黒滝山大日尊・二十四礼拝所巡り(御山沢遡行、2007年9月)

年月日: 2007.9.22、23

目的: 黒滝山大日尊・二十四礼拝所巡り

初日行程: 大蛇尾林道と遥拝道の交差点出発(06:06)〜取水堰(07:35)〜十ニ番・天登大日山(08:03)〜西俣・東俣合流点(09:01)〜十三番・雷光滝(09:39)〜十四番・推量権現(09:53)〜十五番・八万八千仏(10:38)〜十六番・御宝前(10:54)〜高巻き終了・沢に復帰(12:08)〜二十一番・母乃胎内潜り(13:07)〜二十四番・四天王(14:05)〜西村山(14:31)〜黒滝山(15:17)〜山藤山(15:54)〜那須見台(16:07)〜百村山(17:04)〜ぶらぶら梯子(17:23)〜百村の林道入口(18:57)〜茅ノ沢・熊川の橋の近くで幕営(19:40)

二日目行程: 幕営地出発(04:30)〜車に帰着(06:08)

人の脳は自分の理解できる範囲内でしか物事を処理できない。中年ともなるとそれなりの経験に裏打ちされて固定観念ができあがる。だからこそ、想像だにできなかったこと・非現実的としか思えないようなことが現実に行われていたという事実を目の当たりにした時の衝撃は大きい。よっちゃんさんがページで最近紹介した黒滝山・二十四礼拝所巡りのコースを見て引馬峠や磐梯・吾妻の地獄駆けのことを知った時と同じ位の衝撃を受けた。

黒滝山・二十四礼拝所巡りのことはだいぶ前から知ってはいたが、黒滝山遥拝のために萩平から鴫内山に向かう尾根道があるので、二十四礼拝所巡りとは黒滝山大日尊から鴫内山に向けて登るコースであるとばかり思い込んでいた。2001年に大蛇尾林道で九番・地蔵尊を見ているが、地理的に黒滝山の信仰に縁のものとは思えなかった。ところが、今回目にした黒滝山二十四礼拝所案内図を見て目が・!になってしまった。一旦登ってから急峻な斜面を大蛇尾川に下り、大蛇尾川をジャブジャブ遡行して、滝が連続する急峻な御山沢を一気に登り詰める。なんとなんとあの鴫内山の藪尾根がお気楽な下山コースだったというのだ。案内図と地形図を比較すると実に良くできていて、行ったことのない人には描けないように思える。どうやら本当らしい。

江戸時代に修験者が歩いたコースなら現代人が行けないはずはあるまい。三連休の初日が晴れで二日目も荒れることはなさそうだったので、一泊二日の予定で黒滝山・二十四礼拝所巡り決行。沢登りを途中断念する可能性が十分あるので懸垂下降の装備を一式、沢遡行用に渓流シューズ、宿泊用のテント・シュラフを詰め込んだ。飲み水には困らないコースなので、飲料水を少なめにして重量軽減。

22日朝、関谷を越えた辺りから前を走っていたホンダ車は自分と全く同じ経路で大蛇尾林道に向けて登っていく(よっちゃんさんの車でした。)。大蛇尾林道入口で道を譲っていただいたので、やや荒れた道を先行。帰りに鴫内山の尾根を下ることを想定して大蛇尾林道と遥拝道の交差点に車を置き、取水堰まで歩く(途中の様子はよっちゃんさんのページ「中高年の山登りと温泉」をご参照ください。)。

取水堰上の川原には一張のテント有り。ここを起点として沢登りに出かけたらしい。大蛇尾川は若干水量大目だが遡行には支障ない。暖かい日が続いているためかあまり冷たく感じない。熱冷まししながら歩けるのでまるで真夏の沢歩きの雰囲気だ。


十二番・天登大日山とは大蛇尾川に突き出た1,020mピークのことを指すのであろう。ということはあの山の上に何か有るということか?1,020mピークの崖下に近づくと赤ペンキで12番と書かれている。横には上向きの矢印有り。

十二番・天登大日山?
十二番・天登大日山の標示


正面からは登れないので、左側から数m這い上がってみると屋根が落ちた祠があった。裏にはめ込まれている御影石には、湯宮と洞島の方が平成元年九月吉日奉納したことが刻まれている。大日如来像をご開帳して礼拝。

大日如来像
石祠


ちなみに、写真の厨子入りの大日如来は富山県・高岡市で鋳造されたもので、現在も同じ型が市販されている。原型は「仏師」の渡邊景秋氏の作であるとのこと。下記URL 参照。

