西丹沢自然教室〜犬越路〜檜洞丸〜洞角の頭〜ユーシン〜雨山峠〜寄

年月日: 2010年4月25日(日)

行程: 西丹沢自然教室(08:36)〜犬越路(09:42)〜檜洞丸(11:23)〜洞角の頭(12:33)〜大石山(13:31)〜ユーシンロッジ(14:08-14:20)〜雨山峠(15:19)〜寄(17:00)

丹沢の中央部に位置する玄倉川奥部(ユーシン)は、石英閃緑岩から成る沢床が陽光に映えてまばゆく、開放的で美しい渓谷である。数年前に玄倉川沿いの林道が通行止めとなるまではユーシンロッジが営業していて、主に塔ノ岳や檜洞丸への登山拠点の1つであったという。昨年春に歩いたときの雰囲気がたいそう良かったので、未訪のコースと組み合わせて春のユーシン渓谷をもう一度訪ねてみようと思っていた。

今年秋には神奈川県から転出するつもりなので、丹沢に行く機会はせいぜいあと1、2度であろう。北丹沢にも行ってみたいので、北丹沢の盟主である大室山からズバッと南に向けて丹沢を歩き通してみようと思った。標高総和が2千数百mに達するコースなので、一日で歩き通すのは不可能ではないとしても激しく疲労することは確実。檜洞丸到達時点で時間と体調と相談して続行するか行程を短縮するかを決めるつもりだった。

バスの時間も確認して準備万端のはずだったのだが、間抜けなことに最寄の駅の電車の時刻を記憶違いして乗り遅れ、午前中にバスが1便しかない北丹沢行きは不可能となった。出鼻をくじかれて山歩きに行くのを止めたい気分になったものの、本日は微風快晴で気温が低く絶好の山歩き日和であり、何もしないのはもったいない。北がだめなら交通の便の良い南側から歩いてやろうかと思い、新松田駅まで行ってみた。しかし、寄(やどろき)行きの6:55始発のバスには間に合わず、その次の便は8時台なので、寄から雨山峠を越える案もボツ。仕方がないので当初の計画を短縮して西丹沢自然教室から犬越路経由で檜洞丸に登る案に変更。結果的にはこれで良かったのかもしれない。

西丹沢自然教室行きの始発バスの座席が全て埋まっていたので、その10分後のバスに乗った。こちらはガラガラ空いていてゆったりと眠れた。終点の西丹沢自然教室では降りた乗客に登山者カードに記入するように呼びかけていた。登山者カードは遭難した時に備えて記入するものであるから、登山カードに記入した通りに行動しなければ記入する意味がない。行程書けと言われても、行程決めてないし、決めてもその通りに行動するとは限らないから書けないんだよね(書いたらバカと言われそうなコース設定だしな。)。事後対応用の登山者カードに記入することより、事故予防策として自分の力量に見合った行程設定をして且つ臨機応変に最適な選択をすることの方が重要であるはずだ。

本日は先が長い。明るい川原を眺めながら林道を比較的ゆっくり歩いていたら男性1名が早足で抜いていった。目の前を歩いているのは男性2名。いずれもつつじ新道には入らず、自分と同じ方向に。やがて分岐に到着。一名は加入道山方面へ、自分を抜いた人は犬越路に向う東海自然歩道に入った。この人は歩くペースも体の火照り具合も自分と似ていて、ほぼ同時にジャケットを脱ぐために立ち止まった。自動車レースのピットインみたいなもので、ちょっとしたタイミングの違いでまた先行。

犬越路には武田軍が犬を先頭にして越えたという伝説があるようだが、実際に歩いてみてその可能性は低いと感じる。地形図から想像していたよりはるかに険相で、武田軍が通ったのが本当だとしても、それは斥候や足軽の類ではなかったか。地形的にご自慢の騎馬隊が通るのは絶対に不可能である。特に見るべきものはなく退屈な急登を続け、最後はスズタケが茂る稜線部に出る。

犬越路に至るまでに始発バスの乗客と思しき登山者が10名程度いたが、犬越路から先は先行者の姿見えず。さほど標高が高い場所ではないので眺望は今ひとつ。歩く人が比較的少ないために登山道の荒れは少なく歩きやすい。

丹沢は登山道が整備されているので地形図を用意しても見ることはほとんどない。犬越路から檜洞丸に向うと標高1,470m地点に達するまで檜洞丸の姿を見ることはできないが、後ろを振り返ると檜洞丸とほぼ同じ高さの大室山の方がまだまだ高く見えるので少なくとも現在の高度は感覚的に把握できる。

画像
大室山(10:30)


何箇所か鎖場を過ぎた後に至る1,520m級のなだらかなピークは太いブナが見事だ。神之川に下る道には気づかずに通過。

1523mポイント北西のブナ林(10:53)


朝は快晴だったのに高度が上がるにつれて徐々に雲が多くなって陽が当たらず寒い。富士山中腹も雲に隠れ、8合目以上が雲の上に出ている状態。

北西から見る檜洞丸(11:00)


