栃木の渓流釣り

年月日: 2010年6月28日(月)

行ったことのある人にしか判らない内容です。先週も同じ川の下流部で短時間試したので、この記録はNo.2(No.1は記事無し)。本サイトにアクセスする渓流釣りが少なからずいるようなので、本記録の行程は非公開とします。

所要で翌週に自宅に戻れないかもしれないので久し振りに休暇を取得して3連休とした。しばらくアユ釣りはしないことに決め込んだので、源流釣行を計画。日曜日はほぼ一日雨が降ったり止んだり。月曜日の8時頃になってようやく雨が止んだので出発。朝雨が降っていたにも関わらず現地には先客の大宮ナンバーの車有り。平日にわざわざこんなところに埼玉から来るとは世の中いろいろな人がいるな。

この沢に釣りに来る者は少なくない。その割りにウェブ上でほとんど情報を見ることがないのは、釣り場を秘匿したいがためだけではなく、自らが違法行為をしているために公表できないこともその理由の1つかもしれない。漁業権が設定されていない川はなく、奥山の源流でさえ鑑札を持たずに釣るのは違法である。実際に監視員が来ることがないので皆違法に密かに釣りをしているのが実態だ。禁漁期間に釣りしている輩すらいる。小生、アユ釣りする関係で那珂川の全魚種の入漁権を持っているので年に数回程度那珂川水系で渓流釣りを楽しむ。

ムシムシするこの時期の低山帯の雰囲気が好きである。斑入りのマタタビが繁茂し沢沿いの樹木は白い花が満開の様。マタタビの開花時期であり、葉の裏に隠れて可憐な花が放つ芳香に全山が包まれる。アブの数はまだ少なく、一箇所軽く噛まれただけで済んだ。

衰弱したオオミズアオ


今後修復するのは困難ではないかと思われる程に林道の荒廃が進んでいる。この辺りの地層は脆くて崩れやすい。急斜面を無理に開削した場所は昨年同時期に訪れたとき以上に荒れが進んでいる。あと数年したら足掛りすら得られない状態になるのではないか。立派な林道がたったの数年で崩落してしまうのだ。江戸時代の古道の多くが今でも大部分道形を残しているのは、勾配的に無理の無いルートであるからに他ならない。


先行者の足跡が無くなり、蜘蛛の巣がかかるので、先行者はもっと下流で入川したことを意味する。比較的勾配の緩い場所から小規模な支沢沿いに下降した。この沢の右岸には何を目的としたものか不明だが古い石積が残っており、かつて道があったと思しき場所には釣り客が辿る踏み跡がかすかに認められる。

遡行準備しフライロッドに仕掛けを張っていざ釣り開始すべく遡行し出したら、目の前に先行者が居た。正体は自分よりははるかに若そうな兄ちゃんで、ほとんど荷を持たずキャップも被っていない。持っているのはフライロッドのように見えるが、釣り方はちょうちんっぽい。ちょうど分流になっている場所で反対側を遡行してきたため遭遇しなかったようだ。こちらに気づいていない。

先行されては来た意味が無い。先回りすべく右岸を辿って十分な距離を稼いで再び釣りの準備。ふと川に眼をやると、またしても奴の姿を捉えた。遡行が異様に速い。あまりに釣れないので釣りはあきらめたか?こちらに気づいているのかどうか判らないが、釣り場に眼もくれずホイホイ岩を飛び跳ねて場を潰しまくり。本日は単身赴任先の川崎に戻る関係上、奥までいかないつもりだ。先行するのはあきらめて、沢の雰囲気を楽しんで帰ることにする。


沢底はひんやりして気持ちが良い。薄暗い沢底にいると判らないが、晴れて山肌の気温がかなり上がっているようで、少し沢から離れるとムンムンする熱気に包まれる。

奴が場を荒らしたからなのか、それとも解禁以降連日ちょうちん釣りが持ち帰ってしまったためなのだろうか、魚の気配ゼロ。以前は良型が泳いでいるのを見たことがあったのだが。

時刻を確認したら既に帰るべき時刻を過ぎていた。右岸側は植林地帯であるが、林道終点よりも上流にいると思われた。右岸側の若い植林地の薮を漕ぐと茨薮で傷だらけになるので、左岸側の廃道を利用して戻ることに決定。

小尾根を辿り、小尾根が急斜面に吸収される場所から下流側に向けてシカ道を利用して急斜面を移動し、勾配の緩い場所から廃道に上がった。藪が全く無く、左岸側に上がったのは正解。


順調に廃道を辿って林道に下降し、遡行終了地点から1時間足らずで帰着。

山野・史跡探訪の備忘録