大倉〜鍋割山〜蛭ヶ岳南稜〜袖平山〜東野(2009年4月)

年月日: 2009年4月11日(土)

行程: 大倉バス停から歩行開始(07:04)〜ムダ歩き約10分〜二俣(08:10)〜後沢乗越(08:47)〜鍋割山山頂(09:38)〜鍋割山北尾根経由でユーシン渓谷へ降下(10:35)〜熊木沢西沢第9号堰堤手前から蛭ヶ岳に取り付く(11:45)〜蛭ヶ岳山頂(13:10)〜姫次(14:12)〜袖平山(14:23)〜東野に至る林道に降下(15:28)〜東野バス停(16:19)

この一週間の暑かったこと。上着など不要に思われる陽気でも皆一様に背広を着て、中にはコートを着ている人までいる。ただじっとしているのであれば上着着用でも耐えられるが、毎日健康のために40分かけて職場まで歩いていくので、中間地点まで行かないうちに汗ばんでしまう。金曜日は朝から気温が高くて、とうとう背広無しでシャツの腕まくりをして通勤した。

気温に合わせて山歩きの服装も少し工夫せねばならんな。土曜日は金曜日並みに暑そうなので通気性の良い長袖のポロシャツを選択。電車で行く都合上、着替えを所持。万が一ビバークを余儀なくされた場合に備えて最低限の保温対策も携行する。

山歩きの対象地域も変更。気温的にはヤマビルが活動を始めてもおかしくない。この一週間は乾燥しており尾根歩きしている分には心配無い。でも、できるだけこいつらが生息する地域は避けたい。今回はちょっと遠めの西丹沢を歩いてみよう。単身赴任先の生活予算に上限を設けているため、いままでボロボロのカジュアルシューズで我慢してきた。倹約の甲斐あって小遣いがたまったのでようやく仕事に役立ちそうな勉強用の書籍とトレッキングシューズ(在庫処分で安売りしていたBRIDGESTONEの森湖丘)を購入。我が幅広の足に合っているようだ。長距離歩いても大丈夫のようで心強い。

檜洞丸に登って周回するコースを検討しているうちに蛭ヶ岳に至る丹沢主稜を歩いてみたくなった。蛭ヶ岳に行くのであればできるだけ早く出発したいので西丹沢自然教室から登る案はボツ。山小屋嫌いで日帰りする関係上、大倉から歩き始めるしかない。西丹沢自然教室発の最終便が18時台なので、丹沢主稜をゆったりと時間をかけて西丹沢自然教室に下るのがよかろう。では蛭ヶ岳にはどうやっていくのか。7回もアップダウンがある塔ノ岳経由の主脈コースは心理的につらい。鍋割山越えして熊木沢から一気に登り詰めると、塔ヶ岳経由より標高総和では100m増しだがアップダウンは1回のみでメリハリがある。ユーシンロッジが閉鎖されて以降玄倉川奥部に入り込む者は少ない。2009年現在、丹沢の秘境となっている状態だが、ネット上の数少ない情報と地形図に基き、鍋割山北尾根の下りと熊木沢から蛭ヶ岳への登りが共に可能であると判断。計画段階で北丹沢に下ることは考えていなかった。

登山シーズンに入ってハイカーの数が増加。しかも本日は最高の登山日和だ。急行が到着する前から渋沢駅の大倉行きのバス停にはハイカーの列ができている。前の座席に座った人が同僚だったのには驚いた。

終点・大倉からハイカーは3方に分散。ほとんどの人は大倉尾根を目指し、鍋割山方面に向かうのは少数派。この道は宅地の最初の分岐に案内が無いのが曲者だ。四十八瀬川沿いの林道を歩くのだから先ずは下るというイメージがあって、正しい道を選択したのに登り道なので不安になってしまった。後ろを歩いていた男性は左折して下っていった。道を間違えたと思い分岐に引き返してみると、男性も戻ってきた。今度は当方が間違った方向に下ってしまい、畑の中を大周りして正規の道に復帰。10分以上ムダ歩きしてしまった。

山道を歩いて四十八瀬川沿いの林道に抜け、以降は未舗装林道歩き。朝方は日陰になるので涼しくて助かる。四十八瀬川沿いにはめぼしい植物がなく、ヤマブキが少々咲いている他はマムシグサの仲間とタチツボスミレが咲いている程度。二俣には車が3台あり、さらに後沢の終点にも1台あった。二俣から後沢乗越までに遇った(追い越した)登山者は家族連れ4名、男性2人組み、夫婦1組の8名。さらに後沢乗越から山頂までの間に夫婦1組と男性2名を追い抜いた。下ってきたのは1名のみ。自分がバス組の先頭だったから、彼らは上秦野林道ゲートから歩いてきたのかもしれない。大倉尾根に較べると静かなコースで、標高1,150m付近から富士山が見えるようになる(後沢乗越コースについては鍋割山荘のページに詳述されています。)。今回このコースを選んだのは単純にアップダウンを少なくしたいというのが動機だった。所持しているガイドブックには二俣から小丸経由と寄(やどりき)からのコースが紹介されており、後沢乗越コースについての記述なし。現在は後沢乗越コースで登る人が多いらしい。

