晩秋の丹沢主脈縦走(焼山登山口〜大倉、2009年11月)

年月日: 2009年11月28日(土)

行程: 焼山登山口(07:19)〜焼山山頂(08:56-09:10)〜黍殻山山頂(09:46)〜姫次(10:49)〜蛭ヶ岳通過(12:10)〜丹沢山通過(13:29)〜塔ノ岳(14:17-14:22)〜登山口(16:16)〜大倉バス停(16:35)

関連記録: 2009-02-15 丹沢主脈縦走(大倉〜塔ノ岳〜丹沢山〜蛭ヶ岳〜東野)

秋に一度くらいは丹沢を歩いてみたい。落葉樹の美しい尾根を歩くにはどこからアプローチするにしても長い行程となる。どうせ長く歩くならいっそのこと丹沢主脈を歩き通してみようか。今年二月は大倉から登って東野に下ったので、東海自然歩道の一区間(西野々〜八丁坂の頭)を歩き残している。今回はこの区間を最も良い時間帯に歩くことを優先して、北丹沢から登って大倉に下ることにする。

左膝に一抹の不安を抱えている今は所要時間が読めない。 その意味で、登山者が多くて遅い時間帯でもバスの便数が多い大倉に下るのは都合が良い。反面、塔ノ岳の延々と続く階段に膝が持ちこたえられるのかとても不安。あまり時間のことを気にせずにできるだけ体に負担をかけないようにゆっくり登ることにする。途中で脚の具合が悪くなれば姫次辺りで退却することも視野のうち。

菊名で横浜線の八王子行き二番便に乗り換えて橋本駅で下車。1番乗り場で三ヶ木行きのバスに乗り、三ヶ木で月夜野行きのバスに乗り換えて焼山登山口で下車。バスに乗っていた登山者は数名で、焼山登山口で下車したのは自分一人。

月夜野方面に車道を少し歩き、案内に沿って林道に進入。途中の狭い空き地に車を停めて2名が登山準備中。ひんやりとして湿った林道を進み、橋を渡って西沢左岸に移って程なく登山道入口がある。

焼山登山口


焼山はヤマビルが多い場所らしい。入口には下山者に対して麓にヤマビルを持ち込まないようにお願いが書かれている。11月末で冷え込みも厳しくなってきているので出る可能性はないはずだが、そういう場所に居ること自体気味悪くてズボンの裾を靴下の中に入れた。茶色の液体が入った瓶がぶら下がっていたが正体を確認せずに通過。

しばらく登ると西野々から来る東海自然歩道と合流する。ここにも瓶がぶら下がっており箸が一膳突っ込まれている。箸を抜いて嗅いでみると臭い。その後で説明文を読んで納得。下山者はここでヤマビルチェックをして、ヤマビルを箸でつまんで塩水に入れて下さいとのこと。臭いの原因は塩水の中で腐り溶けたヤマビルなのであった。

見かけた動物はリス1匹のみ。ひんやりとした風が抜ける尾根上は少し寒いが、快晴の下、朝日を浴びて快適。


東海自然歩道は地形図上ではずっと北尾根稜線上に在るように記載されているが、実際の道筋で稜線をなぞる箇所はあまりない。上の写真の場所を過ぎると、標高700m附近で登山道は北尾根を離れて急勾配斜面をトラバースして東側から上がってくる勾配の比較的緩い枝尾根に移る。幅が狭く、足を滑らしたら滑落死確実。ケツがムズムズしっぱなし。脚が痛くなって退却することになってもこの道を戻る気にはなれない。登山コースとしては西沢沿いの破線終点から枝尾根を登った方が安全そう(但し、道はないと思う。)。

