奥久慈男体山〜袋田の滝(2009年1月)

年月日: 2009年1月25日(日)

行程: 大円地出発(08:00)〜滝倉口からの登山道との合流点(08:23)〜男体山山頂(08:55)〜第二展望台(10:30)〜月居峠(10:55)〜月居山(11:10)〜月居観音堂(10:20)〜袋田の滝(11:50)〜(袋田駅−上小川間はJR水郡線使用。12:40発)〜大円地に帰着(14:02)

日曜が快晴の予報なので、川崎には夜戻ることにして日中は体を動かしに出かけることにした。県北の山沿いの天候が読めなかったので、お隣の茨城県の山を歩いてみる。栃木・茨城県境は歩いたことがあっても、茨城県内の山を歩くのは初めての経験である。

奥久慈は栃木県さくら市から近い。那珂川にアユ釣りに行くのに毛が生えたようなもので、馬頭・大子経由で簡単に行けてしまう。奥鬼怒・奥日光・三依・那須・足尾に行くより近いのだ。以前よく釣りに行った那珂湊よりも近いのであるが、茨城の山に興味がなくて登ろうと思ったことはなかった。昨年秋に久慈川の東側に長く続いている断崖を見て強く興味を抱き、この断崖沿いに歩いてみたいがために奥久慈男体山に登ることにしたのである。

昨年秋に茨城の海で釣りをして大子を経由して帰ろうとした。国道を大子に向けて北上する途上で、男体山登山口の案内を見て細い道路に進入。予備知識が無かったので途中で引き返した(今回再訪して、西金口だったことを知った。)。

今回は滝倉口から入って大円地から登ることにする。地形図を見ていたら断崖沿いに袋田の滝まで縦走してみたくなった。日曜日は川崎に戻らなければならないので時間が気になる。帰りに舗装路を歩いてきたら足裏に肉刺ができるのは確実だ。MTB利用を考えたのだが、タイヤが劣化しているし、ハンドル固定のヘックスキーが見つからん。往復する手もあるのだが、翌日の仕事を考えると疲れるのは避けたいし、できるだけ早く家に帰りたい。ならばバスの便はどうであろうかと調べてみると、袋田の滝から出るバスはJRの袋田駅行きしかないし、午前11時の便の後はだいぶ空いてしまう。できれば袋田の滝11時発のバスに乗ることにし、間に合わなければ歩いて袋田駅に向かい、水郡線12:40発の列車に乗って滝倉口に近い上小川駅まで移動し、歩いて大円地まで戻ることにした。

この週末は山歩きを予定していなかったため自分のデジカメは川崎のアパートに置いてきた。夜更かししてルート検討していて女房にデジカメ借りるのを忘れていた。早朝女房を叩き起こすのは気が引ける。娘が修学旅行に持っていった使い捨てカメラのフィルムがまだ15枚分残っていたのでデジカメの代用とする(景色の撮影には不向きで出来があまりよくなかった。よって、本記録は写真無し。)。

 

日曜日、大円地までスイスイ行くつもりが、後ろにひっついた車が気になって狭い滝倉口を見過ごし、南下して西金口に入った。この時点で昨年車を走らせた場所であるとは気づいたが、大円地に行く道筋が頭に入っていないので奥久慈パノラマラインなるものに入ってしまった。クネクネとしてアップダウンが多く、どう見ても秘境にいるとしか思えないのに、どこまで行っても山の中に人家がある。馬頭の女体山も高いところに人家があって驚いたものだが、奥久慈はさらに上を行く。どうやって生計を立てているのだろう。地域社会を維持できているのが不思議だ。水道などのインフラを整備するだけでも大変なことだろうに。

