勢至堂峠(2008年5月)

年月日:    2008.05.05(月)

行程:    勢至堂トンネル湖南側入口から往復

4日に大量の山菜を収穫。「活きの良いうちに持って帰れ。」ということになって、予定より1日早めて栃木に帰ることにした。曇ってはいるがまだ雨は降っていないので、帰り道の途中で猪苗代湖の南側のかねて気になっていた場所を探索して行こうと思い国道294号から逸れて小屋川沿いの林道に進入。耕作地を過ぎて林地に入ってゲートに至る前に、前方から歩いてきた夫婦に出遇った。林道ゲートの横をすり抜けようとしてぬかるみにはまったとのこと。引き上げようと試みたが両車共に4Wなのにどうしても脱出できない。プロに任せることにして、旦那を携帯電話の通じるところまで乗せていった。

さて、想定外のハプニングで時間をつぶしたので当初予定の探索は次回に持ち越し、替わりに近くの勢至堂峠を訪れてみることにした。

長沼町側から猪苗代湖側に抜けるとき、現在の国道294号線は勢至堂集落をバイパスして勢至堂トンネルに入る。最初にここを通ったのは1992年頃だったと思うが、その当時は勢至堂トンネルを建設中であり、国道294号はまだ勢至堂集落の中を通っていた。勢至堂集落を抜けてすぐに折れ曲がってバイパスに上がり、工事中の勢至堂トンネル前から再びくねくねと山越えをした(現在はゲートが設けられ通り抜けできない。)。よって、勢至堂集落奥から会津側(現郡山市湖南側)までの峠道を通ったことがない。太閤秀吉が「奥州仕置き」の会津入りの際に通った峠は旧294号とは異なる。どんな場所なのか興味があったのだが、1994年にトンネルが竣工して一気に通り抜けるようになったこともあり、峠の訪問を果たさぬまま十数年が過ぎた。

「新版 会津の峠」を読んだ記憶に拠れば、現在の勢至堂トンネル入口(郡山側=猪苗代湖側)の傍から簡単に峠に行けるらしい。一旦トンネルの手前まで行ったものの、もっと手前の沢沿いの林道が気になって引き返し、林道を歩いてみることにした。林道は国道294号が走る谷の西隣の谷に入り込み途絶える。谷底に続く踏み跡はだんだん薄くなり峠道らしき痕跡はない。やはり峠道は国道が走る谷にあるらしい。入り込んだ谷は結構長いので戻るのが面倒くさい。尾根に上がって尾根伝いに峠に至り峠から国道に下ろうと考えて、左岸側のスギ植林地に取り付いた。

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林地を抜けると雑木林の尾根が続く。朝方雨が降っていたらしくツツジ等の潅木藪やクマイザサ藪が濡れている。汗と露で服が濡れてぐっしょり。ようやく見晴らしの良い場所に抜け出た。

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帰宅後に地形図で確認したところ、小屋川から切れ込む小さな谷を詰めたところにある標高800mのピークだったようだ。左側の雲に隠れている山は高井原山らしい。


伐採されて数年しか経っていないようで、タラの木が多数存在する。残り物を1本だけ採取。

勢至堂峠まで楽勝と思ったのであるが、これが甘かった。地形図も方位磁石も無しの勘頼り。ガスっていておまけに雑木で周囲の地形を把握できない。誤って長沼町側に下るのは避けたいという心理が働き、標高800mピークの東南東にあるだだっ広い尾根の分岐で左側(北東)を選択(正解は右側(南西)。しかし、勢至堂峠まで地形が複雑で地形図と方位磁石無しで天気の悪いときに正確に歩くのは困難と思われるので、尾根選択を間違えて良かったかもしれない。)。

どこまで行っても峠道らしきものが現れないまま国道294号を走る車の音が聞こえる場所に至った。旧道が見える。確信はないが、勢至堂トンネルの猪苗代湖側にいるらしい。ということはこのまま尾根を下れば自動的に駐車地に戻ってしまう訳だ。迷走した挙句のとんだ無駄歩きだった。

このまま帰るのも癪なので、勢至堂トンネル入口から再チャレンジ。トンネルに近づいてみると左側に階段があって「太閤の道」との標示があるではないか。トンネル右側の林道を進んでトンネル入口上を巻いていくこともできる(こちらが本筋か?)。

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勢至堂トンネル・湖南側
手前に広い駐車スペース有り。
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登り口。


史跡に良く見られるような案内板はないが、白い杭が立っており「新会津風土記」に書かれた勢至堂峠に関する記述が引用されている。道は藪化しておらず歩き易い。クサソテツやエンレイソウ、トリカブトが生える道を登ってスギが植林された茶屋跡に至ると、勢至堂峠は目と鼻の先。

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勢至堂峠・藩界表石  14:02
「是より西は会津領」と書かれている。


郡山市湖南町の有志が整備しているようである。白い標柱の説明は以下の通り。

左側: この表石を建てた時、元禄十二(一六九九)年十月二十二日、平成十四年六月 発見復旧七周季

右側: 太閤の道の藩界表石 市文化財指定申請中、 豊臣秀吉天正十八年(一五九○年)八月八日長沼城カラ会津へ

藩界表石東側にも平坦地がある。関所でもあったのだろうか。現地にその説明はない。スミレの花が印象に残った。

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トンネル入口近くにもう一つ白い標柱があった。

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「道中安全 銅ヶ嶺天保観世音之?平成七年六月四日に工事完了のため遷座 明治三十年頃廃道、百年振りに本道へ」


勢至堂峠は明治時代に国道として整備されたため決して細々とした道ではないが、道の勾配がきつく、人力車等の往来には向かない。この観世音は明治三十年に国道294号の山越えの旧道が整備された際、勢至堂峠の道筋から国道294号旧道のどこかに移され、平成七年に勢至堂トンネルが完成して元の道筋に戻されたようだ。

山野・史跡探訪の備忘録