深山隧道周辺の探索その3

年月日: 2010年1月23日(土)

金曜夜に久しぶりに単身赴任先から自宅に戻った。冬山歩きは基本的にやらないので特に予定無し。朝テレビのニュースを見ながら一日をどう過ごすか思案。せっかくの良い天気なので、昨年早春に見つけた廃道の未調査区間でも片付けようと考え、県北の積雪状況確認兼ねて深山湖方面に向かった。栃木県平野部は穏やかに晴れていたが県北の探索目的地は降雪中。栃木県側に積もる雪は大気が県境を越える際に福島県側で降り残した分であるため、積雪量は深くても30cm程度。少しずつ積もった雪で割合締まりが良く、沈み込みは平均して10cm程度だ。

深山隧道周辺(板室〜深山湖)に存在する旧道とこれまでの調査実績は以下の通り(興醒めなGPSは持っていないし、学術的意味の無いものをわざわざ地図作成するのは面倒なので今回の記録では図示せず。釣りと同じで、探索は自分であれこれ推測して自分の足で確かめるところに楽しみがある。基本的な能力を有し自ら探索せんとする方にとっては、以下の記述と地形図があれば情報としては十分なはず。むしろ、余計なお世話かもしれない。その向きには、請容赦。)

@ 板室温泉(那珂川)〜県道369号
    状態: 廃道
    地形図記載: 無し
    使用時期: 江戸期〜大正時代
    調査: 済み

A 木ノ俣地蔵経由破線(788mピーク南西鞍部峠以南)
    状態: 現役
    地形図記載: 有り
    使用時期 : 江戸期〜昭和(788mピークを巻く旧道が建設されるまで)
    調査: 済み

B 木ノ俣地蔵経由破線(788mピーク南西鞍部峠〜深山隧道西側出口)
    状態: 廃道
    地形図記載: 有り
    使用時期 : 江戸期〜大正
    調査: 済み

C 木ノ俣地蔵経由林道(788mピーク南西鞍部峠〜矢沢渡渉地点)
    状態: 廃道(一部は送電線鉄塔巡視路として利用)
    地形図記載: 無し
    使用時期 : 大正〜昭和(788mピークを巻く旧道が建設されるまで)
    調査: 済み

D 788mピークを巻く旧道
    状態: 廃道
    地形図記載: 無し
    使用時期 : 昭和(建設時期不明)〜昭和44年(深山隧道竣工)
    調査: 済み

E 大川に向かう旧道(矢沢渡渉地点〜369号法面コンクリート吹き付け)
    状態: 廃道(明瞭)
    地形図記載: 無し
    使用時期 : 江戸期〜昭和43年(深山ダム建設開始)?
    調査: 済み

F 大川に向かう旧道(369号法面コンクリート吹き付け〜深山ダム)
    状態: 廃道
    地形図記載: 無し
    使用時期 : 江戸期〜昭和43年(深山ダム建設開始)?
    調査: 未

G 矢沢右岸の旧道
    状態: 廃道
    地形図記載: 無し
    使用時期: 不明
    調査: 未

今回の目的はF及びGの探索である。先ずはGから。

矢沢奥では大正時代に森林伐採が行われ、昭和30年代には銅鉱の採掘が行われていたという(鉱山の話は昔立ち読みした渓流釣り場の紹介本に書かれていた。現在は書店に並んでいない。)。矢沢に最後に入渓したのは2003年で、その時の記憶では矢沢沿いの林道は深山ダムに導水する取水堰までが現役区間である。旧い道がその奥に断続的に残っており、銅鉱採掘の頃に整備されたと考えられる古いコンクリートの橋2つ(1つは左俣に架かり土砂に埋没、もう1つは本流に架かり草木に被われている。)と古い堰堤を一つ経て、長いゴーロ歩きの末に最後は途切れ途切れの細い道となって消える。

昨年、矢沢左岸側でEの調査をした際に、積雪した右岸斜面に浮き出た別の廃道の存在を知った。入り口付近にも旧道があるとは知らなんだ。あれが矢沢沿い林道の旧道ならば、入り口は現在の林道よりも下流側にあったことになる。矢沢中流域は地形が険しく旧道らしきものは存在しない。ということはどこかで現在の林道につながっているはずだが、過去3度矢沢沿いの林道を歩いた経験ではそのような場所は知らない。旧道の起点を確認してみる。

矢沢に架かる県道369号線の橋の両側に未舗装の短い道が接続する。左岸側は積雪でブロックされていたので右岸側に車を置き、矢沢右岸を進む。護岸整備したのは深山ダム建設以降のことと思われるが、今では樹木に被われつつある。


右岸側に南西方向から支沢が合流する。入り口近くにやや古びた堰堤が一つ


支沢合流点の下流側は傾斜がきつく道跡は存在し得ない。上流側にも廃道の起点らしき場所は存在しない。よって、沢底より40m程度の高みにある廃道に上がる道は支沢沿いにあったと推測。支沢の左岸側にとりついて少し登ると傾斜が緩くなる。積雪しているので道跡なのかどうかはまだ判らないが、過去の人の関わりを示すものがあった。


