白湯山信仰縁の地・シズノ平(2008年9月)

年月日:     2008年9月7日(日)

行程:     湯川橋(09:32)〜三斗小屋宿跡(10:08)〜苦土川右岸に降下(10:19)〜シズノ平(10:39-11:10)〜トクサの生える左岸登り口(11:23)〜三斗小屋宿跡近くをブラブラ(11:50−12:25)〜車に帰着(13:15)

今週も土曜に激しく降雨して日曜日のアユ釣りは無理。日曜日も午後から雷雨の予報でエゾリンドウ観賞しに山歩きする気になれん。月曜から乾いた涼しい大気に入れ替わりそうなので、爽快な山歩きは次週以降に期待し、本日は午前中だけのつもりで、廃なるもの探訪ついでに夏の最後を楽しむことにする。

行く先はアキ爺さんのブログや@宇都宮さんの掲示板書き込みで知ったシズノ平。三斗小屋温泉誌に白湯山詣でに関する記述がある(読みは「しらゆ」、「はくゆ」、「はくとう」など諸説があるらしい。「はくゆ」は重箱読みで不自然。いちばんすっきりするのは音読みで通す「はくとうさん」だろうが、高湯山の読みに合わせるならば「しらゆさん」が妥当か。)。三斗小屋温泉誌の存在を知ってはいたものの、温泉そのものには興味が無いので見過ごしていた。先週、図書館で三斗小屋温泉誌を読んでみたら、白湯山詣での道が苦土川を渡渉する場所は七月の井戸沢遡行の帰りに地形を把握済みの場所であった。あんな急傾斜に道があるなんて思いもよらなかった。いざ在ると判れば、後は三斗小屋温泉誌の記述を参考にして苦土川左岸の登り口を見つけるだけ。

三斗小屋宿跡方面に向かう林道は奥で工事中のためきれいに均されて走りやすくなっている。湯川橋にあった工事に関する掲示物には「江戸沢復旧治山工事」と書いてあった。悪天候が予想されているにも関わらず3人組みの高齢者ハイカーが出発していった。他には登山客なし。本日は降雨前に短時間でケリをつける必要があるので始めからフルスロットルでガンガン歩いていく。

画像
「江戸沢復旧治山工事」の掲示


江戸沢って井戸沢のこと?そうだとすれば7月に井戸沢を遡行した際に懸念した通り、井戸沢に砂防堰堤を作っているのであろう。江戸沢と井戸沢のどちらが正しいのだろう?小生の答えは「どっちでもいいじゃん。」。会津訛りでは「い」と「え」の発音が近いので他所で育った人には聞き分けが難しい。「い」と発音したつもりでも「え」に聞こえたり、その逆も起こり得る。おそらく三斗小屋宿の住人が昔から使っていた呼称に誰かが適当に文字をあてたのであろう。何か所以でもない限りどちらが正しいかなんて誰も判るまい。小生、小学校時に放送委員をしていて「本日の給食の献立の材料はにんじん・・・」と言ったつもりが「ねんじん」と聞こえたらしく、それが原因で上級生にいじめられたっけ。そんなことを考えながらあっというまに三斗小屋宿跡到着。

藪が濡れているので合羽ズボンを履いて明瞭な踏み跡を辿って苦土川へ降下。那須はヤマビルがいないので気が楽だ。湿度が高く苦土川の流水に冷やされて水面に水蒸気が立ち込めている。

画像
苦土川渡渉点  10:19


頭上では雷がゴロゴロしているが雨が降る気配はない。沢靴に履き替えて渡る。前日降雨して一時増水したようだが、源流地帯は水位が下がるのが早いので楽に渡渉可。沢靴のまま渡渉点の左岸側の細い分流に沿って歩いて左岸側を探る。ウワバミソウ(ミズナ)がびっしり生える草付き斜面の上方が歩きやすそう。白湯山詣での古道は急な傾斜をトラバースしているはずだから、この斜面の上に在ると読んだ。直登すると果たして不明瞭ではあるが獣道ではない細い道に出合った。

