社山南尾根〜阿世潟峠〜半月峠〜深沢(2007年12月)

年月日:   2007年12月8日(土)

行程:   深沢社宅跡出発(06:31)〜足尾ダム(06:55)〜社山南尾根取り付き(07:15)〜久蔵雨量観測局(07:49)〜1,182.3m三角点(08:21)〜1,568mピーク(09:24)〜社山山頂(10:05)〜阿世潟峠(10:46)〜半月峠(11:26)〜半月山有料道路駐車場(11:55-12:10)〜深沢に降下(13:09)〜深沢雨量観測局(13:54)〜深沢社宅跡帰着(14:38)

  

今週末も天候が安定しているようなので再び足尾行きを計画。深沢から半月峠に至る峠道を2004年12月に歩いたことがあるが、このとき途中で赤倉山に寄り道した関係で深沢の区間の半分が未踏のままである。また、旧足尾町の境界尾根では半月峠から阿世潟峠までの区間のみ歩いたことがない。これら未踏区間を歩くのが第一目的だった。阿世潟峠から久蔵沢を下るコースは歩いたことがあるので、どうせ行くなら社山に登って南尾根を下ってみよう。以前見た記録では社山の南尾根は歩き易いらしい。よって今回は意図的に予備知識を仕入れずに行く。

今回の周回コースは時間的に余裕がありそうなので、十分に明るくなってから行動開始することにし、6時過ぎに深沢社宅跡着。本日は午後から曇りの予報である。自分の性格からすると、曇り空の社山に登る気にはなれないかもしれない。登ったとしても景色が期待できないならば社山南尾根を下る意味がない。よって、急遽、社山南尾根を登る時計回りコースに変更。半月峠から下るのは初めてなので面白そう。

深沢社宅跡から渡良瀬川沿いの車道に出る寸前に、オーバーを着込んだ小柄な女性がスタスタと上流方面に歩いていった。朝のウォーキングらしくスピードは自分と大して変わらない。彼女は銅親水公園に向かっていった。間藤より下流から歩いてきたはずだから、毎日続けているとしたらいい運動になるだろう。足尾ダムに至るまでの間、追い抜いていった車は1台のみ。この車の持ち主は野生動物の行動調査が目的らしく、足尾ダムでアンテナを周囲に向けていた。銅親水公園には登山者のものと思しき車が2台あった。早朝出発で中倉山か太平山に登っているのだろう。

久蔵沢の橋の下流には多数のイワナらしき魚が群れていた。大きさはまちまちなので放流魚ではなさそう。かわいそうに橋から上流に遡上できないでいるらしい。

久蔵沢を渡った場所にある社山南尾根の末端に取り付いた。枯れススキを掴んでしばし急斜面のシカ道を辿り見晴らしの良い尾根上に出た。尾根の植生は足尾にはめずらしくアカマツとススキの組み合わせ。雰囲気も眺めも良い。

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久蔵沢を見下す。   07:28


しばらく尾根を辿ると久蔵沢側から上がってくる久蔵雨量観測局の管理道と出合う。管理道とはいっても尾根上の普通のシカ道と変わらない。シカの尻を眺めながら順調に登っていった。

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標高1,150m付近から見る中倉山    08:12


1,182.3m三角点を過ぎてから植生が変わる。基本的に久蔵沢側斜面にカラマツの植林、安蘇沢側がダケカンバ主体の樹林で、下生えは丈の低いミヤコザサである。植林作業の頃に用いられたと思われる小屋の残骸がある。

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標高1,460mから見る社山〜半月山  09:08


目的不明の直径3、4pの黒いパイプが稜線に埋められており、部分的に地表に出ていた。パイプの切り口が露出していたので今は使われていないらしい。

美しいシラカンバが数本生える平坦地を過ぎて、1,568mピークに向けてミヤコザサの斜面を急登。1,568mピークには樹木が無く、周囲の眺めは秀逸。鞍部の次に急登が2段ある。最初の急登を終えると社山の山頂がだいぶ近くに見えるようになる。

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1,568mピーク北鞍部手前から見る社山  09:24


1,568mピーク北側の鞍部は安蘇沢側の浸食が進み稜線部を歩くのは少々危険。

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1,568mピーク北側の鞍部から安蘇沢を見下す。  09:28


この稜線にも黒いパイプが埋設されている。近づくことができないような場所に浸食防止の工事が施されているので、治山工事に必要な水を吸い上げるのに用いたのかもしれない。

最後の急登区間には黄色の地衣類に被われた岩が露出している。この辺りから錫ヶ岳と白根山も見えるようになる。

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標高1,780mから見る奥日光  09:59


急登を終えて、西側から登ってくる縦走路に合流して山頂に向かう。意外なことに山頂は無人。

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社山山頂  10:05


周囲に急速に雲が発生し始め風も冷たいので、阿世潟峠に向けて早々に下山開始。下山中に初めて登山客と遇った。

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阿世潟峠へ下る途上の眺め  10:18
山頂からの眺望はあまり良くない。社山の魅力は尾根からの眺めにある。