山頂にはシラカンバの木が植栽されており、展望台在り。

展望台から見える丹沢主脈の光景はこれだけ


焼山登山愛好会が建てた碑に拠ると、昭和43年に登山道を整備して山頂にシラカンバを植えたとのこと。当時山頂はスズタケ(碑文には熊笹と書いてある)にびっしり被われていたそうだが、現在の丹沢の姿からはちょっと想像できない光景だ。展望台に上がってみた。北から南にかけて好展望である。山頂北西側はヒノキ植林が邪魔で展望なし。二十数年前に展望台が建設された当時は、植林が生長しておらず北西側も見えていたと思われる。

青字は神奈川県が立てた山頂の説明文を引用。

「焼山のいわれ」 むかし、この山の一帯は将軍家の御猟場に指定されていました。草木が繁ると狩猟の妨げ(説明文は「防げ」で誤りです。)になるので、毎年火が入れられていたのが焼山の名の起こりです。山頂に三方向を向いて立つ祠は、青根・青野原・鳥屋の三部落の境界を示すものと伝えられます。

将軍様がこんな高いところまで来て鷹狩りをしたはずはないから、野焼きをしたのは山麓だったのであろう。頂上には江戸時代に関する遺物は見当たらない。祠の建立年代は、2つが明治時代で、もう1つが昭和時代である。二等三角点の奥(北西側)は未確認。三角点の近くには昭和六年閏年に部落発展を記念して建てられた碑があるが、草書体なので判読できず(俺にとっては梵字と変わらん。)。

尾根を進み、道標に従って東海自然歩道を離れて稜線沿いに進んで黍殻山山頂へ。青根雨量観測局と三等三角点在り。

黍殻山山頂


反対側にだいぶ下って東海自然歩道に合流。少し進むと予期していなかった水場の案内在り。土中に埋め込まれたパイプからとうとうと流れ出ている。この時点で1リットル程度しか飲料水を所持していなかったので、これで水に関する不安が解消。

黍殻山避難小屋にも立ち寄ってみた。

画像
黍殻山避難小屋


小屋南側の園地は不思議な空間だ。どうやったらあんなモコモコとした景観になるのだろう。イノシシがミミズ探しのために穿り返したのか?避難小屋は10名程度は余裕で泊まれそう。土間にあるばかでかい年代物のストーブが印象的(「ストーブの特許番号が書かれていたことを思い出してウェブ情報を検索してみたがそれらしき情報はヒットせず。2014年に小屋を建て替えた際に撤去されたようだ。)。記帳を見るとそこそこ小屋の利用者がいるようである。

姫次到着時には蛭ヶ岳上空に分厚い雲が発生していた。

姫次から檜洞丸方面
蛭ヶ岳上空


本日は午前中のみ晴れとの予報だったから、あの雲が次第に周辺に拡大していくのであろう。退却するならここしかない。この先に踏み出すということは、脚が痛くなったとしても大倉まで歩き通すことを意味する。左膝はたまに違和感を感じるが悪化しそうな気配はないし、体力面で不安はないのでGo!。

道がドロドロの時は閉口する蛭ヶ岳北斜面の下り坂は、比較的乾燥した今の時期に登ると快適。昼近くになって雲が急速に拡大しつつあったが、北側はまだ晴れている。

画像
檜洞丸と大室山


蛭ヶ岳山頂への最後の登りを前にして肩のベンチで休憩。先行者2名が登っていくのが見えた。この日、登りで抜いた人は無し。途中で遇った下りの登山者はトレイルランの1名を含めて7名。マイナーな方に下ってくるのは小生みたいに人嫌いもしくは変人が多いのか、半分は無愛想だった。

今年4度目の蛭ヶ岳。到着時は運良く雲の位置が高く周囲の景色が全て見えていた。頭上に雲があって暗いが、丁度昼飯時なので蛭ヶ岳山頂には大勢の登山者が居た。休まずに丹沢山方面に向かう。

