猪苗代・鞘ノ木山と焼山(共に途中まで)(2007年10月)

年月日:    2007年10月14日(日)

目的:    市沢峠東西の山探索

行程:    市沢峠旧道入口(07:46)〜鞘ノ木山側911mピークで折り返し(08:23)〜市沢峠(08:48)〜焼山側999mピークで折り返し(09:15)〜市沢峠復帰(09:47)〜車に帰着(10:00)

西村山と黒滝山間のコメツガ林で脛を倒木の枝先にひっかけた際、かなり深いところまで組織がつぶれて壊死したらしく、とれたかさぶたの穴が深い。完全に治るまで4週間の予想は正解だったようだ。つま先が伸ばせるようになり、筋力的にも問題ないので、普通の山歩きには支障ない。

本日はなかなかの好天である。実家から北側(裏磐梯方面)の青空を見るとうずうずしてくる。「女房と娘は寝坊するだろうから、2、3時間山歩きしてくる。」と両親に言い残して朝早く一人で山歩きにでかけた。行く先は昨年訪れた市沢峠の西に位置する鞘ノ木山(1,004m)と東に位置する焼山(998.4m)である。峠を挟んでほぼ同じ標高の山が対峙する。こんな地形が大好きで、次回猪苗代で山歩きする第一候補としていた。今回は完全なる思いつき山歩きにつき、地形図、方位磁石、高度計等は一切所持していない。以前見た地図の記憶と自分の判断力のみを頼りに歩く。元々道具に頼るのが嫌いな性質だから無理しなくて済むこの程度の山が自分に合っている。

昭和二十四年まで用いられた峠道の跡を辿り、倒壊したスギ植林地の手前でスギ林の中を直登して尾根上に出た。薄い背丈ほどのチシマザサ藪が続く。尾根上の樹木には境界を示す赤と青のペンキが点々と付いている。昔の仕事道の跡とすれば極めて古いものと思われる不自然なくぼみが断続的に見られる。大きな穴が幾つもあるので、戦時中に油採取のためにマツの根でも掘り起こしたのだろうか。

だんだん傾斜がきつくなって明瞭なピークに達した。ブナ・ミズナラ林に覆われ境界見出し標があるだけ。山頂はあまり広くない。

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引き返した場所(911mピーク)  08:23
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その先の様子


遠く南側にあるピークの方が現在位置より高く見える。南側にあんなピーク有ったっけ?地図の記憶があいまいなので、鞘ノ木山にいるのかどうか自信がない。南側に見えるピークが鞘ノ木山であったとしても、本日は時間がないので、現在位置から下って藪を漕いで行く気にはなれなかった。引き返して東の焼山に向かう。下るとき大型獣が遠ざかる音が聞こえた。昨年出遇った市沢峠の主(カモシカ)であると思われる。

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市沢峠    08:48


市沢峠から東側はスギ植林地で笹薮は無い。このスギ林は福島県林業公社が農林漁業金融公庫の融資によって造林したものだ。林業が儲からない状況で、この融資は焦げ付いてしまうのではないか。

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峠東側の植林   08:59


尾根には幅5m程度の広葉樹の帯が残され、その両側がスギやカラマツの植林地であり、道はないものの辿るべきルートは明瞭。山頂部はなだらかな広葉樹林で背丈程度の薄いチシマザサに覆われる。最も標高の高い場所には何もない。三角点が設置されている山なのかどうか知らない。三角点が無いならばここを山頂としても良いだろう。ひょっとしたら南側に別のピークがあるのかもしれないと思ったが、時間が気になるので引き返すことにした。

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焼山999mピーク  09:15
なだらかで若いブナ林とチシマザサ林床に被われている。
南側にあるほぼ同じ高さの三角点ピークまで楽に移動できると思われる。


下る際、南側の植林地の際で眺望を得た。現在地と同程度の高さのピークが西側に見える。近年に山頂直下まで東斜面が伐採された様子が伺える。その南に高い山は無い。ということは先ほど引き返した地点はその北側にあるはず。広葉樹の帯を横切って北側の植林の際から地形を確認すると、さきほど登ったと思われるピークは明らかに格が劣り、鞘ノ木山でなかったことは確実だ。遠くに見える白布山(1,220.6m)の姿が気になる。この山は中津川レストハウスから見ると南側にでんと聳える山である。山頂の南東部が深いチシマザサに覆われているようで手ごわそう。

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木地小屋集落と磐梯山  09:23
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鞘ノ木山  09:25
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白布山  09:34


市沢峠からスギの植林された急傾斜を下り、旧道トンネルの横に降りた。この過程で昭和二十四年まで用いられた峠道よりさらに一世代古い峠道跡を確認。2時間強ではあるが久しぶりに自分本来の山歩きを楽しめた。

実家に戻ってみたら、「レークラインを回って帰りに蕎麦を食べてこよう。」と母が言う。一日に2回も市沢峠に行くとは思わなかった。木地小屋の「おおほり」でおいしい蕎麦を食べ、秋の雰囲気を満喫して栃木に帰宅。帰宅後に地形図を見て、西側の到達した地点が鞘ノ木山ではなく911mピークであったことを確認。焼山も手前の999mピークで引き返して山頂に達していなかった。まあ、地形図無しで適当に歩けばこんなものだろう。

山野・史跡探訪の備忘録