黒沢越(会津柳津から野沢・大山祇神社に詣でる道)

年月日: 2011年10月18日(火)

行程: 磐越西線・川桁駅発(07:33)〜磐越西線・野沢駅(08:59)〜野沢駅前から09:05発大久保行きのバスに乗車〜大久保・大山祇神社遥拝殿から出発(09:24)〜矢作(弥作)の滝(09:50)〜標高460mのカツラ大木(11:13)〜黒沢越(11:32-11:48)〜長谷川出合い(12:09)〜大滝集落(13:00)〜落合集落(13:46)〜芝倉に至る舗装林道に抜ける(14:36)〜麻生大橋(15:09)〜只見線・郷戸駅(15:50-16:10)〜会津若松駅(17:18-18:05)〜磐越西線・川桁駅(18:39)

画像
黒沢越のブナ林


9月に帰省した折、父と大山祇神社に詣でた。その後で知ったことだが、私の母方の大叔父(故人)は会津柳津から峠を越えて野沢の山ノ神(大山祇神社)に詣でたことがあるという。大久保の遥拝殿から本殿までの途中に山越えするような道の分岐を見た記憶が無い。大久保から会津柳津まで平面上でも20kmを超え、2度の峠越えと只見川の渡しがあり、道中宿が無いことを考えると、相当な健脚者でなければ辿れない道程である。話を聞いた時はにわかには信じられなかったのであるが、これまでも今の常識では考えられないような史実を何度か目にし自分の脚で確かめた経験が幾度かあるので先入観は禁物。

地形図には大山祇神社本殿近くの尾根鞍部に黒沢越なる地名があり、矢作(弥作)の滝上流側から鞍部を越えて長谷川に抜ける破線路が記載されている。そして長谷川沿いに下り西方街道に合流し、黒沢地区を経由して杉峠を越えれば会津柳津に至る。他に可能性のある道筋が見出せないので、地形図に残る破線路が山ノ神詣での道とみなして良さそうである。新版・会津の峠には記載が無い。ウェブ上で得た情報では南会津山の会「続 いろりばた」(茗溪堂)に何らかの情報が記載されているようであるが未確認(*1)。情報が無くても、場所が特定できているので後は自分の脚で確かめるだけ。

会津柳津から詣でた道であるならば、単に黒沢越を確認するだけではなく通しで辿ってみたいものだ。通しで歩くとなると車は利用できないので、鉄道を利用するしかない。猪苗代から出発する関係で、接続の良い磐越西線・野沢駅から辿って只見線・会津柳津駅まで歩くことにする。

黒沢から会津柳津に抜けるルートが最後まで決まらなかった。新版・会津の峠の「杉峠と諏訪峠」の章に拠ると、かつて鉱山関係者が歩いたという黒沢から会津柳津へ抜ける杉峠は現在の国道400号の峠と同じである。しかしながら、国道400号を経由すると会津柳津まで遠回りとなる。ダム湖だらけになった只見川沿いの昔の道筋は不明であるが、会津柳津から黒沢に向うのであればもっと下流側に渡し場があったと思われ、その場合は日向倉山を取り囲むように走る破線路を利用していたかもしれない。所要時間が読めないので、時間の余裕を見て破線路と舗装道路を適宜組合わせることにする。

当日父は車で送ってやると言っていたが、運転の労をかけさせたくないので予定通り二番列車に乗った。猪苗代町から会津若松に向う通学者は全て一番列車に乗るので空いている。車掌から切符(\1,280)を購入。会津若松駅で新津行きの列車に乗り換え。この列車には耶麻農業高等学校の生徒が大勢乗っていたが彼らが山都駅で降りると車内はガラガラになった。

当初は野沢駅から大久保まで歩いていくつもりであったので、駅前から大久保行きのバスが出ていたのは嬉しい誤算。大久保まで料金\100。乗客は自分一人。大久保の遥拝殿では老人の団体客が参拝を済ませ土産を買っているところだった。今回は本殿には寄らない予定であるため遥拝殿に参拝して出発。

矢作(弥作)の滝


黒沢越に詰め上がる枝沢の入口は矢作(弥作)の滝のすぐ上流側にあるはず。明瞭な道は無い。草刈された場所が対岸に続く。水量はたいしたことなく、靴を濡らさず川を渡って枝沢に入った。

草刈された場所はさらに枝沢奥に続くため、破線路が現存するのかと思われた。しかし、最初の二俣以遠は沢底が狭まりかすかな道形すら存在しない。黒沢越の破線路は山道ではなく単なる沢歩きのルートなのであった。ここからは地形図・高度計・方位磁石の3点セットをフル活用して枝沢を選択しながら遡行する。水量が少ないので沢靴を持っていれば沢底通しで問題無く歩けると思う。沢靴を持ってこなかったので足場の悪い場所は高巻きしながら進んだ。

黒沢越に向う枝沢入口
破線路(沢歩き)の様子


沢底に引っ掛かった倒木にオリメキが大量に発生。大久保の参道入口に「中野区所有の山であり、山菜類の採取を禁ず。見つけたら全て没収する。」旨の看板があるのだが、地元の人ですら来ない場所であるし、帰りは別の地区に抜けてしまうので適量を頂いていく。

オリメキ(地域によってオリミキ等の様々な通称あり。正式名称:ナラタケモドキ)


枝沢入口から1.5km奥、標高460mの屈曲点(二俣)の左岸側にも杉植林が存在する。沢経由で行った飛び地的植林ではなく、本殿近くの杉植林域の最奥部であるらしい。勾配的には屈曲点から山腹を横切って直接本殿に向うことは十分に可能だ。沢沿いの破線路以外の道があった可能性がある。

