西俣沢中道尾根の道跡確認(2009年11月)

年月日: 2009年11月15日(日)

行程: 木ノ俣川・落合(06:33)〜西俣沢取水堰(07:30)〜中道尾根取付き(07:57)〜大アスナロ・1,200m付近(09:14)〜1,320mピーク(10:03)〜鞍部の道跡到達・休憩(10:10-10:25)〜最初の屈曲点(時刻不明)〜1,320mピーク復帰(11:03)〜中道尾根突端に降下(12:11)〜落合(13:26)

関連記録@: 2008-04-05 西俣沢を詰めて西村山
関連記録A: 2008-08-30 木ノ俣川の軌道跡に関する考察

2009年の山歩きで自身にとって最大の関心事は西俣沢中道尾根の謎の道跡を我が眼で確認すること。10月に左膝を痛めて以来一ヶ月以上ハードな山歩きを控えた甲斐あって、ようやく本格的に薮歩きできそうな程度に回復した。15日(日)は川崎に戻るのであまり時間的余裕がないのだが、快晴の予報につき短時間勝負で懸案に挑む。

最初にこの道筋の存在を認識したのは、2004年4月に大佐飛山からの帰りのことだ。大長山から西村山に向う途上で西俣沢を見下ろすと、西村山に続く中道尾根に積雪によって未知の道筋が浮き出ていた。当時、木ノ俣川について知っていたのは西俣沢・東俣沢共に軌道跡があるということ程度(本屋で立ち読みした渓流釣り場の紹介本に書いてあった。本のタイトルも著者名も覚えていない。現在は店頭に並んでいない。)。現役の道ではないし、地理的に昔の炭焼きの道であるとも思えない。2004年当時は軌道=鉱山のイメージしかなかったため、昔の鉱山に至る道筋であろうと推測していた。

2008年4月にあの道筋のことが気になり西俣沢を遡行してみたが、道跡の取り付きらしき場所を確認できぬまま西村山まで詰め上がった。同年8月、図書館で木ノ俣川の軌道跡に関連ありそうな記録を調べるうちに、大正時代から昭和初期にかけて木ノ俣川流域で広範囲に渡り樹木の伐採が行われていたことを知り、あの道筋が90年近く前に作られた土橇道である可能性が浮上。そして今年(2009年)4月、落合からヒツ沢と西俣沢に挟まれた尾根伝いで大長山に登った際に5年振りに対岸尾根の謎の道跡を再確認。西俣沢右俣のどこに取り付きがあるのか不明だが、逆Z型に登って1,320mピークから西村山方面に少し下った鞍部に達している。

画像


正面から謎の道跡を見て、5年前からくすぶっていた気持ちが高揚。今年こそ確認してやらんと落葉期を心待ちにしていた。挑むならまだ雪に閉ざされない今しかない。2週間前に西俣沢右俣を途中まで偵察した結果、斜面がチシマザサに被われているので取り付きを発見するのは困難であると思われた。今回のルートは2案あったが、脚にまだ不安が残ることと、時間的余裕が無いことから、安全策を採って落合から歩いて西俣沢の二俣から中道尾根突端の勾配の緩そうなところに取り付く。尾根伝いに1,320mピークを越えて鞍部の道跡を見つけ、できれば道を辿って沢に降下するつもりだった。

今年(夏?)の大雨で木ノ俣川沿いに落合に至る林道の路肩が崩れて少々危険な状態にあり、通行禁止のバリケードが置かれている。木ノ俣発電所巡視の車が出入りしているので今後も崩れるがままということはないだろうが、修復の予算が付いていないようで通行禁止の表示が出たまま今年は修復される気配なし。今回はバリケードが動かされていたのでそのまま進入。落合に先客は無し。

2週前に較べ、紅葉の時期が終わり山肌が初冬の装いになった。葉が落ちて林床にふんだんに陽が当たり、本日のように晴天の日は明るくて心地良い。紅葉のフィナーレを飾るのがメグスリノキだ。他の彩の消えた林の中で赤紫色の葉が一際鮮やかである。色付く過程に見せる柔らかな色合いも素敵。鮮やかなイロハモミジもまだ少し残っている。

メグスリノキ
イロハモミジ


順調に取水堰に到着。中道尾根がよく見える。

西俣沢中道尾根


快晴に勇気をもらって二俣へ。前日まで降雨していたので本日は水量多め。二俣より若干右俣上流に移動してぶっつけになる場所で渡渉。少し薮を漕げば歩きやすい涸れた沢床に至る。この沢床は中道尾根突端沿いにあって、右俣の分流に相当する。沢床を進み右俣と合流する寸前で尾根に取り付く。等高線の密度が幾分緩くて取り付けそうな場所はここしかないのだ。

