和名倉沢の大滝訪問(2011年8月)

年月日: 2011年8月28日(日)

行程: 雲取林道の分岐出発(7:17)〜(下降点を間違えて時間ロス)〜大洞川の吊橋を渡る(8:00)〜石津窪(8:34)〜滑滝上で沢に降り立つ(9:13)〜通ラズ(9:45)〜大滝(10:15)〜杣道に復帰(10:56)〜吊橋(12:44)〜駐車地に帰着(13:05)

和名倉という地名を知ったのはつい先日のこと。烏ヶ森の住人さんやノラさんが登った和名倉山とは秩父の山らしい。確かにウェブ検索で出てはくるが、地形図上にそんな名前はないぞ。地形図をサーチしていて和名倉沢なる地名を見つけた。これでようやく白石山=和名倉山であることを認識。

秋になったら尾根周回でもしてみようかと思い、ネット検索しているうちにサイト:『その空の下で』 の管理人さんの和名倉沢遡行の記事:2004年5月大洞川 和名倉沢、市ノ沢下降を見つけた。和名倉沢には大きな滝があるようで、地形図にも記載されている。危険な沢遡行はなるべくしたくない。どうしたら和名倉ノ大滝に行けるのか検討しているうちに、釣り人のサイト:てんから庵・漂泊の記の記事「山腹を辿って和名倉の大滝を観に行く」で、昔の杣道を辿って接近できることが判った。このページには数多くの興味深い情報が情感溢れる文章で記述されている。少年期に川桁山の杣道を歩いた記憶が蘇り、この情報を頼りに和名倉ノ大滝を訪ねてみたいと思った。1997年の記録とのことだが、今も辿れるのであろうか。

先日、三峯神社に詣でて若干ではあるが和名倉沢のイメージが膨らんだ。現地を見るのと見ないのでは俄然モチベーションが違う。金曜の降雨でまたしてもアユ釣りがお預けとなったので今週末はやることがない。滝見で涼むのが良かろうと思い、初めて車を運転して秩父に向った。所沢、飯能を経由して国道299号線を走ってスムーズに秩父に抜けた。

以降の行程の詳細は上記のサイトを参考されたし。

画像
大洞林道の分岐にて


朝方は和名倉山の山塊はすっぽり雲の中。前日も降雨したらしく湿度100%。日中晴れることを期待して出発。下降点が駐車地からどの程度離れているのか確認してこなかったので吊橋への下降路が判らない。見当違いの場所であることは承知の上で、勾配の緩そうな場所を選んで適当に植林地を下った。大洞川に近づくと傾斜がきつくなり雨で土壌が緩くてズルズル。何度か行き詰まり進路を試行錯誤しながらなんとか沢に降下。右岸沿いに200m以上下ってようやく吊橋発見。15分しかかからないところを40分以上費やしてしまった。先が思いやられる。

画像
吊橋


吊橋の下にスズメバチが巣を作ることがあるそうだ。そろそろスズメバチの凶暴性が増す時期なので警戒してきたのであるが、チョンボしたおかげで橋の下に何も無いことが確認でき、安心して渡れる。橋を渡った先にある朽ちかけた桟が少し怖い。馬酔木が多く生える斜面の道を辿ってしばらく登ってから、植林地の中を和名倉沢に向ってトラバース。作業小屋(木組みに斜めに屋根付けただけ)の少し先に、昭和61年にこの地で命を落とした若者のご両親が建てた鎮魂碑がある。もう長いこと誰もお参りしていないようだ。享年26歳ということは俺と同い年だ。両親がご健在としても80歳前後だからお参りに来れないのは無理も無い。ご加護を願って先に進む。

しばし和名倉沢右岸の斜面をトラバースしてから朽ちかけた橋を左岸に渡り、スギ植林地の中をジグザグに約200m登る。適温なのだが、湿度が高すぎて汗が止まらない。アブの数が少ないのが救いだ。

標高約790mでスギ植林地の緩斜面に出る。ここにも作業小屋在り。踏み跡はその右上方で二手に分かれ、一方は尾根上方面に向かう。水平に和名倉沢奥に向う道に入る。右手に炭焼き小屋とは異なる石積みがあり、その上に平坦地が築かれている。住居の礎の類は無く、現在の植林前の伐採痕らしきものがあるので、年代が古そうだ。和名倉沢一帯は古くから炭焼きの場であり、この場を活動拠点としていたものと推測する。

和名倉沢左岸の広大な植林地は東京大学附属秩父演習林である。昭和27年頃から下流部から奥部に伐採・植林が進められていったようだ。

東京大学附属秩父演習林に残る杣道の跡(帰りに撮影)


杣道は標高790m前後を維持して和名倉沢左岸の支流である石津窪を回り込む。石津窪横断地点の下流側で伏流してきた水流が湧き出ている。発汗で失われた水分を補ってから危険区域に進入。

