西ボッチ中腹の廃林道(2009年4月)

年月日: 2009年4月11日(土)

行程: 沼ッ原から往復

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鬼ヶ面山から沼原に向かう途上で見た西ボッチ


板室から深山湖に向かうと西ボッチの中腹に無残な傷跡が見える。地形図に実線で記されており、2004年に鬼ヶ面山から沼原に歩いたときに横切ったはずなのに、全く気づかなかった。要するに意識せずに歩くと気づかないほどの廃道であることを意味する。廃林道は短く、沼原からは見えない大規模な崩壊地点を終点とする。せっかく沼原に来たのだから、廃道の正体を探ってみよう。

入り口付近は樹木に被われてしまっているものの笹薮はなく歩きやすい。程なく深山湖東岸の急な斜面に抜ける。

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斜面下から水音が聞こえてくる。下を覗くと急峻な沢が切れ込んでおり、その途中から突然豊富な水が流れ出ている。

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標高は沼原と同じであり、沢水を集めているとは思えない。湧水もしくは人工的な排水施設があるものと思われた。空身で下って正体を確認(滑ると沢底に転落する危険有り!)。人工的なものであることは判ったが、目的は何なのだろうか。そしてこの水の源は何なのか。

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かつての沼ッ原湿原の水が南の湯川に流れ出ていたかどうか不明だが、仮に流れ出る川がなかったとしても沼ッ原に溜まった水はじわじわと地中に浸透していたであろう。隣に巨大な調整池を建設したことによる湿原への影響は少なからずあるはずで、おそらくは沼ッ原の水位を一定に保つことを目的とした排水設備と思われる。

廃林道は西ボッチの最も急峻な山肌を削って作られている。浸食に弱い火山岩が崩れてガレガレ。大量にコンクリートを吹き付けた擁壁はボロボロに崩れ落ちている。凍結する冬場ならばいつ岩石が落ちてきてもおかしくない。

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はぐれサルが一匹いて、退避して振り返るようにこちらを窺っている。ここは平和的に通過。その直後、今度は丸々としたカモシカが至近距離から走り出し、やはり振り返ってこちらを見ている。進行方向の路面にはチシマザサの藪があり、逃げ出した一頭以外にも何か潜んでいて、当方が声を上げたり手を叩く度に奇妙な威嚇音を発する。カモシカがもう一頭いるようだ。落石に腰を下ろしてしばし休憩し、カモシカがゆっくり去るのを待ってから歩行再開。

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大きな広場がある尾根筋に相当する場所を回り込むと、地形図に記された大規模な崩壊地マーク地点で終点となる。

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山側は西ボッチ山頂に迫る岩石むき出しの高度差100mに及ぶ巨大な壁が聳える。浸食が進行している感じはなく、少しずつ植生が復活してきているように見える。一方、谷側(深山湖側)の斜面は沢筋の源頭部に相当し、L形金属杭を何列も打ち込んで浸食防止工事が施されている。既に木々が育ち、浸食はない。

最終地点の下部から少々登れば、遮るもの無く男鹿山地を一望できる一級の展望台である。

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男鹿山地(右手前は1,357mピーク、谷奥が黒滝股山)


危険な場所に林道を建設した目的は何だったのか。深山湖関連の砂防工事目的でわざわざ峻険な山肌を削って林道を建設するとは考えられない。最終地点の地形から判断するに、自然にできた崩壊地ではなく、大量の採石を行った跡地と考えられる。沼ッ原調整池を建設するために観光地から直接見えない西ボッチ西斜面を崩して大量に採石したのではないだろうか。だとすれば、この廃林道は電源開発目的で行われた大がかりな自然破壊の跡地ということになろう。

沼ッ原調整池は、夜間の余分な電力の有効利用を目的に深山湖の上部ダムとして、1969年に着工し1973年に竣工したとのこと。着工時には環境省はおろか環境庁すら無く、高度成長のためなら何でも許された時代だからこそ、国立公園内にダム建設するなんてことが可能であったのであろう。自然エネルギー利用は常に環境破壊を伴う。簡単に答えが得られない悩ましいテーマである。

山野・史跡探訪の備忘録