寒沢宿経由で大事沢の滝訪問

年月日: 2010年8月8日(日)

行程: 太郎山新薙登山口近くのゲート(6:55)〜寒沢宿跡(7:56)〜2066mピーク東方の崩壊斜面・標高1850m(8:14)〜大事沢(注1)の滝・標高約1550m(9:31)〜廃林道・1,862mポイントの南側(11:19)〜富士見峠(12:15)〜小真名子山(12:53)〜鷹ノ巣・2110mポイント(13:21)〜大真名子山(14:15-14:27)〜志津林道(15:27)〜駐車地に帰着(16:08)

注1 大事沢とは変わった名前だ。栃木方言では「だいじょうぶ」のことを「だいじ(大事?)」と言うらしいので、「だいじさわ」と読むものと思っていた。正式な読みは「おおごとさわ」らしい。地名は全部ルビふってくれー。

太郎山の北西に開く谷は爆裂によって形成されたものだ。太郎山の周辺には他にも単に浸食作用だけで形成されたとは考えにくい地形が2箇所存在する。その一つが大事沢奥部で、標高1550m付近にある滝マークの周囲の地形には女峰火山の爆裂火口に源を発する布引の滝に似たものを感じる。Web上に情報がないので確かめてみたくなった。先週、寒沢宿跡経由で訪問すべく嫌いないろは坂を上ってせっかく奥日光まで行ったのに、裏男体林道通行止めで何もせずに帰宅。気になるものを残しておくのは精神衛生上良くない。アユ釣りより優先度を上げて夏季連休に片付けてやる。

初日の土曜日は日頃の睡眠不足で起き上がれず、山歩きを日曜日に延期して一日静養。睡眠不足は解消したものの、昼寝しすぎて軽く頭痛がした。土曜日夜に寝る前に頭痛薬を飲んでおかなかったもので、日曜朝もまだ頭痛の芯が残っていた。不安を抱えて自宅出発。

7年前に新薙登山口から太郎山に登ったとき、砂防堰堤下に車を停めてすぐ傍の登山口から登ったと記憶している。それらしき砂防堰堤の近くに「工事用車両が通行するので駐車するな。」旨の注意書きが幾つかあった。ここは駐車地ではないと解釈して通り過ぎ、ついでに登山口も見過ごした。林道をさらに進むとゲートが設けられて車が2台停めてあったので、登山口はゲートの先にあると思い込んだ。

出発の支度をしていると、ゲートの先から熊避け鈴を鳴らした登山者が1名戻ってきて、駐車地から続く薄い踏み跡を見上げている。立ち木に赤ペンキも付いているので、正規の登山道を知らなかったら入り込んでしまいそう。話をしてみると、「工事現場まで行ってみたが登山道が見つからないので戻ってきた。ここから登っていこうかと思う。」とのこと。太郎山の方位を確認して登山口を通り過ぎたらしいことが判った。踏み跡が尾根筋を維持しているのであれば登山道に行き着くと思われるが、その保証はない。男性を待たせて、車で砂防堰堤まで戻って登山口を確認し、男性に登山口の場所を伝えた。

この男性と話をしたおかげで無駄足をせずに済んだ訳だが、心配していた頭痛が悪化。せっかくここまで来て今回も未遂で終わってしまうのか?頭痛薬を服用し目を閉じて車で横になっていると、もう一台の車の主が戻ってきて車で移動していった。彼も間違って踏み跡に入り込んでしまったのか?

30分程度安静にして痛みが緩和してきたので、おそるおそる出発。砂防堰堤下に一台の車があった。「たそがれオヤジのクタクタ山ある記」の管理人さんの車だったらしい。登山道で遇った時の煩わしそうな様子が気になっていたのだが、記事を読んで納得。駐車は可能なのである。先の注意書きは「工事用車両の通行の支障になるので、道路には駐車するな。」という意図であるらしいのだが、自身含めて3名も誤解して登山道を見過ごしてしまったのだ。迷惑な話だ。

本日は広大な道無き森林地帯を歩くので、久々に地形図、高度計、方位磁石の3点セットを準備(歩いたルートは地形図上で全て追えるし、ボケてもいないのに判断力まで機械に委ねるのは嫌なので、自分の山歩きにはGPS不要。)。

登山道が方向を変える標高1870m地点で登山道を離脱し、勾配が緩い森林地帯をほぼ標高を維持して寒沢宿跡のある1,879mポイントを目指す。誤算が2つ。過去にこの一帯の巨木伐採が行われ、その後自然に生育したコメツガの淘汰が十分に進んでおらず藪になっている場所がある。さらに、地形図でも読み取れる細かい沢筋をいくつも横断するのが予想以上にしんどい。できるだけシカ道を利用しても進行に手間取る。ようやく歩きやすい場所に抜けてテープ類が散見される登山道の如し踏み跡に出合った。以降は踏み跡に沿って歩くだけ。自動的にポッカリと開けた寒沢宿跡に至る。

