々の枝が風に揺れるだけ。静かな夜だった。

2日目行程: 1991mピーク(5:25)〜2077mピーク(6:51)〜錫ヶ岳山頂(9:05)〜錫の水場(10:09)〜白檜岳(12:02)〜白根隠山(12:30)〜避難小屋分岐(13:35)〜前白根山(13:49)〜湯元スキー場奥(15:15)〜湯滝(16:11)〜赤沼駐車場(17:40)

明るくなるとさっそくアブが偵察飛行開始して目覚まし代わり。午後3時半に寝袋に入ってから朝4時半に起きるまで細切れながらかなり長い時間寝たような気がする。冷え込みが無くて寝やすかったのは結構なことだが、今日はどこまで気温が上がるのか?

体は十分に休めたはずだが、しゃがんだりするとかすかに頭が痛む。早めにノーシンを服用して水分を多めに補給しながら進む。幸い、本日は栃木県側から群馬県側にさわやかな風が吹いている。発汗しても前日に較べれば服がベチャベチャにならないし、涼感があって熱冷ましできるので体力的・精神的にとても助かる。

光輝く戦場ヶ原  05:55
早朝の中禅寺湖   06:20


標高2,060m級の緩やかなピークは標石の周りがぽっかり開けていて幕営適地である。次の2,077mピークは群馬県側が風衝地一歩手前といった感じで樹木の丈が低く抜群の眺めである。皇海山の右側には富士山が浮かんでいた。

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2,077mピークから見る群馬県・三重泉沢の谷  06:49


<p>2,077mピーク以降も、何か所かで中禅寺湖、錫ヶ岳、皇海山〜庚申山などを望むことはできるが、視界が限られていて概ね特徴の少ない単調な尾根歩きが続く。

錫ヶ岳南尾根の東側はミヤコザサ原に覆われており、西側が針葉樹林帯である。登山道はできるだけ針葉樹林の中を通るようになっており、強い日光の直射を受けずにすむので助かる。直下の笹原だけは太陽を背にしてど真ん中を直登するので暑い。反面、眺望が素晴らしい。

錫ヶ岳南直下  08:42
歩いてきた縦走路   08:50


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錫ヶ岳からの眺め   08:50


笹の斜面を抜けると大きなヌタ場をかすめてアオモリトドマツ等の樹木がうっそうとした区間をダラダラ登って山頂に至る。先が気になるので特に感慨はない。

白錫尾根と呼ばれる区間も登山道マークが導いてくれるので不安無し。錫ヶ岳を東に下る区間も笹原が多くてすばらしい眺めが連続する。

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09:27


2,170m鞍部に錫の水場がある。水場まで1分とのこと。嬉しいねえ。冷たさも味もネギト沢に劣るが無いよりまし。ここで3リットルを補給。鞍部から登っていく途中で自分より若い男性2人組と擦れ違う。急いでいるように見えた。柳沢林道にでも下るつもりなのだろうか。

2,296mポイント辺りであったと思うが、四郎岳と燕巣山の中間にこれまた先が2つに割れた燧ヶ岳が位置するという奇妙に左右対称的な光景が楽しめる。

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11:16


頭痛薬を飲んでも完全に頭がすっきりすることはなく、登りでは痛みが復活する。頭痛薬を飲みすぎると吐き気がするので、できるだけ服用を控えめにして視神経を休めるようにする。白檜岳の登りを前にして笹原の木陰に倒れこみしばし休憩。風が吹いているせいなのか、それともシカの生息数が少ないのだろうか、前日の区間に較べるとアブが少なく休憩できる。

白檜岳  11:38
ツメタ沢源頭部   11:48
白檜岳から錫ヶ岳を振り返る  11:57
白檜岳から白根隠山に向かう尾根  12:04


白檜岳では地味なハナヒリノキが開花中。

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ハナヒリノキ


白根隠山、前白根山、五色山が形成する尾根はてっきり白根山の外輪山だと思っていたのだが、いずれも200万年以上前の新第三紀以前の火山噴出物から形成される山体で、第四紀火山である白根山と直接の関係はないとのこと。