「楽天市場」の雅がらんどう

御山沢合流点はややゴルジュ風の場所を過ぎたところにあるのだが、地図を確認しなかったために滝を見落とし、流れ込む沢を本流インゼルの分流と勘違いしてそのまま奥に進んでしまった。広いインゼルを2つ過ぎて目の前に現れたのはどう見ても東俣と西俣の合流点だ。合流点に興味があったのでここで10分程度探索。二十四礼拝所の案内図で富士山中道と記されている尾根の取り付きに崖はなく、登っていくことは可能なようである。ただし、藪は濃そうで踏み跡のようなものはない。誰が何の目的で持ち込んだのか、林の奥には鍋と畳まれた大きなブルーシートが4枚放置してあった。

インゼル
西俣・東俣合流点


上流側の合流点から戻ってくると十三番・一の滝の下部滝が見えるので御山沢合流点は一目瞭然。水量豊富で上部滝の落差は10m程度だろうか。

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十三番・一の滝(雷光滝)  09:39


左岸側に真新しい紅い荷造り紐がつけられているのでよっちゃんさんが入り込んでいるようだ。藪を適当に巻いて一の滝の上部に降りたとき、沢奥から戻ってきたよっちゃんさんと出遇った。ニの滝を登るのは危険なので巻き道を探してみるとのこと。

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一の滝 落ち口


十四番・推量権現の落差は7、8mか。両岸に取り付く場所はない。水線ぎりぎりの足掛かりを伝って水流に近づき、シャワークライム感覚で突破。

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推量権現(ニの滝)  09:53


この後も滝の連続攻撃で楽には遡行させてくれない。滝の名前はないので時間経過で示すと以下のようになる。

10:00 (2段)
10:05
10:09 (樋状)
10:11 (3段)
10:16


地形図で見ると御山沢の前半部は急勾配に見えないのであるが、滝で一気に高度を稼ぐ場所が多い。谷が深く両岸斜面が急峻で高巻けないので、水流もしくは側壁のホールドを伝って登る。沢屋ならそこそこ楽しめるだろう。黒滝山の滝は御山沢に由来しているのだろうか。驚いたことに、この滝だらけの沢にもイワナが棲息しており何度も岩陰に走る姿を見た。

やがて二俣に至る。水量は若干左俣の方が多い。十五番・八万八千仏(賽の河原)とは開けた左俣のことを指すのかもしれない。合流点に礼拝所跡を示す標識らしきものは見当たらない。何らかの痕跡があるのかもしれないが、気持ちに余裕が無くて探す気になれなかった。

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左俣(十五番・八万八千仏(賽の河原)?)


礼拝のコースである右俣に進入。しばらく登っていくと両側が切り立った場所に滝が現れる。十六番・御宝前とはこの場所を指すと思われる。

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十六番・御宝前  10:54
水量はたいしたことがないものの落差が大きい。周囲は切り立っていて取り付ける場所がなく、絶望的な雰囲気。


この滝は足掛かりが全くない。右岸は断崖絶壁で上部が見通せない。左岸の斜面はルンゼ状でわずかに足掛かりがあり、30mくらい登れば巻いていけそうな場所がある。上部の岩の下までなんとか登ったものの、そこからは草付き斜面を数m横移動しなければならない。横移動できたとしてもその上につかまるものがない!もし足を滑らしたら絶対に助からない。あと一歩がどうしても出ず、沢底に降りてしまった。

ここで断念するしかないのだろうか。案内図の十七番・御裏三宝公神は自分のいる沢から離れた場所にある。『裏』という文字は左俣側に回り込めという意味にもとれる。少し戻って、標高1,100mから1,150mの間にある断崖の基部に沿って右岸尾根に登ってみた。スズタケがびっしり生えているが、断崖の際にカモシカもしくはクマのものと思われる獣道がありなんとか辿れる。獣臭い。ぐるりと断崖下を巻いて裏側から尾根に上がり、渓流シューズを登山靴に交換。

沢底ははるか下にある。狭い尾根であるが勾配が緩い場所は笹薮で移動が楽。少し勾配がきつくて岩がちな場所はシャクナゲ藪が酷い。沢に復帰できずこのまま藪尾根を登っていけば飲み水が不足する。懸垂下降の準備はしているができれば使いたくない。思案しながらほぼ平坦な尾根の突端にある標高1,280mのピークに到達。

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1,280mピークにて 12:00

遠くに見えるは小佐飛山


岩が剥き出しでこれから向かう上方の見晴らしがよろしい。山頂はまだはるか遠くにある。勾配の無い尾根を進んでいくと沢音がだいぶ近くに聞こえるようになった。尾根の突き当たりと沢底の高度差は10m程度に見える。沢に復帰できる可能性が復活。尾根の突き当たりまで行くと沢底に下っていく獣道があり、楽に沢に復帰。1時間弱の大高巻きであった。