画像
不動の峰方面


蛭ヶ岳から不動の峰の間は蛭ヶ岳に向ってくる登山者が多かった。不動の峰の休憩所で少し休憩した後、塔ノ岳までノンストップ。丹沢山到着時は午後1時を過ぎていたので山頂に休憩中の人の姿無し。塔ノ岳から丹沢山に向ってくる人はたくさんいたので、時間的に丹沢山もしくは蛭ヶ岳で山荘泊まりの予定なのであろう。

丹沢山と竜ヶ馬場の間で、今年になって柵による植生保護区域が新たに拡大された。柵の中の青々とした胸丈のスズタケが美しい。これを見ればスズタケ群落の衰退の犯人がシカであることは明白。シカ食害の遠因はおそらくは明治時代に天敵の日本オオカミが絶滅したことにあり、戦後の植林の拡大と一時期のシカ保護対策によって笹の生える稜線近くの狭い範囲にシカが集中して深刻化した。稜線のスズタケ群落は土壌さえあれば柵で囲うだけで容易に復活できる(写真に写っている樹木はたぶんマメザクラ。)。

植生保護区域


丹沢主脈稜線上は枯死したブナの大木が目立ちブナ林衰退が著しい。酸性霧が主犯人ではない。大木が寿命が尽きて枯れて倒れるのは自然なこと。丹沢が異常なのは、長年に渡り倒木更新が行われていないことにある。若い樹木が育たないが故に、衰えた大木だけの疎林となってしまっている。

ブナが実をつける限り毎年相当数の発芽があったはずだが、ゴルフ場の芝みたいにシカがきれいにスズタケを食う過程でブナの幼樹も食べられ育たなかった。その意味で柵設置はシカの食害排除のために有効な処置ではあるが、ブナ林を復活させる方策としては不十分だ。防護柵の中ではスズタケが先に茂ってしまうので、ブナの発芽があっても幼樹に十分に光が当たらず育つことができない。自然のバランスが失われた環境で一旦疎林になってしまうとブナ林は自力で復活できない。足尾みたいに植樹して一本ずつネットで保護するきめ細かい作業が必要と思う。

丹沢山地一帯だけ上空が曇り、周囲が明るいので普段とは違う光景が楽しめる。遠く都心のビル群が輝く。塔ノ岳で5分程度休憩。いつもは逆光で見難い南側の光景がよく見える。

真鶴方面


大倉尾根は膝に衝撃を与えないようにしてつまさき利用で慎重に下った。予想した通り階段下りはとてもきつく膝が壊れそうだ。下りはできれば小刻みに足を繰り出せるルートが良い。今後大倉に下る場合は、できれば鍋割山もしくは政次郎尾根を利用することにしよう。

大倉尾根の登山道沿いに色付いたイロハカエデの木が多く見られる。その多くは植栽したもののようだが、雑木林の中にも鮮やかに色付いたカエデの木が見られる。朝方、大倉から登った人は朝日に透かした美しい紅葉を楽しめたであろう。

駒止茶屋下の急坂の階段をすごいスピードで下ってくる人がいた。担いでいる荷姿や登ってくる人との話しっぷりから、山小屋の関係者であると思われる。今の自分があの真似をしたら確実に膝関節を痛めてしまう。

最後の茶屋で尾根道を離れて未経験の道を選択。茶屋の人に「尾根道はこっちですよ。解ります?」と言われたので、適当に「解ります。」と答えてそのまま下った。だらだらとした尾根道を他の登山者と徒競走みたいに下るよりは、落ち葉の積もった静かな道を辿って舗装路に降りてしまった方が良い(但し、暖かい時期はヒルがたくさん出そう。)。入口にはちゃんと塔ノ岳登り口の標示がある。

もう一つの塔ノ岳登山口


日が暮れる前に無事大倉に到着。着替えを済ませて16:55発のバスに乗った。大倉から渋沢駅まで近いので、心地よく寝ている間もなく渋沢駅到着。電車の連絡はスムーズだったが、小田急線も横浜線も混雑する時間帯であったため、山歩きより帰りの電車がつらく感じられた。

山野・史跡探訪の備忘録