山荘前で登山者が主人と思しき方にいろいろ尋ねていたので思わず聞き耳をたててしまった。主人曰く、「ミツバツツジといってもいろいろ種類があって、ミツバツツジは葉の出る前に花が咲くのが特徴なんだ。トウゴクミツバツツジってのは葉が開くのと咲くのが一緒。標高800m以上にならないと無いね。」へー、そうなんだ。今まで知らなかった。二俣に咲いていたのはどっちだったかな?

雨山峠方面に少し下ると山頂よりも富士山の眺めが良い場所がある

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さらに下ってユーシンへの下降路分岐に到着。

ユーシンへの下降路入口(この先ユーシン方面踏跡不明瞭箇所有り通行厳重注意)


通行禁止とは書かれていない。踏み跡は一貫して不明瞭。登山道として整備されたことはなく、バリエーションの1つであったようだ。滑落するような危険性はなく、立ち木にテープや赤ペンキでマークしてあるので迷わず順調に降りていける。左足のふくらはぎがピクピクしだしたので休憩しようと腰を下ろした途端、痙攣した。空気が乾燥していて通気性の良い服を着ているため汗によるベチャベチャ感はなかったものの、しこたま発汗したらしい。水分とエネルギー補給を兼ねて大胆に休憩してから下り再開。

標高1,100m ピーク上に沢コースと尾根コースの分岐がある。地形図の破線は沢コースであるらしい。沢コースはキケンと書かれていた。予定通り尾根コースを選択。

沢コースと尾根コースの分岐
下る途上で見た箒杉沢と丹沢山(中央)
三段腹ブナ


地形図に書かれていない尾根コースは尾根伝いに北北東に向かい標高900m付近の鞍部から西側の涸れ沢に下る。涸れ沢の左岸側を下る際、右岸側の樹林から熊避鈴の音が響いてきた。ユーシンから鍋割山に登ろうとしている登山者のようだ。この日、ユーシンで意識した唯一の登山者である。

林道に出る前に堰堤から冷たくきれいな水が流れ出ているのを発見。絶好の水場を得て水に関する心配が消えた。箒杉沢沿いの林道の荒れ様はすさまじい。道路崩落箇所こそないものの、風化浸食されやすい地質であるため山から崩れ落ちてきた岩石で埋まっている箇所多し。

箒杉沢沿いのマメザクラが満開であった。マメザクラの存在を意識したのは初めて。桜は花が下を向くが故にお花見の対象となるのであるが、マメザクラはその傾向が顕著である。

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マメザクラ


熊木沢合流点に至る前に箒杉沢を渡る必要がある。眼下の川原に見える橋らしきものが変な構造をしている。桁の上に上がる場所が見えないのだ。橋の袂は土砂を積んだだけの粗末な造りだったらしく、豪雨時に抉られてしまったようだ。立てかけてあった流木の杭を足場にして這い上がった。

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箒杉沢の橋(左岸側の袂が流失)


反対側は熊木沢左岸沿いに道が残っている。石ころが2列通せんぼするように並べられている場所があった。ここが不動ノ峰(1,614m)に登る道の入口で、テープも付けられている。そのすぐ先で道は浸食されて一旦消える。しばしゴーロを歩いて、再び熊木沢左岸に現れた道路跡を辿って最初の大堰堤に上がる。これ以降は再びゴーロ歩きとなる。ゴーロには斑のある白っぽい火成岩の石(石英閃緑岩であるとのことだが、写真で比較した限りでは花崗閃緑岩に近いように見える。)が多く、凝灰岩主体の陰気な東丹沢と対照的。大きく開けた谷の形状や明るさは地質に起因するところ大のようだ。丹沢の地質に関しては、サイト「丹沢登山と丹沢写真館」が参考になります。

谷奥に蛭ヶ岳が壁のように聳える。本当にあそこ登れるのか?

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熊木沢ゴーロから蛭ヶ岳南稜を遠望


二番目の広い堰堤を左岸側から越えてから右岸側に移った。ミツマタの群生地があり、幻想的な光景にしばし見惚れる。

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熊木沢右岸のミツマタ群落


舗装された廃林道が忽然と現れ、以降は廃林道を辿って順調に谷奥へ移動。碍子や電線が棄てられているので、堰堤工事した当時は電気を引込んでいたらしい。四番目の大堰堤にはめ込まれたプレートには「東沢堰堤、竣工昭和37年」と書かれている。47年も前からこんな大規模な工事をしていたとは。