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沢に復帰 12:08


とりあえず飲み水の心配はなくなった。沢で行き詰ったらここに戻って尾根を登れば良い。気持ちに若干余裕が生まれた。沢の水量は少ないので登山靴のまま沢登りを続ける。大きな段差で簡単に突破できるのは半分くらい。肘、胸、膝、尻も使ってフリクションを確保して登る場面や、草を掴んで微妙なバランスで斜面を横切る場面が連続する。修験行が行われていた時分にはどんな状態にあったのであろうか。

沢が3本に分かれる場所に到達。右側2本は切れ込みが深いので、ここが二十一番・母乃胎内潜りに相当するのではないだろうか。

二十一番・母乃胎内潜り?
背景は長者岳


どの沢を選べば良いのか地図を見ながら検討。背後の谷の開けた方角に見える山が小佐飛山であると勘違いし、高さを比較してまだ1,500m以下にいると思い込んでいた。南側の尾根に逃げることを考えれば真ん中の沢を選択するのが良さそう。念のために高度計を確認したら標高1,600mを指している。沢の向きが変わって、どうやら見えているのは長者岳のようだ。遠くから限られた視界で見ると長者岳と小佐飛山はよく似ている。既に標高1,600mにいるならばどこを登っても同じようなもの。北東に突き上げる広い左側の沢を登る。

標高1,700m付近で沢底の岩が消えて腰高の笹が覆いかぶさるようになる。

源頭部
       

数十m登ってついに尾根上に出た。場所は西村山南側の平坦地である。これで無事に帰れる目処が立った。沢登りで発汗しまくったので藪漕ぎはもう御免だ。登山道を使って楽チン下山し平地を歩いて戻ることにする。

すぐ近くの枯木に紐がぶら下がっており、よく見ると二十四番・四天王と書かれたブリキ板がくくりつけられている。この瞬間に本来の黒滝山詣でが成立。ご神体の祠は足元の笹の下に倒れていた。銅板やステンレスの板の奉納札が数枚納められている。確認した中で最も古いのは昭和45年、新しいのは平成7年である(平成9年の奉納札があったような記憶があるが、写真に写っているのは平成7年が最新であった。)。奉納者のほとんどは湯宮の方である。再興した当時の有志が年老いたためだろうか、近年は四天王詣では行われていないようである。

二十四番・四天王の標示 14:09 
石祠


黒滝山との間にある笹薮に被われた大巻川源頭部の横断を嫌って西村山を経由することにしたが、西村山の南側は樹木が少なくこちらも背丈以上のチシマザサが濃い。

西村山 14:31
       

西村山から黒滝山方面を眺めるとコメツガの森が広がっているだけでピークが見えない。間の地形がやや複雑で真っ直ぐ進むのは不可能。方位磁石を頼りに地形を見定めながら歩く。部分的にうっすらと踏み跡がありテープ類も散見されるが、笹やシャクナゲの下にコメツガの倒木が多数隠れていて決して歩きやすくない。

気の緩みがあったのであろう。四天王のある尾根に惑わされて方位を確かめずに南に進み、倒木から飛び出た枝に右足の脛をしこたまぶつけて転んだ。皮膚はやぶけていないものの、筋肉にダメージがあったようでつまさきが持ち上がらない。アクシデント発生で暗雲が垂れ込めてきた。折りしも山全体がガスに覆われつつあった。

なだらかなのにやたらとシャクナゲ藪の濃い黒滝山への登りを完了。ガスで何も見えない。麓の牧場の空気が大巻川の谷沿いに吹き上がるのだろうか、ここにくるといつも牧場の臭いがする。

黒滝山 15:17
       

当初案ではここで幕営するのも悪くないと思っていた。右足を傷めたことで後の行程が不安。ぶつけた箇所はひどい内出血を起こしているらしくパンパンに腫れあがっている。明日になったら歩けなくなるかもしれない。今日のうちにできるだけ下っておくことにする。

完全に雪が消えた夏道を辿るのは今回が初めて。最近登った人はいないようだが、登山道は判別できる状態だ。双子山の手前で新たに那須見台なる場所が出来ていた。那須というより三倉山・大倉山が正面に見える。

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三倉山・大倉山方面  16:07


双子山で雨が降り出したが本降りではなくすぐに止んだ。こうなると山中でテント泊はしたくない。足を傷めたのは怪我の功名で、日没までに道路に出ることにする。百村山を過ぎて送電線鉄塔の巡視路のある地点でなにやら工事中で、道路と尾根上の間に荷上げ用のワイヤーが張られている。すでに足元が見難い状態になっていたので、ヘッデン下降を避けるために巡視路を辿って木ノ俣巻川林道に降りた。