訳がわからぬまま遠回りして大円地に到着。仰ぎ見る男体山の崖は見事だ。駐車場には登山者のものかどうか不明だが1台の車があった。予備知識は木村さんのHPで見た記録のみ。時間節約のため、敢えて健脚コースで登る。人気の山にしては登山道の踏み跡が細い。しばらくは植林地の中を登っていく。林床にはオオバノイノモトソウが多くみられ、三峰山(鍋山)の植生に似ている。この山域の地質は新第三紀の大規模な海底火山活動の噴出物でできた礫岩らしく、栃木県側と同じだ。この地質は高度に関係なく袋田の滝までずっと同じである。

汗ぐっしょりで臭い体では袋田の滝を歩くのが気が引けるので、汗をかかない程度にゆっくりと登った。だんだん眺めが良くなってくると同時に、岩がちになって危険度が増す。岩に打ち込まれた杭がいまひとつ信頼できん。鎖も石裂山のごつさに較べると貧弱だ。こんなコース絶対に下りに使いたくない!何がなんでも袋田の滝まで行ってしまおう。

山頂直下の東屋に着いて一息いれた。かろうじて富士山も見える。山頂に上がってみると意外にも無人。地面の乱れは昨日のものなのだろうか。昨日は午前中天気が悪かったはずだが。

山頂の断崖の際にある社からの眺めは申し分無い。栃木県の主だった山々が全て見渡せる。山頂独り占めして満足し、月居山方面に縦走開始。

男体山の北側はうっすらと雪が積もって縦走路がくっきり見える。男体山山頂付近はスズタケが茂る。荒れたところはなく歩き易い。一貫してコナラにブナやカエデが混じる落葉広葉樹の尾根であり、西側の崖側だけでなく東側も眺めがよろしい。この長大な断崖は極めて古い時代の断層活動の名残であり、西側からみると巨大な壁が反り立つように見えるが、東側は穏やかな里山の雰囲気で人家まで近い。東の集落と西の久慈川沿いの居住地の高度差が350m以上もあるのだ。左(西側)に絶景を見ながら右(東側)に放牧場が迫る場所があったりして不思議な感覚にとらわれる。

縦走路には要所に道標がある。突然尾根を離れて下っていく場所があるが、心配は要らない。道標を信じて歩けば大丈夫。逆に言えば、道標や整備された道がなかったとしたら、地形図見ずに正確に月居山まで移動するのは難しいであろう。こまめに地形図を見ることはしなくても、独立峰の如き存在感の際立つ長福山との相対関係でだいたいの自分の位置を把握できる。

縦走路は細かなアップダウン多し。いい気になって飛ばしていると結構疲れる。本日は冷え込んでいるのでややハードな歩きの割には発汗が少なく好都合。どこだったのか正確には記憶していないが、落ち葉が積もった鞍部で道を見失い、適当に植林地上部の細い踏み跡を辿り谷を登って登山路に復帰。

第二展望台にて地形図と景色を照合して居場所を推定。第一展望台なる三角点(鍋転山)はあまり眺めが良くないので、休憩するなら第二展望台がお薦めである。第一展望台から植林地内を下って月居峠に至る。昔はここから男体山に登拝する人が多かったのであろうか、登山口を示す石碑がある。今は峠に直接登ってくる人はいないようで、峠の両側の踏み跡は不鮮明だ。

峠から北側に登ると図根三角点があり、痩せた尾根を歩いてキレットを越えると月居山に到着。平らな場所があるため城跡っぽい感じ。ここが佐竹氏の家来が居城していた月居城の跡であるとの説明板在り。しかし、実際に館を構えて人が常住していたとは思えない。城を構えるには狭すぎるし、麓からあまりに高くて水の便が悪すぎる。普段は山の上に居る意味などないのだ。あくまで小生の推測ではあるが、戦国時代に砦として用いられただけではないだろうか。

月居山の北側麓に観音堂が見える。月居山から先は訪れる人が多いようで道も良く整備されている。普段着の男性が一人登ってきた。今日初めて遇った人である。月居観音堂を訪れている人も何名かいた。袋田の滝に来たついでに歩く人が多いようだ。石像か墓石なのかよく見なかったが、月居観音堂の手前に寛政や元禄年間の石塔が数体立つ。月居観音堂そのものの建立年代は極めて古く(奈良時代)、前九年の役か後三年の役か知らないが八幡太郎義家が奥州侵略(征伐は征服者である大和朝廷側の立場の言葉)時に詣でたとのこと。もっとも、これと同じような伝説は栃木県や福島県に幾つも残っているので真偽のほどは定かでない。

