小坂峠跡訪問

年月日: 2011年6月26日(月)

午前中に実家を発ってさいたまへ。途中、志田浜で国道49号線の路肩が広くなっている場所に車を停めて小坂峠を確認に向った。

「新版・会津の峠」では、会津から仙道(福島県中通り)方面に抜ける幾つかの道筋は総じて二本松街道に分類されている。二本松街道の本筋は現在の壷下(つぼろし)集落から郡山へ抜ける中山峠(楊枝峠)であった。上戸(じょうこ)浜のある山潟地区から郡山に抜ける峠(沼上峠及びヨスケ峠)も存在していたが、志田浜と上戸浜の間には小坂山なる尾根が猪苗代湖に突き出ていて湖岸沿いに移動できないため、壷下から山潟地区に抜けるためには鞍部(小坂峠)を越える必要があり、このこともあって沼上峠及びヨスケ峠は脇街道の位置付けであった。

猪苗代の出身であるのに上記の情報は「新版・会津の峠」を読むまで知らなかった。地元でも小坂峠の存在を知る人は少ない。中学校一年の悪ガキ時代に上戸側から磐越西線の旧トンネルに入り込んだことがあった(真っ暗で怖くてすぐに逃げ出した。当時、反対側に抜けることができると聞いた。現状は不明。)。小坂峠はその旧トンネルの上に位置する訳だが、その時も峠の存在を聞いた記憶がない。沼上峠が整備されたのが明治18年。これに伴ない湖岸沿いに道が整備されて沼上峠が交通の主役になったとのことなので、小坂峠が役割を終えて既に100年以上経過している。墓ですら100年経つと自分のご先祖様のものであってもピンとこない。人の記憶から消えるのは当然。

山際の空き地を進んで磐越西線の下を潜ると、生い茂る草の丈がが高くなり雨露で濡れている。すぐにズボンがぐっしょり濡れた。普通ならば山に入るような状態ではないが、誰に気兼ねする必要はないし、今の時期ならばアブも居ないので好都合。明瞭な道は見当たらないが、鞍部に至る谷に向って草や笹の薮中に比較的新しい踏み跡らしきものがある。山菜採りや山仕事の対象となる場所でも時期でもないので、自分のような物好きが小坂峠目当てで辿ったものと思われた。

谷の開きがスギの植林地になっており、道跡らしきものは無い。峠に向って右側(猪苗代湖側)の斜面は勾配がきつく道跡のある可能性無し。ならば反対側に何かしら痕跡があるであろうと期待して植林地を進むと、反対側の山際を緩やかに登っていく峠道に至った。

峠道跡(壺下側)


笹薮はほとんど無く、クロモジなどの小低木を手で払いながら楽に辿れる。比較的新しい通信用と思しきケーブルが道沿いに延びているが、現役でなさそうだ。道は2度折れ曲がって高度を稼ぎ、小坂峠に至る。峠には遺跡や説明板の類は一切無い。峠を挟んで、コンクリート製の電柱が2本残るのみ。碍子が落ちている。

画像
小坂峠跡


上戸側は霧で見えず。仮に見えたとしても、小坂峠跡は訪れるに値しない場所。

ちなみに、峠に至る谷底一帯は戦中の昭和18年にJR東日本(国鉄)の鉄道防雪林に設定されている。

山野・史跡探訪の備忘録