大倉〜烏尾山〜新大日〜札掛〜一ノ沢峠〜(唐沢林道)〜物見峠〜煤ヶ谷(2009年12月)

年月日: 2009年12月23日

行程: 大倉(07:08)〜登り口(08:05)〜烏尾山(09:50)〜新大日(10:45)〜札掛(12:30)〜(布川コース)〜一ノ沢峠(13:19)〜(唐沢林道)〜物見峠(14:27)〜杉谷戸ノ沢堰堤で着替え(15:21-15:31)〜煤ヶ谷バス停(15:41)

単身赴任している当地で自由に使える金が残りわずかとはいえ、天気が良いのに禁欲生活してられるかっ!という訳で早起きして今年最後の丹沢歩きをすることにした。目的地は丹沢のヤマビルの故郷(原生息地)とされる札掛である。モミの原生林が残されているそうで、前から行ってみたいと思っていたのだが、交通が不便なので後回しとなり、ヤマビルが出ないこの時期を待っていた。

公共交通機関を使用する場合、煤ヶ谷から物見峠越えで札掛に向うのが一般的らしい。今年3月に物見峠で札掛方面を指す道標を見た。沢に下る道は崩落で通行止めとなっており、現在通れるのは唐沢林道に下る道のみ。地形図には通行止めの沢沿いの古い道に相当する破線しか記されておらず、この破線は札掛方面には向かわない。札掛に行くにはどこかで尾根を越えて布川に抜けなければならない。おそらく唐沢川と布川の間にある破線路が相当するのであろう。この辺りの案内が現地にあるのかどうか不明。Webで検索したところ最近の記録で参考となるものは少ない。「黒岩なる場所で唐沢林道と別れ、一ノ沢峠を越えモミ考証林を抜けて布川沿いの舗装道路に出ると物見峠入口の案内がある」ことは判った。

Web上の記録は札掛をかすめてヤビツ峠に向けて歩いているが、最後に長い舗装路歩きで締めくくるのはちょっと物足りない気がする。よって、南尾根を越えて新大日から長尾尾根を下って札掛に降りて煤ヶ谷に向うことにする。新大日に行くには政次郎尾根を登るのが最も近いが、大倉尾根が邪魔で富士山が見えないのが難点。快晴の日に丹沢登るなら富士山見ないのは損。眺めの良さそうな烏尾山経由で新大日を目指す。

東横線・元住吉05:11発に乗り、待ち時間ほぼゼロで菊名と町田で乗り換えてスムーズに小田急線・渋沢駅に到着。本日も今年一番の冷え込みで、大倉行き始発06:48のバスを待つ間に体が冷え切ってしまった。バスの同乗者で自分以外にも風の吊橋を渡った人がいたようだが、寒くてたまらずガンガン歩いてぶっち切ってしまったのでその後は姿を見ていない。明け方の放射冷却で冷えた空気が谷に沿って流れ出すため、谷の出口付近が一番寒い。道路は一部凍結。霜柱が立つ。林道には朝日が当たらず、この時期に歩くと寒くてちょっとつらい。基礎代謝が下がっていることもあり、いくら歩いても手が温まらない。1時間弱歩いて新茅荘の廃屋がある登り口に到着する頃になってようやく少し手が温まってきた。登り口には早朝出発した登山者の車が3台有り。

最初の標高差250mの登りがきつい。登山道は全てヒノキ植林の中にあり、抉れた様は政次郎尾根よりも酷い。現在は交通量が多いとは思えない登山道なのに、よくもここまで抉れたものよ。茅の様に見えるのはシカに葉を食べ尽くされたスズタケ群落である。もう来年は芽を出さないのではなかろうか。


標高750mで勾配が緩くなると登山道の荒れは目立たなくなり快適な歩きとなる。植林の中に立つ石柱には明治四拾三年三月植林、中郡北秦野村所有と彫られている。今目にしているヒノキが100年前に植えられたはずはないから、二代目だろう。勾配の緩い尾根の最後に文化七年建立の野仏がある。ここも行者が歩いた歴史ある道のようだ。


再び急登区間に入ると、新しい道は尾根筋にある古い抉れた道から離れて植林の中をうねうねと登っていく。富士山を見ようと尾根筋に移動してそのまま古い道を辿ってみたが、廃道になって久しいようで少し薮になっている。尾根筋から西側は植林されていないため枝越しに富士山が見えるが、写真撮影に向く場所は少ない。結局、この登山道は烏尾山頂直下まで延々とヒノキ植林の中にある。それだけに烏尾山直下からの眺めは格別である。

烏尾山直下から見る富士山


糖の吸収を穏やかにする薬を飲んでいるせいか、急登するとかすかにめまいがする。本日の行程は長いので、前半戦の登りで発汗しないことを心がけて登った。4月に主稜縦走したときは大倉を同時刻に出発して政次郎の頭に9:19着。今回はさらに標高の低い烏尾山に9:50着。年齢的にはいつも今回くらいのペースで歩くべきなんだろうな。この登山道で遭ったのは下ってきた無愛想な男女ペア一組のみ。

烏尾山荘


鳥尾山から、下るべき長尾尾根や札掛方面が一望できる(下の写真の植林された尾根が長尾尾根)。ここ数日は乾燥した日が続いてたので、火山灰に被われた尾根道のドロドロは春先ほど酷くない。


