深山隧道周辺の探索その2(2009年3月)

年月日: 2009年3月21日(土)

行程: −

関連記録1: 2009-02-22 深山隧道周辺の探索その1
関連記録2: 2010-01-23 深山隧道周辺の探索その2

今年は暖冬で積雪が少なく、例年より雪が消えるのが半月は早そう。金曜日午後に氏家から見た県北の山々にはまだ十分に雪が残っていて今が一番残雪歩きに良さそうに見えた。

日曜日は穏やかに晴れ上がるとの予報につき、残雪歩きに出かけるべく早寝して5時前に起床。夜半過ぎに吹いていた強風が朝5時にはほとんど収まっていた。しめしめと思い深山湖方面に向かったのであるが、北に行くにつれて風が強まり木々が激しく揺れ落ち葉が舞う。深山湖付近では県境を越えてきた冷たい風がビュービュー吹いて車が揺れる。ラジオの天気予報では栃木県北は一日中風が強いであろうとのこと。この時点で一旦、山歩きの計画は放棄した。

ただ帰るのはもったいないので、木ノ俣地蔵を経由していたと考えられる昔の道跡(地形図の破線路)を辿ってみようと思い、木ノ俣地蔵の駐車場に車を停めた。10年以上前に木ノ俣地蔵を見たことがあるのだが記憶が曖昧だ。車外に出てみると車内から見るより風が強く冷たく感じる。地形図を所持していなかったので、まずは木ノ俣地蔵を拝むべく歩道を登っていった。『木ノ俣』の由来とされるカツラの木の先で林道らしき幅広の道形と交差する。さらにその先にお堂がある。


さきほど交差した幅広の道形はお堂の近くで折れ曲がって高度を稼ぎ、788mピーク南西の鞍部に向かう。これが地形図上の破線路であるらしいので辿ってみた。最近入り込んだ車の跡はないものの、良く手入れされていて軽トラックなら走れそう。周囲がスギの植林であるため林業関係者によって維持されている現役の林道である。


現役林道として使用されているのは峠(788mピーク南西の鞍部)まで。峠には1m弱の土盛りをして通せんぼしてある。

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、深山湖方面から吹き付ける冷たい雪混じりの強風に正面から煽られて寒いのなんの。こんな悪天候で山に登っている人はいないだろう(と思ったら、この時既に数名が大佐飛山に向かっていた。)。

峠から先は放棄されて久しく、部分的に侵食が激しい。特に、近年になって砂防堰堤が幾つか築かれた水無沢を渡る区間は道跡が完全に消失している。

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水無沢(帰りに県道369号から見た図。旧道は最上堰堤より上部を走る。


水無沢左岸側の斜面に崩落防止の石積みが存在するが、建設年代は現在の車道(県道369号)建設後であると考えられる。この区間を過ぎると再び明瞭な道形が現れ、徐々に高度を下げて車道に近づく。

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山の上方に向かう山道(送電線鉄塔の巡視路)が分岐した後、道は方向転換して車道に出る。入り口には電源開発による沼原線No.8鉄塔の標識がある。

旧道出口(深山湖側)一部は送電線鉄塔巡視路として現役。


車道を歩いて隧道の深山湖側出口の上を巻いて峠に戻った。深山湖側出口〜峠までの区間には地形図に記載された破線路に相当する明瞭な道形は存在しない。この後、林道を板室側の入り口まで歩いてみた。林道入り口は木ノ俣地蔵の駐車場の100m手前にある。

林道入口(板室寄り)


地形図に示された破線の峠以南の区間は実在する林道と一致する。一方、峠以北の区間は今回歩いた旧道の道筋と一致しない。

整理すると、以下の通り。

@地形図上の破線路は江戸時代〜明治時代の細々とした道筋に起源を持つ。

A破線路の峠以南は現役の林道として現在に至る。

B破線路の峠以北は旧道建設以降に放棄。但し、破線路に相当する明瞭な道形が存在せず、トンネルがなかった時代にトンネルの出口の位置までわざわざ降りてくるのは不自然なので、地形図の破線路の位置は誤りである可能性大。

C旧道の峠以北の区間は大正から昭和初期にかけて木材搬出を目的として用いられ、788mピークの那珂川沿い斜面に車道が建設された時点(時期不明)で放棄されたと考えられる。

旧道探索で暇つぶししている間に少し風が収まってきたように感じたので、山歩きの第二の候補地に向けて移動。

山野・史跡探訪の備忘録