予備検討で石津窪右岸のトラバース道が危険そうなことは予め承知していた。沢底までずっと等高線が密で人間が登れるような勾配ではない。現地に行ってみて正直びびった。足滑らしたら確実に命を落とすような斜面に片足分程度の幅の道が400mも続くのだ。怖くて一気に通り抜けてしまったのでカメラ出す余裕はなかった。

帰りのことを考えるととても憂鬱。この恐ろしい斜面が全て植林地になっていることに驚かされる。ロープを結わえる場所もない状況で、いったいどうやって体を確保して植林したのだろうか。

石津窪右岸から和名倉沢本流の谷に回り込む場所に山ノ神が祀られている。杣道は昔も今とたいして変わらない状況であったろう。杣人達の山に対する畏怖の念が伝わってくる。祠に年代を示す刻字は無い。

山ノ神(帰りに撮影)


和名倉沢左岸沿いの区間に入ってからも杣道は標高800m弱を維持している。顕著な小尾根を回り込む場所で杣道がザレて足掛りがほとんど無くなっている。渡れる気が全くしない。失敗したらあの世逝き。東大の標識が転がっている場所から小尾根を登って巻いた。巻きの途中で小尾根の北側に人為的な道らしきものがあったが、上方には続いていないようだ。

東京大学附属演習林の標識)


その後も巻くことができない場所を肝つぶす思いで通過し、段々の滑滝(15m滝)下に到着。

画像
段々の滑滝(15m滝)


ここは沢屋も左岸側の杣道を利用して巻く。ザレて掴まるものが無い区間が2箇所あり、たいして太くない木に結わえられたトラロープが頼りだ。

杣道は滑滝の上で沢底に降りる。標高は約860m。沢靴に履き替えて右に左に渡渉を繰り返して苔むした沢を進んで通ラズ入口の滝に到着。水量が乏しいときは直登できるらしい。

通ラズの手前右岸側に大きな炭焼き釜が2基並んでいる。周囲は崖や急峻な斜面ばかりで原木を確保するのは容易でなかったろうに。

通ラズ入口の7m滝
通ラズ手前の炭焼き釜跡


ウェブ上の記録の幾つかは右岸の沢近くを巻いているようだが、安全に通過できるようには見えない。確実に突破するために少し戻って右岸の崖を巻く。高巻きの登り区間(標高差50m程度)に顕著な踏み跡はなく、上方の傾斜がきつくて樹木に掴まって急勾配斜面を右往左往しながらルートを模索。リピーター以外は皆同じ状況に陥るようで、それまでウザイくらいに杣道にベロンと垂れていた赤テープがここだけ無い。見出したルートには樹木の古い切除跡があったのでルートを誤ったということはなさそうだ。勾配はきついが、支点が多いので帰りはザイルを用いれば沢沿いの巻きより安全と思う。尾根上ではカケスらしき鳥がギャーギャー騒いでおった。春に来たらシャクナゲが美しいだろう。

大滝側は勾配が緩く楽に降下できる。水量多く、水煙が上がっていたので大滝には近づかなかった。元々ここから引き返すつもりで来たので、上方への巻きのルートは確認せず。空模様が怪しいし、危険な帰路のことで頭が一杯で、数枚写真を撮っただけで休憩無しで退却開始。

和名倉ノ大滝
和名倉ノ大滝+前衛


通ラズの巻きの下り始めで、ルートを見出そうとしているうちに枯木を掴んでバランスを崩した。幸い、すぐ下の木に引っ掛かって怪我はなく、眼鏡も無事。帽子が下方に落っこちてしまったらしく所在が判らない。25mのザイルを出して3ピッチで確実に下った。中間地点で帽子を発見し回収。

滑滝の巻き道の下りはザイルが使えない。トラロープにすがって下る際、一度足が滑ってトラロープに負荷がかかった瞬間は生きた心地がしなかった。

急勾配斜面のトラバース道を回避するためには標高1,600mまで登らなければならない(2011/10/10 訂正。標高1,350m前後に二瀬尾根コースとして利用されている軌道跡があるので、和名倉沢の大滝から約300m登ってエスケープすることは可能と思われる。)。激しく発汗する状況で山登りする余裕がないためやむなく往路を戻る。石津窪を渡るまでの1km強は気が抜けない。下手に緊張すると足裏のフリクションが無くなるので、足元に集中してリズムを維持して突破。10回も通ったら確実に遭難しそうな気がする。近い将来事故が発生する可能性大。和名倉ノ大滝訪問は今回が最初で最後となると思う。

沢屋や渓流釣りはプライドが高いのかそれとも単に感覚が麻痺しているのか、彼らは危険な杣道に関する記述をほとんど残していない。簡単に辿れると思ったらとんでもない。和名倉沢は基本的に水量の少ない時期に沢を遡行することをお薦めする。

山野・史跡探訪の備忘録