百村の光徳寺に下るには正規の登山道を辿るのが最も早い。しかし、いつ電池が切れるか判らないヘッデン下降は基本的にやらない主義なので、安全に木ノ俣巻川林道を歩いて下ることを選択。林道の起点が光徳寺の近くにあり、一旦大巻川の奥に向かってから尾根に上がってくることは承知済み。この辺りの地形図を所持していないので遠回りといってもたいしたことはあるまいと思った。いざ歩き始めてみて後悔。林道歩きで谷を抜けるまでにバテてしまいそうだ。いまさら戻るのも嫌なので覚悟を決めて谷奥に向かう。途中一箇所で大規模な土砂崩れがあり通行止めになっているので、黒滝山の登山道には木ノ俣川側からしかアクセスできない。どうりで黒滝山の登山道が踏まれていないわけね。迂闊に荷物をデポしなくて良かった。

土砂崩れ箇所 17:48
       

土砂崩れ箇所の先に進むと工事現場が在り、その近くから小尾根を下っていくジグザグの作業道を発見。延々とトラロープが張ってあり暗闇でも判別しやすい。滑り止めもあって安心である。どんどん下ると沢(まきがわ橋近くで大巻川に合流する沢)の堰堤に出た。その先に道はない。沢底が広くて白い石が視認できるので沢を下っていくと小堰堤に到達。この堰堤は石を積み上げた構造なので、ヘッドランプを点けて降下。次に現れた巨大堰堤は左岸のスギ植林を巻いて越えた。これだけ大きな砂防堰堤を建設するからには必ず道があるはず。果たして右岸沿いに細い作業道を発見。真っ暗なスギ林の中を辿って大巻川のほとりに出た。右岸に渡渉すると未舗装の林道があり、「まきがわ橋」で木ノ俣巻川林道に復帰。だいぶ近道できたようだが、こんなことになるなら正規の登山道をヘッデン下降した方がはるかにましであった。木ノ俣巻川林道のまきがわ橋から百村に抜けるまで約2kmのほぼ全行程がスギ植林地で真っ暗。大巻川から離れると登り勾配になってつらい。人家の灯りが遠く林の向こうにチラリと見えるのだが、百村の人家ではなく奥まったところにある開拓地らしい。結局百村に抜けるまで正規の登山道歩きに較べて1時間以上ムダ歩きしてしまった。

百村から湯宮までの道のりは一度歩いて熟知しているので暗くても問題ない。問題があるとすればワン公が吠えてうるさいことだけ。この辺りはクマやサルがしょっちゅう出没するので番犬が多いのである。人家から離れた暗い場所では道脇に陸上ホタルがたくさんいて道案内をしてくれているみたい。昨年同時期に足尾でも体験したので、陸上ホタルの季節は9月らしい。

熊川の橋を渡ったところで車が来た。怪しまれるのを避けるために道横の空き地に入ってみたら、そこは絶好の幕営地。足の具合は心配ないものの、この先まだ2時間は歩くし最後は山登りになる。当初の予定では黒滝山で泊まるつもりだったのだから、今夜は行動を打ち切って疲れた体を休めることにした。コオロギが鳴く声を聞いて安らいだ気分になる。

テントに潜りこんですぐに雨が降り出した。テントに直接当たる雨音が大きいので土砂降りのような気がしてしまう。心配してもどうしようもないのだが、大蛇尾林道の状態が気になる。雨に濡れるとテントの通気性が極端に落ちる。息苦しくて寝にくいので雨脚が強まるたびに目が覚める。たまらず入口を少しだけ開けておいたら蚊が一匹入り込み寝られたもんじゃない。既に朝4時近く。携帯電話の天気予報では本日は一日中雨らしい。体は十分に休めたので、どうせ雨なら早朝に出発して車を取りに行くことにする。

テントを放置して最小限の荷物を携行して出発。6時過ぎに車にたどりついた。着替えを済ませ、車を方向転換しようとしていたら、雨合羽を着た人物が歩いてきた。よっちゃんさんが心配して林道入口から歩いて様子を見に来てくださったのであった。遭難話コレクターのよっちゃんさんにネタを提供することにならずに済んでよかった。林道入り口でよっちゃんさんと別れて、幕営地の荷物を回収して帰宅。

所感: 黒滝山大日尊・二十四礼拝所巡りは一泊二日の行程であったという。案内図には大蛇尾川の左岸に志津泊場なる記載がある。1日目に黒滝山大日尊から登り下りして宿泊地までたどり着くだけでもかなりの体力を要する。2日目はきつい沢登りの後に長い鴫内山尾根の下りが待っている。昔は天気予報などなかったのだから、宿泊中に大雨で増水したら心細かったことであろう。昔の人々がこれだけの苦行を成し遂げたことに驚きを禁じえない。そもそもこのコースを見出し整備したのはいかなる人物だったのだろうか。

山野・史跡探訪の備忘録