最初はアスナロの林の中をまばらに生えたチシマザサに掴まりながら急登。朽ちた株にほんの数p2ではあるが切り口と思しき平坦な面が認められた。過去の伐採と関係がありそうなものはこれだけ。樹木のほとんどは広葉樹であり、樹木の密度のバラつき、尾根の勾配と向きの関係でチシマザサの密度と丈の変化が大きい。勾配がきつい区間のチシマザサ密度は概ね低く進行を妨げることはない。むしろ掴まるものがあって好都合。標高1,200m付近にアスナロとブナとミズナラの大木が聳え、ここを境として勾配が徐々に緩くなりチシマザサ密度が増す。いささかウンザリした頃にようやく1,320mピーク到着。ケッ!ただの薮である。

中道尾根1,320mピークにて


登りが薮の場合、反対側の下りはたいてい薮が薄い。ここも例外ではなく、いままでの苦労が嘘のように順調に鞍部に近づく。

黒滝山(たぶん中央)
鞍部への下りの雰囲気(遠くに見えるは大長山 )


右下斜面から道跡が上がってくるようには見えない。しかし、最低鞍部には明らかに人工的に設けられた2m幅の溝が横たわっている。左俣側斜面は笹薮が濃い。右俣側に下ることしか考えていなかったので、笹の下を覗いてみただけで、尾根を横切る道跡が左俣側の斜面に続いているかどうかは未確認。

道跡にて(向きは右俣側)
西村山に至る尾根の続き


尾根上方は再びチシマザサが繁茂する。西村山方面に向かう道跡は存在しない。ということは、この道の目的は比較的勾配の緩い右俣から尾根に上がり、急峻な左俣の奥にアクセスすることにあったのかもしれない。道跡が左俣側に続いている可能性大である。

最低限の目標である道跡発見は達成されたのだから、本日が土曜日ならそのまま西村山に登ってしまったことだろう。本日中に川崎に戻る必要があるので、今回は道跡を辿って右俣に降下する。

最初は北向きに下っていく。道上に一抱えもあるブナやダケカンバが育っており、建設年代が古いものであることを証明している。右俣側斜面はチシマザサが繁茂し道跡に横倒しになっている。薮下には1m以上の幅の平坦な道跡が明瞭であるが、藪の上から道の存在を認識することはできない。笹を持ち上げながら進むため苦労は尾根歩きと大差ない。いまやこの道を辿るメリットは全く無い。

右俣側斜面の道跡(チシマザサの上からは判別不可能)


1,320mピーク北西の山腹の膨らみに達する前に、岩場の上の小さな広場で道跡が途絶える。その先は獣道があるのみ。屈曲点を見過ごしたのだろうと思って引き返して下方を見ても、チシマザサがびっしり生えた斜面が続くのみ。勾配的に現在居る湾曲した地形の中に道跡が横たわっていると思われるが、(冒頭の)写真をよく見てこなかったので確信が持てない。藪を下って上手い具合に道の続きを見つけられたとして、その後右俣を安全に下れる保証はない。今日中に川崎に戻らねばならぬのだ。無理はできない。

安全策をとって1,320mピークに向けて藪斜面を直登りし、来たルートを忠実に戻った。登りで苦しめられたチシマザサ薮は下りも手強い。心配していた急勾配区間はチシマザサにつかまって後ろ向きに下ると懸垂下降みたいで楽。ただし、登りから握力に頼りっぱなしで掌の疲労が激しく、薮でほどけた靴紐を結ぼうとする度に痙攣する。たった数時間の薮漕ぎでも体力的には限界に近い。右俣に着地したときはほっとした。薮漕ぎは嫌いだけれども薮歩きは関節に優しい。左膝には全く問題がなかった。

取水堰からは管理道歩きで散策気分。行動時間は自身にとってベストに近い7時間弱。帰りは林道・木ノ俣巻川線を通って百村に抜けた。黒滝山に登っている人はいないようだった。車で走りぬけてみて林道・木ノ俣巻川線の長さと周囲の地形の急峻さに改めて驚く。2年前、御山沢遡行の帰りに成り行きで暗闇で沢を下って百村に下山したのだが、金積まれても二度とする気にはならんな。

山野・史跡探訪の備忘録