画像
標高460mの屈曲点に在るカツラ大木


屈曲点から黒沢越まで直線距離にしてほんの200m足らず。グジュグジュとした歩きにくい土壌で詰めるのに時間を要した。峠を跨ぐ場所のみかすかな道跡が認められる。峠は伐採されてから年月が経っており、ブナ林が美しい。道跡以外の人跡は太い樹木に残された赤ペンキの文字のみ。幾つか判読は可能だが、全体としては意味不明。「参リ」と読める部分がある。黒沢越経由で山ノ神にお参りしたことを記念したものであろうか。

黒沢越に残るかすかな道跡
黒沢越の南側の光景(写真右端の樹木に赤ペンキの文字が残っている。)


峠から台倉山まで往復は容易と思われる。本日は登山目的ではないので自重。峠の反対側も登りと似た様相だ。オリメキを採取しようと手を伸ばしたとき、足元の土石が崩れてずっこけた。必要以上の欲は慎むべし。

長谷川出合いの川原はヨシと蔓の薮。明瞭な道は無く、イワナ釣りが歩いた跡と思しき薮の凹んだ場所を辿って渡渉点に移動。対岸が林道の終点になっている。ずっこけて汚れた衣服を水洗い。林道を歩くうちに乾くだろう。

長谷川出合いの薮
右岸側林道終点)


長谷川沿いの林道にも黒沢森林組合が建てた、山菜採りの入山を禁止する旨の表示がある。見つかった場合、こちらでは「没収」ではなく「\1,000徴収」だそうである。さらに、「私有地では採取禁止」とのことだが、どこが私有地なのか不明。林道歩きの途上で走ってきた軽トラックは皆すれ違いざまにスピードを落としこちらをじろじろ観察する。沿道にキノコの露地栽培地やワラビ畑等があるので、地元にとっては山間の安寧を維持するための致し方ない措置なのであろうが、どうにも居心地が悪い。

町内バス方向転換場所につき駐車禁止の表示があった。住人の少ない山奥の大滝集落まで今もバスが来るのか?タクシーが往復するのを一度見たので、タクシーの運行に切り替わっているのかもしれない。

大滝集落の手前(下流側)に集落の名の由来と思しき見事な滝が存在する。落差10m以上で滝壺も大きい。足場が悪く観瀑は容易でない。谷底に降りる道が無いので、斜め上から撮影。

画像
長谷川の大滝


道路傍の薮にはヤマノイモのむかごがたわわに実っており、おやつ替わりにボリボリ。とろろ芋食べながら歩いているようなもので、十分にエネルギー補給できる。

落合集落で車の往来の多い国道400号(西方街道)に抜けた。民家の犬がやかましい。

国道400号(西方街道)


黒沢集落の坂で出遇った方と言葉を交わした。「ずっとあるいでいがんの?(ずっと歩いて行かれるのですか?)」「はい、柳津まで歩こうと思って。」「そう。この先、道は良いから。峠になっていて下って左に行けば柳津だから。お気をつけて。」品のある親切なご老人でした。

国道400号を歩くのは面白みに欠けるので、立派な神社の反対側に切れ込む林道に進入。この林道は只見川左岸尾根を越えて芝倉に抜ける破線路に相当する。しかし、林道の分岐から先の道筋が良く判らずしばしウロウロ。時間に限りがあるので、適当に薮を漕いで尾根に上がった。上がった場所は予想した場所より若干北寄りの鞍部であり、鞍部から植林斜面をしばらく下っていくと斜めに下っていく破線路の跡に出合った。舗装林道との接続点は地形図記載通りであるが、接続点付近は薮化して見分けがつかない。

画像
日向倉山北方の芝倉に至る舗装林道のカーブ・標高445m


時刻は既に14:36。最も近いルートを選択しても会津柳津駅16:19の便に間に合わないかもしれない。間に合ったとしても着替えする余裕はなさそうだ。1つ手前の郷戸駅に目的地を変更し、状況不明の破線路歩きを止めて舗装林道で確実に歩を進める。

画像
只見川・麻生大橋


国道252号は交通量が多い。トンネル内は照明少なく歩道幅も狭くて少々怖い。ここを自転車で通るのは危険だな。

地図の駅入口らしき場所に到達したが、駅の存在を示すものは皆無。草が生えた坂道を半信半疑で登って出た高台は稲刈りの済んだ田んぼが広がるのみ。キョロキョロしてホームらしきものが認められる方向に郷戸駅が在った。通学者すらほとんどいないようで、自転車が一台あるのみ。工事現場の仮設トイレみたいなトイレには水道が引かれておらず、顔を洗うことができない。"超"の字が付くようなローカル線だが、水道代までケチるのはどうかな。だれもいないので駅のホームで堂々と着替えを済ました。

画像
只見線・郷戸駅


会津若松に向う列車には首都圏から来たと思しきツアー客が乗車していた。会津坂下駅で彼らが下車するのと入れ替わりに坂下高等学校と会津農林高等学校の生徒がドヤドヤと乗り込んできた。高校生はローカル線の最大の利用者なのである。

会津若松駅2番線ホームの待合室横のベンチに座り、実家の本棚で見つけた藤原新也の「印度放浪」を読みながら郡山行きの電車を待ち合わせ。三十数年前の高校通学時はいつもこの辺りから8両編成(だったかな?)の灯りの暗い木製座席の車両に乗車していた記憶がある。今はたったの2両編成で乗降口に乗客の列ができ、昼間の山手線より混んでいる。改札近くに停車するので離れた場所にある待合室もベンチも存在意義を半分失っている。古きをたずねる小旅行であったが、また一つ思い出の情景が過去のものであることを実感する旅ともなった。

*1 現在、こちらで参照可能です。

山野・史跡探訪の備忘録