1523mポイントと1551mポイントの中間にある小さな岩場を巻く場所に小規模ではあるがコイワザクラが生育している。

コイワザクラ(11:06)


檜洞丸山頂に居た登山者の数は10数名程度。今の季節は特に見るべきものはないので休まず南下。バイケイソウが生えるユーシンへの下降路分岐で昼食休憩とした。反対側(西側斜面)は土壌剥き出しの崩壊斜面であり、霜で浮き上がった土壌がボロボロと崩れ落ちていく。岩体らしきものが見えないので檜洞丸の山体は脆い場所が多いようだ。

ユーシンへの下降路分岐(11:43)


ユーシンへの下降路は現在歩く人が少なく下り始めはやや不鮮明である。自分とは逆に雨山峠を越えてきたと思しき若い男性一名と遇った。1353mピークへの登りからは立派な木道や比較的新しい鎖が這わしてあり、通行禁止区間に居るという感じがしない。洞角の頭への登りで疲れがピークに達し、階段で一休み。上空に雲が居座り寒くて少しつらい時間帯だった。

苔むした岩が多い緩斜面を登って洞角の頭到着。昨年、丹沢主稜から眺めて以来興味を抱いていた場所に来ることができて満足だ。ここを越えれば下り基調なので体力的には楽。

洞角の頭・1491m(12:37)


洞角の頭からの下り始めは蛭ヶ岳方面の眺めがよろしい。

蛭ヶ岳(12:41)


このコースの最大の特徴は浸蝕されやすい石英閃緑岩の白いザレとキレットである。ザレは拡大中で、登山道の一部も崩れている。キレットは木橋が架けられていなければ難儀しそうな場所だ。

洞角の頭南東のザレ(12:47)
キレット(12:53)


大石山への登りも石英閃緑岩のザレ。新しい鎖が下がっていて登るのは楽。コンクリート製の階段が部分的に残っており、ザレの進行が早いことが伺える。白いザレの中に比較的硬度の高い黒っぽい岩が露出する。岩質は違うがこれと似た光景が高原山の木ノ芽沢左岸尾根にも存在する。大石山の名は、浸蝕の結果比較的硬い岩が山頂に残っていることに由るのであろう。岩の上からは丹沢主脈を一望できる。

大石山・1219.7mの登り(13:28)
大石山から見る洞角の頭(中央右)


大石山から下り始めるとすぐに下方にユーシン渓谷が見えるようになる。次第に上空の雲が消えて陽気が戻り、標高も下がって暖かくなってきた。 南に面した尾根筋にはマメザクラやミツバツツジが開花中。

マメザクラ(13:41)
ミツバツツジ(13:53)


大石山からの下降路は単純な尾根下りではなく、地形図から想像していたよりやや複雑で安全とは言い難い場所もあった。最後は東屋からスギ植林地を下って檜洞沢右岸に降下。立派な橋を渡るとユーシンロッジ到着。建物北側が多少薄汚れた感があるが、南側に回ってみると広場があって開放感のある立派なロッジであった。緊急避難用に開放されている部屋も覗いてみた。日当たりの良くない一角にあるが、緊急避難用には申し分ない。ただ、過去に管理人がロッジで亡くなられた旨の張り紙を見て、シャイニングを連想してしまった。

ユーシンロッジ(14:09)


ユーシンロッジから出て雨山沢出合いまで玄倉川左岸の林道歩き。 さわやかな陽気の中、白く輝く沢床を右に見て、左には山肌のトウゴクミツバツツジを愛でながらの歩きは退屈しない。

トウゴクミツバツツジ(14:27)


雨山沢右岸沿いの登山道は良く整備されており、特に危険を感じる箇所はなかった。時刻と方角の関係で谷底が明るく、ナメ沢が美しい。水分補給が不足していたらしく頭痛を感じたので、ゴーロの伏流が地表に現れる場所で水を汲んでノーシンを服用し歩きを再開。

雨山峠は稜線上の登山道と沢筋の登山道が卍型に交差する場所。ここでもマメザクラが咲いていた。反対側からも男性が同時にご到着。この時刻に登ってくるということは鍋割山に向うのだろうか。

雨山峠(15:19)


寄側は雨山沢よりも両岸斜面の勾配がきつく斜面沿いに道を設けることができないため、しばらくは沢底を歩く。道が不鮮明ではあるが危険度は低い。問題は左岸斜面をトラバースする区間で、あっという間に沢底との高度差が拡大し、おまけに支えとなるような樹木が生えていない崩落箇所を巻く箇所が存在する。いつかは滑落死する者が出るのではなかろうか。このトラバース道を辿るくらいなら、鎖場経由で鍋割山方面に移動して植林された広い尾根筋を下った方がマシである。

618mポイント手前の渡渉箇所で顔を洗って着替えして帰り支度完了。時刻を確認して早足で林道を急いで新松田駅行き17:10のバスに乗った。

山野・史跡探訪の備忘録