寒沢宿跡 (07:56)


踏み跡は北側にも続く。踏み跡ができるほど北側に行く物好きな登山者がいるとは思えないし、単なる獣道とも思えない。過去の伐採に関係するものなのか、それともそれ以前からある古い道なのか。

山部さんや@宇都宮さんの記録で、大事沢源頭部が下りにくいことは承知済み。沢下りはせずに標高1850mを維持して崩壊地に進出し、大事沢左岸側の標高1800m以下の緩斜面に向けて急斜面を下るつもり。この目論見通り、踏み跡を伴う開けた空間が標高1,850mを維持して北北東に続く。

標高1,850mを維持する獣道(伐採時の搬出道跡?) (08:10)


北側の見晴らしがよい崩壊地上部に至った。踏み跡の続きは確認していない。

崩壊斜面・標高1850mから見上げる2066mピーク (08:13)
崩壊斜面・標高1850mから見渡す2066mピーク北東斜面


急斜面に立ち枯れた樹木が目立つ。藪化している怖れがあるため、急斜面を下る選択は捨てて右手の痩せ尾根を下ろうとした。ところが、痩せ尾根稜線は藪が鬱陶しくて辿れない。結局、北西に向けて急斜面を下った。勾配がきつい反面、藪は無く掴まるものがあって楽に緩斜面に降下。緩斜面上部は大雨時に薄く広く水流が出現する場所らしく、ダケカンバ林内に水流跡が複数有りシロヨメナがびっしり。獣道を辿って緩斜面を北上し、コメツガ樹林帯に至る。こんな場所にも太い切り株が認められ、ワイヤーも残されている。緩斜面から切り出された材木は崩壊地付近で引き上げられて、標高1850mにある道跡を経由して搬出されたと考えられる。

(国土変遷アーカイブの1977年の航空写真から伐採時の樹木の中継地と搬出経路が読み取れる。1,879mポイント近くにあった中継地から標高1850mの崩壊地に向かう直線と、さらにそこから△高山方面に向かう直線が認められる。)

8月10日加筆 (国土画像観覧システムの C7-19(1976年撮影) によると、緩斜面は皆伐されたようである。)

沢筋を横切ると疲れるので、できるだけ緩斜面の上方で北に移動し、1932mポイントから下る沢の右岸尾根を下るつもりであった。コメツガ林を突っ切るのが鬱陶しくなり、中央の幅広い尾根を北北東に降下。標高1690mで大事沢を右に確認して左側の急勾配を下る。ここが最大の難所で、岩がゴツゴツしてコメツガの根が張り苔むして踏み抜ける怖れがあり、身動きが儘ならぬ。沢筋が近くジメジメしていてメジロアブの襲撃も受ける。アブが気になって足元に集中できないのが辛い。2度踏み抜いた。

難所を抜けて大事沢を見下ろす崖上部に進出。布引の滝みたいに樹木がうっそうとした渓谷を予想していたが、大事沢は両岸のほぼ全てが崩落斜面の荒々しい様相を呈し、陽光に照らされてとても明るい(画面中央の緑の帯を伝って沢に降下し、帰りは画面右手前の小尾根を登った。)。

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大事沢左岸・標高1580mから見る大事沢下流側 (09:08)


現在地は大事沢と西から合流する沢の双方から浸食を受けてやせ細った尾根である。大事沢側(東側)は断崖でいつ足元からボロッと崩れるか判らん。西側は泥質の土壌で樹木がまばら。幸い藪が無いので移動は容易である。少し下ると目的の滝を拝むことができた。側壁の迫力は十分だが、このところ降水が少なかったために水量乏しくいまひとつパッとしない。

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大事沢左岸・標高1550mから見る40m?滝全景 (09:17)


最低限の目的は達成したのでこの先の行動を思案。頭痛が残っているので往路を引き返そうかと思ったが、まだ10時前で天候が悪化するようには見えないので滝下に向かった。

沢の水量は少なく沢靴は不要。水は薄く青白く濁る。濁りは温泉成分ではなく、脆い地質で泥が混じっているためであろう(2019/09/23 加筆。 後年、瀑泉さんが上流を探査した記録に拠れば、温泉成分が湧出しているらしい。)不安定な岩上を歩いて下段下に接近。壁が白っぽいので水流が目立たない。水流左に巨大な垂直のひび割れがあり、近い将来大崩落が生じる可能性有り。

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下流側から@ (09:32)


