深山隧道周辺の探索その1(2009年2月)

年月日: 2009年2月22日

行程: −

関連記録1: 2009-03-21 深山隧道周辺の探索その2
関連記録2: 2010-01-23 深山隧道周辺の探索その3

午前中は快晴の予感だが、金曜日に降った湿った雪が残っていて締まりもなさそうなので山歩きする気がしない。既に狩猟期間が過ぎて安心して野山を動き回れる季節であるが、渓流釣り解禁まではまだ間がある。早春の山歩きや釣りの参考とすべく久しぶりに深山湖にでかけた。

江戸時代には大川を遡り大萱峠を越えて会津に抜ける道があった。大正時代には大川流域で欅や針葉樹の択伐が行われていた。大川林道や県境尾根を歩いてみて深山湖以遠の道筋はなんとなく納得できるのだが、当時の板室と深山湖の間の交通の便については全く情報が無い。板室から奥は急峻な大峡谷であり、沢底を歩いて行くことは有り得ない。ということは現在の深山湖に至る県道369号(黒磯田島線)は昔の道筋に沿っていると考えてよいであろう。木ノ俣地蔵に俘囚(大和に帰順した蝦夷)であった安倍貞任に関する伝説があるくらいだから、木ノ俣地蔵尊を通って現在の深山隧道の奥側に出る破線路が大昔の道筋であった可能性が高い。

この近辺には旧い道筋の痕跡がいくつかあってなかなか興味深い。興味の対象の一つは矢沢を渡る橋のすぐ下流側に残る旧い橋脚跡、もう一つは深山隧道ができる以前の道跡である。昨年、木ノ俣川沿いの軌道跡のことを調べていて、大正時代に既に大川及び矢沢の森林伐採が行われていたことを知った。管流を用いず土橇で運材していたとのことであるから、しっかりした道が建設されたはずである。ならばどこかに痕跡が残っているはずだが、板室から深山湖の間の区間でそれらしい道跡を目にしていない。旧い橋脚跡がそのヒントとなるかもしれぬと思い、散策気分で出かけてみた。

暖冬で積雪量が少なく、路面が凍結していても深山湖までは簡単に行ける。

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個人的に栃木で最も高貴な場所であると信ずる大倉山を間近に見て満足し、矢沢に戻って橋脚跡の実地検分。

橋脚の幅は決して広くはないし、続く道跡の窪みの幅も狭いので、近年にダンプカーがガンガン走った道であるとは思われない。少なくとも橋脚の上数mの高さに架かっていたはずの橋の残骸が全く無いので、木製の橋であったのかもしれない。

矢沢底にある橋脚跡
左岸側橋脚の鉄筋


現在の深山湖に至る車道が建設されたのは深山ダムが着工された1968年(昭和43年)頃のことで、おそらくは同時に矢沢の取水堰に至る林道も整備されたはず。それ以前にあった道の目的としては年代順に

@江戸時代〜明治期における大萱(大川の訛り?)峠越え、白湯山詣でついでに木ノ俣地蔵尊への立ち寄り
A大正から昭和初期における大川と矢沢流域で伐採した木材の搬出、
B昭和三十年代における矢沢奥で採掘した銅鉱の搬出等

が挙げられる、橋脚はその造りから判断してAに関連する可能性がある。

さて、期待したような道跡が残っていなかったので、沼原線の鉄塔巡視路を利用して867.3m三角点峰に登ってみた。鉄塔巡視路は整備し直したばかりでとても歩き易い。但し、場所が場所だけにバランス崩して落ちたら確実に死が待ち受けるような危険箇所も存在する。人間では登れないような急勾配の斜面では緩んだ雪がコロコロと転がり落ちてくる。

鉄塔周りは樹木が刈り払われて788mピーク方面の眺め良し。深山隧道ができる以前の那珂川右岸沿いの道筋が確認できた。あそこも以前から興味があった場所だ。後で行ってみよう。

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深山隧道のある788mピーク


鉄塔から867.3mピークに至る尾根にはミズナラやブナの大木が存在する。山の南西斜面は県道から山頂までスギが植林されている。


867.3m三角点は雪の下。広々とした場所が無いので最近は測量していないのでないか。梢越しではあるが山頂から周囲の地形を十分に確認でき、昔の道跡を推測するには申し分ない。急峻な大川渓谷の沢底に街道があった可能性はなく、現在の車道もしくはその近くにあったと考えられる。巡視路を戻り、県道付近の植林の中の道を辿っていくとコンクリート吹き付け斜面に出た。ここから矢沢右岸側斜面に雪が積もった白い筋(廃道)を確認。工事用に一時的に用いられたものなのか、それとも昔の伐採用の道なのか、検分は次回に持ち越し(探索C参照。)。

この後、帰る途中で深山隧道に寄り、広場から788mピークをグルリと巻く旧道を歩いてみた。深山隧道は昭和四十四年の竣工(深山ダム建設のためにつくられたようだ。)であるから、この道が建設されたのはかなり旧い時代ということになろう。落石注意の標識も年季が入っている。


深山湖からの帰りに深山隧道を通る度に、旧道のガードレールを見て少し変わった形であるなとは思っていた。近くで見るとコンクリート柱を繋いでいるものの形状が変だ。


廃線のレールを利用したようだ。どこで用いられていたものであろうか。端部に円い連結用の穴が空いているものがあったので、レールに違いない。

旧道は部分的に崩落した土砂で埋まりガレた斜面になってしまっている。地形図では道路建設するような勾配にはとても見えない場所である。反面、眺めは良好。初めて矢沢と大川(那珂川)の合流点から深山ダムまでの谷の様子を見た。

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左の山がさきほど登った867.3m三角点峰


有名な矢沢の滝はここからも見えない。今年の春は渓流釣りついでに矢沢の滝を眺めてみたい。

2009/02/28 がり2さんから教えて頂いた明治時代の地形図と現在の地形図の比較追加


左の地図における矢沢渡渉点の位置は誤りで、当時も現在と同じ場所にあった。

山野・史跡探訪の備忘録