古道は苦土川下流側に向かって斜面を横切りながら少しずつ高度を上げていく。途中、浸蝕された細い沢筋を横切る。これは三斗小屋温泉誌に記載されている通り。

画像
苦土川を見下ろす(帰りに撮影


さらに踏み跡を辿っていくとびっしりチシマザサに被われた浅い沢筋を横切る。もともと消え入りそうな道なのでチシマザサ藪に入ると判別できない。厄介なことになったなと思いながら沢筋に下ろうとしたとき、向こう側の林の中に人工物らしきものが見えた。

シズノ平  10:07


あっけなくシズノ平到着。シズノ平と渡渉点の高度差はたったの30m。三斗小屋温泉誌の記述に拠るとシズノ平は藪化しているイメージがあったが、実際には石塔や石像が立つ区域だけ藪が無くきれいに手入れされているかのよう。西側(苦土川の谷)方向が明るいのでとても雰囲気の良い場所だ。

画像
三斗小屋宿方面を向いている。


僧の墓石、白湯山大権現や頭のとれた石像など、三斗小屋温泉誌の記述通り。

頭のとれた石像
白湯山大権現
裏に「明和六丑七月?三計小屋」の刻字
僧の墓石
 


石像の頭が取れているのは明治の廃仏毀釈によるものだという説があるが、本当にそうなのだろうか。首からぽろりと落ちているので破壊されたように見えないし、頭が取れていないものもある。本気でやるなら仏像を撤去するだろうし、そもそも仏様壊すなんて罰当たりなことする輩が居たのか?そいつらの墓に戒名が刻んであったとしたら笑える話よ。

小生思うに、破断は自然現象ではないのか。石材を切り出すことによって岩体の中の力のバランスが崩れる。石祠が長持ちしない理由と同じで、温度変化による膨張や細かな亀裂に入った水が氷結することによる歪が生じ、弱いところ(首筋のくびれ)が破断した可能性がある。

馬が通えるとは思えない場所だが、寛政五年建立の馬頭観音がある。こんな重量物をどうやってここまで運び上げたものか。

馬頭観音


白湯山に向かう道はどうなっているのだろうとしばし進んでみたが、浅い谷を渡った先のチシマザサ藪で道が不明瞭であり、天気も怪しいので引き返した。近くの枯れたブナの大木にブナハリタケがびっしりと生えているのを発見して収穫。

ブナハリタケ


お墓に合掌して来た道を戻る。取り付きを確認すべく道跡を辿っていくと、三斗小屋温泉誌の記述通り本当にトクサ(木賊)の生える湿地に出た。

トクサ
トリカブト


赤ペンキの印のついたカエデは既に無くなってしまったらしいが、それ以外の記述は現在も有効であることが確かめられた。場所を特定できる特徴めいた物が見当たらないのであるが、強いて言えば、苦土川の左岸側分流のさらに隣の水流の畔ということになる(他者の参考にはなりませんな。)。最近人が歩いた形跡は古びた赤テープ一箇所のみ。

三斗小屋宿跡に戻ってみると今朝方遇った三人のハイカーが戻っていくところであった。空模様が怪しいので山歩きを断念したらしい。

画像
三斗小屋宿跡 12:02


井戸沢(江戸沢)の様子を見に行ってみた。会津中街道跡よりも上流に向けて作業道が設けられており、街道跡が無傷であることを確認して少し安堵。

三斗小屋宿跡から北西方向に延びる道が気になったので辿ってみた。奥には三斗小屋の鎮守様であったと思われる社があった。奉納札の年代を見ると昭和三十三年が最後の様だ。祀る人が絶えて久しい。

画像
妙見尊神(石塔は天保十五年建立)  12:18


帰りに、三斗小屋宿近くの笹薮中にもトクサが多数生えているのを見た。トクサは水辺に生える植物という先入観があった自身にとって新しい発見である。

笹薮に生えるトクサ  12:25


車に帰り着くと同時に雨が降り出した。深山湖、高林、関谷と広範囲に渡り土砂降りの雨。天候不順の今年の夏の終わりを告げる日となった。

山野・史跡探訪の備忘録