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白根山(左)と白根隠山(右)  12:22


白根隠山への登り斜面の笹原にはヒメシャジンが点在する。風衝地にびっしり生える草本のようなヒノキの仲間はミヤマビャクシンなのだろうか?この間にタカネニガナがポツポツと咲いている。

木が無いので白根山が眼前に迫る。人の多いところを避けてきたのでこれまで白根山に登ったこともなければ白根山を真近で見たこともなかった。やっぱり藪のない雄大な景色は良いねえ。白根山との間にある巨大な凹地にはまだ雪が残っていた。

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12:36


白根隠山は眺めが良い反面、日陰が無くて休憩できないのがつらい。しばし山頂でひっくりかえってみたが、日射が強烈で眠れん。この際、腕時計を置き忘れてしまった。

白根隠山の東側斜面に大規模なハンゴンソウ群落が広がる。シカが食べないそうで、選択的に残されて形成されたものだろう。雨量観測所跡の周りでも大規模なハンゴンソウ群落を見ることができる。

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ハンゴンソウ群落  13:05


矮小なフウロソウも多数咲いている。てっきり別種と思っていたら、これでもハクサンフウロなのだとか。避難小屋分岐の近くではマルバダケブキも開花中。

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矮小化したハクサンフウロ  13:14
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五色沼  13:18


前白根山を登り切って本日の登りは完了。あとは新道を下るだけだ。これまでの経験では新道と呼ばれる登山道にはロクなものがないので、湯元スキー場に降りる新道も出来れば使いたくなかった。外山手前から一気に急傾斜を500m下るなんてアホなコースは絶対に悪路に決まっている。疲れていて、できるだけ体力温存するために最も近いコースとしてやむなく選択した。いざ、急降下区間に入ってみると予想をはるかに上回る悪路ぶりに閉口。ガレてるし、滑るし、1m以上の段差なんて当たり前。倒木はそのままで一切整備していない。これはもう道ではない。脚に不安を感じる人が知らずして下りにこのルートをとったらどうなるのか?事実、途中で追い抜いた男性2名組はかなり苦戦していた。もし事故が起きたとしたらそれは登山者よりも管理者の責任だろう。ひょっとして管理者はいないのかもしれない。日光の名が泣くぞ。

下りの脚力は十分に残っていて順調に下山できたが、スキー場まで降りるとさすがに疲労がたまって休憩。日光湯元スキー場は一面にフランスギクが咲いている(2007年当時は除虫菊だと思っていた。)。

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湯元スキー場  15:14


かつてスキー場一面を被っていたオオハンゴンソウは特定外来生物として徹底した駆除作戦がとられて今では全く見られない。フランスギクも特定外来生物とのことで、意図的に種を蒔いたのではなく勝手に勢力を拡大したらしい。寒さに強い植物で白根隠山から前白根山の区間でも一株見かけた。ヤナギランなら大歓迎なんだが、今やシカ避け柵の中でしか生育できない。

スキー場の末端ではヨツバヒヨドリとアサギマダラの定番の組み合わせを目にする。

ヒヨドリバナとアサギマダラ  15:40

中宮祠-湯元遊歩道に入った。湯ノ湖沿いは反時計周りに山際を歩く。アップダウンが少なく、日陰でよろしい。湯ノ湖の水が湯川として注ぎ出す場所で橋を渡る。水が汚い川である(生活排水のせいではないらしい)。湯滝は見事であるが、流れている水には幻滅。

湯滝から4km以上の長い木道歩きとなる。平坦な場所を歩いて足裏に肉刺ができてしまったが、舗装道路歩きよりはまし。戦場ヶ原を埋め尽くすホザキシモツケの大群落が見事であった。アキノキリンソウが咲き始めており、トモエソウも数株見かけた。

湯川沿いのホザキシモツケ   17:08
戦場ヶ原  17:14


頭の痛みが悪化することはなく、頭痛薬服用も3錠で済んだ。低地に降りてきてからは緩和されたようなので、たった2,000mクラスではあるが軽い高山病の症状が出たのかもしれない。経験不足であったこともあるが、今回の夏山縦走は予想をはるかに上回る厳しさだった。2日目に風が吹いていなければもっとつらかったはずだ。たっぷり水分補給したつもりでも、一気に体重が5kg減少してしまった。体質的に夏山は向かないということなのだろう。

山野・史跡探訪の備忘録