阿世潟峠に向かう途上で日が翳ってしまったので、南尾根歩きを優先したのは正解だった。

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阿世潟峠  10:46


あとは半月峠経由で帰るだけだが阿世潟峠から半月峠までの1.1kmは標高差が250mもある。ミヤコザサの中の道は歩き易く眺めも悪くないが、肉体的には少々きつい。半月峠に向けて登りはじめて直ぐに中禅寺湖側から男性が峠に上がってきた。彼は社山ではなく自分と同じ半月峠方面に向かった。1,655mピーク手前でも下ってくる男性と擦れ違ったので、この区間を歩く人は少なくないようだ。

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半月峠に向かう途上で見た社山  11:11


半月峠からは既知の峠道を辿る。大正時代から戦前までは足尾と日光を組み合わせた修学旅行のコースとして用いられ子供達の賑やかな声が絶えることがなかったという。半月山の山腹を横切る区間は一箇所を除いて崩落はなく、昔は下駄履きで日光に遊びに行ったという話も納得できる。

有料道路終点に上がる口の案内がある。足が疲れていたので寄り道せずに峠道を南下しようとしたのだが、有料道路終点の駐車場の南端がすぐ近くに見える場所で気が変わった。有料道路は既に今年の営業を終えているので誰もいないであろう。急斜面を這い上がって南端の柵を越えて中に入り、昼食休憩。半月山は雲の中にあり、パラパラと霰が降ってきた。

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半月山有料道路終点  12:03


わざわざ山歩きせずとも、この場から松木渓谷を一望でき、少し登れば奥日光を一望することもできる。十数年前に車で初めて訪れたときは奥日光が見えないこの場所を何故に終点としたのか不思議に思ったものだが、足尾や日光を歩いて地理や歴史を認識した今はこの場が秀逸な展望台に思える。

尾根を南に下って峠道に復帰し、神子内林道の終点に到着。高度計と地図を見ながら深沢への下降点に向かった。

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12:35
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神子内林道  12:39


神子内から上がってくる林道は新旧2つあり終点が異なる。深沢から上がってきた峠道が旧道と重なる区間はほんの一部だけであったようだ。現在の林道は旧道と峠道をズタズタにしながら新規に建設したものである。地形図上の深沢への下降点の位置は正確で、道標もあり見つけやすい(深沢の道の要所にある真新しい黄色のプラ板道標は、2007年10月に坂東札所歩き巡礼の管理人さんが設置されたものである。)。

九十九折の下りは快適だが、沢底に下るとやや笹が深くあまり踏まれていない。程なく右岸に移り、以後は一箇所を除いて道は右岸側にある。チョロチョロとしか水が流れていないが、イワナが棲息している。深沢の入口の光景からは沢奥に魚がいるなんて想像できない。

道は法面の土砂で埋まったり路肩が崩れたりして細まり、路上に幼木が生えているところもある。石を積み上げて造った区間の幅が一間あり、深沢と日光・神子内を結ぶ重要な道路として整備された往時の姿が偲ばれる。現在の路面は石ころゴロゴロで気が抜けない。悪路そのものである。こんな道を歩くなら赤倉山から南東尾根を下る方が楽である。

深沢本流の渡渉点には木製の橋があったらしいが、現在は土台の石積みが残るのみ。支沢の渡渉点ではかろうじて朽ちた橋が残っている場所がある。

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支沢に架かる橋の残骸  13:23


深沢雨量観測局の近くの山側には、階段状に石が積まれて石灯篭が残っている。この茶屋跡を見るのを楽しみにしてきた。峠道にはかつて5つの茶屋があった。富士見茶屋(五の茶屋)と見晴らし茶屋(四の茶屋)は尾根上にあり、深沢に下ってからも一箇所平坦地があるので、これは一の茶屋か二の茶屋のいずれかであろう。石灯篭は昭和六年に建てたものだ。建立者の名前は削られてしまって判らない。

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茶屋跡の石灯篭  13:55


左岸に渡渉して林道終点に抜け、最後は気持ちよく歩いて帰着。深沢沿いの道はあまりお薦めできないが、社山南尾根は初心者向き。日の短い時期には魅力的な日帰り周遊と思う(帰宅後に他者の記録を確認。今回のコースは2006年に烏ヶ森の住人さんが歩いたコースをちょっぴり縮小した逆回りでした。)。

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深沢社宅跡  14:49


深沢の社宅跡近辺にサルの群れが居ついている。以前見た足尾関連のテレビ番組によると、廃屋に滲み込んだ塩分を舐めにサルが寄ってくるのだという。今の季節は寒さ避けに使用しているのかもしれない。ボスザルはかなりふてぶてしい奴でこちらに尻を向けて侮っていやがる。ここを訪れるときはサルに用心したほうがよさそうだ。

山野・史跡探訪の備忘録