小野岳・モー太郎の弔い(2009年4月)

年月日: 2009年4月3日(金)

行程: 小野観音堂(10:18)〜山頂(13:18−13:31)〜小野観音堂(14:45)


夢見ヶ崎動物公園のモルモットを見た3月29日夜、栃木の自宅にいるモー太郎のことを考えていたら妻から連絡が入った。最愛のモー太郎が臨終だという。栃木に帰れる時間ではなく会いに行ってやることもできず、ただ悲しいしらせを待つしかなかった。

まだ2歳半。健康体ならばあと3年は生きられたはずだ。動物病院の診療では胃が詰まって何も食べられない状態だったとのこと。人間で言えば腸ねん転状態だったらしい。さぞ苦しかったであろう。1週間前に自宅に戻った際、食み方がいつもと少し違うのに気づいていた。下の歯が伸びすぎているような気がしたのだが、上の歯が短かったので異常かどうか判らず、家族にも知らせないまま放置してしまった。下歯が伸びすぎて臼歯で食物を十分に磨り潰せなくなり、咀嚼不十分な餌が詰まったのではないかと思う。あのとき適切な処置をしていれば死ぬことはなかったと思う。

モー太郎の無垢な姿に癒されて前職場の様々な意味で劣悪な環境に耐え抜くことができたし、我が家族の崩壊の危機をも救ってくれた。特別な存在だっただけに、家族のペットロス状態は相当なものだった。愛玩動物との別れは初めての経験ではないが、仕事への集中がふと途切れた瞬間に可愛い姿が浮かんできて目頭が熱くなる。そんな状態で4日間勤務し、金曜日は久々に年次休暇を取得して一日早めに帰宅。冷所に保存してもらっていたモー太郎の亡骸を抱き上げて気持ちが少し落ち着いた。

いずれ現住所から移転してしまうので、亡骸は福島の実家に埋葬することにし、実家に行くついでにどこかの山に寄っていこうと思った。前日まで福島や栃木県北部で降雪していたので新雪ブカブカで山歩きに適した状態ではないことは承知済み。誰も居ない場所で思いっきり叫びたかった。

朝方の那須方面は強風が吹き荒れており、県境を越えてくる雲の流れの速いこと。山歩きをあきらめ、しばし仮眠してから甲子高原経由で下郷に抜けた。会津は曇り時々晴れの天気で一面雪景色。県境から離れると風が弱まって日照も得られるようになりヤル気が復活。一度登ったことがあってお気に入りの山である小野岳を再訪することに決定。

平日でしかも新雪が積もったばかりであるので入山者はいない。登山道の傍らに福寿草やカタクリが生えているが、そのほとんどは新雪の下に隠されて見えない。麓の登山道の積雪は5〜20cm。ジグザグの屈曲点には必ずピンク色のテープがあるので道を外すことなく登っていける。標高900m付近から積雪が深くなったのでワカンを装着。

急登区間を抜けてから登山道と別れて尾根伝いに山頂に直進。無雪期はチシマザサ藪に覆われるのでこの時期限定の歩き方だ。小野岳はお椀をかぶせたようなどっしりとした形状の山であり、勾配が緩くなってから山頂までが遠い。ワカンを履いても膝まで沈み込む状態でこんなに長い区間をラッセルしたのは初めての経験だ。

画像
小野岳山頂部・三角点の南側


3時間かけて山頂到着。春霞がかかった状態で猪苗代湖方面が鮮明に見えないものの、近くの大戸岳の眺めは申し分ない。

山頂の祠
大戸岳


帰りの緩斜面は自分のトレースを利用できるので幾分楽。急勾配の区間は勢いがついて新雪が滑るのでトレースがあろうと無かろうと関係ない。ガンガン下る。

小野観音堂の近くの藪や耕作放棄地に多数の福寿草が自生し黄金色の花を咲かせていた(小野観音堂に至る参道の傍らにも福寿草が植えられている。)。


山野・史跡探訪の備忘録