月居観音堂からすんなりと袋田の滝に下れると思っていたら甘かった。最後に結構ハードな山登りが控えている。山頂近くでは大勢のハイカーが休憩・昼食中。山頂からの下りは眺め良し。袋田の滝から登ってくる行楽客多し。生瀬の滝と袋田の滝を見るのは今回が初めてだ。昔、親父が「袋田の滝の上流には人が住んでいて、滝に見とれていたら大根の葉っぱが流れてきた。」と言って笑っていたが、まさしくその通り。袋田の滝だけ見ていると幽谷の感があるが、山の上から眺めた上流域にはのどかな田園風景が広がる。この川は流程が長く、上流域に住む人口は少なくない。よって、生活排水が流れるため水が澄んでいない。たんぼの用水の如し江川に懸かる烏山の龍門の滝の規模をでかくしたようなものだ。でも滝そのものの規模・美しさは確かに噂通り素晴らしく、一見の価値有り。来てよかった。最後は金属製の長い階段を下って沢沿いの遊歩道へ降りる。

行楽客に混じって歩いていると何か浮いた感じ。さっさと行楽地を抜けて水郡線・袋田駅を目指す。なんとか12時40分の列車に間に合いそうだ。袋田駅は国道より西側の久慈川右岸側にあって、袋田の滝から歩くと結構な距離だ。苦手の舗装路歩きでさっそく足裏に肉刺が出来始めた。先が思いやられる。

てっきり無人駅かとおもったら、ホームには駅員がいておばさんが切符を売ってくれる。30年前の磐越西線を思い出す。ワンマン列車はこぎれいで乗り心地良い。短い一区間だけの乗車ではあるが、久々にローカル線の雰囲気を楽しんだ。

上小川駅から国道に出て、久慈川を2回渡る。アユ釣りするのは今年が最後になるかもしないから、一度は久慈川で釣ってみたいものだな。滝倉口に入って数キロ歩くだけなのだが、足裏が痛くてつらい。大円地までダラダラと100m以上登らなければならないのもつらい。何度も足休めしながら進んだ。

滝倉の最初の分岐(地形図の水準点がある辺り)で、左側の行く先表示に大円地の記載がなかった(と思った)ので右に進んだ。ところがこの道にはトンネルが無い。最高点を越えて反対側の民家の裏(地形図の滝倉の字の南側)で舗装道路が消えた!地形図に無い立派な道路があったために道を間違えてしまった。足裏が痛くて戻る気になれん。終点から細い踏み跡が谷沿いに続いているので進入。以前は滝倉と大円地の行き来に用いられていたのであろう。木材で補強した跡が残っている。最後はトンネルを抜けてきた舗装道路に合流して、めでたく駐車地に帰着。

帰りに車で滝倉を通った際、トンネルの前後に何台かの車があった。健脚コースの途上で見た滝倉口の登山道はトンネルに下るらしい。奥久慈男体山に登るなら、長福寺か持方から登るのが無難であろう。

縦走路を歩いてみた感想は、絶好の登山日和に恵まれたこともあるが”素晴らしい!”の一言に尽きる。最初に男体山山頂からの絶景を眺め、展望の良い快適な尾根道を辿り、月居城や月居観音堂の史跡を訪れ、最後は名瀑で締めくくり。なんと贅沢なコースであろうか。袋田の滝(滝本)〜袋田駅と上小川駅〜大円地の2区間は長い舗装路歩きで足裏が痛くなってしまうのが難点だが、複数名のパーティならば舗装路はほぼ全行程車を使用できるのでお薦めのコースである。

山野・史跡探訪の備忘録