新大日から長尾尾根を下る。通行量が少ないので登山道は荒れていない。勾配が緩くて岩が露出した場所もなく、階段には中間ステップが設けられていてとても歩きやすい。尾根のタライゴヤ沢側斜面はヒノキ植林でよく手入れされている。キュウハ沢側はブナを主体とした自然林で一貫して丹沢三峰が枝越しに見える。丹沢の尾根で最も雰囲気がよろしい。但し、笹の類が全く生えていないので、暖かい時期はヤマビルが出る可能性大。特に札掛付近は要注意。

長尾尾根の下り始め(背景は丹沢三峰)


1,004mポイント付近から巨大なモミの木が目立つようになる。滅多に目にすることができないような巨木が多数存在するのだ。これを見ただけでも本日の山歩きの達成感有り。モミの写真はモミ考証林で撮れば良いと思っていたのでモミの写真は無し。

破線路は789mピークの南東尾根を下るように記されているが、実際には789mピークの北側から東斜面を横断して南東尾根に近づく。標高750m地点で現役の道から離れた稜線にベンチがあったので昼食休憩。この間に斜面下から1名の男性登山者が現れ長尾尾根を登っていった。ベンチから少し下った場所に本谷コース(キュウハ沢コース)との分岐点がある。彼は本谷コースから登ってきたようだ。

谷底に近づくにつれて勾配がきつくなり、札掛に降りる道はだんだん怪しい雰囲気になる。桟道はまだ良いほうで、幅30cm程度しかないような場所も存在する。地形図を見る限りでは稜線を辿れば何ら問題ないはず。アップダウンを避けるために危険なトラバース道になったようだ。

桟道・本谷コース分岐より札掛寄り


上の丸で黒瀧尾根コースと別れて札掛に下る。下の丸から札掛までの区間は林立するモミの巨木が壮観だ。札掛は思っていたより狭くて、眼前に対岸の山が迫る。札掛橋に周辺の案内図がある。この案内図によると、布川右岸側に布川コースなる遊歩道があって一ノ沢峠越えの道に接続するようなのだ。舗装道路を歩いていく予定を変更して布川コースに入った。


よく整備されているのは遊歩道の周回コースとなっている区間のみ。最近人が歩いた形跡が全くなく、周回コースを過ぎると怪しげな廃な雰囲気が漂い、行き止まりになるのではないかと不安になる。しかも、急峻な支沢を巻くために沢から離れて斜面をどんどん上りはじめた。予定外のアップダウンで発汗する。そのまま一ノ沢峠に向かえば良いもののわざわざ布川に向けて下っていくではないか。泣けるね。モミ考証林で一ノ沢峠に向う歩道に抜けた時は安堵した。

モミ考証林とは何を考証しているのかと思ったら、ここで起きている問題(スズタケ群落の衰退→土壌流失→後継樹の生育阻害)と推定原因(シカの採食と樹冠繁茂による日光条件の悪化)の関係を調べて対策を検討することらしい。周囲を柵で囲ってあるので考証林には入れない。よって、モミ大木を観察するなら札掛から下の丸の間が良い。

一ノ沢峠への登りは最初支沢沿いに進むので暖かい時期はヤマビル注意(行かないのが無難。)。見所は何もないただ疲れるだけの峠越え。唐沢林道はほとんどが日陰で冷え冷えしている。道路横の落ち葉は霜が立ったままで、一日中氷点下だったようだ。この林道結構曲者で、谷奥に向っているのに次第に標高が下がっていくため少し不安になる。唐沢林道は一般車両が入り込めないので静かだ。間伐作業の林業関係者と、小唐沢で治山工事中の厚木の業者の車しかなかった。

札掛から歩くこと6.9kmで物見隧道到着。ここから物見峠まで50mもない。

物見隧道


物見峠から唐沢川沿いに下る道は相変わらず通行禁止。二度と復活しないのではないか。煤ヶ谷方面に下る道もポロポロ石が崩れ落ちてきて危なっかしい。鐘ヶ嶽と同じタマネギ石が見られる。つまり、凝灰岩の山でヤマビルの生息に適しているということ。崩落地帯を抜けて三峰山の登山道に合流し、順調に下山。里に出る寸前に水がチョロチョロと流れ落ちる堰堤があったので、汗を拭いてシャツとジャケットを着替えた。近くにあった看板には登山者に対しヤマビルが大発生しているので里に持ち込まないようお願いが書かれている。暖かい時期はこんな場所で着替えできんな。

大山三峰下山地点・杉谷戸ノ沢堰堤


煤ヶ谷バス停で待っているうちに2パーティがご到着。彼らの会話が面白かった。先に来たのがパーティA、後に来たのがパーティBとする。バス停留所に向う道中でパーティAはパーティBを追い抜いたらしい。パーティAのリーダーらしき男がパーティBの男に話しかけた。

A:「私たちは日向薬師から登って唐沢峠を経由して三峰山から下りました。」

B:「私たちもそうです。」

A:「あのコースは私達位しか通らないと思ったんですけど、何時に出発したんですか。」

B:「9時半くらいです。」

パーティAは7時台に出発したらしい。なのに何故パーティBが自分たちより先を歩いていたのか腑に落ちないらしい。再度Bに確認して、パーティAが物見峠で休憩中にパーティBが尾根道(近道)で下山したことが判り、ようやく納得したようだった。時刻的に三峰山方面から下るのは自分が最後だろうと思って堰堤で着替えしたのだが、あの後2パーティが通過したってことだ。タイミングがずれていて良かった。

低気温にも助けられ発汗量を抑え目に歩いたおかげで、長い行程であったが翌日以降の筋肉痛無し。終日快晴で爽快な歩きであった。これが2009年の歩き納めとなるかな?

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