ここもアブの攻撃が激しく、顔に付いたアブを払おうとして眼鏡を3度岩上に叩き落し、買ったばかりの眼鏡に一箇所傷が付いてしまった。メジロアブは衣服の繊維の隙間からも刺す。涼しい日だったので合羽を着用してみたところ効果抜群。以降はアブに刺されることはなくなった。下段に上がれなくはなさそうだが、全体的に足場が不安定なので下段下から引き返す。

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下流側からA (09:38)


頭痛はほとんど気にならない程度に軽減。帰りはどうしようか。往路の踏み抜け+アブ攻撃をもう一度体験する気にはなれん。三角点は自分の山歩きの動機付けにならないので、山部さんや@宇都宮さんのように△高山訪問して太郎山まで尾根を藪漕ぎする気力がない。

滝から見る△高山 (09:53)


せっかくの機会なので、富士見峠経由の周回案を試すことにする。左岸を下ってくる途中で大事沢右岸の小尾根が使えそうなことを確認済み。

右岸を登る途上で見た図 (10:01)


右岸の小尾根の勾配はきつく上部で崩落している場所もあるが、全体的に足場が安定していて掴まるものがあって登りやすい。一部登山道の如し獣道も利用できて、順調に高度を稼げる。登る途上で見た大事沢の滝上はとても穏やかな渓相をしていた。標高1800mで幾分勾配が緩くなるとコメツガの倒木が鬱陶しい。

標高1,820m付近のコメツガ林 (10:36)


南東に進んで伐採痕の残る平坦な場所に達した。作業道らしきものは一切無い。どうやって伐採した材木を搬出したのだろうか。(8月10日加筆 (国土画像観覧システムの C6-18(1976年撮影)を見ると、縦横に搬出経路を巡らして大木を択伐したらしきことが窺える。)

ひたすら東に向かってめでたく廃林道に抜けた。先は長くても道があるならばもう帰りついたようなもの。抜けた場所は直進区間だったから1,862mポイントの南側であるはずだが、高度計はもっと高い値を示していた。地形図の破線位置は誤りか?

富士見峠に至る廃林道 (11:19)


2004年に思いつきで野門から富士見峠まで往復したときは忠実に廃林道を辿って疲れた。今回は徹底してショートカットして楽をする。最初のヘアピンカーブから浅い谷筋を渡っていくのが正解と思われるが、安全策をとって谷筋の右岸側のコメツガ藪を抜けて上段に抜けた。次のヘアピンカーブからは直接富士見峠に向かう。期待していた通り、林道が建設されるまで使われていた歴史ある峠道を発見。保存状態が良く、楽々と富士見峠手前に到達(富士見峠側の入り口は見つけにくい。)。

富士見峠から太郎山登山口までの林道歩きは長くてかったるい。廃林道から見た太郎山も小真名子山もガスがかかっていなかった。天気が好いので、この機会に未訪の大真名子山と小真名子山を縦走してみる。

高度差100m以上あるガレの登りは眺め抜群で、涼しい風が吹いて心地よい。ピンク色のイタドリがきれいだ。

小真名子山のオノエイタドリ (12:45)

脚の筋肉が疲労しているので超ゆっくりペース。午後から縦走する登山者は少ない。縦走路で遇った登山者は10名に満たなかった。

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小真名子山から見る太郎山 (12:53)


こまめにエネルギーと水分の補給をしないものだから、摂取した水分、糖分とミネラルが行き渡るまでの間に脚が攣りそうになる。小真名子山の下りで疲労がピークに達し、鷹ノ巣から大真名子山への登りで徐々に元気を取り戻した。

鷹ノ巣で登山道に倒れたシラビソが切除してある。直径40cm程度だが樹齢は200年近く有り、壮年期の年輪がおそろしく詰まっている。約100年間成長が停滞した後、凄い勢いで十数年間成長し、再び勢いを失って命を全うしたことを示す。他の倒木も同じ成長パターンを示している。この一帯の樹木にどんなドラマがあったのか興味深い。

時間が遅いため大真名子山頂は無人。後続が来るまでゆったりと景色を独り占め。

大真名子山頂 (14:15)
大真名子山頂の像(誰?勝道上人?)
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大真名子から見る小真名子山 (14:22)
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大真名子から見る帝釈山・女峰山 (14:27)


志津乗越付近にも山岳仏教に関連する建立物が幾つかあって面白い。

間一髪 (15:20)


林道を歩いて順調に駐車地に帰着。夕刻に見た日光のほとんどの山には雲がかかっていなかった。日中は直射が適度に遮られて涼しく、夏山としてはまずまずの登山日和だったのではなかろうか。幾つかの発見があって刺激的な山歩きだった。

山野・史跡探訪の備忘録