取り付くべき場所に近づいたので道を離れ沢沿いに進むことにした。どういう訳かこの辺りの水の流れはアオミドロべったりで飲み水には適さない。取り付きらしき場所が見当たらず沢を登っていくと、幾つかある堰堤の1つに赤ペンキ標示が見えた。プレートに拠ると西沢第9号コンクリート谷止めという名で、平成6年度の治山工事で建設したとのこと。歩いてきた廃林道はそのときに再整備されたはずだ。ゴーロを横切る区間は土砂で整地しただけだったのであろう。それにしても、昭和37年に大規模な堰堤をこしらえて浸食防止をしているのに、たった15年でゴーロの道路が跡形も無くなってしまうとは、この熊木沢いったいどれだけ荒れるのであろうか。ちなみに、取り付きに至るには廃林道をそのまま進み、一台の赤い車が棄てられている場所から谷止め(堰堤)下を渡れば良い。

本日の核心とも言える登りを前にして、エネルギーと水分を補給。取り付き部はガレた急斜面で踏み跡は不鮮明。赤と黄色のテープを追ってしばし登って左手に移動して尾根道に乗った。以降は順調に登っていける。但し、足元の岩石が何度か転がり出し谷底まで停まらない。下に登山者がいたら死亡事故になりかねないので、決して他人にお薦めできるコースではない。

丹沢主稜の1,380m鞍部と現在地を較べて残りの標高差が読める。山頂まで400mを残して既に時刻は11時28分。主稜のアップダウンを見ていたら少し気が萎えてきた。現在の体力でやってやれなくはないものの、西丹沢自然教室17:05分発のバスには間に合わないだろう。18時台の最終バスが本当にあるのか不安だったこともあって、東野に下る案が浮上。蛭ヶ岳に13時半までに登れば東野の16時台のバスに間に合って早く帰れる。

標高1,500m近傍で道も目印もない区間があり、ちょっぴり不安になる。シカのクソが散らばる尾根筋を適当に登り続けると再び目印が復活し安堵。地面にシカのものではない乱れがあるので、最近辿った登山者がいるものと思われた。山頂直下の岩ゴツゴツの勾配がきつい場所には古いロープが何本か結わえられている。少々危険を感じる反面、眺めは申し分無い。

蛭ヶ岳山頂直下から熊木沢を見下ろす
不動ノ峰(1,614m)と鬼が岩の頭(1,608m)方面


シカの食わない茨薮を抜けてフワフワの赤土を踏みしめ山頂到着。ロープを越えて登山道に出て、檜洞丸方面の写真を撮影。午後になって霞んではいるものの、富士山を背景にした檜洞丸を眺めることができたのだから満足だ。

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蛭ヶ岳山頂から見た丹沢主稜(かろうじて富士山が見える。)


時刻は13:10分。なんとか最終バスに間に合いそう。もともと主稜縦走前提で体力は残してあるので余裕をもって下る。暖かく乾燥した日が続いて丹沢名物の泥んこは適度な柔らかさの土に戻っており、脚に優しい。日を選べばあの悲惨なぬかるみ歩きとは無縁。丹沢を見直したぞ。

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姫次から蛭ヶ岳を望む


順調に下れるもので時間に余裕ができたような気がして、袖平山に寄ってみることにした(最終バス時刻が16時台後半であると記憶違いしていた。正確な時刻を知っていたら行かなかったと思う。)。

カラマツに覆われた袖平岳は思ったより眺めも雰囲気も良い。

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袖平山から主稜を望む


ベンチから三角点のある山頂方向に朱色の道標があり、神の川・東野方面と書いてある。よっしゃ!姫次に戻らずとも東野に下れる。三角点に行ってみると、頂上から三方に向けて細い踏み跡が伸び、それぞれに朱色の道標がある。マイナーなルートの割にはとても親切である。道そのものはあって無いようなもので目印を頼りに下る。八丁坂ノ頭からの下りと同様、標高差1,000mの急勾配を一気に下るのはつらい。この尾根も笹等の下生えが一切なく、一箇所でシキミらしき植物を見るのみ。

袖平山〜山麓の間で唯一のグラウンドカバー


中腹の勾配のきつい区間に幾つか階段が設けられているのを除いて登山道として整備された形跡なし。元々は山仕事に用いられた山道であったのであろう。植林地帯を抜けて林道終点の広場に出て、伐採されたばかりのアカマツの香りの漂う林道を歩く。前回と同じ場所で着替えを済まし、さっぱりして東野へ向う。山麓はキブシやヤマブキが満開で美しい。

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東野はキブシが満開


里でヤマブキの写真を撮ってデジカメの時刻を確認してみると既に16:10。最終バスの時刻を正確に覚えてなかったので不安になり、バス停に急いだ。バス停には3名の登山者の姿が有り安堵。バス時刻を確認してみると最終時刻は16:20、バス停到着時刻が16:19。あと少し道草していたら危うく散財するところだった。

満開のヤマブキを眺めながらバスに揺られウトウト。爽快な春の山歩きであった。

山野・史跡探訪の備忘録