雪面に新しいカモシカの足跡があった。至近距離から若く丸々と太ったカモシカが逃げ出した。

道跡らしき雪面を辿っていくと切り通しらしき場所に至り、その先には道跡が明瞭だ。つまり、廃道の入口は支沢合流点にあって堰堤の建設によって消えてしまったようだ。道跡は現役の頃は幅1.5m以上はあったであろうが、崩れていて歩きにくい。法面や路肩を補強した場所は皆無で、山肌を削っただけの極めて粗雑な造りである。


近くでカモシカの威嚇音が聞こえるが保護色で見えん。再び至近距離からカモシカが逃げ出し、崖の上に退避して高みから当方を見物。可愛いやっちゃ。


廃道を進んでいくと奇妙な人工物が出現。矢沢の底からまっすぐ崖の上方に向けて直径2cm程度の鉄パイプが這わしてある。フランジで接続するしっかりした造りだ。何を目的としたものなのだろう。少なくとも探索中の廃道には関係なさそう。


やがて足掛かりのほとんど無い場所に至った。滑落する可能性大だ。爪先が冷えて凍傷になりそうだし降雪が激しくなってきたこともあって、無理せず残りは反対側から探索することにして退却。

退却地点(上流側の様子)
退却地点(下流側の様子)


支沢合流点に降下する際、合流点の上流側に橋脚跡があるのに気づいた。コンクリート製で建設年代は新しい。小規模な護岸と堰堤1つ建設するのに橋脚を建設するとは考えられないので、現在の369号線の橋を建設中に迂回路として両岸の未舗装の道を一時的につなぐのが目的だったと考えられる。

橋脚跡
支沢合流点付近の護岸


次に、車で矢沢沿い林道の入口に移動。369号横に車数台を停められる空き地がある。地元ナンバーの車が3台あった。業者の車ではないので取水堰の見回りが目的では無い。犬の足跡が見当たらないのでハンターでもなさそう。この時期に魚影の薄い矢沢に密漁しに来るおバカなんているのか?

林道の橋が架かる場所は比較的傾斜が緩い。楽に登って道跡に至った。。


そのまま矢沢奥に向う。崩落箇所が幾つかある。先ほど撤退した場所に較べて積雪量が多く足元がしっかりしているのでさほど危険を感じずに突破できた。廃道はほとんど勾配なく進み、下方の林道が徐々に近づいてくる。


最後はカラマツが植林された平坦地で林道に合流。林道は旧道を削る形で築かれている。以前、林道を歩いた時に旧道接続点に気づかなかった訳だ。現在の林道が築かれたのは昭和43年に深山ダムが建設開始された頃であろうから、廃道となって少なくとも40年以上経過していることになる。

矢沢沿いの林道を歩いて戻る途中、矢沢左岸側の山肌の369号線の上方に昔の道筋がうっすらと見えた。ないと思っていたFの区間が残っていたとは。

木ノ俣地蔵を経由して矢沢から大川に越える昔の道は、369号線の橋よりも下流側で矢沢を渡っていた。橋脚が残っているので場所は明瞭。橋の袂から窪みを辿るとスギ植林地の中を登って、369号のコンクリート吹き付け法面で消える。昔の道はさらに矢沢と大川の間の尾根鞍部の峠を越えて大川に下っていた。深山ダム建設時におそらくは工事用の土砂採取も兼ねて鞍部が大規模に掘り下げられたため、峠の部分は旧道が完全に消えている。Fの区間(Eの終点から峠までの区間)も県道369号建設時に削られて現存しないとばかり思っていたのだが、369号線とは全く重なっていなかったのだ。

深山ダム側から山肌に取り付き、スギの植林地に向った。このスギの植林地は隔絶された場所にあるので、植林当時は昔の道を利用したはず。果たして植林地の中で道跡に出遭った。道上にスギが植えられている。植林以降一度も間伐されたことがなく、ひょろひょろとした木が多い。


スギ植林地を抜けて広葉樹林帯に入ると道筋がやや不鮮明となり、一箇所道筋が途切れる場所もある。かつて材木搬送に用いられた道にしては狭いような気がするし、矢沢右岸の廃道のように岩肌を削った場所もない。これは江戸期〜明治期の道であって、大正時代の木材搬送の道は369号線の道筋と重なっていたと考えるべきだろう。

コンクリート吹き付け斜面に至り、Fも探索終了。

コンクリート吹付け面
369号線のヘアピンカーブを見下ろす。


雪が小止みになったので、深山園地に初めて上がってみた。東屋と水神、工事で亡くなった方の慰霊碑がある。

深山園地から見る1,222mピーク
深山湖


天気の良い日には真っ白な大倉山が望めるはず。展望台としてお薦め。

山野・史跡探訪の備忘録